銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

米黒人女性実業家が、著名映画監督との間に、代理母経由で、白い肌のBAbyを獲得?△△

2015-12-18 03:05:04 | 政治

 今は、19日の午前4時です。いろいろ、加筆をしました。それは、アンダーラインを引いておきます。オリンピックの総予算が、予想の6倍に膨れたということについて、最後に触れています。『土木建築の面では、日本は、どこかが、間違っているよ』と感じていることを、画材卸会社【レンブラント】の本社の様子と比較して語っています。それで、完成といたします。で、恒例の、△印を二つ、総タイトル横に付けておきます。

副題1、『この章を書くにあたっての、最初のお断り』

 実は、2015年12月17日付のブログは、自分では、書いた後で、すっきりしていて、安心して寝たのです。政治についての真実を大量にぶち込めましたから。それで、すっきりして、他の用事をいたしました。たくさん用事がたまっているので、『よかったなあ』と、思いながら・・・・・・

 で、24時間後に、推敲の為に、それを読んでみると、『ちょっと自己満足が過ぎていて、突っ走りすぎだ。これでは、読者の方には、ご理解の難しい文章になっているね』と、感じました。それで、急きょ分割することにいたしました。こちらが、一番目の話題です。

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副題2、『私は、ETV(NHK)で、放映されている、【スーパープレゼン】を一回も見たことが無かったのだが』

 2015-12-17、【100de名著 良寛篇】を録画ニュースチェックの間にライブで見て居たら、次の番組、スーパー・プレゼンを偶然にも見ることとなりました。

  この番組には、今まで、一顧だに関心を払いませんでした。私は40代の時には、母校で、下級生に対して、講演をしてほしいと、頼まれたことがあります。その当時は、まだ、北久里浜で、瀬島隆三たちが、起案した、水道山の詐欺事件には、出会っていなかったので、私は、一種のエリートだったのです。しかし、その後、彼ら、CIAのエージェントたちに裏から激しく弾圧され始めているので、表社会では、エリートとして認められない立場に陥っています。

 だから、プレゼンテーション(=講演。または、企業内での企画の発表)のやり方とか、それを、上手にする人の事を学ぼうなどとは、思っていないわけです。

 しかも、経営者でもないです。実は「あなたは、たいへん良質なビジネスマインドを、持っている」と女性の友達で、頭の良い人によく言われます。ブログを読んでいない女性で、単純にリアルな会話をしていて、そういわれます。ブログを始める前は、男性からも言われました。メルマガ時代には、読者層に、ビジネスエリートも多くて、したがって感想として、そう、言ってもらった事もあるのです。

 実際に、もし、私がある私企業の参謀として、社外取締役にでもなったら、その企業は発展すると思いますよ。わが身の損得を顧みずに、忠告をしますので。

 しかし、今は、すでに、73歳になってしまいました。で、誰からも何も頼まれていないわけです。(苦笑)だから、上手なプレゼンテーションを見ても、何の役にも立たないと、思っておりました。

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副題3、『私は美形好きだ。そして、NYには、黒人系の若い人で、美形が多いのは、経験上知っている。特に版画工房の、事務をボランティアでやっていた元スーパーモデルの印象が、濃いのだった』

 その番組の主役メロディ・ホブソンが黒人女性だったのです。それで、私の脳はすぐさま、2000年のニューヨーク・アーチスト修行中の想い出に入っていきました。そこで、私は、元スーパーモデルで、中学生のお子さんが居るという女性と知り合ったのです。黒人の美女です。

 ところで、ここで、お断りを申し上げますが、本日は珍しく、総タイトルも含め、本文中にも黒人と言う言葉を使っています。この黒人と言う言葉は、死語になっているはずです。使ってはいけない類の言葉の筈です。で、代わりにアフリカンと、言う言葉を使うべきでしょう。しかし、一般の日本人が、アフリカンと言う言葉を聞いた時に、それが、黒人を指すと、はっきりわかるでしょうか? わからないと思います。で、ニッガーとか、ニグロと言う英語を、在米の白人が使うことはだめなのですが、

 日本人が彼らを指す時には、黒人でいいのではないかなあ? この問題は、また後で、蒸し返します。

 欧米人(白人は特にだが)は、ふけるのが速いです。で、やせている人は、特別に早い時期に老婆風になってしまいます。ところが、この元スーパーモデルは、20代に見えます。スーパーモデルと言う職業を経たうえで、お子さんが12歳以上なのですから、アラフォーだと思うのだけれど、まったくそうは見えません。

