今、連続して書いているシリーズから、スピンオフしてしまうものですが、最終段階で、そこ(鎌倉・雪ノ下の政治的、状況)へ戻りますので、途中は、付き合ってみてください。
副題1、『面白さと言う意味では、傑作【飛ぶ教室】には劣るものの、忘れられないニュアンスがある、【私が子どもだったころ】』
今、74歳である私が、中学生のころ(1950年代)、最も面白いと、思って次から次へと読んだのが、岩波少年文庫です。今は、児童書出版社も多く、他の体裁の、児童書も多く出版されていると、感じますが、60年前は、岩波少年文庫が、一番、頼りになる書物でした。後、筑摩書房から出ている世界文学全集とか、日本文学全集も、紐解いたものですが、
岩波少年文庫の、【秘密の花園】とか、【飛ぶ教室】などは、本当に面白いと、思いながら読了したものです。
で、エーリッヒケストナーの名前は頭に入り【点子ちゃんとアントン】とか【動物会議】なども読みました。
そして、ずっと後になって、大人の本として、【私が子供だったころ】を読みました。今、アマゾンで売っている体裁の本では無くて、大人向けの本として、出版されたものを読んだ記憶があります。
自分の方の感性が、中学生の頃よりは、鈍って来ていたとも思いますが、誰もが認め、同意して下さるのは【飛ぶ教室】の方が面白いと言う事でしょう。しかし、とは言っても、飛ぶ教室よりも、こちらの方が、ニュアンスが深いのも認めないといけません。
忘れられない、雰囲気があるのです。とても切ない雰囲気ですが、『これは、真実ですね』と、思う部分があります。
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副題2、『ケストナーが、母の不倫の結果の子であるとの記述が、wikipedia にあって、それは、嫌な情報として受け止めた』
本日、<【私が子どもだったころ】は、いつ出版をされたのだろう?>と、思い、その日付を知りたくて、ケストナーの、wikipedia を初めて読みました。すると、知りたくもない、記述がありました。それは、彼が、主治医と、母との間の、不倫の子だろうと、言うもので、それについて、ケストナーは何も言っていないと、あります。
参りました。いやなものを読んだと、言う感じです。で、筆先が鈍りがちになります。本来は、そう言う事を避けるために、書く前は、wikipedia を開かない主義なのですが、期日(事件の場合は、生起した最初の日であり、こういう書物の場合は、初版が、出版をされた期日)は知りたくて、wikipediaを頼るのです。
なお、wikipedia を開いた結果、得られたプラスの情報としては、
かれは、この小説で、賞を受けております。第三回・国際アンデルセン賞です。1960年だと言う事です。ほかの作品では、受賞をしていないみたいなので、さすがに、この小説が、いいものだとして、世界中で、認められていることが分かります。
しかし、【私が子どもだったころ】の舞台(幼児期から寮に入る前の、日本でいう小6までだろう)の中では、エーリッヒは無論の事、その父が実父ではないかもしれないという事は、知らないわけで、実の父親として筆を進めています。で、私もそれに沿って語りたいです。
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副題3、『窪島誠一郎と、ケストナーの間に有る相違点と、類似点』
私はね、窪島誠一郎って、私より若いのだと、思い込んでいました。違うのです、一歳年上でした。そうすると、水上勉が書いた小学生向けのリライト本(簡略にして、読みやすくした、小公女)などを、息子である彼も、知らないで、それを読んで過ごした可能性がありますね。
私は窪島誠一郎の本は、一冊しか読んでいません。それで、判断をするのは何ですが、でも、表現された心のありようとして、ケストナーの方を好んでおります。
『父への手紙』筑摩書房 1981年 のち文庫
