銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

渋谷センター街の改名は、不良が居ると言われて、起きた現象だが、その不良の正体を、私は知っている

2016-08-06 02:58:13 | 政治

 この一文は、最初の総タイトルを、『PCへの侵入が可能な今考え直してみる、安倍総理の大腸炎と、肉体への外部からの攻撃の可能性』としておりましたが、午前四時に二番目のもの「原発推進者・安倍総理と、原発反対者・広瀬隆の両者を、16-8-6の今、愛情を込めて語ろう』へと、変更しました。しかし、その11時間後の午後三時に、三番目のものへと、変更をしました。疲労が激しくて、当初予定したところまでは、書きぬけない見込みが出てきたからです。そして、ここまでで、すでに、1万字を超えていますので、充分に読みごたえもあろうかと、勝手に考えております。ただ、当初予定していたことは、パソコンへの侵入が可能なことは確実だが、肉体の脳を、パソコンの一種と考えた時に、そこへの侵入が可能かどうかを、検討するつもりだったのでした。で、そのお断りを入れたのちに、午前三時から、書き始めた時点に戻ります。

 昨日は推敲途中で書くこと、加筆をする事を放棄し、寝ました。で、責任感からか、または、外からの騒音(火事が起きていたらしく、消防車がうるさかった)のせいか、3時間で目が覚めて、あまり、頭がすっきりはしていない今です。ただ、騒音で目覚めたというよりも前夜、激しい睡魔に襲われて、蚊鳥線香をたかないままで、寝入ったので、蚊に襲われて、足がかゆくてたまらなかったせいでもあります。で、頭がすっきりしないながら、ほぼ、一日に一本は書くという、自らの習慣への責任感から、ブログを書くことへ取り組んでいきます。

副題1、『私が、飽かず、しかも、大量に文章が書けるのは、必ず、今、頭に降りてきているテーマを、入力するからだ。無欲であることを、最優先している』

 実は前報(後注1)を推敲途中で、激しい睡魔に襲われて、放棄したので、前報が完成していまつせん。誤変換直しはおろか、文脈が成立していません。

 ほかにダッカ襲撃事件が、謀略であったという問題も最後まで行っていません。それからやまゆり事件についても、ロンドンの、ナイフ魔が、是と、関連をしているとか、札幌の病院内、親殺しも、これと関連をしているというテーマで書きたいと、は、おもっております。

 しかし、今、頭に降りているのは、まったく違うテーマなのです。それで、恐れ入りますが、そちらへ入って行かせてくださいませ。副題1の二重ガッコ内に書いた様に、無欲であることは、私の生きる主是となっています。時間の使い方に於いて二つの選択へ、進路が別れた際は、無欲である方を選んでいます。だから、効果が上がらないと言えば、そうなのですが、無欲である事は、神様のご支援を自らに招き入れることにもつながり、それについては、確信を持っているので、無欲である様に、務めているのです。

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副題2、『睡魔を襲わせることによって、言論弾圧は可能か?』

 私は、昨日の夜10時ごろ、激しい睡魔に襲われて、パソコンの傍を離れ、夕食後のお茶碗を洗わないまま、寝入ったほどです。が、それでも、パジャマに着替えながらも、『今襲われている激しい睡魔は、自然なものか? 不自然なものか? どちらであろうか?』とは、考えながら、寝入ったのですよ。

 昨日5日の金曜日は、朝の8時に前夜から、五時間を経て目覚めて、とても快調な一日が始まりました。で、ほぼ、8時間園芸の仕事をしたのです。大木の下の、日陰でやるので、『これでも、余力がある。夜、一本新しいブログを、書くのには、大丈夫だわ。それを、夜の九時から始めましょう』と思っておりました。で、お風呂に入って、録画ニュースで最も緊急なもの、天皇が、退位を希望されていることが、8日の午後、ビデオレターで、発表をされるというニュースを、再視聴しながら、その問題について、分析を、始めるはずでした。

 すると、パソコンの入力を始めてから、1時間もしないうちに、猛烈な睡魔に襲われ、椅子に座ったまま寝入り始めたのです。で、ぎりぎりの、脳みそで、御断りの文章を入れて、寝たのですが、自分としては、釈然としない気分です。

 と言うのも園芸に使う、脳みそと、パソコンで、文章を入力する為に使う脳味噌は、分野が違う筈であり、パソコン入力用の、脳みそには、いまだ、疲労物質がたまっていない筈なのです。

