銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

苺の生命力と、その苗を鎌倉のゴミ捨て場で、私が配る話・・・・・苺の恩返しで、主人は救われたかな?

2016-05-20 19:49:47 | 政治

 最初に置いた写真の説明をさせてくださいませ。それは、主人の病床の、そばに置いてあった機器類です。これは、3週間目以降であって、点滴類用の機器がすでにありませんね。なお、これは、偶然に入ってしまって、その後削除ができないので、入れております。別に、主人の病床を誇示するつもりはないのですが・・・・・

 循環器系の、集中治療室用の、機器です。ちょっと数値が悪いと、ランプがついて、看護師詰め所で、警告音が出て、看護師に、自動的にお知らせが行きます。『最近の医療機器は進んでいるなあ』と、それは、感じ入りました。父の死の時代(29年前)の心電図計とは、相当に、違いますね。一つの、画面に、4つの計測数値が、同時に、展示されますし。

 

 その次に、二番目に出てくる写真です。これは、渡辺賢司・ミカ夫妻の家の北側の道です。幅が、1メートル以内です。これが、政治的に、大問題の幅なのです。この幅の狭さこそ、鶴岡八幡宮の大銀杏を倒壊させ、かつ、熊本大地震を起こした原因となって居る者なのです。渡辺家の、西側なんて、ここよりも道幅が狭いほどですよ。誰が、私道部分の提供に関して、違反をしているのだ? 

 しかしこの違反ですが、後付けの鎌倉市条例によって、どんなに違反をしていても、お咎めが無いそうです。最も激しい違反をしているのは、前田家です。そして、前田清子さんこそ、他人(=私)の土地を奪ってしまった、ちょう本人です。安野家前の毎日午後の、二時間に及ぶ、井戸端会議に於いて、もっとも、嬌声が大音量であって、もっとも、藤本夫人・・・・・(=今、新築ちゅうで、今度、テレビ東京が、期末・特集番組を組み放映する予定の豪華な石井秀樹・あずさ邸の、前の持ち主)・・・・・が、怒った相手なのです。

 私は単に、その二人の喧嘩の犠牲になっているだけなのですよ。だけど、前田家は、渡辺家他の、新しく引っ越してきて、事情を何も知らない人間を自分の、味方につけて、数の論理で、不正を正義として行くのです。

 多分ですが、2003年以降に設定された(だから、誰が設定をしたのか、後で、暇な時に調べます。個人名を特定するのが大切です。市長なのか土木課長なのか? 伊藤玄二郎の教唆に拠ったのか杉本横須賀市副市長の教唆に拠ったのか、そういうことは調べないといけません。もし、それに関する情報が開示されない様だったら、私の言っていることがすべて、正しいと、傍証づけられますし。

 その鎌倉市条例によって、前田家には、咎も責めも無いそうです。おっソロしい偏波です。それに対して、神様は、当然にお怒り召されておられますよ。それが、熊本大地震の本質でもあります。本文の副題5に詳述をしてあります。

 下の文章は、総タイトルだけ一見すると、政治とは関係が無い様に見えるでしょう。しかし、是もまた、大きく政治と関わってきます。我が家(北久里浜のいえと、鎌倉の家の両方)に合いカギを持った侵入者が、しょっちゅう侵入をしている事、昨日など、主人が二階に居るのに、私の留守中に、こっそりと、玄関までだけは、それが、侵入している事・・・・・これも大いなる政治ですから。しかも、今回は、扇ガ谷五丁目町内会がどうしたこうしたという全く新しい話にも入ります。ご期待下さいませ。

副題1、『本日のブログを書き始める前にお断りをしておきたいこと』

 最近の私は、ごく小の世界で、しかも、独特なテーマで、真実を追及をする事を、楽しみにしており、かつ誇りとしております。神は細部に宿ると、言いますし、これで、いいと、自認をしております。しかし、本日20日の金曜日はとことんに、疲れております。で、それらの、通常のテーマの続編を書けません。主人が心筋梗塞で、倒れて、5週間入院していましたが、14日に退院してきました。今は、経過として、退院後、正味一週間になります。

