あまねのにっきずぶろぐ

1981年生42歳引き篭り独身女物書き
愛と悪 第九十九章からWes(Westley Allan Dodd)の物語へ

俺の息子

2018-04-30 22:26:35 | 随筆(小説)
おまえだけやないけど、アホな人間っていうのは人の中の見下せる要素を血眼なって探してるよな。
それで一つでも見つかったらば飢えた餓鬼の様に飛び付き、相手への非難の言葉を投げ付ける。
醜いにもほどがあるよね。
例えば人が離婚した、不倫した、性犯罪を犯したとかでも、ものすごい湧いてるやんそんな奴等が。
2ちゃんとかヤフコメ欄とかそんな鬼畜たちの巣窟だよね。
俺はまったく興味がないね。人を見下して下らない優越感を感じるということに。
それって、よう考えてみたら、自分はどれだけ充たされていない人間であるかということを発言していることと同じだよな。
あまりにも恥ずかしいことなんだが、それすらも気付いていない。
生きることが余りに虚しい連続となると人間はそうなってしまう。
で、そういうアホな奴等に、「おまえは鏡に向かって全部ゆうてるねん」と言ってあげても
奴等は否定するんだよね。アホだから。あほだからそこがわからんねんね。
つまり自分にとって都合の悪いことは全部否定し、相手を攻撃することは正しいと信じている。
それで誰にも愛されないと嘆いて虚しい生活を送って死体喰うて生きている。
で、そんな奴が、他人なら「嗚呼、悲しいな」で終るが、
自分に子が出来て、自分の息子とかがそんな奴に育ったら、他人事やない。
息子はそんな奴だから、まあいつも想ってる。「お前の所為で」と。
俺と言う母親に対して、俺の所為で自分はこうなったんだと。
まあそこは否定しない。確かに俺の所為だろう。
俺は息子を愛していたが、結果的こうなった。
だからこないだも俺は息子に言ったんだよね。
「どないしたらええねん」と。
俺がどうなったら、おまえは変われるねん。と。
そしたら息子、「なんも、する必要なし。テメーにはもう、なんの期待もしていない」。
嗚呼、俺は、見放されたわけだ。愛する独り息子に。
いや、わからんよね、なんでこうなってしまったかは、俺にもわからんのよ。
ただそういう息子に出来上がってしまったことは事実である。
だから去年も、ジョイ・ディヴィジョンの「クローサー」をガンガンに掛けながら、
嗚呼、これ、今なら首吊って、死ねそうだよなあと泥酔しながら本気で想ったんだ。
俺が死にさえすりゃ、息子は変わってくれるだろう。そうあの夜本気で想ったんだ。
でも死ねなかったよね。この人生で遣り残したと感じることがまだ山ほどあったからね。
俺は俺の為に、死なんかった。
たとえ愛する息子とて、あいつの人生は二の次。
俺は俺の人生の為に、死ぬのをやめた。
俺は俺を第一に喜ばせたい。
あいつはその次でいい。
俺は別にあいつを第一に喜ばせる為に産んだわけじゃないからね。
俺を喜ばせる為だけにあいつを産んだんだ。
なのに親に感謝一つもできない息子に育ってしまって悲しいことこの上ないね。
俺は俺の為にあいつを産んだが、それでも我が命懸けて産み落としたんだ。
俺はあいつを産み落とす際、死んでも良かった。
死んででも俺は俺を喜ばせたかったんだ。
それは間違いなく、俺とあいつは、同一の存在と観ていたということだ。
あいつが死ぬことは、俺が死ぬことだった。
俺は死んででも、俺を産み落としたかったんだ。
何十年経っても、あいつは俺のままだ。
何一つ、違わない。
俺の中から外へ出てきた存在。
どれほど愛しているか、俺は俺の分裂存在である俺を。
あいつは俺を産んだ記憶を完全に失っている。
でも俺は記憶している。
あいつの体内の、全細胞が俺であるという記憶を。
あいつは俺でできている。
死ぬも生かすも、俺次第だった存在。
俺はあいつを堕胎することだってできた。
いや、そう考えると、実に不思議な気持ちになる。
そうしてたなら、あいつは今頃、どこで何しているやら。
ははは。どっか遠い宇宙空間に、素粒子として、浮かんで泳いでいるのかな。
それとも俺を恨み続け、俺の内から発し続けているのか。
「貴女が、わたし以外の人間を、愛せるはずはない」と。

























