東京駅丸の内口駅舎
http://www.jreast.co.jp/press/2011/20110906.pdf
丸の内駅舎は辰野金吾、葛西萬司が設計し大正3年(1914)に開業した鉄筋赤レンガ3階建て、長さ330mの重厚・豪壮な洋式駅舎でしたが、昭和20年(1945)の戦災により南北のドーム、屋根や内装を焼失、その後、2階建てに改造して永く営業を続けてきましたが、平成19年(2007)5月に外観を創建時の3階建てに復元させる工事が始まり、工事期間5年を経て今年10月に完成予定です、すでに工事現場を囲んでいた覆いも殆ど外され、現在最終工程に入ってる様でした。
なお赤レンガ造りの丸の内口駅舎、国重要文化財に指定されています。
約40年前に新興住宅地として開発された新松戸は東京のベッドタウンとして発展、今では人口58,000人の中核都市の規模になっています。
常磐線(地下鉄千代田線)、武蔵野線が交わる新松戸は、開発当初から大手デベロッパーによって区画整理された街づくりが計画され、現在では高層マンション群、戸建て住宅が整然とした町並みを形成しています。
しかしながら町の歴史が浅い事もあって住民の連帯感、郷土愛が希薄であった為、町の有志や町内会が音頭をとり、皆が集える催事として「新松戸まつり」を企画して現在に至っています、26回を数える今年は新松戸町会連合会(25町会)、新松戸商店会連合会(6商店会)が参加する松戸市最大の祭りになっています。
昨年、近郊から祭りを見に訪れた人は延20万人と言われましたが、今年はそれ以上の人出があったと推測されます。
祭りの会場は新松戸駅から続く、けやき通りがメイン会場、中央公園が第二会場、市民センターが第三会場でした。
今年のポスター 通りの両側に各町内会、業者が飲食物の店を出しています
電車で来た3人、これから祭り会場に向かいます
警察がけやき通りを遮断 中央分離帯が休憩場所 県人会も出店、この店は北海道
家族連れや友人同士など、訪れた人は多彩 中央公園が第二会場
各町内会も踊りに参加
福島県人会が震災の募金活動を併せて行っていました 町内会のご婦人たちの花笠踊り
会場の数箇所に設けられた集積場所からのゴミ回収を小金高校ラグビー部員が行っていました、暑い中ご苦労様でした
子供たちの鳴子踊り 阿波踊り
鳴子踊りには各地から多くの強者たちが参加していました
踊りを終えて引き上げる鳴子踊りの集団、ちびっ子も参加(埼玉朝霞から来ていました)
続々と続く鳴子踊りの集団 子供たちのチアダンス
大江戸助六流太鼓の菖友會の実演
打ち手の女性、気合が入っていました
華やかさでは、やはりサンバパレードがNO.1でした
フロール・ヂ・マツド・セレージャのサンバパレード、観客が一番多い出し物でした
サンバパレードを見に集まった観衆
出番を待つ鳴子踊りの面々 祭りのマスコットキャラクター、炎天下ご苦労様
フラメンコ(相田瑞穂フラメンコ教室の生徒さん?)