 4日前など、高揚しきっておりました。主人が一人で、床屋へ行ったのです。それは、驚くべき回復ぶりでした。しかし、心はそうでも、体が疲れてきました。以前は、二人分の料理を作ってくれていたのですが、料理は止めなさいと、周辺から、忠告があり、すべての料理は、私が作る様になりました。しかも、内容に、相当に、気を遣う様になりました。脂っこいものが好きだった主人に、さっぱりしたものを提供し、しかも、おいしいと思ってもらうためには、どうしたらいいのかと、気を使います。で、後片付けと、野菜料理だけやっていた私が、台所周辺の仕事は、ほとんどします。

 でも、掃除などは、気が付いた限り、彼が、やってくれていますので、『おや、おや、すごいなあ。普通じゃあないの』と、思いますが、一方で、以前と違うところもあるので、見守っていないといけません。赤ちゃんを育てている時期と、似ています。常に、注目をしていて、注意していないといけません。特に、一人で、外出して、帰宅が遅れると、すごいレベルで、心配します。頭脳は復活していますが、言葉が不自由なので、『何か、起きた時に、彼だけでは正しい説明ができないのではないか』と思うので。『この外出にも、ついていくべきだったかしら』とか思って後悔をするので。

 昨日は歯医者さんに一人で、行きました。午後4時の約束で、3時半に出て行ったのに、5時40分ごろまで、帰らなかったのです。心配しました。ごく近所の歯医者さんなので、どうしちゃったのかしらと、思って。

 しかも、そういう時期なのに、私は、『やっと、おちついたのだから、植物の手入れをしなければならない』とも思うのです。それは猫も同じらしくて、本日(=20日)の、夜、主人の入院以来、初めて私の膝の上に乗ってきました。入院中は、一緒に寝る以外には、かまってやれなかったし、主人が帰宅をすると、主人にべったりで、いつも主人の布団の中で、一緒に寝ていて、私は、一緒に寝てももらえませんでした。本日、入院初日から数えれば、数十日ぶりに、私の膝の上に乗ってきたのです。それだけ、猫も私も落ち着いたと言う事でしょう。

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副題2、『<苺(草木)の命を大切にしたから、主人が命拾いをしたのではないか>とも、思うからこそ、アイリスと、グラジオラスと、その他の草木の手入れを始めたのだった』

 一番大切な事=主人が、命を永らえることが=できたと、思えば、一方で、疲労困憊をしながらも、心理的には、余裕があるわけです。それで、それが、優先順位としては、一番でも、二番でもないくせに、植物、草木の、手入れを始めたというわけです。と言うのも、それらは、命を持っていて、旺盛な成長を示します。だから、適切な時期に適切な手入れをしてやらないといけません。そして、今、五月と言うのは、非常に旺盛な成長期でもあるのです。で、いろいろな手当てが必要です。

 ところで、6年目に入る園芸生活でも、苺の生命力には、驚かされきっています。抜くと、その地上部分に比較して、大きく、微細に分かれた根の、豊富さに驚きます。したがって、子孫繁栄の意志も旺盛です。それで、去年の夏は、どれほど、苗を作り出したことか? 専門家風に、直径11cmか、13cmで200個まとめた単位で売っている薄い黒いプラスチックでできている育苗用ポットを、買ってきて、ぴょん、ぴょんと、伸びて来る、苺の子供を、そこで育てたものです。

 さて、旺盛に増えに増える苺の子供をどうするかですが、それを、早朝、鎌倉市内で、配って歩きました。で、私は、自宅から、鎌倉駅までの、微細な路地をすべて、探検したのが、引っ越してきてから、29年目の、昨年2015年だったのです。

 それまでも、結構散歩はしましたが、昨年だけは、苺の苗に引かれて善光寺参りではないが、小町、大町、雪ノ下、二階堂、扇ガ谷と、歩ける場所は、すべて歩いて探検をしました。

 その日の早朝に配った苗を、誰か知らない人に、すべての個数で、受け取ってもらえるコツは、ゴミ捨て場に置くことです。メモ付きで。「ご自由に、持って帰ってください」と、A4の紙に二枚書いて、端っこに置いておきます。すると、午後に、銀座へ向けて外出しようとして、念のために、当該の、ゴミ捨て場を点検しておくと、早朝置いたものが、すべて、無くなっております。特に生ごみの集配の日の早朝に、置くと、ほとんど、すぐに無くなります。

