あまねのにっきずぶろぐ

1981年生42歳引き篭り独身女物書き
愛と悪 第九十九章からWes(Westley Allan Dodd)の物語へ

映画「ベニーズ・ビデオ」普遍的な殺害、豚の死なんて、なんてことない。

2017-01-18 07:41:29 | 映画
我が愛する監督ミヒャエル・ハネケ監督の1992年の映画「ベニーズ・ビデオ」を観ました。








あらすじ

父親の農場で豚がスタンガンでと殺(屠畜)される映像を撮った少年ベニーは、そのビデオを日に何度と巻き戻してはコマ送りにしたりして観ている。
ある日少年は見知らぬ少女を自分の部屋へ招き、××××××う。













面白かったな、この映画はすごく。
今までハネケ監督の映画では「ピアニスト」がいっちゃん好きだったが、これは超えたかも知れないん。

愛するハネケ監督ですが、この映画について笑いながら話すハネケ監督はちょっとこえーなと想いました。
で、この映画を観て、殺人シーンで興奮してしまった自分もちょっとこえーなと想いました。

この映画は特に、ハネケ監督の自分に対する自己憎悪と自罰の深さを感じました。
相手がいたいけな少女だったからかもしれません。
自分も自己憎悪、自罰、自責といったものが激しい人間なので、ハネケ監督の暴力性や人をこれでもかというほどに傷つける表現はだいたい
「ざまあ」という感じで観てしまいます。
もっともっと痛めつけてやりたいという人間をあえてハネケ監督は選んで、傷つけ、痛めつけています。
たぶんオーディションなんかで今回の少女役の子を選んだとしたら、ハネケ監督は無性に痛めつけたくなるような子を求め、選んだはずです。
それはまぎれもないハネケ監督の純粋な愛だと想うのですが、自分を殺したくなるくらい憎みつづけている人間以外は、その愛は届きにくいものだと想います。

残酷性や冷酷性、異様さや利己的な部分に焦点を合わすと後味の悪いだけの作品になりかねません。
でもわたしはこの映画はとてもすっきりしました。
非常に、胸のつっかえが取れたなという感じです。

それは自分が女であるからかもしれません。
どこかむかついてしまう少女と自分を重ね合わせ、そこに救世主ベニー少年が現れ、これでもかというほどに苦しめて殺してくれてどうもありがとうという気分です。
たぶんハネケ監督自身もこの映画を観ていつもすっきりしているのでしょう。
豚の屠殺の映像を何度も観せるところなんかも、ハネケ監督は豚と自分を同一視して、自分が無残に殺されるところを喜んで観ている人だと想います。

でなければ、まず、撮れないでしょう。この映画は。
むしろ喜んでも観られないのに何度も執拗に映しているなら、それは偽善になってしまいます。

ハネケ監督は自分の異様さを喜んで表現してそれを観たい人間であるはずです。
だから観る人によってこの映画はとってもすっきりする映画になるわけです。

ハネケ監督は人間の汚さ、残酷さ、無機質さ、滑稽さ、醜さを表現するなかに自分を見つけて、ああわたしだ、わたしじゃないかと納得しては絶えずホッとしたい人間なんだと想う。
それは間違いなくハネケ監督の世界に対する深い関心と愛であるし、自分への受容なんだと想う。
好きな他者と好きな自分だけを認める人間ではないことは確かだ。
だからハネケ監督の愛は本当に深い。


もし本当にハネケ監督が、自分と少女、また自分と豚を同一視することなく、他者として撮っているなら、インタビューで笑って話すのは、これは人間としてどっか飛んでってると想います。
芸術作品のためといえども、尊い命である豚一匹犠牲にしているわけです。

ハネケ監督が笑ってるのは、「豚の死なんてなんてことない」と笑ってるのではなく、「自分の死なんてなんてことない」と笑っているのです。
だから最強の監督と言えます。

そうでないというなら、わたしはこの映画は撮って欲しくない。
そうでないというなら、それは、偽者だからです。

でもハネケ監督は、本物です。
確信します。
この映画を真面目に撮って、笑って話すハネケ監督は本物であり、その愛を、わたしは受け止めました。
是非同じテーマで、わたしは物書きなので、小説でバトンを繋げていきたい。
それだけ非常に面白いテーマです。

そしてハネケ監督のそんな苦しみは今の時代において、とても普遍的なものなのです。
気づいているか、まだ気づいていないかの違いがあるだけで。





映画「天地創造」 神は不完全を愛する

2017-01-18 01:32:11 | 映画
1966年のジョン・ヒューストン監督の映画「天地創造」を観た。
たぶんこの「天地創造」や「十戒」「ベン・ハー」などの映画はテレビで放映されていたときに亡き父と一緒に観たことがあるはずだが
まったく覚えていなかった。