 この人は版画工房で、無給の事務員をしています。で、私は一緒に、5ガロン缶の溶剤を買いに行ったりしました。これは、日本でいうと、20リットルの灯油入れに相当するものですが、あちらでは、石油系溶剤は、ほとんどが鉄の缶に入っているので、とても重いものです。タクシーで、ペンキ屋から運び入れますが、裏にあるごみ収集人、または、郵便局員用のエレベーターで、運び入れるのです。

 彼女がこういう働きをしていたのは、所長のブラックバーン氏が、黒人で、ニューヨークの芸術界においては、非常に有名な人物だからです。そして、芸術の力で、黒人の地位を上げた人だからです。だから、尊敬をしているのです。その人が、今(と言うのは、2000年の話、今はすでに、逝去)病の床に臥せっているので、助けているのでした。

 しかも、ブラックバーン氏の方は、当時は、65歳ぐらいですが、独身です。と言うのも黒人系で、頭が良かったり、能力が高かったりすると、結婚がかえって難しいという側面があったからだと、思います。で、ホテルチェルシーと言う、階段ホールが一種の美術館になっている有名なホテルで、一生を送って、今もそこに、滞在をしている段階です。ただ、行動が不自由になったので、1999年に訪問した時には、その部屋の中に、いっぱい充ちていたものが2000年には、整理されて無くなっていました。その他にもいろいろあって、私は氏の境遇に涙をしたこともあります。それが、後日、私の『黄色いさくらんぼ』と言う本に結実して行きます。ブラックバーン氏は、たった11粒、部屋へお持ちした黄色いさくらんぼを、「明日、お手伝いさんにも、分けてあげる」と言うのです。思わず涙が出そうでした。

 もう、自由には歩けなくなっていたので、そんな、小さなプレゼントでも、氏にとっては、貴重品だったのです。私は忙しすぎて、閉店前まで、スーパーに行かれず、プレゼントが買えず、自分用にとっておいたものを、プレゼントとして持って行ったのでした。気の毒でしたね。

 それは、2002年の8月の事で、私が個展をするために、NYを訪問し、11日間の宿として、ホテルチェルシーを選んでいたから出会ったエピソードでした。

 で、そのサクランボの話の、3年前、2000年に戻ると、この工房に、当時の私は月に6万円を払って毎日詰めておりました。ビルのオーナーから要求されている家賃が、15X10m(150平米)で、月11万円だったのです。とても安いです。それは、ビルのオーナーとブラックバーン氏との信頼関係も寄与していると、私は思いますが。West9,24stと言う、マンハッタン島、南部、美術家向けのエリアの中心街なのにです。

 ともかく、元スーパーモデルは、相当に苦労をしているはずなのに、あまり、悩みとか、愚痴を言わないのです。その上、彼女と対立する位置にある、通称【よよ】と言う日本人女性が、悪巧み(=自分がお金を払わないで、使用できるシステム)を作り出したので、全体の、金銭的な、モラールが下がってしまって、誰もが使用料を正当な形では支払わなくなってしまって、私が帰国直後に、そこが、つぶれるのです。が、たった一か月の滞在でもわかってしまう、その種のよよの悪どさについても、判っているはずなのに、彼女は、何も言わないのです。

 この【よよ】に対しては、本当に私は怒っております。かの女のせいで、死ななくてもよかった、ホアレスと言う南米系アーチストが、私が2000年の11月に帰国後、たった9か月以内(=2001年の8月)で、孤独死しています。

 私は、最近、・・・・・「コンセプト系作家です」と名乗る作家に対して、不信感を強く抱いている。才能が無いのを、隠すために、そう言っているのではないですか?・・・・・と、まで、言い放っているのですが、それは、このよよに、大きな原因があります。

 よよの制作態度と言ったら、まるで、幼稚園児並みです。・・・・・パリの骨董市で買ってきたと言う700本近い古いタイプのカギを、そのまま、銅板の上で、なぞっていくとか、または、それを拡大するとか。それを私に見られているし、私がどうも頭がいいらしいと判ったのちでは、雑誌から切り抜いた赤ちゃんの写真を、拡大して、とびとびにロール紙の上に置いて、フォトエッチングの手法で長くて、大きなサイズの、版画を作って行くとか。何しろ、一年に一回、コンクール狙いの作品しか作りません。ただ、ただ、有名人になりたくて、版画を作っているのです。