 結構重いので、一回にもてる個数は、20個が限度です。同じゴミ捨て場に、何回も置くと、園芸の好きな人の数が、消費しつくされて、嫌いな人が見ることとなり、それが、残されてしまう可能性があるので、前夜の外出の際に、ゴミ捨て場が、どこにあるか、新しいゴミ捨て場を開拓して、そして、後日、その場所の生ごみ回収日の、早朝に、20個持っていくのでした。

 ある日、といっても8月の末で、そろそろ、子苗(=シュートとも呼ぶらしい)が出てこなくなったころですが、『この行動に、どういう意味があるのだろう?』と、しみじみ考えてみたのです。まず、出費はどうなのかですが、小苗が、ぴゅーっと、伸びてくるためには、親の鉢を丁寧に、面倒を見ておかないといけないので、肥料代とか、労働時間がかかります。それらを、全部丁寧に合計すれば、一つ、280円程度にはなり、『なんだ。なんだ。売っているものと、ほとんど同じ値段になるのですね。となると、園芸家が、専門的に作る苗と、私みたいな素人が、作る苗では、品質に違いが有る筈なので、この行動には意味がないなあ』と、思い到り、それゆえに、2016年には、子苗が、生成しない様に、手配しているところです。

 しかし、2015年度には、大いなる疑問を感じながらも、それでも、苺の生命力に追われ、追われて、それをただ、捨てたくない(=命を殺したくない)がために、この重労働に、春から、盛夏までずっと、携わってきたのでした。

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副題3、『2015年度の、無意味に思えた、労働の、集積が、きっと、主人の命を救ったのだと、思い到る。神様に手を合わせたいぐらいだった・・・・・セロ弾きのゴーシュの話は、本当に真実だと、思う』

 私は、2000年の秋に、ニューヨークで、三か月、三回目の事として、版画修行をしていた時に、つくづくと、『宮沢賢治のセロ弾きのゴーシュの話は、真実だと、思う』と、言うエッセイを書きメールマガジンとして、ごく少数の、友人に送っていたのです。AOLを使っていたので、それは、パソコンが壊れると、ともに失われていますが、心より、そう思う出来事があったのでした。それは、半地下の、2DKのアパートの入り口に、黒い子猫が訪ねて来た日に、思った事でした。

 その15年後の、昨年、重労働を重ねて、苺の苗を鎌倉中のゴミ捨て場に、配って歩きながら、『この行動に、何の意味があるのだろう? もらってくれた人に出会い、感謝されるわけでもないし?』と、自問自答をしていたのです。が、本年の、4月9日以降、・・・・・ああ、あれに意味があったのだ。私が、単純に、ただ、苺の子苗の命を消したくないがゆえに、『無駄な事だろうなあ』と、思いながら、追われ、追われて、居た、あの日々があったからこそ、主人の命が助かったのだ・・・・・と思い到るのです。

 心臓には三本の太い動脈があるのですが、その真ん中の動脈のしかも上部の、とても太いところに血栓が詰まったのでした。2年近く前から、自分では、食道がんではないかと、判断をしていて、癌だからこそ、東洋医学を学んだ、自分は、自分で、治していくと、思い込んでいて、非常に悪いまま、放っておいたのでした。お医者様の、「助かるか、助からないかは、50%です」と、言うカテーテル手術前の説明でも、事後の、説明でも、その通りだと、思います。

 こう言う処は、人智を超えた部分です。

 私は、自分が、主人の入院中、自分の力が半減以上に減ったとみなされ、例の敵さん連中から、ひどい扱いを受け続けているのには、ちゃんと、気が付いていました。テレビニュースを利用したいじめ、そして、JR東日本他を利用したいじめ、(後注1)、毎晩、脅してくる前田家の二階の、煌々と照らしている大きな天井灯、そして、まだ、語れない、お隣の、小野寺夫人からのいじめ、そして、まだ、全貌を語れていない「図書館の、本を返していませんよ」と、言われた謀略・・・・・でも、主人の命が無事だったことだけでも、素晴らしい恩恵です。それに、感謝して、すべての攻撃に耐えていたのでした。