窪島の養父と、ケストナーの、父親の職業は似ています。靴を売ったり直したりする仕事でした。窪島家は、お店を持っていたので、ケストナーの父より裕福でしょう。土地も自分のモノであって、今、キッドアイラックホールが建っていますが、明大前駅近辺の建蔽率が大きい場所に、100坪ぐらいの土地を持っている養父母ですから、決して貧乏ではないのです。
しかし、日本では、国家公務員か、一部上場企業の課長以上になって居ると言うのがエリートの、必須条件だから、窪島誠一郎は、父親の職業や、社会的地位について、劣等感を抱いて、育ちあがり、かつ、『この人は、きっと、本当の父親ではない』と、思って育ちあがります。で、少年期になって、両親に、「どういう人が本当の父なのか?」と問い詰めますが、その時点で、すでに、水上勉が、有名人になってしまっているので、養父母は、一人っ子が、そっちへ行ってしまうのを恐れて、なかなか、教えません。で、息子としての窪島誠一郎は、養父母を恨みます。憎むほどに、嫌悪感を持ちます。
こちらの書物は、少年期とか、青年期まで、記述が進みますので、これが本当のところだろうとは、思いますが、読後感が良くありません。いや、皆さまだって、『あなたの文章は、最近読後感が良くないわよ』と、おっしゃるでしょうが、それは、ちょっと、脇に置かせておいてくださいませ。ともかく、私の文章の方は、現実の生活が、すさまじい攻撃をうける毎日なので、仕方がないのです。
ここで、元に戻ると、私は、その後の窪島の書物を一冊も読んでおらず、彼が、思考を変えた可能性もあり、養父母に感謝し始めた経緯もあるだろうと、推察していることも白状をします。しかし、上記の本の中では、養父母を否定しまくっています。テレビドラマの中では、中村嘉津雄が養父を、演じた様な記憶があります。上手ですよね。何を演じさせても。
ケストナーの父親も靴の修理工であって、それを母親は、内心で、ひどく失望をしたり、憎んだりしています。ここで、母の不倫の情報を入れてしまうと、味もそっけもなくなるのですが、実の両親だと、思いたいですね。不倫を、母が本当に、していたと仮定すると、それほど、夫に嫌悪感を抱かないと、思います。罪の意識が芽生えるので、却って、夫に、たいして、親切になったりしませんか?
それに、シャーシャーとして図太い感じが、母親の方に生まれませんか? 母親が、もし、そう言う図太いタイプだったと仮定をすると、あれほどに、面白い児童小説を書く、エーリッヒ・ケストナーは、生まれなかったと、思いますよ。母は不倫はしておらず、ただ、医者を、『素敵だなあ。ああいう夫が、自分の傍に居たらよかったのに、靴の修理工が、自分の本当の、夫だなんて、たまらない』と、そう言う風に思っていたのでしょう。
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ここまでが、5日に書いたことでした。その後、を、6日の夜9時から、書き始めます。昨日は、疲労困憊していて、続きを書くことができませんでしたので、恐れ入ります。
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副題4、『父親としての、水上勉に、ある程度、もしくはそれ以上の、問題があったのだろうと、私は思う。それは、エーリッヒケストナーの父とはだいぶ違う性格と、信条の持ち主だったと言えよう』
窪島誠一郎と、エーリッヒケストナーの間に有る、類似点とは、父親が、靴の修理工だ(しかし、窪島家は、お店を持っていたので、ケストナー家よりは、金持ちではあるのすよ)と言う事と、それが、社会階層上、低い職業だと、ドイツでも、日本でも考えられていたと言う処です。
二人の相違点とは、窪島家では、養父母の間に不和は無くて、窪島誠一郎は、そう言う点で、ある程度、普通に、というか、図太く育ちあがりました。エーリッヒの方は、両親の間に有る不和に、非常に心痛めております。それが、彼が、作家になった最大の、要因だったと、言ってもいいかもしれません。
窪島誠一郎は、クラブのボーイをしたりして、やんちゃ(少々は、不良がかった)少年時代や、青年時代を過ごしますが、父が、才能ある作家なので、やがて、作家へと転身をして行き、多数の書物があります。だが、窪島誠一郎には、エーリッヒほどの、繊細さが、見られない様に思います。