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副題3、『以前、起床後、5時間で、しかも、午後の一時ごろ、激しい睡魔に襲われて、さすがにおかしいと思い、ブログの中に、「睡魔に襲われたので、途中で、寝ます」と、書いたところ、ご親切な人が現れて・・・・・「【阿修羅】を見なさい、そこに類似例が出てきます」と、言って来た』

 副題3の二重ガッコ内に書いたことへ引き続いて、文章を進めます。私は【阿修羅】と言うサイトは知りませんでした。で、忠告に基づいて、そこへ入ってみました。すると、そこは、広瀬隆をしたって、集まった人たちのサイトであると言う事を知って、その親切な人の勧めを捨て去り、早々にそこを去りました。

 「どうして、そうしたか?」と疑問を呈すると、その答えは、「私が右翼だからか」がもっとも、想定しやすい答えだと、思います。が、とんでもありません。私は原発反対論者であり、広瀬隆は、一歳年下だと、思いますが、敬愛をしています。

 しかし、深い思惑があって、それ以降も【阿修羅】を覗いたことはありません。その深い思惑について、これから、徐々に述べていきたいと、思います。

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副題4、『広瀬隆は、1960年代は、本郷で、働いていた筈だったが?』

 私は過去に、ちらっと、広瀬隆について触れてはいます。ただし、それは、メルマガ時代だったかもしれません。ただし、ブログでは、相当用心して彼の名前を使わない様にしております。無論のこと、総タイトルに入れたりはしないのです。本日初めてそれをやったのは、お互いに同い年なので、そろそろ、人生の終末に近づいているから、もう、遠慮しないでいいかなと、思い始めたからでした。

 そして、1990年代までは、彼の著書(=紙の本類)は、買って読んでいます。その中で経歴としては、医学書院に努めていたと書いてあります。ところが、今、16-8-6に、wikipediaを引くと、医学書院の名前が、彼の経歴の中に、ありません。これは、私が過去に、それをどこかで書いたから、消す様に、wikipedia 側に支配が入っていると、見ています。私にとっては、いやな事ですが、私がそれほどに、大物だと、言う事をも、示しています。大メディアに絶対に載せない様に、裏から手を回されていますが、広瀬隆の経歴からさえ、大切な事実である、医学書院の名前が消えているのですから、一行前の記述は、確かに当たっているのです。自分でそれを言ってはおしまいですが、他人が助けてくれないので、言っておきます。ただ、本日、は、その事実を知って、あらたに驚きました。

 医学書院は、1960年代は、本郷三丁目駅から、東大正門へ向かって歩く道路の、ほぼ正門前の風情ある古いビルを使っておりました。今は、赤門手前の新しいビルに移動をしています。私は、浪人をして、国際基督教大学へ入っていますので、卒業は、1966年でしたが、もし、広瀬隆が、現役で早稲田に入学をしているのなら、彼が本郷三丁目駅使用者としては、一年先輩です。東大と言う組織はビッグであって、名前もブランド的に一流ですが、勤務していると、とても、大変な場所であり、女性は長くは務められないところだと、感じました。それで、医学書院の前を通るたびに、こう言う処に勤務した方が、ずっと、未来が開けるだろうと、思ったものでした。

 広瀬隆は、卒業以来15年後に、最初の著作をあらわしていて、その後、次々とヒット作を出しているライターですが、日本のライターの中では、もっとも、誠実なライターの一人だと、思います。その誠実さの裏に在る知識は、医学書院で、蓄積したと、彼は言っています。つまり、1970年代までは、放射能が、人間の肉体に与える悪影響に対して研究が盛んだったのです。最近名前が変更になった放射線医学研究所と言う施設も日本に作られましたし。

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副題5、『渋谷では、センター街と言う名前が復活しているみたいだったが』

 ところで、上の節で、広瀬隆の、wikipedia 内に、医学書院と言う名前が無かったと、私が言っています。その事実は、本日、16-8-6に初めて知りましたが、多分、私が昔、医学書院と、広瀬隆について、本日書いた様な事を書いているので、そうなっていると、思います。誇大妄想狂だとか、被害妄想狂だと、言う方は、どうぞ。

 ただ、渡辺幸子さんと言う、国際基督教大学出身の画家が、たびたび、ここに登場しますが、彼女は、1963年か、1962年にすでに、JALのスチュワーデスになっています。大学を中退しています。で、彼女がスッチーになったから、スチュワーデスと言う言葉は消えたと、おもっております。何故かについては過去ブログをご覧くださいませ。