 それ以外の時間は、作品を作らないなどという類の、生活です。その一年に一回作る作品が、苔脅かしの作品で、しかも、そんな幼稚園ちっくな制作方法で、作品を作っているのに、『自分はコンセプト系作家であると』と、偉そうにして、あれこれを言うのです。そして、「酒井忠康氏に、褒めてもらっている」とも。この最後にあげたフレーズを、最大限に利用して、その日本での地位を上げて行っています。したたかな事、この上ない女性です。

 酒井忠康氏とは、最近、日曜美術館(NHK)で、神奈川県立近代美術館の閉鎖に伴って登場した、元カマキン館長、現在の世田谷美術館・館長です。

 これが、2000年の事でした。で、それ以来、酒井忠康氏の、審美眼と言うものを、私は、一切、信頼しなくなりました。酒井氏は、【よよ】がニューヨークに住んでいるというだけで、または、旦那が白人で、しかも作曲家だというだけで、信頼するのでしょう。その旦那に対しては、よよの方が、お金を稼いでくれないという点で、大きな不満を持っていて、版画工房内では、罵倒しまくっている存在です。だが、日本へ来れば、その男性を最大限に利用をする。彼の方は、背が150cmぐらいで、白人としては、とても低いから、白人の女性相手には、結婚をできない人だと思います。だから、よよが、つかまえることが、できたのだと、私は見ています。『だが、金髪であり、クラシック音楽の作曲家であるという点に、酒井氏は、幻惑されているのだろう』と、私は判断をしています。

 これもまた、渡辺幸子、栗田玲子を、通して、最近の、政治問題である・・・・・長谷川智恵子の障害児・間引き・推奨発言・・・・・へ、結び付いていくのです。ところで、本日も、国際基督教大学の同窓会、卒業生の中の有名人に対するインタビューのサイトが、私のパソコンでは開きませんでした。2015-12-18の早朝の事。なんか、恐ろしい警告マーク(危険なサイトです)が、出てきたりします。でもね。それを無視したら、国際基督教大学の同窓会と言うサイトだけには、入ることができます。ただし、私が現在見たいと、思っているものは、見当たりません。

 そこに、塩見和子さんも、渡辺幸子さんも、登場しているのを過去に読んだことがありますが、最近は、読めません。だから、皆様に、「そこを読んでください」と、言いたいのですけれど、開きません。その開かないことが、私が書いていることが、いかに、正しいかを証明していると、私は考えておりますが・・・・

 で、本日は、それだけを書いて、長谷川智恵子・問題には、深く踏み込まず、先へ進みます。

 【よよ】とは、対極の、存在だった。黒人系スーパーモデルに戻ります。

 私は、こちらの精神構造には、相当に驚かされていました。大きな、ぱっちりとした目を見開いて、前だけ、または、本質的な事だけを見つめ続ける。『周囲の空気を読めないと生きていかれない』などと言う、日本人の精神構造とは、全く違うのです。

 ある時、周辺には誰もいない形で、エレベーターを二人で、待っていた事があるのです。それで、おもわず(だから、おべんちゃらではない)、「あなたって、きれいね」と言ったら、「ええ、母には、感謝しているわ」と答えたのです。

 ここですが、普通の日本人で、気強くて親しみを示したい人だったら、「あら、いやだ。ストレートすぎよ」ぐらいの返事をするでしょう。反対に気が弱い人だったら「そんな事をおっしゃって」と、もじもじと、恥じらう筈。だが、まったく違う答えでした。私以上に彼女の方が、ストレートだったのです。ジョークにもなっていないほどの、素直さだから、本当に、びっくりしました。

 彼女は、子供時代から安定した生活を送って来た女性だと、思います。NYには、公務員として働いている、中年以上の黒人がいっぱい、います。そういう人は、家庭を安定して営むことができるでしょう。夫婦仲が良くて、親子の仲もいい。大富豪ではなくても、幸せである。彼女を見ていると、そういう育ちであると、推察ができます。

 ところで、NYの黒人の中には、公務員になっている人が多いのです。思いがけない事ですが、日本よりも、公営のものが多いからです。地下鉄は、ほとんどの路線が市営だし、郵便局も公営ですし、タクシーさえ市営みたいですよ。一方で、道路の端っこに座って、一日中だべっている様な、貧しい階級の黒人が居るのも確かですが・・・・・