中央公園に設けられたミニSLには多くの子供たちが順番を待っていました
催し物は他に松戸市消防局、小学校のブラスバンドパレード、和太鼓実演、殺陣演武、フラダンス、空手演武等などが2日間にかけて行われた様です。
東京スカイツリー
http://www.tokyo-skytree.jp/
今年5月22日に開業以来、展望台に上がれるのは予約客のみでしたが、明日からは当日券が販売されるそうです。
この日も、団体客を含めて大勢の人が訪れていました。
スカイツリーと商業施設全景
横を流れる北十間川もテラスが造られ様相が一新
京成橋下から見た北十間川 タワーとオフイス棟 商業施設正面
東武鉄道東京スカイツリー駅を出ると目の前がスカイツリータウン
水族館入口
施設内
業平橋から見たツリー左が墨田区役所、右がアサヒビール本社
浅草寺のほうずき市
ほうずき市は各地で行われているが、浅草寺で開かれる市は東京・下町の夏の訪れを彩る風物詩として江戸時代から続いており、毎年7月9、10日の二日間開催、毎年60万人が訪れるそうです。
浅草寺の境内一帯には 約100店以上の出店が並び、鉢植えやほうずきの枝などが販売されていました。
ほうずき市の日は 「四万六千日(しまんろくせんにち)」と呼ばれ、浅草寺の「功徳日」にもあたり、この日(7月10日)にお参りすると「四万六千日分(126年間)日参したのと同様の功徳を得られる」との言い伝えられています。
ほうずき市の風情をレンズで切り取りました。
今日が最終日、ほうずきを買いに来た人と観光客で歩くのもやっとでした ほうずきと風鈴の色のコントラストがきれい
いなせな姿のお姉さん 私も一鉢買いました
鉢植えを買うと風鈴がついてきます
浅草寺横の広場が会場になっています ほうずきの色が鮮やか
よしずも夏を感じさせます
鉢植えはどの店も¥2,500.-
この店は家族で営業中、男の子が大声で客の呼び込みをしていました
若いお姉さんが店主? この子は疲れてダウン?
午後3時に横浜山下公園、氷川丸横のフェリー乗り場に集合、多くの外国人に交じってクルーザーのマリーンシャトル号に乗船、時々小雨が降るあいにくの天気でしたが150人が参加、1時間のクルージングを楽しみました。
氷川丸
1930年に日本郵船が竣工させた12,000tの貨客船、長く北太平洋航路で運航されていましたが、現在は博物館として公開されています。
山下公園とマリンタワー 公園先の埠頭に係留されている「氷川丸」
氷川丸 フェリー乗り場 乗船するマリンシャトル号
参加受付中、紹介頂いた会員の野村さん 中東から来ていた親子 乗船開始
船内の施設、レストラン、バーもありました
海側から見た氷川丸
天気は小雨模様、横浜ベイブリッジ下を過ぎると横浜のビル群が霞んでいました
大桟橋とみなとみらい地区のビル群 コンテナ船からコンテナを積み下ろすガントリークレーン
大桟橋の屋上が「くじらの背中」と言う公園になっています 大桟橋に中型の旅客船が停泊中
みなとみらい地区と停泊中の海保の巡視船「しきしま」 赤レンガ倉庫も霞んで見えます
下船後、山下公園からみなとみらい地区まで徒歩で移動しました。
1927創業のクラシックホテル〝ニューグランド″本館 昼食をとった中華街 童謡「赤い靴」のモニュメント
右手に県庁、奥に横浜スタジアムが見えました 歴史を感じさせる横浜税関 重厚な建物の神奈川県庁
赤煉瓦倉庫
2号館は明治44年(1911)、1号館は大正2年(1913)に竣工されました、当初は輸入貨物を保管する保税倉庫として機能してきましたが、平成元年にその役割を終えた後は、放置されて廃屋となっていましたが平成14年に1号館が展示スペース、ホールなどの文化施設、2号館は商業施設として再開発され付近一帯も広場と公園を備える赤レンガパークとして整備され、現在ではみなとみらい地区を代表する観光施設となっています。
左が1号館、右が2号館 外観は以前のまま、時代を感じさせました
2号館、内部はリニュアルされて多くの飲食店が入居 1号館