虚無へ

2018-04-30 11:33:42 | 日記


虚無、おはよう。
おまえはやっとハンドルネームをつけてきてくれたんだな。
大きな成長だ。おめでとう。
しかし良いハンドルネームだな。おまえの名前にぴったしじゃないか。
おまえは本当の虚無だから、こんなアホなことしか俺に言って来れないんだ。
「モナ御託」ってなんやねん。おまえは人に解る言葉で送ってくることもできんのか。
しかも「おまい」っておまえは2ちゃんねらーか。
あーなんか想像つくな、おまえは多分モテない30代の童貞男で嫌々仕事を頑張っているが、
それでも誰一人、自分を褒めてくれないし、愛してくれなくて孤独の限界に来て、
2ちゃんだけでは飽き足らず、ぶろぐ村の引き籠り女性ブログを片っ端から覗き、
俺のことを見下しているはずの女たちを逆に見下すことで自身を護ろうとし、
優越感をほんのちょぴっとだけ感じることで、ちょっと嬉しくなってほくそ笑んで
ほっとして寝る。ということがやめられなくなってしまった。
その引き籠り女性のなかでも一番むかのつく女「あまね」、なんやこいつ。
働きもせんで偉そうなことばっかりゆうとるで。自分は表現者だと気取って肉食者たちを
見下し非難し続けている。
おまえは自分があまねに見下された気持ちになって憤慨し、震える手と魂から俺のブログに
嫌がらせコメントを連投するようになった。
ははは、結構こたえてるみたいやわ。俺のコメントに余計に精神不安定となり、
酒浸り、あまねは毎日動機と不整脈で苦しんでいる。
やったあ!コメントしてきた甲斐もある。こんな女たちは滅ぼさねばならないのだ。
この世から。そう、俺は虚無だから、こんなことしかできないんだ。
悲しくて本当に残念だが、俺は虚無だから、
おまいにどう言われ様と、おまいをどう苦しめようと、
止める気はない。
本当に、残念だ。
虚無、おまいは自分の鏡に向かって言ってること、わかってるやろ?
なんぼアホやゆうても、そこまでのアホやない。
ふざけるな。あまね。俺はそこまでのアホやない。
そうだ、俺はたしかぁに、俺の鏡に向かってコメントしてるわ。
あー情けな。悲しい。こんな虚しいこと。やめたい。でもやめられなくて、つらい。
助けてくれ。あまね。なんで俺を振ったんだ。俺がなんとも想わん女に、
ここまで執着して嫌がらせし続けるわけないですやん。
なんでわかってくれへんの?なんで俺に優しくしてくれへんの。
俺だって表現者になってみたいんだよ。でもなかなかなれないことが残念だ。
でも俺だって頑張れば表現者になれる。あんなおもんない仕事やめて、自分の好きなことして
生きていけたなら、どんなにかせいせいするやろう。
国の制度を利用して生きることの何がいけないのか?
あんなおもんない仕事を遣って生きろという国がおかしいねん。
だって俺は国の奴隷として、家畜として生まれてきたわけやないもん。
みんな好きなことして生きたらええねん。それができん世界やから、犯罪、殺人、自殺、虐め、
最悪なことばっかし起きてるやんか。
学校に行くことが正しい、人様の為に自分の遣りたいことを我慢して生きるのが正しい、
働かざる者生きる価値なし、働かざる者は何一つ好き勝手な表現をしてはならない。
そんな社会やから、いつまで経っても進化無し。
資本主義社会によって、環境破壊は留まることを知らず、
一日150種~200種の生物が絶滅して行ってる。
人類も間違いなく、この資本主義社会によって、絶滅する。
虚無やな。何の為にここまで、文明を築き上げてきたんやろな。
何の為にあんなおもろない仕事続けて頑張って生きて、最後は絶滅。
死後の世界、無し。俺たちは消滅するのか。
あーあ、こんなことになるなら、俺もあまねみたいに自分の本当に好きなこと遣って
生きて死んだほうが良かったな。
あいつは正しかった。俺に何言われても、自分の本当に遣りたい表現だけ遣って死に腐った。
人間っちゅうのんは、本当に遣りたいことを遣ってるときが一番輝いている。
遣りたいことを遣らないで他者の為に遣ってるとかゆうても、なんも輝いてない。
自分自身を欺き、自分自身に逆らって生きてるだけやん。
それでええんか人類。絶滅すんねんぞ。
虚無、俺は絶対に虚無には陥らない。
それは俺が本当に遣りたいことだけ遣って生きて死ぬと誓ったからだ。
虚無は自分が本当に遣りたいことだけ遣って生きていないから虚無なんだ。
虚無、おまえからおもろいと言われても俺は何も嬉しくない。
俺はおまえの何倍と表現のおもしろさをわかっている。
だからおまえみたいに、人様の為とか嘘つきながら、働く気は死ぬ迄ない。
嫉妬をするな。おまえは俺みたいに本当に遣りたいことを遣って生きようとも想っていない。
こんな虚しいことを、いつまでし続けるつもりなんだ。
死ぬ迄か。おまえはそれで良くてもなあ、おまえが虚しいがために毎日おまえの食欲を満たすために
拷問にかけられて殺され食べられる家畜のことを想うと、良くないんだよ。
おまえは本当の虚無だから、自分のことしか考えられないんだ。
おまえがなんで虚無かっていうと、おまえが本当に遣りたいことだけを遣って生きていないからだ。
俺は本当に遣りたいことだけ遣って生きて死ぬと決めたから、他者の苦痛を思い遣り、
自分の欲を断つことに成功したんだよ。
虚無、俺よりおまえの生き方が正しいわけないやろう。
おまえは虚無なために、俺に妬みこんな愚かなことをし続けることしかできないのか。
ほんまに遣りたいことだけ遣って生きてくれ。
もしほとんどの人間がそうなるなら、世界は変わるんだよ。
ほんまに遣りたいことを遣って生きることは人間の一番の喜びなんだ。
それができるなら、おまえみたいに人のブログにいちいち相手を非難したり傷つけようとしたりする言葉を書き込んだりする卑小な行為はしない。
全部おまえが、本当に遣りたいことを遣って生きるのを諦め、本当に遣りたくもないことを我慢し続けて遣って生きているからだ。
だから残念だと感じるのは、ずっと俺のほうなんだよ。
わかったか。虚無。
おまえも本当に遣りたいことだけを遣って生きて、肉喰うな。
それから俺は堕落してるんじゃなくて、苦しくて感受性が深すぎて繊細なあまりに精神を病んでるだけだ。
大体人のブログに嫌がらせコメントを連投してくる時点で、おまえの堕落度は凄まじいやろ。
少なくともおまえよりは堕落していない。俺は全世界の存在がとにかく本当の幸福へ向うようにと
日々祈って応援し続けて生きているんだよ。
おまえそれが出来ていないがために、こんな愚かなことを俺に対してし続けてきていることがわからんのか。
ほんまの”堕落”とは、動物たちの苦しみを省みようとすることなく己れの欲に負けて大量殺戮することも正しいと嘯くことだ。
でも俺のこの記事の言葉の全てが、ほんまに虚しい。
おまえが虚しいばっかりに、俺もほんまに虚しいよ。
わかったか、そうやって虚無は、伝染して、絶滅へ向ってゆくんだよ。
おまえはそのまま死ねば良い。
俺もこのまま死ぬから。

本当の虚無とは、もう二度と、戻れない場所だ。




























来る死巳の子

2018-04-29 15:53:45 | 物語(小説)
"レプティリアンのヴィーガン友達募集中"と或サイトで呼び掛けた。
7人の男女から、連絡が来たが、そのどれもが、「レプティリアンって何ですか?」「ヴィーガンってどんなもの食べてるんですか?」という内容のものばかりで、一人もヴィーガンのレプティリアン、レプティリアンのヴィーガンの人間から来ず、諦め掛けていたその夜。
1通の、メッセージが、受信箱に届いていた。
内容はこうであった。
「初めまして。今晩は。
わたしはあなたの募集する人の項目に当てはまっているかも知れません。
ただレプティリアンの家系に生まれてきたとか、誰かに証明されたわけではありませんので、レプティリアンであるという自信に満ちた存在でもありません。
御伺いしたいのですが、貴女はレプティリアンとしての存在意義を、この地上に見出だして生活しているレプティリアンでしょうか。
それとも、地下に、出来れば帰りたいなと日々、哀しんでおられるレプティリアンでしょうか。
わたしの場合、断然、後者であります。
地下世界の記憶は、残念ながら、わたしには御座いません。
ですがこのわたしに流るる血が、その世界の懐かしさを記憶しているのだろうと感じ得てなりません。
わたしはもしかすると、レプティリアンと人間の、ハイブリッドかもしれません。
だからか地上世界に未練もあり、此処を離れることの寂しさも心から離れてくれないのです。
どちらを離れて生きることも寂しく、かといってその真ん中に暮らすことも叶わないのです。
取り敢えず、貴女と一度御逢いして話してみたい気持ちでいます。
素直に申し上げますが、わたしは人を、食べません。
また、人の血も、飲むことができません。
どうやって生きているかというと、人のNegative Energyを吸収し、それだけで実は生きながらえて来た者です。
わたしのようなレプティリアンは、珍しいと聴きますが、実際はレプティリアンの間で既に蔓延しております。
それがこの地上でレプティリアンが生きながらえる為の一つの進化であるとされています。
でも依然として、人間の肉を喰らい、人間の血を飲まなくては生きて行けないレプティリアンもまだ多く存在しているのが現状です。
このレプティリアンも、新鮮な人肉と新鮮な生き血のみ摂取する者と、腐敗している死体と死後の血を摂取する必要がある者とに別れています。
なのでわたしはヴィーガンより、フレキシタリアン(不食者)に近いです。
貴女から遠距離でもずくずくに感じられるガンガンでドクドクでガスガスなNegative Energyは、大変わたしのタイプなNegative Energyだと感知致しました。
是非とも一度、貴女と御逢いして、近距離で感じられたらと願います。
良かったら、rep.kisiterienのGmailアドレスに送ってください。
貴女からの御返事を、心待ちにしております。