 この様に、名称変更が、たびたびおこなわれる際の、もっとも、嫌なものが大蔵省とか、通産省の名称を変更して行った経過です。大蔵省が、アメリカ式の名前・財務省へ、変更になった際に、私は、アメリカには、大蔵省と言う、日本の宮中から始まった明治時代の、言葉に相当するものだから、仕方がないとは、いっても、こう言う名称変更によって、お若い方が、昔の資料を読む力が完璧に衰えるので、是こそ、日本が、被・植民地化している、事の顕現であり、嫌な事だなあと、思って書きました。

 ところで、一時期渋谷のセンター街を、バスケット通りと改名する運動が盛んでした。これこそ、私のブログから起きている改名だったので、嫌な事だなあと、思っておりました。しかし、二週間前の、16-7-25日に、BUNKAMURA の帰り道として、センター街を通った時に、バスケットボール通りと言う看板はすべて消えており、元のセンター街と言う看板が復帰しているので、『ああ、すべてはバランスが取れているのだ。私は安心していいのだ』と、思いました。

 ところで、何を書いたから、突然に、センター街の名前が変更になったかですが、ある日、センター街を、私が歩いていたら、白昼堂々(と言っても、夜11頃なのですが、センター街と言うのは、人通りが多いので、本当に、白昼堂々と言う感じだったのですが)、反対方向から歩いてくる30代のサラリーマン風の男性に、明瞭に殺意を示されたのです。

 彼が、10mぐらい向こうに離れている時から、それを感じました。それでね。私の顔に、言うに言われぬ表情が浮かんだので、彼以外の仲間、が、「止めろ!」と、横から制したのです。それで、何事も起きないで、済みました。

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副題6、『私は、結局のところ、ガンジー主義者なのだ。リアルな世界では決して喧嘩をしない。それが、私の命を助けたのだった。不思議な現象だったが』

 私はすでに、1965年に国際基督教大学の構内、旧中島飛行機の滑走路で、後ろから襲われて首を絞められています。これは、反対側から、7人ぐらいの学生が、歩いてきたのと、たまたま、右側に私と犯人が一緒に倒れた際に、犯人側の肘が、私より少し長くて、肘に電流が走って、一瞬無力になったのです。それで、私は、首にかかっている恐ろしい力を、外し、弱めることに成功をしました。その犯人は、対抗方向から来た、学生たちの気配を察して、自分から逃げてくれました。 

 次に、1998年9月4日のパリ、バスティーユ駅の改札口・外で狙われたケースです。ものすごい大男たちに囲まれたのですが、『相手の言っている事が、変だ』と感じて、地下道をいっさんに走って逃げて助かりました。4,5人の男性のうち、3人ぐらいは、スキンヘッドで、しかも、やくざみたいな男でしたが、リーダーは俳優みたいにかっこいい男性でした。そして、改札口を出た後で、「あと検札をする」と、言ったのです。1998年のパリの地下鉄って、切符は、シンプル極まりない形なので、あと検札の必要など、みじんもないのです。で、すぐおかしいと気が付きした。

 三度目は、画廊るたんの入っているビルの一階廊下に待ち伏せしていた、外人男性に自宅に乗り込まれたケースです。彼は、画商を名乗って、「あなたを世界に売り出してあげる」と、言いましたが、自分の方のメルアドも、氏名も教えませんでした。そして、後日、実際に我が家に乗り込んできて、居間で、紅茶は、呑んだのですが、その際にも打ち解けて、名刺交換をする事もなく、また、コートも脱ぎませんでした。コートの中には、ピストルが隠れていたのだと、思います。鎌倉駅から何度も電話をよこして、「必ず一人で、自宅に居てください」と、言いましたが、私は、それ以前に、充分に変だと、考えていて、用心して、主人に家に居てもらったのでした。

 ところで、今から、語ることは、今日初めて、語る話ですが、あの男性は、画廊るたんの展示室のソファーで待機していて、オーナーの、中島三枝子さんが、二階の窓から、私が、道路を歩いてくるのを、チェックしていて、その上で、今歩いている』と、その男性または、彼と一緒に中島さんの画廊を訪問をしていた、誰か、中島さんと、とても親しい美術評論家が、その外人に、「いまだ!」と言ったのではないかしら。

 これは、最近、中島さんが、エレベーターを利用して、一種の策略を仕掛けてきたので、ここまで語るエピソードです。私は、よく神様の話をして、いつも点が助けてくださるのだと言っていますが、裏側には、科学的に考えた、推論は、立てているのです。刑事コロンボ並みに、推論を立てているのです。この世の中に、幽霊も、忍者もいるわけではありません。結局のところ、生きている人間がやるのです。だけど、中島さんが、それに関与していたとして、暗殺事件の片棒を担いだという認識があるのでしょうかね。知っていて、加担をしましたか? 彼女は、そこまでの悪人だった? 