2号館の3階は飲食店街、テラスが造られています 内部は煉瓦の壁面を生かした造りになっています
1号館全景
2号館の外観 赤レンガ倉庫からみたみなとみらい地区
海上保安部の埠頭に係留されている巡視船「しきしま」
みなとみらい地区、左からランドマークタワー、クイーンズスクェア―、パンパシフックホテル 観覧車に光が入りました
昼食は中華街「重慶飯店」のランチメニューから麻婆豆腐定食、水餃子ラーメンを選択 デザート
赤レンガ2号館内のレストランで中食 ピザ 野菜ステック
東北道で平泉から十和田を目指しました
タクシーメーターは貸切です 平泉前沢から東北道に乗ります 岩手山SAで休憩、岩手山頂は雲の中
3.11の大地震の影響で今でも東北道の一部の路面に凹凸がありました、間もなく八戸道との分岐
鹿角八幡平、次のが和田湖IC 高速道上にタイヤの破片、前方のバスがバーストしていました 高速を下りて一般道へ
十和田湖が眼下に見えるはずの紫明亭展望所で停車、展望所からは靄で何も見えません、ドライバーのSさん、ツアコンTさんと記念写真
湖畔のホテル、旅館街、遊覧船乗り場がある休屋
湖畔に近いホテル「十和田荘」 ホテルの前を流れる神田川が青森と秋田の県境です
ホテル前に石川啄木の歌碑がありました ホテル入口の八幡駒
夕食は料金相応の内容、ただしビールの味は変わらず けの汁 きりたんぽ汁
せんべい汁
ホテルのロビー脇に1/2縮尺のねぶたが飾られていました
二日目は雨もあがって青空になりました
シーズンオフと平日の為か観光客がまばら、遊覧船も数人の観光客を乗せて周遊
ボートが休眠中、有名な観光地でも客が集まらなくなっているそうで、地元の人によるとホテルも閉館が続いているとの事
乙女の像
昭和28年に建てられたこのブロンズ像、彫刻家であり詩人でもある高村光太郎の最後の作品、高さ2.1mの2人の裸婦が左手を会わせ向かい合っており、モデルは光太郎の愛妻で詩集「智恵子抄」で知られる智恵子夫人と言われています。
台座には婦人の故郷、福島産の黒御影石を利用しています。
奥入瀬渓流 http://www.city.towada.lg.jp/koutsuu/oirase/keiryuu.htm
十和田湖から流れ出た奥入瀬川は途中、様々な景観を見せて最終的には十和田湖町、十和田市などを通り、多くの川と合流して太平洋に流れ出しています。
十和田湖の子の口から蔦川と合流するまでの14.2kmを奥入瀬渓流といいます。
様々な表情を見せる奥入瀬渓流を切り取りました。
詩人佐藤春夫の歌碑 子の口でタクシーを降りて渓流沿いを2時間歩きました
渓流唯一の瀧「銚子大滝」
同じ流れを高速とスローで撮りました
白糸の滝
水の流れが川幅により大きく変わります
CMにもたびたび登場する「修羅の流れ」
石ケ戸まで約2時間歩いた後、タクシーで休屋に戻り湖畔にある信州屋で昼食をとりました
姫マスの塩焼きが美味 津軽山芋ざる蕎麦とイカそうめんも美味かった 食後、しばし湖畔を散策
十和田 - 盛岡
十和田湖と一望出来る発荷峠で一時下車、その後「りんごの里」、鹿角観光ふるさと館でお土産を買い、新幹線に乗る為に盛岡に向かいます。
発荷峠からの眺望 鹿角観光ふるさと館 鹿角警察署の壁面にまつりの飾りが
りんごの樹、まだ小粒です 残念ながら今日も岩手山の頂上は雲の中 盛岡ICでおりて盛岡駅に向かいます
北都交通の佐々木さんお疲れ様でした、帰りの走行距離は165km 駅前の高層ビル「マリオス」の展望フロアーで休憩 マリオスから見た盛岡駅
盛岡で東北と秋田新幹線が分かれます、左が秋田、上が東北新幹線 北上川が右に折れて雫石川と分岐
すれ違う上り、下りの東北新幹線 秋田・東北新幹線が連結して到着、盛岡駅で切り離されます
やまびこ64号で帰路につきました
夕食は駅弁です、「盛岡味つくし」と「前沢牛めし」を買って車内で食べました