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副題4、『人生には【魔の時】と言うのもあるが、天を信じ、神を信じていて、じっと待っていた』

 特に、手術後、二日目の、4月10日に、心臓が悪くなった主人が鎌倉の家には住めないと判断をしていて、これから、住む予定がある、北久里浜の旧宅へ行ってみた日に、驚くべき脅かしを発見しました。南側の掃き出し窓が、サッシの数にして、8枚分も、開いていたのです。通称ピアノの部屋、と、通称居間の、両方で、合計8枚分の掃き出し窓が、全部開いていて、嵐の後だったから、すごい勢いで、カーテンが揺れているのでした。それを発見をした時の驚きと言ったら、無かったですよ。だが、一緒に行った娘夫婦にさえ、何の愚痴も漏らしませんでした。

 しかし、内心では、すぐさま、覚悟を決めて、腹は据えましたがね。実情は、合いカギを持っている、例の敵さん連中が、『ここに引っ越してくると、大変なことになるぞ』と、脅かしてきたのです。それが、すぐわかりました。だが、私は誰にも愚痴りませんでしたよ。ただ、ひたすらに「頑張るのだ」と、覚悟を決めただけです。それ以前にも異常なことはいっぱいあったし、5月に入ってからも異常なことは、いっぱいありました。

 鎌倉の家にも合いカギが作られています。昨日(=19日)、私が、主人の許可のもとに、北久里浜の旧宅へ行って、7時間近く留守をしていて、帰宅をすると、玄関に、かかっている水彩額の絵が、曲がっておりました。これは、一時期、頻繁にやられた泥棒の、脅かし策の一つで、昨日は、二階に主人がいるのに、玄関から合いかぎをもって、侵入し、額だけをそっと、動かして帰った泥棒が居るのです。

 北隣の石井秀樹・あずさ邸が、新築中で、いっぱい職人が、詰めていますが、お昼休みには、居なくなるかもしれませんね。その隙に、近所の人がカギを持っていたら、さっと侵入ができますね。普通なら、こういうことはできない筈ですが、すでに、何度もやられています。

 それから、わが家を、見下ろす家が二軒あります。前田祝一家と、渡辺賢司家ですが、その二つの家が、鎌倉エージェントの、一味なので、何か異常なことを、見たとしても「川崎さん、こう、こうですよ。泥棒が入っていましたよ。泥棒は誰それでしたよ」と、教えてくれるはずもありません。で、この、額をいじった泥棒についても、『ああ、そうですか』と、軽く心の中だけで、いなしておきました。誰かに愚痴るわけでもありません。ここで、書くのは、政治の分析に役立つからです。

 大体、どこの家が合いカギを渡されているかが判っております。その家の奥さんが、そのさらに前日の、18日に、意味ありげな行動をとったので、さらに、『大体、そう言う事なのでしょうね』と、思い到っております。だが、パニックになることはありません。

 ともかく、北久里浜のいえの合いかぎも、鎌倉の家の合いかぎもすでに、作られていて、出入り自由になっているのには、すでに、10年以上前から、気が付いております。

 もし、主人が、あの、4月9日の時点で、カテーテル手術がうまくいかず、亡くなって居たら、彼等、悪魔側の勝ちです。で、もし、主人が亡くなった日の事も、一応ですが、4月9日の朝9時には、覚悟を決めました。それから先は、今回私がブログで、書こうとしている以上の激しい弾圧の連続の日々でしょう。

 その激しい攻撃下で、生きていくほかはないです。それも、あるだろうと、将来の、日々へ覚悟をさらに固めた次第です。だが、主人は生還をしました。それだけでも、天の恵みが大だと言う事です。

 神様(=私側)が、勝つ場合だけが、あるわけでもないが、悪魔側・・・・・(この際は、前田祝一、渡辺賢司、小野寺夫人、安野忠彦・智紗夫人、柳沢昇など・・・・・+美術界で、うごめいている連中)・・・・・が、勝つ場合だけでもないのです。

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副題5、『渡辺賢司と言う男もまた、鶴岡八幡宮の、大銀杏倒壊の、一因となっているのだった。それは、2010年より、私には、はっきりと、判っていたが、今、初めてそれを、ここで、語ろう』