 潜在意識の中では、判っていたことを、今までは、秘めていて、今、2016年8月6日に表に出すのは、トカゲの脳味噌連中が、発案する事象への、深い嫌悪感があるからです。すべての裏側が判っている、と、私が言っているのに、いまだに、ちんけで、すぐ裏が判る、ひっかけを、実行して来る。それが、この7月26日に起こされたやまゆり園大量殺傷事件であり、それが、ほぼ、80%は、ばれたと思ったら、札幌で、病院内で、息子に90歳の父親を殺させたり(それも刃物でしたが)ロンドンの繁華街で、ナイフ男が5人を襲うという事件が起こりました。世の中に、植松聖みたいな人間が蔓延をしていると、庶民一般を、洗脳して行くためでしょう。そんなことは嘘ですよ。植松も、ロンドン男も、札幌の、51歳の男もすべて、裏側から、教唆洗脳されて、それを納得し、犯人像を、引き受けた、人間がやっている事です。

 それ以外にも三回ほど、拉致されそうになっているし、ご近所の安野夫妻に、別のお嬢さんの携帯をスパイ役として、頭から水をぶっかけられそうになっています。あれが、ブロックだったら、完璧に死んでいますが、私は勘が鋭いので、直前に歩を止めて、それが、頭にかかることはありませんでした。その際に、前田清子さんが、御喜びをしている声が、聞こえて、さすがに旦那さんに叱られていましたよ。その時は前田祝一氏は、まともだなあ。奥さんに比べればずっとまともだと、判断をしたのですが、昨日も二階の天井灯を煌々と、つけていたので、圧倒的に下劣化してきています。

 ので、私は合計、8回も暗殺されそうになっているのでした。ここでは、そのうちの4番目に出現した渋谷のセンター街の、エピソードに戻ります。

 と言うのも、この時ほど、私の普段の態度が、自分を助けたと、思ったことは無いからです。普段から、リアルな世界では、絶対に、喧嘩を売らないのだと、言っていますね。または、買わないのだと、も、それが、生きてきました。

 私が気が付いた時に、相手は、すでに、7mぐらいの至近距離に近づいてきていました。だけど、バスティーユ駅の、時ほどに、急に、逃げ出したり、走り出したりは、していません。と言うのも本や、パソコンを持っていたので、アテンダントバッグが、重すぎて走れなかったことが有ります。それで、歩みを止めたものの、ただ、静かにしていて、助けてーと、叫んだりもしていません。

 ただね、一瞬に頭を巡らせて、いろいろ、考えましたよ。まず、恐怖心は有るものの、諦観も、抱いたのです。『ああ、ここが、私の命の終わる処か!』と、思って。私はスマホを持ってはいるのですが、そのGPS機能を使われて、嫌な目にあう事が多いので、普段携行をしておりません。だから、スマホを利用して、夫に、助けてと、メッセージを送ることもできません。で、誰にも知られずに、ここで、死ぬのか!と、思いました。そして、遺体は、自殺を装って青木ヶ原にでも捨てられ、後日、発見されたと言う事になって、「自殺をしました。雨宮舜は」と、言う事が、同窓会とか、銀座の画廊街で、喧伝をされる事になるだろうと、思いました。

 ただ、正面から相手がやってきたと言う事と、一切の飾りとか騙しの手口を使わないで、ただ、直接に、殺そうという殺意を示されたので、8回の暗殺未遂事件のうちで、一番怖かったことは怖かったです。しかし、助かったのですね。相手が引いてくれました。これは、普段実行をしている『絶対に、喧嘩を売らない。買わない』が、功を奏した瞬間だったと、思います。

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副題7、『この時に、私は以前から、薄々感じていた、<自分には、すでに、権威が付与しているのだ>と、言う事をまた改めて確認をした。ところで、この際の権威とは、ノーベル賞受賞者が、持つ類の権威ではない。また、ベニス映画祭のグランプリ受賞者が持つ様な権威ではない。また、美術界に戻れば、青木繁大賞展の対象とか、国画会の国画章が与える類の権威ではない。イエスが、生きていらっしゃった頃、リアルなイエスに出会った貧しい庶民たちが、イエスに対して感じたであろう類の権威である。当時の、社会的勝者、例えばヘロデ王と、その家臣や、兵隊たちには、絶対に見えなかった様な類の権威が、すでに、この、21世紀に生きている、自分の、身に付与されているのだと、考えた。おこがましいが、そう考えるほかはないほどの、強い殺意が、右側の男から、止めろと言われた途端、突然に主役の男の顔から消えたのだったから』