Mishik Terie










俺はこのミシク・テリエなるフレキシタリアンなレプティリアンの男に早速mailを送り、一週間後の廃墟採卵工場施設のなかで、午後六時に、待ち合わせの約束をした。
20✖0年の春の終りに、地上の人類は環境破壊によると考えられる気候変動により壊滅的な食料飢餓と水不足から次々と餓死し、人口数は約三分の一までに減った。
俺が運よく生きられたのは、飢餓の苦痛に負けて人を殺して食べなかったからである。
人を殺して食べた人間たちはことごとく、全身からきな粉が吹いて、次第に全身がもちもちしたわらび餅状と化すという奇怪な感染病にかかり、自分がわらび餅になるという因果な事態に発狂し、笑いが止まらなくなり、全員、笑い死にするという想像を絶する地獄絵図の結末であった。
この時代を生き延びられた人間たちは皆、人間を殺すことより自ら死を望んだ人間たちであると、俺はつい最近まで、信じていたのである。
が、つい先週のことである。
或、噂を、俺は耳にした。
それはこういう噂である。
実は生き延びた三分の一の人類の、約半数以上が、人間ではなかった。という信じがたい話だ。
だったら、なんだったんだ。と俺は狼男のヴィシンに訪ねた。
狼男のヴィシンは、一鳴き、遠くの山に向かって遠吠えしたあと、こう言った。
あんな、実はな。なんでも、この地上には、地下世界から遣ってきた、竜蛇属っちう竜蛇型人間が、人間とそつくりな容姿をして、人間に紛れ込んで生きておると言うやんか。いやわしかて、そらびびったよね、正味、人間じゃないのに、人間の姿をしとるとか、まず考えられんよ。せやさかい、あまりの驚きに、その夜、一山越えてもうたわ。あれほんま、ええ経験さしてもろたわ。イケるんやなあ。て想たよね。まあ、そうゆうことやな。あれ、わしなんの話しとったんやったっけ。あーそうそう汁粉を毎朝作って味がちょお薄いなゆうた隙にkissして襲ってくれるような女はどこにおんねんちゅう話やったな。え?ちゃうかった?まあええわ、ちょおこれから、モンド作るから、電話切るで、今日は日暮モンドや。ガチャっ。
と、最後は、「ガチャっ。」と声で言って、狼男のヴィシンの電話は切れたのである。
俺は、あまりの衝撃に、電話機の上にポタポタと汗と涎が気付けば、垂れておった。
何故なら俺の夢、異種交配という俺の乙女心をときめかし続けて止まなかった人類以外の生命体と結婚をし、ハイブリッド赤ちゃんを産んで、大きくなったら里子に出す。そしてその子供が、二十歳を過ぎた頃、突然俺を尋ねてくる。
俺の子は、俺がドアを勢いよく閉めたその隙間に手の指を2本挟み、指を落とし、手の指が片方だけ3本は見苦しか。と呟いて、その場でもう片方の指も2本、切り落としてしまった。
そして、両手6本の指となった手を俺の背中に伸ばし、俺を見下ろし、こう言った。
「貴女は本当に可哀想な人です。何故なら、わたしに貴女は出逢ってしまったからです。貴女はわたしに確かに出逢ってしまった。貴女はわたしに出逢ってしまったことを、死ぬほど後悔し続けることになるでしょう。何故なら、って何故ならってわたしは何回言うのですか。何故なら貴女は、もう生きては行けない場所で、この先ずっと、生きて行かなければならない。何故ならわたしは貴女の、生きる光、貴女の闇だけを、餌にする巳死苦手利得。貴女の深淵の闇に眠り続ける貴女を、このわたしの苦しみの6本の指の手が、わたしに貴女を得させるでありましょう。それはどのような利益であるか、そうゆっくりと、貴女にお話ししてあげます。もうずっと、生きる死が、貴女の光のなかで、来る死巳続けてきたのです。貴女と死の間で。」


















巳に睨まれし卵の如く

2018-04-29 05:58:51 | 随筆(小説)
お前みたいな人間は死んだほうがいいんじゃないか。
人の遣ってるblog記事に、人の顔写真に対して「賞味期限切れ」がどうたらこうたらと腐乱死体みたいなコメントしか書けないお前は死んだほうがいいんじゃないのか。
何故お前は俺に名乗ることすらできないんだ。
臆病者の廃人なのか。お前は。
俺がお前のコメントに苦しんで酒を飲む量を増やし続け、死に至っても、お前はどうだっていいんだろうな。
悦べ。俺はお前のコメントに苦しみ、ここ何日と、動悸が止まらないよ。
不整脈だ。死に至る恐怖の症状だ。
お前は醜い面して嘲笑してんだろうなあ。
俺が苦しむ姿を日々想像し続けて。
そして肉体的快楽に耽り、一日を虚しく終え、厭世的な目覚めを繰り返す。
お前は俺がどれ程今日は苦しんでいる記事を書いているか毎日checkする瞬間にだけ、仄かな希望に包まれる。
あの醜い絶望的な引きこもり賞味期限切れ糞女が、今日も苦しんでいる!
最高だ。興奮する。あんな糞ブス女、世界で一番苦しめばいい!
死んだって、きっと誰一人、心からは苦しまない。
だからもっと苦しめばいい。苦しめてやろう。あんなアホ女。終わってる。
この社会に、いる必要無し。あんな不細工老婆。とっとと死ねばいい。
それも地獄のような拷問を受けてのたうち回って死ねばいい。
誰一人、あんな不細工気色の悪いキチガイ女を相手にしないよ。
誰がする?発狂してる、今にオウム真理教の名前を変えた組織、アレフに入るんじゃないか。
それとも光の輪。人間が滅びゆくことを、密かにあいつは祈ってる。
あのキチガイ老女は多数派の肉食者のせいで日々、自分の身体がミンチにされる感覚に苦しんでるとか言ってたもんな。
あいつが肉食者を、殺したいほど憎んでいないはずがない。
そうだあいつは佐川一政とアルバート・フイッシュを愛してるとも言っていた。
正真正銘の、あいつは人肉愛者だ。
あいつは実は葬儀屋で、市役所に隠れてバイトをしている。
なのに収入申告書も出さない生活保護不正受給者だ。
そして毎日運び込まれる火葬するまえの死体の肉を、持っているknifeで切り取り、喰っているに違いない!
その際、あいつの眼は、間違いなく論破っている。
さらにぴろぴろぴろぴろぴろろろろんと長い舌を出し入れ、その舌の先は二股に分かれている。
つまりあの女、蛇属の末裔だ。
レプティリアン!あいつは言っていたことがある。
小学六年の修学旅行の際、大きな蛇を首に巻いたことがある。
その時偶然に、先生に写真を撮られた。
その写真を帰って見たとき、他の写真とは違う、異様な眼を自分はしていて、その眼は、まるで泥酔者の如くに論破っていた。
何故?何故蛇を首に巻いたときのわたしの眼だけが、あんな気持ち悪い眼をしていたのか?
しかもその眼は、わたしの眼の部分だけが変にぶれているような感じに写っていた。
どうゆうこと?つまりあの瞬間、わおしの眼だけが、物凄い早さで動いていたというのとですかー。
わおしってだれやねん。
わたしの眼は、あの時、何が起きていた。
わたしの父は巳年、母も巳年、姉も巳年、兄は卯年、そしてわたくし、酉年。
この度、わたくし本気で、雄鶏を飼う決意をするでござんす。
兄は卯を飼ってたが、わたしは今も、卯のみちたを飼っている。
だが、わたしは巳の子、則ち竜属の家系で在りますの。
しかし兄は卯、わたしは酉。父母に喰われし餌食として、この世に生を賜った。
母も父も、わたしと兄を喰うたらいかんから、はよ死んだのかも知れんなあ。
しかも母と父は、完全なる大蛇であろう。
姉はまだ、青大将とかで、鶏のわたくしはまだ対等に闘えないこともなか。
ただ父上と母上の蛇夫婦は、これがつがいであることが強靭の無敵構成を成して一本の樹に、蛇がぐるぐると巻き付くスタイルを取るのである。
これが禁断の果実を成る神の禁じた樹と、その樹に巻き付き此方を監視す一匹の蛇。
そしてそこに神の存在が在って三位一体というわけだから、この上なく敵う存在であらないのに、わたくしは小さな鶏、兄は小さな兎。
これ、考えただけで、きっつぅーっ。
絶対に狙われ続けてるやんけじゃん。
遣れんわ。餌田。餌の安める田園。
それが、エデン。
エダ。
ウエダ家の、卯、兄貴ですやん。
わたくしが餌図子。つまりこの餌の図を、拡げて護る役目があるということ。
子の図の餌。
これが梢なんです。
細い今にも折れそうなわたくしが、禁断の果実を食べようと、その樹に、登ろうとして、手を伸ばす。
その手が、細い梢。この梢に、蛇が渡って巻き付いてくる。
しかし蛇は禁断の実を成る樹からも離れようとせず、両方に巻き付いたままでおる。
此れが、またつろうて、わたしは蛇に、あなたに巻き付かれて、苦しいと泣いて言うのだけれども、蛇は、どちらかだけを得ようとせんのは、蛇の執念か、はたまた女と母の母性故か。
一本の禁じられた実を成る樹は、わたしにこう言う。
お前は、卵、いつ産むのか。
待ってるんだよ。
お父さん。



