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副題4、『世界の優れた人、100人のうちに選ばれたと、聞く、Mellody Hobson は、そのドレスの選択のセンスが素晴らしい』

 さて、やっと、本日の主役に入っていきます。上に書いた、スーパーモデルと、比較すると、ETVのスーパープレゼンに登場した、アメリカの有名な女性実業家であるという、Mellody Hobson は、体がとても華奢です。同じくスリムだと言っても、背も、低いみたいですし、骨格が全然違う。後で、彼女が代理母で、ジョージルーカス監督の子供を作ってあげたという話を聞くのですが、彼女には妊娠やら出産が無理だとの、医者の判断があったのではないかと、思うほど華奢です。

 日本で比較をすると、太田光の奥さんと、似ています。美形で、きゃしゃ。足は極端に細い。骨盤も肩よりも細いかもしれない。背も高くはない。

 だが、お洋服の選び方は、素晴らしかったです。google 検索内に、その番組の案内頁があったので、静止画像を、皆様はご覧にいただけると思います。が、動く映像としての方が、ワンピースの材質(ウールの筈)の良さとカットの見事さが、より、高いレベルで、わかります。講演会の主役として、この上ないほどに見事なドレスでした。

 ほかの画像(たとえば、パーティドレス着用時)を見ても、彼女が・・洋服の選択・・については、センスが抜群にいいということが判ります。

  これには、貧富の差にかかわらず、世界中の女性が納得をするでしょう。頭がいいということには、バランスの良さとか、魅力の開示の仕方とか言う部分の、総合性も、加わっているのです。

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副題5、『・・・子供のころは苦労をした・・・という話をするが、必ず、知恵のある方向でまとめている・・・・・それには、感心をした』

 彼女が語った子供時代の話のうち、二つは、知恵ある言葉でまとめられています。一つは、水泳のコーチが、「プールの縦の長さいっぱい、息継ぎをしないで、泳ぎ抜け」と命令した話です。とても、苦しいので、「どうしてこういう事をさせるのですか?」と、質問をすると、「不快(unconfortable)と言う事を、知るためだ」と、コーチは言ったそうです。これは、黒人は、実際には、まだ、あっちこっちで、差別に出会わないといけないので、不快な事が、将来起こるだろうという事を、幼いころから教えようとしていたわけですね。これが、講演の後半に繋がっていきます。

 ここに、一つ、私の思い出が、加わります。船橋市にある塚田小学校と言うところから、横浜市にある、日吉台小学校と言うところに転校する際に、母が担任の先生にこういわれたそうです。「お嬢さんに、これからは、慢心していてはだめですよと、伝えてください。レベルが違うので、今の様な態度では、たちまち、下の方へ落ちますから」と。当時の塚田は、総合的に言えば、農村と言うイメージでした。今は、変化していて、マンション林立地帯みたいです。だから、サラリーマンの街へと変化しています。一方で、日吉の方は、60年以上も前の、その当時、すでに、サラリーマンの街と言うイメージでした。

 しかし、それ以外の、注意は受けたことはないです。日本はシビアじゃあないから、メロディホブソンに比べると、言葉として経験したものは少ないです。

 だけど、差別が全くないというわけでもないです。父親の職業や、家庭全体の収入如何による差別は、子供社会の中にもありますね。私も、心理的な面では、感じ取ったことが何度もあります。2015年の今ですが、ランドセルの定価の高、低による差別、または、いじめが問題となっているそうです。小学校一年生で、そんな苦しみに出会うなんて、社会、全体が間違っています。

 もう一つは、友達の家庭に、メロディがお呼ばれをされたときの事です。お誕生会とか、日本でもいろいろあって、私も非常によくお招きを受けた方です。友達のお姉さまが東洋英和に通っていたので、東洋英和の文化祭にまで、一緒に連れて行ってもらいました。その時に、急に言われたから、洋服は、こぎれいなもの(母ではない、専門家に、私用に、仕立ててもらったウールのジャンパースカート)を持っていましたが、子供用の革靴だけが無くて、『ズックの靴では、東洋英和に行くのはだめでしょう』ということに、わが家内での母と私の会話に、なって、母の、青い皮でできたパンプスを借りて、はいて行ったのです。スカートも青い色だったので、ちょうど合うということで。母は戦前には、父と一緒にモボモガ生活をしていたので、東京の内部事情は良く知っていましたので。 