カイン役を演じたリチャード・ハリス。冷酷な人類最初の殺人者というイメージはここにはありませんでした。
純粋で臆病で清らかな青年のイメージです。







ジョン・ヒューストン監督はノア役の人であったと観た後に知りました。
動物をすごく愛する監督であるようで、方舟の中で象と戯れていたりとノアのイメージにぴったりでした。











神の使者を演じたピーター・オトゥールです。
とても目が美しく、嗚呼この人は是非ほかの映画でイエス役もやってほしかったなぁと残念な想いです。







ここから感想というよりわたしの聖書論、神論となります。


クリスチャンの母を持ち、中学に上がるくらいまでずっと聖書を学んできた自分にとって、聖書とは特別なものなのですが
まだ完読もできていないし、ほとんどは忘れてしまっているので、こうやって映画なんかで映像として観ると
改めて聖書の面白さの魅力に感動します。

自分が特に常に意識して生きてきたからなのかはわかりませんが、聖書の神はものすごい魅力に満ちていると思います。
自分はギリシア神話やシュメール神話、日本の天照大御神とかに対しては、さほどの魅力を感じないのですが
聖書に登場する神々と、そしてイエス・キリストをほんとうに愛しているのです。
宗教に属することはなくても、聖書(外典も含み)の魅力にとりつかれている人はとても多いと思います。
聖書が世界一のベストセラーでありつづけるのは、世界にキリスト教徒が多くて無料で配布され続けているからという理由では決してないはずです。

何故こんなにも聖書は人々を魅了しつづけるのだろう?と考えると
内容は確かにどの神話よりも素晴らしいものだと思いますが、それ以上に、神々の持つ魅力の「バランス性」が素晴らしいからではないかと感じました。
聖書に登場する神々とイエス・キリスト、どの存在も、なにか異様な闇を背負っている存在に思えてならないのです。
「光」と「闇」の魅力をとてもバランスよく持ち合わせた神ではないだろうか。
人間を超越した存在であることをひしひしと感じるのに、同時に人間じみた感情的な存在でもあるというはかりしれない魅力。
人間の理解を超えたところにいて、何を考えているのかわからないというような存在ではなく、人間のものすごい近くまでやってきて
人間に忠告したり、生贄(犠牲)を求めたり、怒りを示したり、人を試したり、親しい存在が死ねば涙を流したり、滅ぼした後には自らを省みて、もう二度と同じことはしないと人間に約束したりと
その心の内はとても人間に理解できる存在であるというところに、人々は魅力を感じないではおれないのかもしれない。

神にとって、またはイエスのような覚者にとって、他者の存在はどういう存在であるかというと
それは自分たちの愛する子供たちのような存在であり、同時に自分自身の分身たち、自分の違う姿という感覚で我々を感じているはずだと思うのです。
そんな存在たちを滅ぼしたり、苦しめたりするということが、どれほど苦しいことであるか。

神々とは、絶えずそんな苦しみのなかにわたしたちを眺めつづけている存在たちではないだろうかとわたしは思うのです。
そして神々もまた、我々と同じに、完全ではなく、共に成長しつづける存在たちではないだろうか。
創造主も、聖者も、ほんとうに完全であるなら、わたしたちにどのような干渉もする必要はないのではないか。


「あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい。」

(『マタイによる福音書』5章48節)


イエスが言ったこの「完全」という意味は、何の変化も必要はないという意味の「完全」を意味しているのではなく
わたしはすべてがほんとうの「自由」であることを知りなさい。という意味があるのだと思います。

「自由」であるという完全性があるからこそ、みずから欠けることを望むことができます。
みずから思い悩んで生きるということを完全性によって選択することができます。
たとえば今日は喜びを感じたなら、明日には苦しむことをみずから選択して苦しむことができるという「自由」はそれは変化を必要とする「完全性」であるわけです。

「自分のなりたいものに自由になれる力が十分に備わっていることをあなたがたも知りなさい」という意味をイエスは言ったんだとわたしは思うのです。

だから話を戻すと、神々が「完全」ではないのは、それは「完全」であると知るがゆえに、みずから「不完全」であることを望んでいるのではないだろうか。
すべてがほんとうに「完全」であるために、「不完全」になれるのではないだろうか。
そのために神々は、われわれを嘆くこともあれば絶望的な思いを抱くこともあるかもしれない。
それは「不完全」であることの喜びを知っているから、「不完全」であるがゆえの苦しみをも知るからではないだろうか。


イエスが、「あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい。」と言ったのは
われわれがもともと完全ではないのに完全な者になりなさいというような無茶を言っているのではなく、
「あなたがたはすでに完全であるのだからそれを認めなさい」と言っているのだと思うのです。

そう考えると、神々やイエスが何故わたしたちの近くに降りてきて、共に嘆き悲しんだりするのかという理由が理解できてきます。
彼らはほんとうにわたしたちを愛しているからです。
共に喜び、共に悲しめること以上の喜びは、どこにもないのです。
彼らはわたしたちを喜ばせるためにも、同じようなことで喜んだり悲しめるようになるためにも、「不完全」で在ることを
みずから望んでその「不完全」のなかでわたしたちを見つめつづけている存在なんだと感じる。