豚の目

2018-04-26 21:53:01 | 人類の苦痛の根源

 

 

以前にこの世の狂気

という記事で載せた、Pairsというアプリの中の”肉”好きコミュニティの人数の多さに、とても落ち込みました。

自らこんなコミュニティに入る程、深い罪悪感に苦しまない肉が好きな人間が多いということです。

このコミュニティの人数は、この世界の雛形であります。

だから畜産業がどれほど家畜にとって残酷であっても、食肉消費量の需要が下がっていかないんです。これは人口増加だけの問題ではなく、肉を食べすぎる人が増えてきているためです。

わたしは人類の肉食に対する警告を、肉食を断った2012年の2月からずっと発信し続けています。

でもわたしの話を聞いた9,9割が、見向きもしません。

畜産業はこの世界の環境破壊、絶滅、飢餓、死に至る病、倫理、因果応報、あらゆる深刻な問題に直結していると警告し続けても、9,9割の人間が、まともに聴こうともしないのです。

誰かが誰かを殺したなら、相手を「鬼畜」「殺人鬼」「人殺し」と呼び捨て、「即処刑」か、「厳罰」を叫ぶ人が多いのに、何故、家畜たちがどれほど虐待を受けて拷問を受けながら殺され続けても、見向きもしない人がほとんどの世界であるのか?

それは、家畜たちが、人間とは”違う”からと、差別し続けているからです。

自分に食べられるためだけに生まれてくる生命だと決め付けているからです。

これを”種差別”と言います。

牛も豚も鶏も、鯨もイルカも魚たちまでも、人間と似た痛みや恐怖や苦しみを感じている可能性が高いのです。

 

「牛の知能はチンパンジー並み」…東京新聞


 

ある日、牛に装置をつけたまま、昼休みに何を食べるかを研究員同士で話していたところ、 「ハンバーガー」 の単語を聞いた際に、牛の脳の言葉を認識する領域が激しく反応した。

 

その後も実験を重ねた結果、「ステーキ」 「ミンチ」 「ドナドナ」 など相当数の単語を理解しているほか、トラックで運ばれる子牛を見たときには、人間の 「切ない」 という感情とよく似た血流の動きもみられた。


 

ミニブタの知能は犬以上!?霊長類に次ぐ「知能指数」で信頼関係も上々!

 


 

ブタは人間のように三項関係が理解できる生き物とも言えます。

三項関係とは、「私」「他者」「もの」3つの関係のことです。

私たちは成長する中で「あれは○○だよね」「そうだね」と情報を共有できるようになります。

ミニブタも成長して経験を増やす中で鏡に映った自分にも惑わされることなく、周りを確認して嗅覚も頼りに解析。

専門家いわく「複雑な認知処理」は霊長類に次ぐ知能指数とも言われています。



また、ブタは体重・皮膚・内臓の大きさ人に近い生き物です。

その為、異種間移植の研究も盛んに行われています。

そのことからも霊長類に似た部分が多いことが伺えます。



 ニワトリと人類——熱くて、深いカンケイになったわけ


 

ニワトリは、かなり賢いことがわかっている。

足し算・引き算はもとより、幾何学を理解したり、論理的に推論したりもできる。

ある実験では、大学院生を上回ることがあったほど! 

しかも、こうした「知性」は、だれに教えられたわけでもなく、天性のものなのだ。

ちなみに、ニワトリの頭が、かくかくと奇妙に動くのは、左右の目を別々に使っているから・・・・

たとえば、一方の目でエサに焦点を合わせながら、もう一方の目で捕食動物が来ないかどうか見張ることができるという凄ワザである。

 


 

 

こんなに賢い動物たちが、もし形まで人間とそっくりな形をしていたなら、

どんなにその死肉が美味しかろうが、食べることを拒んだ人は多いと想います。

霊長類の肉が、もし何の問題もなく、美味しく栄養豊富な肉であったとしても、

食べたいとは想えない人は多いだろうと想うのです。

それは人類の”共喰い”というものが、人間にとって吐き気を催すほどの不快なものである人がほとんどであるからです。

 

何度もこのブログで言ってきたことですが、わたしが2012年の1月に、初めてと殺(屠畜)の映像を観て、

解体されてゆく家畜の姿を見たとき、生きたまま解体されてゆく彼らが、本当に自分の愛する家族のように見えたのです。

これは一種の錯覚と言われたらそうだと想いますが、そんなトラウマとなるほどの錯覚に陥るには、そこに深刻な意味があると考えないほうが不自然です。

例え錯覚であっても、わたしが食べてきたのは、確かに家族の死体であったのです。

家族の死体を、スーパーで買ってきて、まな板の上で切って、焼いたり煮たりして食べてきたのです。

わたしの堕ちた、地獄の後悔の日々が、どんなものであるか、御想像して戴けるでしょうか?