 当時の私は、小学六年生ですが、背の方はすでに、母を超えていました。だが、足はまだ、大人サイズではなかったので、母のパンプスが、脱げそうで脱げそうで、麻布の道を大変な苦労して歩いた記憶があります。・・・・・これが、また、政治の上でいえば、佐野研二郎の、エンブレム問題に発展をして行くのですが、ここでは、それには触れないでおきます。

 で、メロディの場合ですが、黒人で、差別を受ける立場の方ですが、6人兄弟の、一番したというのは、相当に、彼女にプラスをしたのだと、思います。お兄さんや、お姉さんが、学校内で、一定の位置を築いていてくれたというわけでしょう。これは、いま日本で、いじめに拠る自殺が問題になっているでしょう。あれは、長子であるか、一人っ子である可能性が強いです。だから、学校内に、地盤が無くて、いじめられ始めると、防波堤が無いのです。メロデイは反対で、どんなご家庭からも招かれる立場に、すでに達していたという事でしょう。人気者だったというわけです。メロディが、どういうお宅にも、招かれたのは、彼女がいい子で、しかも、お勉強ができる子だったからでしょう。

 さてお呼ばれから帰ってくると、母親は、普通の母親とは、違う質問を、したそうです。普通なら会話として「楽しかった?」と、聞くものでしょうが、必ず、 How they treat you? と、質問をしたのだそうです。

 と言うことは、相手のご家庭は、中流以上の白人の家だったとみなすことができます。そこで、メロデイは、たった一人の黒人の子供だった可能性があるのです。特別にお勉強が良くできたそうですから、その可能性はあります。そうなると、母は心配します。友達は、仲良くしてくれても、相手の子供の兄弟、または、両親、または、メイドが、どういう態度を取るかと言うことを。

 そしてメロディに、本当のことを話させて、とくに、差別をされた悲しい場合に、どういう風に、考えたらいいかと言うことを、教えたのでしょう。と言うか、『それを、自分で考えなさい。そして、その結果、自然に、克服できる様になる』と、言う風に、持って行ったのだと思います。

 で、メロディは、幼いころから、『このアメリカ社会には、皮膚の色に、よる差別が、実際に、あるのだ』と、言う事、また、それに対してどう対処するか、とか、どういう風に受け止め昇華するかと言うことを学びながら育ちあがります。

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副題6、『メロディ・ホブソンは、プリンストン大学を卒業している。私は、そこの食堂で、1999年に30分を過ごして、感嘆をした思い出がある。あまりにも静かで、落ち着いているので』

 そして、日本でもそうですが、マイナス・ハンディを覆す方法として、いい大学へ行くことを目指し、彼女は、成功をします。プリンストン大学へ行くのです。アメリカ東部の名門校の一つです。

 私はたまたま、1999年のニューヨーク滞在中に、車を出してもらって、ニュージャージー州にある【レンブラント】と言う、大きな画材・卸・会社の倉庫を訪問をした事があります。幅16m、長さ80mぐらいの倉庫が六棟ある会社で、ここで、見つからないものは、世界中、どこへ行っても、見つからないだろうというほどに、商品がそろっている会社です。

 その途次に、プリンストン大学へ寄ってもらって、1時間以上、中を散策しています。そして、学食にも入っていますし、事務棟で、大学要覧も、もらってきています。建物と建物の間が、サッカー場ほど広い場所もある、大学です。学食も、4人~6人掛けのテーブルが、お互いに3mは離れて配置をされていて、長いテーブルで、お互いに、肘をくっつけあいながら、そそくさとご飯を食べる日本の大学の食堂とは、全く違います。

 私が行った時は、お昼時だったけれど、満員ではなくて、大学院在学中らしい学生が、教授(または、准教授か?)と一緒に、4,5人で、グループを作り、ひとつのテーブルを囲んでいました。スキップフロアーで、独立している、その12畳ぐらいの空間には、その人たちしか、いなかったのです。もっと、下の段差に在る(ただし、平屋建てである事には変わりはない)スペースにも、ほとんど、お客はいないです。営利を目的にしているのではないらしくて、それで、いいのでしょう。

 特別にきれいだ、というわけでもないのですよ。実は、プラスチック類が一切使っていない様式で、床も壁も、テーブルも椅子も、木製なのです。しかも床など、ニスが塗っていないので、白木に、泥がしみ込んでいます。でも、テーブルクロスはあったと思う。まるで、「ちょっと、お掃除が、足りないですが、私の自宅の方が、話しやすいので、自宅へ来なさい」と教授が、学生を招いたと言う感じに見えます。