 さて、1998年のパリ滞在中の、拉致未遂事件の際には、私はバスティーユ駅の地下道を走って逃げました。火事場の馬鹿力とは、まさしくあるもので、重い銅板を抱えているのにもかかわらず、超スピードで走ることができたのです。で、地上に出ると、そこは、ちょうど、Saint Antoine 通りだったので、自宅へ向かって歩き始めました、すると、向こうから警官二人がやってきたので、あれこれ委細を語ると、「すぐ、捕まえます」と言ってバスティーユ駅に向かって走って行ってくれました。ところで、パリで、感じたのは、フランス人は、小柄だと言う事です。この警官たちも先ほど、目の前に現れた拉致未遂集団に比べると頭が二つ分、背が低く、体格も、30kg ぐらい低い数値を示すと、思います。日本人は、白人と言うと、駐留米軍を思い出すので、外人は、大柄だと、思い込んでいますが、フランス人は、小柄です。それで、あの拉致未遂事件を起こした大柄の連中は、普段パリに住んでいるフランス人が、急に思いついて強盗をしようとしたわけでは無くて、CIAのプロの、アサッシンだったと、今では理解をしています。

 でね。あの渋谷センター街の、サラリーマン風の男性たちも、日本人としては大柄で、しっかりした体幹を持っていると、私は感じましたので、警察庁の、殺人用別働隊だったのかもしれません。でもね、拉致を実行しないで、静かに左わきを去って行ってくれました。それは、8年以上前の事であって、その時に、いったん殺されると、私は、覚悟をしたのですから、今では、その後の経験も合わせて、すさまじい覚悟の人間として、その後の歳月を生きてるのです。そして、パリと、ニューヨーク合わせると、たった一人で、すべての物事を解決した、180日間があるわけですね。それからその海外修業の自由を得るための逗子のアトリエでの、一人暮らしの合計三年弱を、合わせると、実は、すさまじいレベルで、深い経験を積んだ、強い人なのですよ。絶対に喧嘩を売らないけれど、私に対して、何かを仕掛けるつもりとは、チャンチャラおかしいレベルです。

 だからね。身辺をうろちょろする大原光孝さんとか、小野寺夫人とか、渡辺賢司さんとかと、道で会うと『あなたねえ。私より、自分が上だと、思い込んでいるみたいですが、それって、100年早いわよ。あなたが後100年ほど、いろいろな経験を積まないと、私の思考レベルには到達できないでしょうね』と、内心で、思っているわけです。そして、彼等の裏で、操り糸を引いている前田祝一・清子夫人とか、安野忠彦・智さ夫妻とか、伊藤玄二郎の事を、「トカゲの脳味噌の、持ち主ですね」と、言っているわけです。ただ、ここで、注意しておかないといけないのは、単純にバカだと言うよりも悪魔的レベルでの発想を、平気で、実行をする連中だと言う事です。

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副題8、『ここで、センター街の名称の【バスケットボール通り】への変更と、【センター街】の名称の、復活と、グーグル地図上の【井の頭通り】と言う名称を比較検討しよう』

 この五人の男性の、激しい殺傷欲望を、以前は、鎌倉エージェントと、結び付けて考えることをせず、ただ、単純に異様な若者が居るのだと、感じ、お金が目的だったのか? それとも、Hなビデオで、曝されている様な、エロ・リンチ事件の、的とする為だったのかしらと、感じて、いつも通り、エンタメ風ユーモアを、加味したエッセイをものして、メルマガで、配信した筈です。しかしメルマガは、AOLが特殊なシステムを使っていたので、パソコンが壊されると同時に、消えてしまいました。数台分壊されています。私はすでに、18台はパソコンを買っていますし。こちらのブログの世界でも、書いたかもしれませんが、こちらを検討して探し出すのは、容易ではないので、このまま、昔、そういうことが有ってと、だけ、書いておきましょう。

 で、そのエッセイを書いて配信した直後にNHKニュースに宇田川町内会会長まで、登場して、このセンター街を、「バスケット通りと、改名する」と宣言しました。

 ここで、長時間の、休憩を入れさせてくださいませ。

 

副題9、『やまゆり園大量殺傷事件の、本当の姿を語ろう』

あそこで、失敗をしたが、ああいう形式は、引き続き、狙われていて、それゆえに、テロリストだ、テロリストだと、かまびすしいですね。

 後注1

天皇陛下の退位ご希望Newsの続報が16-8-5に出てきたので、却って慶応会について言及した理由が語り易くなった   2016-08-05 01:31:51 | 政治

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