次郎丸かなみの有味湿潤な日常生活

医療系オタク大人女子の日常生活やエッセイ。創作垢「きつねの戯言」にて小説、楽描きイラストなども描いています。

長女だから

2020-11-08 00:52:27 | 日記
大人気の『鬼滅の刃』の主人公の名台詞に
「俺は長男だから我慢できたけど、次男だったら我慢できなかった。」
というのがある。
今の時代だと異論のある人もいるかもしれないが、作品の時代設定は大正時代である。
今とは比べ物にならないくらい長男の責任は重かったことは想像に難くない。
この台詞の後に
「禰豆子だって長女だから…」
と続くのだが、長男ほどではないものの、長女だって責任は重かった。
どんな時も親を助けて家を支え、弟や妹の面倒をみる。
望んで長男長女に生まれた訳ではないが、それが宿命と大袈裟ではなく本当にそう信じ、強く生きて行かなければならない。

私は二人姉妹の長女である。
廃業してなければ約200年の老舗、江戸時代は名字帯刀御免の(町民ながら名字を名乗り刀の携帯を許された)名家の出身であり、大正初期生まれの祖母に育てられ、家の名に恥じない跡取りになるようにと、祖母や父親から躾られた。

今はもう先祖代々の家屋敷も土地もなく、家業も廃業して、生まれ育った町とは別の場所に暮らしているし、かつて実家のあった町の住民も既に代替わりして、実家の名前や屋号を聞いても知る人は殆ど居ないだろう。

前置きが長くなったが、入院していた母親の退院がやっと決まった。
母親は一年前に私たち姉妹と同じ市内に引越して半年間一人暮らししていたが、今春突然救急搬送されたまま入院して半年ちょっと過ぎた。
母親は元通りの一人暮らしを望んでいたので、それを目標としてリハビリを続けてきたが、やはり現実としては難しいと施設に入所することになった。

入院中はコロナ禍で面会はあまりできないが、洗濯物交換や留守宅の郵便物や換気などで毎週病院と留守宅を往復し、病院や福祉関係の担当者との面談や手続き、手術や検査の同意書を書いたり、手術中待合室で待機したり、ICUに呼ばれたり、母親の外泊で母親宅に泊まり込んだりと私は無理やり仕事の都合をつけて対応してきた。
母親の外泊などの時は一人では大変だからと私の長男長女も仕事を休んで一緒に来てくれた。

私も私の子供たちも、決して母親には懐いていない。
むしろ関わらないで済むなら関わりたくないくらいだ。
母親がまだ若くて元気な間は殆ど交流のない時期もあったが、母親が80代になってからは、否応なしに関わらざるを得なくなったのだ。
何かあった時に責任を取るのは、長女である自分だと思うから。
実際20年前に父親が亡くなった後母親が引っ越した賃貸も、去年引っ越した賃貸も、保証人は私である。

妹は母親の希望を叶えるという理想にとらわれていたが、私はケアマネージャーと一緒に現実的な方向を模索して結論を出した。

退院当日入所と契約までは私の仕事ではあるが、妹が今後洗濯物交換などは担当すると言って来たので、バトンタッチするものの、留守宅の後始末などこれからもまだまだ問題は山積だ。

長女だから、我慢できた。
長女だから、頑張れた。

子供たちも、長男と長女だから、やってくれた。
やらなくていいなら、やりたくないが、誰かがやらなければならないのなら、自分がやるしかない。
長男長女は生まれながらにそう刷り込まれているのかもしれない。

そして最後に再び『鬼滅の刃』の主人公の名台詞。
「頑張れ炭次郎頑張れ!!俺は今までよくやってきた!!俺はできる奴だ!!そして今日も!!これからも!!」

長女である私も炭次郎を見習って自分にそう言い聞かせよう。




コメント
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