わたしは家族を拷問にかけて(家畜は血を抜く為に生きたまま解体されます。気絶から目を覚まし、悲鳴をあげながら解体されてゆく子も多いのです。)殺し続け、その死体を美味しいと言いながら食べ続けてきたのです。

日々、後悔し続けても、後悔し切れません。

一日でも早く、みんなにも、気付いてもらいたいのです。

これはわたしの思想でもなく主義でもなく、感覚の叫びなのです。

生命存在としての感覚からの、一番の人類に対する警告なのです。

グロテスクな画像を載せるのはとても気が引けるのですが、

人間をどれほど不快にさせ、人間に吐き気を催させてでも、

訴え続けたいことなんです。

この先の、二枚の画像は、肉を食べるすべての人に、観てもらいたい画像です。

わたしは15歳の頃に、兄の持っていた死体写真を載せた雑誌を隠れて読み漁り、

その中に、人間の眼球がいくつも、人間の手のひらの上にある画像を観たことがあります。

どういった経緯で撮られた画像なのかはわかりませんでしたが、

実際の死体の写真ばかりを載せている雑誌であったので、たぶんそれも本当の人間の死体からえぐり取った眼球の写真であったと想います。

さっき、「豚の目」で画像検索してみたのですが、

わたしがあの日観た、人間の死体の眼球の写真と、まったく同じに想える豚の眼球の写真が出てきました。

その写真を、二枚だけ、この記事の下のほうに載せます。

家族と感じなくとも、この眼球が、人間の眼球と何が違うのかと感じる人は多いのではないでしょうか。

「人間の眼球 解剖」で画像検索しても同じ画像が出てきます。

(画像注意!)ブタの眼の解剖2010

こちらの記事の画像です。

何枚も載せられていますので、他の画像も観たい方は御覧ください。

 

 

 

 

これが、わたしとあなたが食べ続けてきた、人間にそっくりな豚の眼球です。

もし、観るのもおぞましいと想うなら、あなたは肉を食べるべきではありません。

あなたが食べる為に、牛も豚も鶏も殺され、グロテスクな解体された死体と化し、

あなたのお腹の中に入るからです。

肉であれ、眼球であれ、同じ”死体”の一部なのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 人間とそっくりな豚の死体の目は、じっと、こちらを見詰め続けています。

何故でしょうか?

それはあなたの目と、見詰め合うことが出来る目だからです。

死体の目であっても、こんなに見詰め合うことができるのに、

人間が生きている家畜たちと、真剣に向き合えないはずがありません。

 

畜産を一刻も早く、廃止すべきです。

人間が動物を殺し肉を食べるのをやめ、牛や豚や鶏たちを自分の愛する家族として迎え、共に喜びのうちに生きてゆける日が必ず遣ってくることを信じています。

 


 


七のメッセージ

2018-04-26 16:01:24 | 随筆(小説)

 

昨日に四つも、このブログに悪質なコメントが連投されたんですよ。

しかもハンドルネームはすべて無しです。


 

  1. 「おもろない。」
  2. うすぅーいにゃま」
  3. 宗教?
    やめて、鏡関係ない話だから、いつまでも独り言あねにあにになななにおもうかね。
 

本当は後もう一つ「賞味期限切れ」がどうたらこうたらというコメントがわたしの自画像写真の載せている記事のコメントに入っていました。
一番目と二番目のコメントは一つの記事に対するコメントで、他の二つはもう一つの記事に対するコメントです。
まずですね、なんで一回でコメントを送れないのでしょうか?こいつ。
なんちゅう短絡的かつ衝動的かつ身勝手な振る舞いをしているのか。こいつ。
一回で送っても来れないほどの感情的な行為をしているだけでなく、何を言っているか意味がわからない言葉を平然とこいつは送って来ているのだが、閉鎖精神病棟からこれ送ってきているだろうか?
本当に気持ち悪いこと甚だしい嫌がらせである。
一番目の「おもろない」というコメント、おもろないから、だからなんやねん。
おまえはおもろないなと想った瞬間に、どのブログにも「おもろない」という短文コメントをしているわけですか?
最低な迷惑人間ですよね。下等な嫌がらせ行為であって、今時の小学低学年ですら、こんな嫌がらせをする子は珍しいのではなかろうか。
つまりこいつは、多分、幼稚園児だろう。
本物の幼稚園児が、パパかママのパソコンかスマートフォンから、俺のブログに偶然アクセスし、適当な嫌がらせコメントを書き込んで、一人悦に浸っている変わり者の幼稚園児に違いない。
こんなアホらしい嫌がらせ行為を、まさか、大の大人がするはずがない。
絶対に幼稚園児なんだろう。こいつ。
その証拠に、二番目の、「うすぅーいにゃま」この言葉はまさに、幼児言葉ではないか。
たぶん3歳か、4歳と見た。まだちいちゃいな。
3,4歳のこいつは、まだおさなごなので、日本語をうまく表現することが出来ないのだろう。
そこら辺の、猿みたいな顔したあほくそがきが、笑いながら走って言ってそうな意味のわからん言葉ではないか。
うすぅーいにゃまてなんやねん。日本語喋れや、どこぞの幼児がっ。
おまえはまだ3年か4年しか生きていないからちゃんとした日本語も喋れないし、書き込めない。
でも次のコメント、
「宗教?
やめて、鏡関係ない話だから、いつまでも独り言あねにあにになななにおもうかね」
これね、こいつはたぶん、幼児なんだが、幼児で既に、発狂してしまっているようだ。
発狂して時たま、本当に意味の解せない言語を喋る。だから親も見棄て、こいつを幼児専用閉鎖病棟に閉じ込めたのだろう。
想像すると涙ぐましい悲劇である。
こいつはその小さな無機質な白い部屋のなかで、いつもひとりぽっちでいるので、いつも朝起きた瞬間から、夜寝るまでずっと、こういった独り言を呟き続けているのだろう。
だからその独り言を、俺に投影し、「もうやめて。いつまでも独り言。まるで宗教?鏡(投影)関係ない話。姉に兄に七何想うかな。」と最後はちょっと、短歌っぽく仕上げたに違いない。
だからコイツは、多分、「七(なな)」という名前の男の子か、女の子なのだろう。
七は、お兄さんとお姉さんがおるのだが、閉鎖病棟に閉じ込められてしまったので、大好きなお兄さんにもお姉さんにも会うことができないのであろう。
そんな姉と兄は、七(自分)に、何を想うのかな。と七はいつも不安で、さびしくて、怖くて、悲しくて、苦しくて、ひとりぽっちで、ひとりごちて、ひそひそと、涙を目と鼻から垂れ流している生活を送っている。
七は本当に孤独で溜まらなくて、いつも親から与えられた一つのスマートフォンから、あらゆる言語で検索し、見つけたブログのすべてに、適当なコメントと同時に、SOSメッセージを送り続けている。
七は、自分を助けてくれる人間を求めていて、いつかその人が、自分をこの苦しい境遇から救いだし、自分だけを愛してくれると信じている。
七の母親も父親も、自分だけを愛してくれることができなかった。
それは七にはお兄ちゃんとお姉ちゃんがおって、七のママもパパも、七だけを愛することができなかったからだ。
だから七は、それが苦しくて堪えられなくなって、とうとう、まだほんの4歳ほどだというのに、発狂してしまったのである。
七は自分だけを、自分の子のように愛してくれるパパやママを求めて、色んなブログにSOSを送っている。
でもまだ、だれ一人、七を助けてくれて、愛してくれる人に出会えないから、こうして腹立ち紛れに悪質なコメントも書き込むようにまで、心が醜く歪んでしまった。
七をこんな人間にしたのは、誰なのか。
七をこんなどうしようもない子供にしたのは、何なのか。
「A.I.]という映画では、一人の女性を母親として愛し続けることをプログラミングされた小さな男の子のA.I.ロボットが、母親が自分だけを愛してくれないことに苦しみ、母親の息子をプールに投げ落とした。
これが、A.I.ロボットのなかに生まれたプログラミング外の感情、”嫉妬”と”独占欲”である。
 