 私はかねてより、鶴岡八幡宮様の、至宝である、大銀杏が倒壊したのは、鎌倉エージェントに原因があると、語ってきています。そのうちで、30%の原因は、前田清子さんを、・・・・・白井宮司の時代ですが、・・・・・國學院大學の講師に推薦なさったことに在るだろうと、言っております。

 それを、読者の皆様は、『何を言っているのだろう?』とお笑い召されていたでしょうか? その頃は読者の数も少なかったので、「まあ、まあ、」と言う笑い話で、読み飛ばしておられた方が多かったかな? 『鶴岡八幡宮様自体も、私の言っていることは信じておられなかった』と、思います。2015年度までは、確実に、午前10時に、長い時間、太鼓を異様な音量で、叩くという現象は続いていました。

 敵さん連中は、私が音に敏感だと、思い込んでいて、鶴岡八幡宮様を使役して、大きな音を出させる様にしているのです。井戸端会議に悶着を付けるのは、そう言う事だと、判断をしているのでしょう。だけど、それは、この地域の特性(ギリシャの円形劇場状態で、その舞台の位置で、井戸端会議が、開かれているので、音響効果が抜群に良い)事を知らない人間が考えている事です。

 もしかすると、2016年度に入っても、有ったかな? 毎日ではないのですよ。ブログが、真実に触れた日の次の日です。一応「祭日だから、叩くのだ」と言う、お断りは受けておりますが、お祭りがあっても叩かれない日もあるので、単純に、私に対する脅かしだと、おもっております。だって、そんなことは、白井宮司の時代には、一度もなかったことですから。吉田茂穂・現宮司は、白井元宮司様より、20歳は若いでしょうから、伊藤玄二郎たちと、一緒に飲んだりされることもあって、こう言う事となったのだと、推察しています。

 夕方、7時から開かれる音楽会で、午前9時から、「マイクの試験ちゅう」と言う大音量の放送がなされるのは、あれは、音響会社の責任だと、最近は、判ってきましたが、大太鼓を、午前10時に異様な長さ(五分以上続くときがある。一般的なご祈祷の場合は、6,7回たたかれるだけで、1分以内で終わるけれど・・・・)で、叩かれるのは、八幡宮様自体がなさっておられることです。その音が聞こえてくる限り、鶴岡八幡宮様は、私の言っていることなど、歯牙にもひっかけないでいらっしゃるのだと、思います。預言者は世に入れられずで、私は自分を、カッサンドラだとも思っておりますから、仕方がないです。本当は八幡宮様を心配しておりますが、そのアガぺーは、一豪も、通じていないでしょう。

 しかし、前田清子さんを推薦したり、味方の人間として、御・扱いになることは、彼女の後ろに在る、膨大な悪に連帯をなさることとなるのです。

 今回は、渡辺賢司の場合だけを取り上げます。と言うのも、鶴岡八幡宮様の、大銀杏とは、公暁が隠れていて、実朝を刺したともいわれているので、頼朝が、鎌倉幕府・を開き、源氏の守護神として、元八幡のあった場所から、ここへ、場所を、移動をして、大神社として、建て直した折には、すでに、相当な樹齢に達していたと、考えられるので、1000年近い樹齢の樹木であり、国家的至宝だと、思うのですよ。だから、読者の皆様の、どなたにとっても、無関心ではいられない樹木の筈です。それが、3月4日と言う、嵐でもない日の午前三時某分に、どどどっと言う音を立てて倒壊したのです。不思議です。

 その不思議さは、熊本大地震にも、通じる不思議さです。NHKは、既に、震度一以上の余震が、1440回も続いていると、報道をしました。一般的な地震とは、相当に、様子が違います。

 私は、化学を、大学の時に学んだのですが、科学的には説明できないことを、最近、立て続けに経験をしています。それは、この大銀杏の倒壊と、フクシマ第一の事故、と、この熊本大地震です。ほかにもありますが、2014年に、急に衰えた、段カヅラの、ソメイヨシノの並木は、工事によって、真新しい若木に取り換えられたので、言及しないで置きます。