 その中で、男女合わせて、5,6人のグループが、本当におしとやかに、会話を交わしているのです。誰かが、ぼそぼそっと、静かな声で何かを言うと、しばらく沈黙が支配します。そして、誰かが、答を、示します。

 お通夜でもないです。教授が、誰かを叱責しているわけでもないのです。みんな一生懸命考えていて、答えを見つけるまでは、沈黙をしているのです。いつも好奇心いっぱいである私も、さすがに気おされて、「何を、お話しなさっているのですか?」と言う、恒例の質問を、投げかけられなかったほどの、集中度の高いお集まりでした。ただ今でも、彼らが、何の分野の学者だったのかは、知りたいです。

 この2000年の時には、私は、まだ、NHKが、後日、特集で報道をする、ペレリマン博士の事は知りませんでした。ロシアの天才数学者が、実物として現れ、ポアンカレ予想と言う難問を、聴衆に説明をしたのが、このプリンストン大学の階段教室だったのですよね。上下に移動する黒板が、8枚ぐらいある大教室です。その後、博士は、すべての人の前から姿を消します。

 ああいう環境で、全米から集まった、秀才たちと、四年間を共に過ごしたら、そりゃあ、メロディも、エリートとしての、自信が身に付くでしょう。

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副題6、『カラーブラインド(blind)と、カラーブレイブ(brave)の違い』

 彼女の講演で、最も感銘を与える事は、「差別は、実際に在るのだという事を、しっかりと、自覚をしましょう」と言う点です。そして、「それを、きちんと自覚をする勇気を持ちましょう」と、訴えています。

 あたかも、差別なんかないと、言う風にふるまったりする、偽善性とか、欺瞞を良くないと言っているのです。それでは、解決には結びつかないと、言っています。それから、多様性を認めましょうとも言っています。今、アメリカには、イスラム系に対する新たな差別が始まっているそうですし、メロディの提案は、大切な事でしょう。

 非常にまっとうで正しくて、・・その通り・・と、喝さいを送りたいです。だけど、・・・現在日本社会の、だれが、彼女の様な、生き方をしているでしょうか? または、できているでしょうか?・・・と、考えると、私は、悲しくなります。

 それが、・・・・・表向きは独立国家であるが、実際には、植民地であるという暗喩の中で、奴隷状態に置かれている、日本人・・・・・の悲しさなのです。私は、右翼でも、左翼でもないのですが、海外で、しっかりと暮らして帰って来ると、日本国内で、「これでは、まずいでしょう」と言う事が目についてならないのです。それで、こういうブログを書くという事となります。

 ここで、副題3で、一度、触れている、・・・・・この章の総タイトルに、どうして、黒人と入れているか・・・・・・と言う問題に戻ります。一般の日本人にとって、今、アメリカで、使われているアフリカンと言う言葉を使っても、ピンと来ないと思うからです。それと、この章の主人公の講演を聞いた限り、日本では、黒人と言う日本語を使った方が、実態に近いし、それこそ、Color Brave にあたると、思ったからでした。日本では、黒人と言っても、それが、すぐ、アメリカで、実際に起きて居る差別と、同じものにはならないと思いますよ。日本には、奴隷制度の歴史が無いので、ただ、単純に、肌の黒い人として、受け止めるだけの筈です。むしろ、日本語で、特にカタカナで、アフリカンと書くのは、更に実態を覆い尽くす方へ、嘘の傾向を強めると思います。

 ・・・・・絵本【ちびくろサンボ】を、出版停止にしましょう・・・・・と言う運動を起こした連中が居るそうです。が、『どれほど、バカなんだろうか!』と思い、残念至極です。だが、批判運動が、他の人から起こされたみたいなので、私は、過去に、その絵本を問題にしたことは有りません。

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副題7、『代理母出産で、ルーカス監督との間に、白い肌のベイビーをもうけて居るみたいだが❓』

 ところで、NHK ETVの【スーパープレゼン】選、2015年12月16ンチ号では、最後の方に、彼女を紹介する頁がありました。で、一つの要素としての、結婚と子供が紹介をされたのです。