戦没画学生へ、光を当てる仕事は、有意義です。だが、最初の書物の、中での、養父母へ対する思いの記述には、なかなか、の、違和感を、私は、持つのです。それが、真実であろうとも、子育てとは、大変な事であり、「生活費が、5万円余計に必要だ」と、言う様な事だけでは済まないからです。
毎日、毎日、誠実に尽くしてくれた、養父母へ対する感謝の気持ちが、最初の書物にあまり見られないのは、
窪島誠一郎の中に、父親である、水上勉と同じ傾向が、あるのではないかと、推察します。
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副題5、『創作を志す者が、真に天才的作家になりたいのなら、子供を持つべきではない・・・・・私は、常に、それを、女性に向けて語っていたが、今般のケースでは、それが、男性にも当てはまるのだった』
今、窪島誠一郎の、wikpedia を開いてみていたのですが、実父・水上勉との別れと、再会の、主因は、戦争(特に、空襲による、被災)と、されています。
しかし、30年前に、それが、派手に報道をされたころの、記事や、その他から得た記憶では、違う原因だったと、覚えております。
創作を志すもの、特に天才的レベルで、成功をしようと願う、物は、子供を作ってはいけないのですね。しかし、一種のできちゃった妊娠で、誠一郎が、生まれたのですが、水上勉の方では、それが、重荷だったのです。
で、簡単に言うと、実父・水上勉・側に、育てたくないとか、引き受けたくないという、気持ちがあって、母子と別れたのですね。私は友達の家とか、絵の仲間を訪問してそれを、実際に、みたことが有るのですが、昔の貸間とは、共同便所、共同台所で、長い廊下を挟んで、両側に、二間の押入れが付いた、6畳が、鍵のかかる形で並んでいた・・・・・と言う様な形式だったと、覚えております。そういう場所にもし、若い日の水上勉が、住んでいたと仮定をすると、赤ちゃんが傍にいるのは、仕事にならないと、言う事になります。静かな環境が確保できないからです。
今、夫が、創作者であり、妻が、勤務者であるケースは、非常に多いと思います。単に文筆業に限らず、デザイナーとか、コンサルタント業でも、その種の形をとる夫婦は多いでしょう。夫婦のどちらかが、安定した月給を得ることが、不安定な、独立自営業には、助けになるから夫が、家事、育児をしたりして、子供が小さいころの、生活を組み立てていき、主夫業と言う言葉が確立をしています。しかし、これは、現代の話であり、若い夫婦の二人ともが大学を出ているとか、中流家庭の出身であって、基礎的な、資産援助等があって、自分の家を、確保しているという様な、ケースが多いのです。
しかし、戦前・戦中・戦後の日本は、全体に貧しくて、女性に、夫や、子供を養う程度の、しっかりした給料を支払う仕組みは、ほどんどなかったと、思います。
私は、ここで、非常に思い切った事を言いますが、窪島誠一郎の、養父母は、水上勉と比較をすると、格段に性格の良い人だったと、思います。だから、こそ、窪島誠一郎は、安心して、養父母の悪口を言えたのです。愛情の深い人の方が、愛情を持っていない人に負けるのです。窪島誠一郎の、潜在意識の中では、絶対にあったはずの、実父、水上勉への怒りとか、恨みの感情が、やっとあってもらえたという、条件下で、出すことができません。で、それが、意外な方向転換をしてしまって、養父母への恨みの言葉になったのではないかなあと、おもっております。どちらに対しても怒りは有ったはずですが、上記の、書物の中では、養父母への、怒りだけが、出てきています。
特に二人が、邂逅をした当時は、出版界は、大金が動く好況な世界であって、流行作家の地位が高かったのです。で、そう言う外部的要因にも、目がくらまされていたと、私は、思います。
つまり、私がここで言上したかったことは、ずるさとか身勝手さというモノも、有名人が、それをすると、不問にされる傾向があると言う事です。それこそ、今の私が直面している被害の上で、もっとも、多く使われている手法だからです。