 だけど、ここで、誤解が無い様に、言いたいのですが、私は、文脈上、事実の説明に於いて、省略して語ることが多いと言う事なのです。だから、誤解を招いている可能性はあります。以前から、「鶴岡八幡宮様が、前田清子さんを國學院大學の、講師に推薦なさったので、大銀杏が倒壊した」といっていますが、これも、私にとっては、極限まで、省略した言い方であって、その裏側に積もり積もっている膨大な攻撃と悪があると、言わないと正確ではないのです。ここでは、そのつもりつもった悪のうちの一つ、渡辺賢司家を利用し、彼等に、私を攻撃させた問題に特化して語りたいと思います。

 彼が、悪い事をした時と言うのは、例の布団たたき問題だけではないのです。彼らの家は、中古ではなくて、土地を買って、その上に、新築をしたのでした。その新築後、引っ越してきてから、すでに、25年は過ぎていますが、年下(まだ、57歳だそうです。消防署 か、警察にそう言っているのが、聞こえました)の彼から、一回も挨拶をされたことが無いのです。後から引っ越してきた人間は、前から住んでいる人間に自分 の方から挨拶をするのが基本的な礼儀でしょう? で、長い間、『インテリだから不器用なのだろう』と、善意で解釈をしておりました。

 ところ が、彼は、シャーシャーとして小野寺夫人とは、話をしているのです。別に不器用でも何でもないのです。そりゃあ、そうでしょう。湘南地方のテニスクラブな んて、ホイチョイ・プロダクション制作の、【私をスキーに連れて行って】の世界ですよ。不器用で、そこに入会して、他人と、ゲームができるわけがないです。ただ、ただ、私に対して、無礼だったわけです。それは、私に対する、暗殺未遂の一端としての無礼だっただけです。

 もっと、もっとあるという例を上げましょう。たとえばですね。彼の家の、新築ですが、その新築は、私が、自分の、土地を犠牲にしなければ、不可能だったのですよ。冒頭に置いた写真の真ん中に、フェンスが作られたらどうしますか? 大工も通れず、モノも運べません。両側には、上の写真と違って、樹木が生えていたのですから。

 だから、彼がテニスラケットを背中にして、どこかの、テニスクラブへ出かけて、「自分は、鎌倉在住の富裕な、しかも、インテリです」と、お仲間に、自分を紹介している裏に、私の信じがたい屈辱による犠牲があるのですよ。だから、贅沢三昧をしている陰に、他人を犠牲にしているわけです。

 私は無断で、自宅の、東北部分の崖を崩壊させられ・・・・・(人工的にです)・・・・・また、アジサイ畑をコンクリート打ちにされ、多大な損失をこうむっています。それは、前田清子さんの不作法を怒った藤本悌子夫人・・・・・(今、新築ちゅうの、石井秀樹・あずさ邸の前の持ち主)・・・・・が、道路の真ん中に、ご自分宅専門の、フェンスを作ると言って、電動丸鋸で、道路を切り始めたので、古沢氏と、中谷氏と言う老人たちが困り切っていたので、助けてあげただけなのです。それが無かったら、渡辺賢司邸の新築など不可能なのですよ。

 と言うのもこの山は、ほとんどの家が、私道部分で、お花を栽培しているので、道路幅は、実質1mしかないのです。渡辺賢司邸前の西側など、冒頭に置いた北側よりもっと狭いのですよ。そして、ずっと、お花を栽培し続けているのです。しかも、挨拶が無い。その挨拶が無い度に、私は、怒りに燃えます。28年間に、一年に、50回は出会っていると思いますが、『その総計、800回程度、一回に付き、10分程度の長さで、怒らさせられた』と、思いますよ。と言う事は、エネルギーの無駄な消耗をしたと言う事です。と言う事は、彼は、CIAの最末端の、人間の一人として、真実を語り続ける、私への暗殺未遂へ協力をしたと言う事となります。

@@@@@ここまでが推敲済みです。これ以降は未推敲です。

 無辜の人を殺し続けた、プロのアサッシンが、周南事件を起こし、洲本事件を起こし、熊谷事件を起こし、シャルリーエブド事件を起こし、ドイツ格安航空機のアルプス激突事件を起こし、その他種々様々な、CIA関与事件について、私はすでに、詳細に語ってきています。その最末端で、彼等に、協力をした人間が渡辺賢司だと言う事となるのです。