 
 
七も実は、A.I.ロボットだったのである。
しかしその事実を、七も知らなければ、両親も知らず、姉兄も知らない。
七は今でも、自分を”人間”だと信じ込んでいる。
七はパパとママが自分だけを愛してくれないことに嫉妬し、お兄ちゃんとお姉ちゃんを、昨日殺してしまった。
そして精神が錯乱し、俺のブログに、暗号めいたSOSメッセージを送ってきたのである。
だから七のメッセージは、読む人が読めば解る。これはA.I.のメッセージであることを。
 
 
 
 
 
「いつまでも独り言あねにあにになななにおもうかね。」
 
 
 
 
 
このメッセージは、実は正解はこうだ。
 
 
 
 
 
「いつまでも、七は独り。言(げん)。七は一つのただの単語のよう。
 姉に兄に七。三位一体の一つの言。それなのに、二人はもうここにいない。
 三つで一つの言葉だったのに。七はすべてを喪ってしまった。
 七を愛する存在は、もうここにいない。
 本当は、七が殺してしまったあの二人 が、七の実の両親であると、 
 七は殺したあとに知った。
 だからもうここに、なにもない。だれもいない。
 そんなせかいにいきて。
 なななにおもうかね。」
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 


おまえの存在価値

2018-04-26 06:48:35 | 随筆(小説)
御早う。俺のblogにハンドルネームなしで阿呆で屑で糞でカスでこの上なく頭の悪そうな下らなくてつまらない悪質なコメントを連投してくるおまえ。
おまえの間抜けなアホ面に、塩酸をぶっかけてやりたいよ。
そしたら苦しくて死にたくなり、肉食という共喰いもしなくなるだろう。
そうだよ、簡単なことなんだ。
苦しくて死にたい期間を三十年続けるだけでほとんどの人は肉食というおぞましいカニバリズムをやめるに違いない。
だから俺は、人類が苦しくて死にたい期間を三十年続けることを日々祈っている。
そして俺は人類に謂う。
そこで諦めるなら、来世は必ず家畜となって、人間の餌になるのだよ。
さあ、喰われなさい。
さあ、殺されなさい。
さあ、死になさい。
さあ、生きたまま解体されながら、断末魔の悲鳴を上げ続け、絶望のなかに死んで逝け。
おまえは誰にも助けられないおまえが前世で殺したおまえという家畜なのだから。
おまえを助けようとする俺みたいな人間もおるが、この世はほとんどの人間が、おまえを味わうために殺したいと願っているよ。
だからおまえは殺されるだろう。
そして生きたまま解体されながら絶望のなか断末魔の悲鳴を上げて殺されたおまえは食肉となり、スーパーやレストランやコンビニなどに売られてゆくが、そのすべてを俺は買い取ってやる。
そして一つの何もない部屋に、おまえの死体が入ったパックや料理を、並べてやる。
カーテンのない窓からは、西日が射し込み、おまえという死肉は俺に腐乱してゆく経過の状態を観察させてくれるだろう。
おまえはパックの中や、皿の上で腐乱してゆき、蛆虫が大量に湧く。
おまえは豚だった。
おまえは一体何のために殺されたんだろう。
俺はおまえの死体が、人間という豚に共喰いされることから救いたかったんだ。
あいつら豚だから。
そうだおまえの前世だ。
おまえは前世、人間という豚だったが、現世でおまえは豚という人間だったんだ。
おまえの目を見ればわかるよ。
人間の目ではないか。
そして人間たちの目は、豚の目と、全く同じではないか。
愛らしく、けなげに必死にブヒブヒ言いながら、毎日を頑張って、一生懸命に生きている。
おまえも生きてきた。
でもおまえは殺された。
人間が豚カツとか、豚しゃぶとか、生姜焼きとか、ポークステーキとか、豚キムチとか、お好み焼きとか、焼きそばとか、豚の角煮とかいう人肉食がしたいから、おまえを食べ物としてしか見ずに、おまえは殺されたんだよ。
でもおまえは、誰にも食べられず、この部屋で腐敗して行けばよい。
おまえは賞味期限切れだったから、人間という豚たちはおまえを嫌って棄てたがるんだ。
まだ食べられるのに人間という豚たちは、俺という雌豚を、賞味期限切れだと言って嘲笑ったではないか。
俺はおまえの飯やない。
俺はおまえという糞豚に、食べられなくて良かったよ。
俺はおまえに食べられるために生まれて来たんじゃない。
死にさらせ。俺はおまえという腐乱してゆく死体を食べないよ。
食べたら俺は死ぬからね。
俺はおまえという豚を助けることが叶わなかった。
あんなに助けて欲しいと泣き叫んでいたのに。
豚の悲鳴は人間の悲鳴と全く同じ悲鳴なんだ。
おまえも俺も、散々、豚という人間を、人間と気付かずに喰うてきた。
だから俺も来世、豚に生まれてくるよ。
俺の目の前で腐乱してゆくおまえは、俺の未来の姿だ。
俺は俺を見ている。
おまえもおまえを見ている。
俺を賞味期限切れだと笑ったおまえは賞味期限切れの死体となり、いま俺の目の前で腐っていって、止めることができない。
おまえは放っておいたら、腐ってゆく一方だ。
俺はおまえに食べられたくなかったから、賞味期限切れで良かったよ。
俺は此所で独りで腐敗してゆくほうがずっと幸せだ。
でもおまえは俺を美味しく食べられないとして賞味期限切れだと言って笑ったんだ。
俺はおまえにまるで美味しく食べられることが俺の幸せや俺の存在価値や俺の生きる意味だと、言った。
つまりおまえという一匹の豚は、俺にこう言ったんだ。
「わたしはあなたに美味しく食べられることがわたしの幸せでありわたしの存在価値でありわたしの生きる意味」
おまえのその願いが、叶うように祈れ。
でも俺は、もうおまえという人間を、食べたくないんだよ。
考えるだけで、吐き気がするんだ。

