「初詣」
コロナ禍が無ければ今年も「初詣」は鎌倉の鶴岡八幡宮でした、自宅から電車を乗り継いで約2時間かけて藤沢で江ノ電に乗り換えて腰越で下車、新春の湘南の海、江の島の風景をカメラに収めながら江ノ電鎌倉高校前までR134を歩き、同駅から鎌倉まで江ノ電に乗って、二の鳥居から八幡様まで歩くのが毎年の「初詣」のコースでした。
今年は残念ながらオミクロン株の拡散中の為、4日に自宅から1時間弱で行ける浅草神社(三社)に詣でで来ました。
雷門前にある「浅草文化観光センター」8Fからの眺め
雷門から宝蔵門まで続く仲見世通り、江戸時代(元禄ー享保期)に浅草寺境内や参道の清掃を行う事を条件に浅草寺から営業特権が与えられたのが起源とされた日本最古の商店街、現在も小商店が約90店が並んでいます。
江戸時代、浅草寺の脇にあった「奥山」は芝居小屋や茶屋、見世物など庶民の娯楽の場所として親しまれました。
パナソニック創始者松下幸之助氏が寄進した提灯
雷門前はいつ来ても観光客で混雑、この時期さすがに外個人は少ない
仲見世から見た雷門、人出はピーク時の半分くらいか
浅草寺本堂
宝蔵門
浅草寺本堂からみたスカイツリー
三が日を過ぎても参拝客は引きも切らない
浅草寺宝蔵門・五重塔・本堂、五重塔は戦災で焼ける前は本堂の右手にあった
浅草神社(三社)
社伝によれば推古天皇36年(628)漁師の檜前浜成・檜前武成の兄弟が隅田川で漁をしていたところ、網に同じ人形の像が繰り返し掛かった。兄弟がこの地域で物知りだった土師真中知に相談した所、これは聖観音菩薩像であると教えられ、二人は毎日観音像に祈念するようになった。その後、土師真中知は剃髪して僧となり、自宅を寺とした。これが浅草寺の始まりである。土師真中知の没後、真中知の子の夢に観音菩薩が現れ、そのお告げに従って真中知・浜成・武成を神として祀ったのが当社の起源であるとしている、明治の神仏希釈により浅草寺とは別法人になり、明治元年に三社明神に改称、その後、現在の浅草神社に改称した。
慶安2年(1649)に徳川第三代将軍家光が建立した社殿は戦火、関東大震災などの被害を免れて往時の姿を残しています。(Wikipediaより)
神明鳥居と本殿
狭い参道から本堂まで3列に並んで順番を待ちます
毎年5月に行われる「三社祭」に町内を練り歩く3基の神輿が公開されていました
浅草寺隣に佇む浅草神社、こじんまりとした佇まいの為、意外と気が付かない人が多い
三社さまから頂いたお札と破魔矢 仲見世でかった今年の干支の虎