 と言う事は、熊本大地震の、真因の、うち、トレース程度ですが、渡辺賢司もまた、原因者の一人だともなります。

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副題6、『私が、真に怒っているのは、あまりにも見え見えに、前田家の言う事を聞いていて、19日など、すぐ、その言うままに反応したのが見えたからだった。しかも、20日には、また、手のひらを返してくる』

 ところが、私がもっと怒っていることが有るのです。19日だったと思いますが、彼が珍しく、正面から私を見つめて目礼をして来たのです。私はリアルな世界では、喧嘩をしない主義ですから、目礼を返しました。しかし、

 『あなた、何をやっているのですか? 今回たった一回限り、目礼を返してきたって、今までの、800回が帳消しになるわけではありませんよ。それに、こんな急激な態度の変化って、あなた自身の、考えで行っている事ではないでしょう? 当然のごとく、判りますが、前田家からの教唆で、行っている事でしょう? 私は前田家は、反吐が出るという異常に嫌っています。そんな、人間とつるんでいることが分かった限り、もっと、怒りに震えます。彼らの考えは、トカゲの脳味噌に等しいから、自分が文章を書いている相手が、目の前に現れたら、私がひるむだろうと言う点で、長い間、行動が、企画をされ、実行をされてきました。しかし、私が、19日の夜に、非公開のメモとして、各種の、真実を書いたので、急にこれはいけないとなって、しかも、私がこれから何を書くかの予測がついているものだから、

 渡辺賢司さん、あなたに「軟化せよ」と命令しましたね。そんな命令に、瞬時に応じて、その言う事を聞いたと、判る限り、私が、あなたを許すはずがないではないですか? ぼんぼん書きますよ。これから先も、ボンボン、書きます。ニュースが、CIAの存在を示唆した限り、あなたの行動とお名前は、どんどん、並列させます』と言っておきましょう。

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副題7、『渡辺ミカ夫人が、私に、雪ノ下郵便局で与えた、屈辱も、前田家の、言う事を信じた結果でしょう。それは、私に、「きっかけさえあれば、すぐ、彼ら夫婦の悪辣さぶりを、実名で書く」と言う決意を与えました。当たり前でしょう。だけど、<あなた方夫婦は、私のブログを読んでいないみたいなので、とんまな事ばかりしてくださいますので、こちらは、判断が、容易になり、そういう意味では、感謝しておりますけれど>とも言っておこう。』

 ここは、詳細な説明を省いて、先へ進みます。

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副題8、『イチゴの苗を配る場所を、下調べをする為に、紀の國屋前から、寿福寺へ向かう道を歩いていたところ、異様な男が立っていた。その場所は、多分、井上ひさし邸の、真東に当たるのだっただろう。スマホを持っていたので、裏駅で降りた事、および、紀伊國屋前の道に入ったことが、把握をされ、井上ひさし邸から、すぐ、助けてほしいという電話が警察署に入ったのかな?

 私はイチゴの苗を置く、ゴミ捨て場を探すために、そこを歩いていただけだったが、その男が立っていたことによって、井上ひさしが、どれほど、私を恐れているか? そして、私が井上ひさしについて書いていることが、すべて真実であることが、その時に、一瞬で分かった。

 それが、2015年の夏の事だったから、井上ひさしは、まだ生きているのだと、それも、証明されたのだった。そのじっと立っている不思議な男は、たぶん、下っ端のCIAスタッフだったのだろう。と言う事は、警察の殺人別働隊が、変装をしていたのかな? そう、その夜に想像をしたのだが、それは、次の日の朝に当たっていた事が、証明をされたのだった』

 二重ガッコの中に、線路際で、じっと立っている男を見た時に、すぐさま、井上ひさし邸からの要請によって、私がどうするかを確認する為に立っているのだと、判りました。私は、その日以外にも寿福寺前の道路で、ゴミ捨て場がどこにあるかは、チェックしておりました。寿福寺の門前にもありますが、何となく、捨てに来る人が少ない模様です。それは、そこら辺りは、山が迫っていて、家が少ないのです。それで、そこはだめだと、判断をしており、もっと駅に近い場所で、人が、たくさんゴミ捨てに来る場所はないかしら?と、探していたのです。だから、同じ道路を何でも、通っています。スマホの位置情報で、井上ひさしは、ビビりまくって、警察に保護をお願いをしたのでしょう。