それで、鎌倉市が、税金を使って行った高枝切を分析中に、この一文が、スピンオフとして、出来したわけでした。
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副題6、『日本人は、貴種流瑠譚が大好きで、窪島誠一郎自身もそれに当てはまるのだが、エーリッヒケストナーの、母の不倫説もそう言う処から、生まれて来てはいないだろうか? まあ、顔が、その・・・・・実父だと、噂をされている・・・・・ツィンマーマン医師に、似て居たら、仕方がないけれど・・・・・』
日本人は、小公子の様な貴種流瑠譚が大好きです。貴族のプリンスが、乞食に身をやつしているというのが、典型ですが、歌舞伎にもたくさん似た例があります。「実は・・・・」となって観客を裏切って行き、驚かせたのちに楽しませるという構図が、たくさん見られます。私が、この、一二年の間に見た【逆櫓】、【渡海屋】、【すし屋】の、三つには、身をやつしていた、貴族が、急に名乗り出るという場面があります。
実は、窪島誠一郎の、実父探しは、養父母に対する裏切り行為です。普通の、市民同士だったら、絶対に褒められた筋合いの出来事ではないです。しかし、世間が、『良かったですねえ』と、誠一郎と、水上勉を祝したのは、いわゆる貴種流瑠譚好みの反映でしかないです。内田康夫が、浅見光彦シリーズを書いていますが、あれも、その枠組みを利用しています。主人公は、旅行記専門のルポライターが、正規の職業で、実は、探偵もできると言人物ですが、彼の、実兄が、警察庁の、非常に偉い人であって、地方の警察署の、中堅幹部が、急に態度を変えると言うのが定番になって居ます。遠山の金さんもそうだし、水戸黄門も同じです。江戸時代は、まだ、侍系が偉いのだと言う枠組みがありましたが、今は、金銭の多い人も貴種に、成り上がれる世界です。林真理子、西原理恵子、瀬戸内寂聴などは、その枠組みで、貴種に成りあがっている人たちです。亡くなったけれど、森瑤子にも、その傾向がありました。
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副題7、『ここで、伊藤玄二郎に入る。彼は、四六時中、私の周辺に居て、被害を与えているので、常に忘れられない存在として、立つ、人間だが・・・・・かれもまた、貴種流瑠譚を、常に利用をしている存在だろう』
ここから先、1500字程度、彼が、今回の高枝切にどういう風にかかわっていたかの記述に入って行ったのですが、それは、次の章へと、独立をさせて置いておきます。そちらは、リンク先が、以下となります。
伊藤玄二郎と、阪中英夫の結託について・・・・・・鎌倉にも豊洲と同じ問題が、秘匿をされている 2016-10-06 22:50:36 | 政治
@@@@@ここが、第一の、書きかけ中の最先端です。これ以降はメモです。
@@@@@@ここが、第二の書きかけ中の最先端です。
しかし、日本にも、そう言う枠組みを利用しないで、生きて居る人はいるのですが、ケストナーが、どうだったかと言うと、彼は、今日の、主題となって居る小説の中では、父親に対して、非常にやさしいこころで、謝罪の意識を述べております。母親が、自分を取り込むので、母と、一緒になって、父を疎外していた事を謝罪をしているのです。そこまで来ると、読者は、切なさに撃たれます。だって、今謝罪しても、もう間に合わないですよね。だけど、フロイトが、言っている通り、母親と息子は結びつきが強いですから、三人だけの家庭で、一たい二の関係で、父親が弾き飛ばされていたのは、ありうることなのです。
後注1、
旧里見弴邸に秘密が隠されている?・・・原節子の死と伊藤玄二郎+伊藤整△△△ 2015-12-03 03:31:30 | 政治
後注2、
前田祝一様、貴君に行動の自由があるのなら、私にも、その行為を記録する自由はあるでしょう?△ 2013-06-11 15:31:49 | 政治
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