予想だにしなかった新幹線+タクシーの贅沢な小旅行となりました、この時期にしては天気もまずまずで当初の目的であった「奥入瀬渓流」の写真も時間を気にすることもなくゆっくりと撮る事が出来ました、唯一悔やまれるのはツアーと言うことで三脚を持参しなかった事、スローで撮った半分が手振れでした。奥入瀬のスローな流れを撮るのには絶対に必要、秋の紅葉の時期に再度トライしたいと思います。
ありえない話ですが実際にあった話です、旅行会社の社内手配ミスだと思いますが、最終的にこのツアー参加者は我ら夫婦二人のみ、集合場所の大宮駅でツアーコンダクタ-のTさんと合流、新幹線で岩手県一ノ関へ、一ノ関駅で待っていたタクシーで平泉の中尊寺・毛越寺を見学した後、同じタクシーで東北道を十和田湖へ向かいました。(ちなみに旅行料金は一人2万円)
通常であれば、この様な場合はツアーの中止か他のコースへの振り替えとなるはずですが、主催したH社は信用を優先してか、赤字覚悟で催行されたと推察致します。
やまびこ53号に乗車 約2時間で一ノ関に到着 昨年世界遺産に指定された中尊寺
中尊寺
http://www.chusonji.or.jp/guide/about/index.html
慈覚大師円仁が850年に開山した天台宗東北大本山、12世紀初頭、奥州藤原氏初代清衡が合戦で亡くなった命を平等に供養する為に造営したそうです。
毛越寺と併せて昨年ユネスコの世界遺産に登録されています。
団体旅行の場合は時間が限られますが、ツアー客は2人の為にたっぷりと時間をとり見ることが出来ました
金色堂
国宝、天治元年(1124)建立の遺構、堂全体が金箔で覆われ、藤原三代の遺体、四代の首級が安置されています
金箔で覆われた金色堂は圧巻、内部は写真撮影禁止でした
中尊寺経堂(国宝)
旧覆堂
案内板によると「金色堂を風雪から護るため正応元年(1288)に鎌倉幕府によって建てられた五間四方の堂、昭和38年に新鞘堂が建設されて、旧位置より移築」とありました。
覆堂 中尊寺ハス
文政9年(1826)建立の弁慶堂 ゆるやかな坂道が続く参道 慶長20年(1615)建立の鐘楼
本堂
中尊寺の根本道場、奥州藤原氏が亡ぶと次第に勢いも無くなり、建武4年(1337)には火災により多くの堂宇と共に本堂も焼失しました。近世に入ると伊達藩の庇護の元、多くの建物が再建され、本堂前にある山門も元々一関藩主であった伊達兵部宗勝の居館であった一関城より万治2年(1659)に移築されました。山門は薬医門形式で左側に脇門があるなど城郭建築の一端を見る事が出来ます。現在の本堂は明治42年(1909)に再建されたものですが比叡山延暦寺より分火された「不滅の法燈」や様々な儀式などが執り行われています
金色堂に比べて人もまばら
薬医門様式の山門
毛越寺
http://www.motsuji.or.jp/keidai/index.html
毛越寺は慈覚大師円仁が開山し、藤原氏二代基衡から三代秀衡の時代に多くの伽藍が造営されました、往時には堂塔40僧坊500を数え、中尊寺をしのぐほどの規模と華麗さであったといわれていますが奥州藤原氏滅亡後、度重なる災禍に遭いすべての建物が焼失しました、現在、大泉が池を中心とする浄土庭園と平安時代の伽藍遺構跡がほぼ完全な状態で保存されており、国の特別史跡・特別名勝の二重の指定を受けています。
(毛越寺HPより抜粋)
入口にあった案内 正門
道場風の建物 本堂
毛越寺の正門に当たります 広大な敷地に多くの伽藍が立てられていました
大泉ケ池は浄土庭園として造られ、池は海、汀には洲浜、荒磯、築山など海浜の趣が配されています
花菖蒲園から見た大泉ケ池 対岸には経文を収めた経楼、金堂円隆寺(勅願寺)が建てられていました
花菖蒲が満開 洲浜から見た大泉ケ池、右手に多くの伽藍が建っていた様です
池には舟遊び用の舟が2艘浮かんでいました 対岸から本堂
海岸の砂洲をイメージした洲浜 菖蒲園 洲浜からの眺め
毛越寺を見てからタクシーは東北道を一路、十和田湖を目指しました、走行距離は約200km メーターは貸切になっています
十和田湖、奥入瀬渓谷は(2)で掲載します