会社の現役、OB11名が月2回、軽登山(ハイク)を行っている「R隊」、その中で定年組だけでつくった「平日ハイク」仲間の4回目ハイクは東京スカイツリーに昇り、その後、大手町に移動して皇居東御苑(旧江戸城本丸跡)を散策ですが、この日の行程を企画したM氏は風邪でドタキャン、4名だけのハイクでした。
東京スカイツリー
平成24年(2012)に開業した634mの電波塔、2月8日午前9時に東武とうきょうスカイツリー駅に集合、第一展望台(天望テラス)に昇る為に4Fのチケットカウンターに向かいました、開業以来多くの観光客を集めており、展望台に昇るまで1時間以上待たされると言う印象が強かったが、この日は当日券を販売するチケットカウンターに行列は無く、待たされることもなくエレベーターに乗りました、地上4階から350mの高さにある第一展望台まで分速600mのエレベーターで50秒で到着。
チケットカウンターで天望デッキ入場券(¥2,060)を購入 エレベータ内は隅田川の花火をテーマにした装飾、他に3種類の装飾があるそうです
天望デッキ
高速エレベーターは音や振動が全く無く50秒でデッキに到着
両国の国技館の先に都心部を望む 東京タワー 隅田川、江戸時代、遊郭の新吉原に続く山谷堀、日本堤跡が眼前に見える
湾岸エリアのマンション群を望む 江戸川と筑波山
快晴で都心部は綺麗に見えるが、期待した富士山は雲の中で見えず スカイツリーの影が延びる
金龍山浅草寺 墨田区役所、アサヒビール本社、吾妻橋、眼下に東武電車が走る
奥に新宿の副都心が見える 両国国技館、江戸東京博物館その先は都心部
天望デッキのガラス上部には紫外線防止のコーティングが施されているのか 一眼レフで撮ると絵にならず、一緒に持って来たコンデジで撮影
ガラスにコーティングされているのが判る
全員集合
天望デッキのフロア340にあるガラス床
フロア345から340に下るエスカレーター 下りのエスカレーターの装飾は「祭りの空」
東京スカイツリー近くにある押上駅から半蔵門線で大手町に移動、皇居東御苑(旧江戸城の本丸跡)に向かいました。
江戸城(千代田城)
慶長8年(1603)徳川家康が江戸に入府当時は太田道灌が造った小規模な城構えであったが、家康が全国の大名を動員した拡張工事に着手以降、秀忠、家光による数度に渡る天下普請を経た万治3年(1660)に四代将軍家綱の時代になり巨大な総構えが完成した。
東御苑
昭和43年(1968)に旧江戸城の本丸、二の丸、三の丸の一が皇居付属庭園としして一般公開されました、苑内には皇宮警察があります、なお天皇陛下のお住まいは隣接する旧江戸城西の丸跡にある宮殿です。
265年続いた江戸時代、親藩、御家門、譜代大名だけが登城出来た大手門(外様大名は内桜田門から登城)、現在は一般公開されており門前で皇宮警察の検問を受けて入門
高麗門と櫓門で構成された桝形の大手門 高麗門 櫓門
入苑無料、大手町のビジネス街に隣接する為、サラリーマンの散歩コースでもあります 大手三の門跡、奥に見える建物は百人番所
富士見櫓
浅野内匠頭が吉良上野介に刃傷を行った松の廊下跡 書庫として使われたと言われる富士見多門、窓から天皇陛下がお住まいの皇居乾通りが見える
天守閣
江戸城天守閣は家康の慶長天守、秀忠の元和天守、家光の寛永天守と火事による焼失の度に三度建てられていたが、三代将軍家光時代の「明暦3年(1657)の大火」で焼失の際、家光を補佐した異母弟の保科正之の「太平の時代なって天守は不要」の助言により天守閣は建てられず、天守台だけが残された
天守台 天守台内部から見た桃華楽堂と大手町のビル群
表、中奥、大奥が建てられていた江戸城跡、広大な敷地の約半分を大奥が占めていた 本丸から二の丸に続く汐見坂、江戸時代に海が見えたと言われる
見事な石組み
二の丸庭園入口に咲くロウバイの花