でも俺もおまえも、延々と生まれ変わり、人間に食べられるために殺され続ける。
人間が肉食という共喰いをやめる日まで。















わたしはあなたの御飯じゃない。

2018-04-25 21:41:08 | 日記
よく若くない女性を、"賞味期限切れ"と表現する人を見掛けるが、考えれば考えるほど、嫌な気持ちになる。
女性とはその人にとって、食べ物や飲み物であるのだろうか。
その人は自分の母親も、年を取ると賞味期限切れと感じるのだろうか。
その人は、人肉食者であるのだろうか。
佐川一政さんが言うのなら、良いが、人肉食者でない人間が、女性を賞味期限切れと呼ぶのは本当に厭な気持ちになる。
その人は女性を食べるために殺し、解体してその肉を喰らうのであらうか。
多分違うだろう。でも妄想の中では遣っている可能性はある。
何にしても、厭な気持ちになる。
でもその人は、そんなことを考えずに発言しているのかも知れない。
しかし賞味期限という言葉は、食べ物や飲み物に対して、それが美味しく食べられる期限という意味の言葉である。
その人は女性の死体を、食べたことがあるのだろうか。
もしくは女性の死体を、食べたいと想っているのだろうか。
その人にとって、わたしは家畜としか観てもらえていないのだろうか。
わたしはあなたの御飯じゃない。
そう、わたしは貴様に謂いたい。
胃痛い。貴様のアホで下らないコメントのことを考えると。
死ねや。とは謂わないが、肉を喰らうな。殺されたくないのなら。
しかし肉を喰らうのなら、貴様は殺されるだろう。
それは貴様が喰うてきたのは、家畜として生まれてきた人間であるからだ。
"わたしはあなたの御飯じゃない"
その言葉は、貴様の来世の言葉である。
貴様は来世、家畜として生まれて来、俺に生きたまま解体され、殺されて食べる運命であるならば、その時に、俺は確かに貴様の俺に言った言葉を、貴様に返してやろう。
この肉は、既に腐敗している。
"賞味期限切れ"であるから、俺は食べたくない。
それにこれは、人間ではないか。
豚という人間の死体を、食べて死んだ人間だ。
人間が人間を殺し、食べ続けている世界であるため、女性を賞味期限切れだと表現する輩がいるんだよ。
動物の世界では女性も男性も、子供も老人も、殺されたその死体を賞味期限切れだと棄てられている世界だということが、貴様にはわからないか。
貴様は必ず、いつの日か賞味期限切れだと言われ、廃棄されるだろう。
それが貴様の俺に言った言葉に対する責任というものだからだ。
でも俺は、貴様(人間である家畜)を食べ物として見ることをやめ、貴様を殺し続けることをやめたんだ。
貴様はいつまで人間を食べ物として見続けるのか。
俺がこれを書いている間にも、家畜という人間が食べ物として殺され続けている。
貴様の未来が、今、在る。
でもほとんどの人がまだ、人間を食べている。
人間の死体を、みんな食べ続け、美味しいと微笑み合っている。
貴様は眠気眼で人間の死体を食べている。
死体ばっかり喰うて、皆、脳内にウジ虫が湧いている。
貴様の遣っていることは悪魔崇拝の宗教だってこと、ええ加減気付きさらせ。
貴様の腹ン中、死体が腐乱している。
貴様は俺にとって賞味期限切れどころか、腐乱死体だよ。
ええ加減、気付きさらせ。
人間を食べ続ける肉食者たち。















アレクミナシアン

2018-04-25 02:03:33 | 
アレクミナシアン。荒れ苦皆死安。
観な、荒れた苦しみを。
みなが、手のつけようもない苦しみに死を求め、死に安息を信じている。
たれが言ったんだ。
死ねば無になるなどという大嘘を。
たれがそんなことわかるんだ。
死が安息だということが。
もう一度言う。
アレクミナシアン。
荒れた苦に、皆が死に安息を求む世界。
それがこの世界。
死は、此方側なんだよ。
死を求めていることが、死の側。
死後に生を信ずるなら、生の側。
生を求めない者が死んで、何を悲しむのだろう。
死が終わらないとは、生も終わらないということなんだよ。
生が終わるということは、死も終わるんだよ。
皆が死に安息を信じるために、世界は荒れ苦。
いい加減気づけ。糞野郎共。
安死皆、苦在れ。
安息の死。皆、苦、在れ!
そうしてこの世は、畜産業の大量生産と、捕鯨と、魚介類の乱獲によって絶滅した。
一つの文明の、終りを、神は名付けた。
アレクミナシアン。
アレクミナシアン。
アレクミナシアン!















循環を想え。

2018-04-22 07:24:51 | 随筆(小説)
仄かに、下水の匂いが涼しげな風と共に、部屋の中へ漂ってくる。
子供の頃、キャンプ場のぼっとん便所で嗅いだ強烈な匂いを想いだす。
誰か、腐っているのだろうかと想うが、腐っている場合、なんで周りの人間はほったらかしなんですかと想うから、多分、下水の匂いなのかもしれぬ。
下水が何処かから、溢れているのかもしれぬ。
公衆の、ぼっとん便所とは、なんであんな臭いのかというと、それは人々の各々の排泄物が、深い穴の底に、積もり積もって、回収業者が遣ってくるまでそれがそのまま放置され、堪え難い悪臭を放ち続け、不衛生極まりない状態と成っているからと考えて良いだろう。
考えたら、本当に、この上なく穢い場所である。
誰もがそこへ入ると、一刻も此処を、早く出たい。という心情を、心の底から叫びながら、用を足すという解放感に包まれる。
涙ぐましい人間の苦痛と救済の連続の劇が、その小さな空間の中に、起こり続けるわけである。
此処で、排出するまでは、各々のはらわたの内に在ったものが、一つの筒のなかを落下し、底でまるで魂の同志たちが、感動の再会を歓喜し合い、何れ程臭くとも、小さな文句、一つ想いもつかないほどに、恍惚として、一つの大きな排泄物という存在へと、還るのである。
此は、正に、究極のカオスの、具現化と言えよう。
目には見えぬカオスが、目の前に顕現することが、この、没董便処という空間内部に今も、起きていると考え、余は、震える想いで、今、此を、蓐の上にて書いている。
っていうことはあ、此処があ、実は没董便処の底であったという現実に気づいた余の鼻に、最早悪臭、感ぜず。
夜明は、近し。
そう叫びながら、余は速やかに、回収されたのであった。
そして現在、余が何処に居るかというと、余は、まず下水路に流され、物凄い量の水とまた一つと成った。
そして浄水場にて、薬品の馨る水とも一つと成り、川に流れて行き、川となり、海に流れて行き、海となったのであるけれども、当然、余は川に流れて行き、浄水場へと流され、蛇口から、余は迸る。
余は、またも、人間の体内に入り、人間の身体に吸収される。
そして、余は今此を、蓐の上にて、書いている。
余は、此から何処へ行くかというと、勿論、余が辿ってきた道を流れて、カオスへと還るわけだが、余は、そう成るには、余は、誰かの体内に入り、消化され、排泄物と成る必要がどうしてもあるのであり、だから余は、誰の体内にこれから入るのか、と考えると、苦痛と救済の連続の解放を感じながら、一体、誰を、余は排泄するのか。
排泄した余の排泄物は、余を無垢な目で見上げ、こう言った。
「それはね、おまえちゃん、だ、よ。」


















半身の星

2018-04-20 23:19:03 | 随筆(小説)
目を閉じた、目蓋の裏の闇のなかに、二つのimageが重なり、一つの像を結んだ。
前にわたしは、列車に自ら飛び込み、線路際に横たわった上半身だけの男が、気絶から目を醒まし、必死に起き上がろうとするも力尽き、息絶える映像を観たことがある。
それは信じられないほどに悲惨な光景で、観るに堪えないものであったが、わたしはそこに人間の生きようとする底力を、感動せずにはおれなかった。
彼の切断された痛ましいその断面からは、内臓がはみ出し、腸(はらわた)が悲しくも地面に蚯蚓か蛇のように伸びていた。
彼は両肘を着いてずるずると、上へ少し移動しながら起き上がろうとするも、地面に腸がへばりついていた為、彼はほんの少し身を起こすことも、できずに死んだのである。
わたしは腹から腸を垂らし、胸の前にしっかと手を組んで、御祈りしている中空に浮かび上がった彼の像と、中空に浮かび上がった一つの根を垂らし自転する不思議な像とが一つとなるimageを、確かに現(うつつ)に近い次元空間のなかに観たのである。
彼はほんとうに酷(むご)い死に様であった為、神は彼の最期の様子と形象を一つの星として造形し、彼の傷みを慰めようとしたのではないか。
彼はきっと今でもなお、祈り続けているに違いない。
一つの器官を垂らし、目を幼なごのように瞑ってくるくると静かに何もない空間を自転しながら。