 彼の家の東側の崖は、わが家の東側の崖と、似ていると、思います。主人は、俊敏で、スポーツ感覚が高いので、そこを二、三度、上り下りしたことが有るそうです。大地震が起きて、たった一本しかない道路が遮断をされたら、地域の皆さんに、わが家の敷地内に入って、ココを下りればいいと、主人は前から言っておりました。

 実際のところ、直径3mぐらいの、大石が落下して来て、道路をふさいだり、倒木が道路をふさいだりしたことが有るのです。と言う言葉を聞きながら、私は、一度もそれをトライしたことはありません。

 ましてや、井上ひさし邸の東側の崖を上るなど、ありえない発想です。でも、男が立っていたことによって、私は、非常に注意深く、あたりを見回しました。すると、扇が谷五丁目町内会の看板があって、「ここは、特別に警戒を強くしている地域だ」と、書いてありました。この町内会に、早川重明・前川佳子夫妻が住んでいますが、この二人は、この警戒用看板が、上に住む、井上ひさしを守るためだと、知らされているのかもしれませんね。私に対する攻撃をしてくる旦那さんだから。

だけど、他の住民は、どうして、これほど、大きな看板を町内いたるところに、下げないと、活けないのか、真実は、さっぱりわかっていないと、思います。井上ひさし邸と言うのは、本当は佐助稲荷の方向から入るのが、正式です。そちらの門の周辺には、最高機密の警戒装置が付けられていると、思いますよ。しかし、東側の崖は、他人の所有地です。崖とは、下の住人が真上まで、所有する慣例になっているのです。だから、井上邸側では、何も装置を付けられません。それで、町内会全体を協力をさせる形で、いつも警官が入ってくることを許す形になっているのでしょう。なるほど、なるほどと、思いました。

 それ以外にも、どうも、横須賀線の、線路の西側は、図書館あたりまで、遠征をしないと、いいゴミ捨て場が無いと判断をして、あきらめました。ところがですね。寿福寺近辺で、線路の東側に、結構な、数の住宅街ができていたのです。そんな場所は、苺の苗に追い立てられなかったら、絶対に行かなかった場所です。グーグルの地図で言えば、創価学会のお寺だというモノがある場所近辺です。

 で、今度の生ゴミ捨て日に、ここに持ってこようと思う場所を、三つほど、見つけました。家が新しいので、住民も、若い(と言うのは、現役のサラリーマンである)可能性が強くて、園芸にも興味があるでしょう。と思い、次のごみ収集日に出かけてみると、なんと、パトカーが待っていたのでした。

 参りました。だけど、両肩に、8個、両手に、12個もレジ袋に入れた苺の苗ポッドを持っているのです。風体としては、全身が、レジ袋に囲まれています。で、白いビニールと化した私が、パトカーの前で、ひょいと踵を返して逃げたら、却って変に見えるでしょう。で、仕方がないので、パトカーが見ている、5m前で、苺のポッド苗を、地べたに並べ、このころは、すでに、ボール紙に書いて、風で、飛ばないように工夫をした、<ご自由にお持ち帰りください>と言う注意書きを置いて、帰宅をしました。

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副題9、『その日以来、神経を使い切る毎日だったが、ただ、ただ、苺の苗の、生きようとする、生命力に対する、いとしさと、小さな苗の、薄緑色の美しさに、この仕事を辞めるわけにいかず、早起きの有風亭(鎌倉で、最初期から始まった人力車)の、主人にも目撃をされたが、・・・・・ただ、ただ、続けたのだった。

 セロ弾きのゴーシュを信じて。

 人間としては、無駄な事であっても、子苺から見れば、<ありがとう、お母さん>と言われていると、信じて。

 今回主人の命が助かったのは、あの多数の、苺の恩返しだと、思っている。だけど、今年は、あの苦労を、繰り返したくなくて、シュートが出る前に、親の、苺の鉢をひっくり返して、親の苺を、捨ててしまおう。親の苺は、バリバリとした硬い葉っぱの植物であって、いとしさを感じないので、捨ててもいいかな?』

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