  夫は、25歳年上の、ジョージルーカス監督で、二人の間には、代理母出産で、得た白い肌の赤ちゃんが居るのだそうです。

 最後の方の短い紹介だったのですが、後で、ネットで調べても、妻の卵子と言う言葉は、出てこないのです。これには、ちょっとびっくりです。ジョージルーカス監督には、ほかにも前妻との間に、別の養子が居て、その他にも二人の養子が居るそうです。そういう状況下で、ご自分の遺伝子を継いだ、初めてのお子さんができたという事らしいのです。

 遺産相続の問題を解決する為だろうなどと、ゲスな方向で、勘ぐるのは止めておきましょう。

 ただね。メロディは、将来、このお子さんの事で、苦労をすると思います。母が忙しすぎて、かつ、家庭全体が、大金持ちだと、子供は、素直には育ちあがりませんので。アメリカでは、有名人の子供が、変になってしまったというケースが多いでしょう。その上、遺伝子的には、自分の母ではないと、子供が感じると、問題が起きるはずです。メロディを傲慢だと思って批判を開始するでしょうから。

 『賢い人らしいのに、どうして、自然に任せて置かなかったのだろう』と思いますよ。『お子さんができなかったら、できないで、いいではないですか? 世界の重要な人物100人に選ばれるほどほど、ビジネス界で、成功をしておいて、夫も、優れた人と、結び合うことができて』とは、思います。『過剰はいけない』のです。だけど、その発想は、東洋のものかもしれません。

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副題8、『蛇足として、・・・・・アメリカは、国土が広いということを実感した旅だった。だけど、無駄なお金は使っていませんね。日本に比べると、結構、ケチですよ』

 マンハッタン島から、プリストン大学へ向かう途中、左右に展開する住宅は、富裕層のものです。木立に囲まれた、一戸建てが多いです。

 プリンストン大学から、今度は、南へむかいます。一時間も走らないうちに、周りは、赤い牛が、ところどころに散らばっている牧場となります。住宅と言うのが見えなくなります。唯一、これは、ちょっと違うなあと思ったのは、川です。平野の中に、突然に、巨石がごろごろ転がっている川が現れます。土手とか堤防は、作ってありません。樹木は川の周辺には、生えています。後は、地平線まで続く牧草だけ。

 さて、その後、1時間半走り続けて、やっと、【レンブラント】の本社に到着するのですが、そこでも驚かされたのは、牧場の中に、忽然と、倉庫群が姿を現したという事です。

 周りには、家と言うものが一切ないのです。地平線、見渡す限り、家が見えません。レンブラント本社ですが、事務棟には、床が張ってあり、それこそ、新建材が多用されている、明るい室内です。だが、平屋建てですね。

 もう一つ驚いたのは、倉庫には、床が張ってなくて、基礎もない、そういう建物だったという記憶があるのです。全体には、昼間でも明るいのですよ。温室みたいな作りになっています。屋根や、壁に、プラスチックが使ってあるのか、ガラスが、使ってあるのかは、覚えておりません。だけど、床が張ってない。・・・・・と、入って行った上での、記憶があります。

 倉庫内には、非常に高価なものが置いてあるのです。アメリカの版画用、銅板は、すべてのものが、厚みが1.6mmなので、大判だと、5万円以上はします。そういうものを保管してある倉庫の、床が泥だったという記憶があるのです。間違っているかもしれませんが、ともかく、素朴な建物内に、高価なものが保管をされているという記憶があります。

 ここからわかるのは、日本がいかに、土木建築の分野に、無駄なお金を注いでいるかと言う事です。パリでもニューヨークでも、それは、感じましたね。

 オリンピックの総費用が、予想の6倍になって、総費用が、1兆6000億円になるそうです。無責任国家、日本の、将来は、非常に悲惨なものとなってくるでしょう。富裕層は、すでに、海外に、住居を確保していると、思います。だから、何も心配をしていないと思いますよ。その中で、特権のない普通の国民は、ただ、ただ、貧乏になって、死滅をして行くのかなあ?

 まあ、私の言葉を誰も、信じないし、聞かないので、ただ、ただ、吐露しておくだけですが・・・・

 私自身は、海外滞在中は、バブリーで、この旅行でも、宿泊もしないのに、7万円を使いました。でも、充分に、見返りがあり、価値があった・プチ旅行・でした。

 なお、このブログの、2010年より数え始めた延べ訪問回数は、3160828です。

 2015年12月18日、雨宮舜(本名 川崎 千恵子)

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