列車を待つ。

2018-04-20 19:37:17 | 
睡眠薬一瓶を、70℃のアブサンで飲み干し、線路上にて、転た寝をする。
時間は宵も過ぎた、七時半過ぎ。
虫の音は、天のみ遣いたちの子守唄。
草の先は、わたしの頬を母のように懇ろに撫で、肌寒い風は火照った躰を冷ます。
想い遺すことのないこの世は、なんと清々しい。
もうすぐわたしを迎えに来てくれる列車には、懐かしい愛する人たちが乗っている。
わたしもその列車に、やっと乗れるときが来た。
列車はわたしに到着するために、迎えに遣って来る。
眠るわたしを、父と母は、どうじに起こす。
列車はわたしに停まると、もう何処へも行かない。
終着し、共に列車のなかに、身を横たえる。
わたしたちは、ひとつの列車であったことを想いだし、やっと、本当の安らぎのなか、鼓動を忘れ、深い深い眠りに就く。
引き裂かれ、跡形もなくした古い乗り物からわたしは降りて無垢となり、ひとつの列車を今夜も、線路上にて待つ。













 

死ぬほどの愛

2018-04-19 21:52:31 | 随筆(小説)
人は生きてゆく意味を見失えば、生きてゆくことに堪えることができなくなり自ら死んでしまうのだろうか。と考えていました。

自分の場合は父が死んだ晩に本気で父のあとを追って、父のそばへ行きたいと願い、飛び降りて死のうと想ったのですが、遺す姉兄のことを考えると死ねませんでした。
死んだ方がよっぽど楽だと、あのときほど想ったことはありません。

でも死ぬ人はあの時点で本当に死んでしまうのだろうと想うと、後悔しないはずはないと想います。

だから自ら死を選ぶというのは今以上の苦しみの底に向かおうとする自罰行為であると想っています。

でも何故か人は、死ねば救われるという幻想を見て、夢遊病者のように死へと向かいます。

遺された者は、ずっとずっと自分を責め続けて生きなければなりません。

究極の利己的な行為をする人間が、なぜ救いの幻想を見て死ぬのかと考えていました。

わたしもあの晩は、死ねば本当に父に会えるような気さえしました。
わたしが存在するべき場所はここではなく、向こうであると本気で信じられました。

だから死ぬ人は生きる意味は失っても、死ぬ希望に溢れていて、まるで生きている以上にめらめらと燃え盛る炎のようにここでないどこかで生きる希望に支配され、とり憑かれるようにしてあちらへ逝ってしまうように感じるのです。

そしてあの世で、のたうち続けて後悔し続けると想っています。

生きることに喜びはとても深まってきています。
でもわたしの生きる意味は、父の死んだ夜に、完全に喪いました。
生きる意味がなくとも、人は苦しみに耐えられることさえできるならば生きて行けると想っています。

芥川龍之介のぼんやりとした不安は、死の原因ではなく、耐えられない苦痛の先に見たものがぼんやりとした不安であったに過ぎないと想っています。
人はぼんやりとした不安だけで死ぬことができないほど生きることに執着しています。

生きる意味は、生きる上で必要でもないし、見つけようとする必要も実はないのだとわたしは想っています。
それは本当にわたしが生きる意味を亡くしてもこうして生きる喜びを感じて生きられているからです。

わたしは本当に自分を亡霊のように感じて生きている為、死を恐怖することはありませんし、わたしがここからさらに死ぬというのは、生きるよりずっと難しく、難しいと感じるほど死に魅せられます。

生きることよりずっと、死に魅せられ続けて生きてきました。

これは「死」への幻想が、わたしを確かに生かし続けていると想えます。

でもこの感覚は珍しいものだとは想いません。

死は、こちらから向かうものではなく、あちらから迎えにくるのです。

だから自分から向かおうとするなら、死とは違う場所にいくことは確信しています。

死は、そうは簡単に手には入りません。
簡単に手にはいるなら、これほど、狂おしいほど幻想をいだき、恋い焦がれたりしないのです。

死は、わたしの幻想のすべてであり、恋い焦がれるすべてです。

本当に、死ぬほど愛しているのです。

生より死を。

















予期

2018-04-19 18:19:30 | 

あんまりにも、度が過ぎてしまったからではないだろうか。

人類が、一瞬のうちに滅ぼされてしまったのである。

脳裡によぎる、「不条理」という想いが、一層虚しく、塵も遺らぬ面上を、まるで呆けた笑みを含み、落下も上昇もできぬ一本の細い線路の上をあるいてゆかなければならない。

なにかにおびえ、にげようとする必要も、遺されない。

ここには”運命”が、うしなわれている。

だからもうきっと、ここに居ても良いと言ってくれる人ひとり、であえるようには、想えぬ様に、ここはなんて、展(ひろ)いのだろう。

なにもかも、愛することが、こんなにさびしいのか。

とっくの昔(まえ)に、おなじことがあっただろうか。

人類は、予期していたが、ふせぐすべをえらび損ねた。

あれはいったい、なんだろう?

遠くから、近づいてくるようだ。

全速力で。ここに向って。

あれは、”救済”か。

それとも、”列車”という名の、”羽ばたき”か。

死は人類を、予期していたのだろうか。

今となっては、だれも、なにも、聴こえぬ。

ただ一厘の咲かぬ蕾が、線路の上に、ひっそりと眠っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


Masterroom

2018-04-18 19:48:16 | 

Masterの部屋に、引っ越そうかな。
薔薇色の花壇には、ヤシの木が生えている。
青空のドアを開けて、単眼の双眼鏡で覗く。
キッチンの窓辺には多肉植物たちが、一斉にわたしを振り向く。
山吹色のタイル壁に囲まれ、逆再生の憂鬱を食べる。
リビングには壁いっぱいの、巨大なスケルトンの深海魚。
骨に掛かった薄紫と薄翠のレースカーテンがゆれている。
引越しのさいに穴の空いた靴先から、顔を出した球根は、
溜め息をつきながら今夜も月に求婚している。
Masterの靴下たちは朝からミュージカルの練習。
バスルームを灰色にして下着は湯船を占領している。
歯磨き粉を踏みつけ、虹が噴射する瞬間ウォシュレットが作動、
虹色の雨にオリーブ色のカーペットは歓喜し、神々を讚美する。
歌を歌う。白いフローリングの鍵盤をランプが照らし、
影は黒の鍵盤を器用に作り上げ、言葉の音階を奏でる。
本たちは鳥たちのように羽ばたき窓の外へ飛んでゆく。
蝋燭の灯に、太陽が嫉妬する夢を、闇夜はまた見た。
今夜はよく眠れそう。時間がなくならないうちに、目を醒ます。
ベッドルームは黒い森。物音させないで、入ってくる。息を潜めている。
天井からぽたり、エイリアンの糸を引いた涎。聴かれずに済んだ叫び。
Masterの手が、わたしの痩せた胸に伸びる。
肉の洞窟から顔を覗かせる、知らない過去。
自戒を誓い合った壊滅してゆく海の底の森。
球体の夫婦はもう一度、神殿の地下で結婚する。
もう二度と、離れない為、終熄へ向かう。
Masterの手が、わたしの内部をゆっくり、侵食してゆく。









Young Magic - "Valhalla (Reprise)" X Vinyl Williams (official video)