2月17日、母が旅立った。
89歳だったので、年齢的には十分だったかもしれないけれど、患っていたわけでもなく、突然の旅立ちだった。
ここ2年くらいはひとりで出かけることができなくなったので、かかりつけの整形外科などへは私が同行していた。母が旅立った数日後、かかりつけの病院にお世話になったご挨拶に伺ったが、足腰がヨチヨチしていた以外は、頭もしっかりしていたし、元気に通院していたので、皆さん、とても驚かれていた。
おそらくだけど、本人が一番驚いているかもしれないとも思う。
生きることに執着するタイプではなかったけれど、本人のプランとしてはあと数年は・・と考えていたと思う。
でも、いつも言っていたな。誰の手も煩わせずに逝きたい・・と。
しかしだよ、もう少し煩わしてくれてもよかったよ。いきなり、逝くなよ。
妹と
「あんなにしつこい性格だったのに、最期はこんなにあっけなく・・だよ」
と泣き笑いしながら、棺を花で埋めた。
私の脳内には母の動画データが無数にあり、遺灰となった母をちゃんと見ているのだが、まったく結びつかず。。
今月いっぱいは、母の旅立ち後の様々な整理に追われるだろうな。
解決しなくてはいけない問題もあり、早く決着してほしいなと思っている。
お元気だったのに急にって、なんか後から突然フッと思い出して胸にこみ上げる度合いが多そうですネ、想像ですけど。
暫くはお忙しい事でしょうけど、お身体に気を付けてお過ごしください。
認知症を患った親御さんをみるのは本当に大変だと思います。知り合いの方も、先にお父さんが亡くなり、お母さんが認知になり、施設を転々、亡くなった時は「やっと父が連れて行ってくれた」という安堵感の方が強かったそうです。
昨日も近所のセブンイレブンがリニューアルのため、しばらく休むということでかなりの大安売りをしていました。母が生きていれば、大興奮のニュースだったろうなと思うとさびしく哀しいです。
私は父しかまだ送っていませんが、母が死んだらやっぱりショックはより大きいでしょうね。結果論として、父より母のほうが付き合いが長くなりましたし、やっぱり母親はいろいろな意味で貴重です。
父の場合ALSでしたので全く回復の見込みがなくそれですぐ死んでしまったので、ある意味唖然としながらでした。
十瑠さんもおっしゃっているようにいろいろお忙しいでしょうが、お身体にお気をつけて。
最後の10年は、かなり母との時間を多く過ごしました。
今年の9月に90歳だったので、それまでは頑張って欲しかった。。です。
あっけなく旅立たれたとのこと。お母様、子供達の手を
煩わせたくなかったのでしょうが、あっさりと旅だ立てると
「もう少し面倒見させて欲しかった」と思うのは当然ですね。
でも、手を煩わせる期間が長くなると「早く逝ってよ」なんて
事になります。私の父がそうでした。が「やれる事はやった」と
心置なく見送れました。
お母様の突然の旅立ち、しばらくは辛い事でしょうが、
御身お大事になさってください。
そして、「こんな風に母を見送れたらいい」と考えていたことはあっさりと覆されてしまいました。
もう少し一緒にいたかった。。。
でも、そう思ってもらえるような旅立ちであったことは、幸せなことなのかもしれないですね。
お母様のこと、大変でしたね・・・。
謹んでご冥福をお祈りします。
しばらくはお忙しいと思います。
私も先日、姉の四十九日法要が終わりました。
次は百か日、初盆、一周忌、、、と続きます。
anupamさん、お母様の晩年は傍にいらして、孝行なさったと思います。
それでも思いは尽きないと思いますが、anupamさんもご無理のないようになさって下さいね。
まだ、全然実感がないんですよ。
最後の10年くらいは、ほぼほぼ毎日母宅に行き、そこから仕事だったりしたので、そうい意味では、母も幸せな晩年だったかも、なのですが。
真紅さんのお姉さまも四十九日なのですね。
一年たち、また同じ季節が巡ってくると、なんとも言えない哀しみがやってきそう。。
お書きになっていたとき、話題になさっていた
お母様でしょうか。お元気そうでしたのに。
ご冥福をお祈り申し上げます。
大往生、ですね。
もう少し、と今は思われるのはわかりますが、
当方の場合みたいに父母ともに16年もの長患いは
当人も辛いが、回りも相当たいへんでしたよ。
大丈夫、
anupamさんの中にお母様が生きてらっしゃる。
物忘れは年なりでしたし
足腰の弱りはすごかったですが、
最期まで自立して生きたので
本人の希望通りだったかなと。
姐さんのご両親の長きに渡る闘病生活、
ご本人も、周りの方も大変な時間だったですよね。
でも、あまりに、急にお暇されたので、今も、電話しそうになるの。