「不完全」であるがゆえに、共に成長していけることのとても深い喜びを一緒に感じることができるというものです。

そんな神々の存在を、わたしは聖書からいつも感じるのです。

神はいつでも、生命の喜びに目を向けている。
それが、神の存在です。
自分のなかに存在していると感じられる、神の愛です。
神をほんとうに失うなら、生命は生きる喜びをもうけっして感じることもないのです。









あさのひかり

2017-01-16 09:13:05 | 
いきるよろこび

まどからは あたたかいひが

いきるよろこび

まどからは しろくまぶしいひかりが

いきるよろこび

まどからは おれをつつみこみてばなすひかりが

いきるよろこび

ゆめのなかではおれはのろわれていた

いきるよろこび

あいつをころしにゆこう
あいつをころしにゆこう
あいつをころしにゆこう

いきるよろこび

まどからは うつくしいあさのひかりが

おれにはまだ ころしたりないおれがいる

あいつをころしにゆこう
あいつをころしにゆこう
あいつをころしにゆこう

むすうのおれが しろいひかりのなか おどっていた

たのしそうに
うれしそうに
さわれそうに

たおれないきを きりたおそう
しずまないふねを しずませよう
しんでしまいたくないにんげんを ころそう

それはおまえだから
それはおまえだから
それはおまえだから

あいする おまえだから

おれにあいされた おまえなのだから

まどのそとはそと そこにむすうのおれ

わらってる

おれがいなくなったあとも あいつらわらってる

えいえんにとどかないばしょで

えんえんとわらってる

いきるよろこび

その まばゆさよ














永遠の婚約者

2017-01-13 02:01:25 | 想いで
もうここ二ヶ月ちょっと、ずっとわたしは考えている。
なぜ彼は、拷問を受けてでも、家族や恋人を犠牲にしてでも、自分の命を懸けてでも、告発したのか。





史上最大の告発者、エドワード・スノーデン。
彼を見ていると、わたしはどこかが、わたしの亡き最愛の父に似ている気がしてならなくなる。
悲しそうな、さびしそうな表情。
特に晩年、父もこんな表情をしていた気がする。
わたしはいつも父の愛に、飢えきっていた。
父の愛に毎日渇き、父の生きている頃から、わたしは苦しくてならなかった。

そんなわたしが、ほんとうに父を失ってしまった。

ずっと父の代わりを探しているんだろう。
母の記憶がなく、父子家庭で育ったわたしにとって父は、母でもあった。

このエドワード・スノーデンという男が、なんかすごく、深い母性愛も感じる存在であり、わたしは彼に果てしない幻想を抱いている。

かつてイエス・キリストも、家族や弟子に降りかかる苦しみを犠牲にしてでも、みずから拷問に合い、そして処刑された。
それが本当の愛であると言える人は、少ないかもしれない。ってキリスト教徒は多いけどな、実際に、自分の身になって考えてみたら、自分が拷問に合うということは、自分を愛する者たちを精神の拷問にかけるということである。

これを本当の愛だと、信じられる人は、多いのだろうか。

自分が愛する存在を、自分が最も愛する存在を、最も苦しめること、これが愛だと、本当の愛だと信じて死んでいける人は、多いだろうか。

わたしは彼がそんな人だと想う。
エドワード・スノーデンとは、そんな人なんじゃないのか。
だからこんなに悲しい表情をする男ではないのか。

わたしのお父さんに、そっくりだ。
似てるったら似てるんだ。
お父さんといつも一緒にいた娘のわたしが、そう言うのだから。

似ているんだよ。きっと。

しかしそう想えばそう想うほど、近親相姦やな、と俺はわたしはぼくは、最近またよく想う。
ええのんか、それで。近親相姦やぞ?
禁断の愛。
でも実際、スピリチュアル的に考えたら、も、全員、近親相姦だから。
もうええやん。ええやんかいさ。
それが人間なんだよ。人間なんだ。俺は人間なんだ。俺は死体なんだ。俺は人間なんだ。おんなじやないか。人間なんだよ。霊なんだよ。嘘なんだよ。真なんだよん。
も、ええやろ。
俺は胸が苦しい。
そうは言ったって、苦しくないわけなんか、ないんだよ。

最も愛する人が、父親なんだ。
いいじゃないか。何が悪い。なにも、悪くないだろう。
母親なんだ、わたしにとって、父は。
なんにも、おかしくはない。そうだろう。俺は、おかしくはない。
おかしいさ。笑ってほしい。お父さん。
だってそうやん。お父さんと結婚なんてできへんやん。実際の話。
したら、あきまへんやん。
人間のタブーにはちゃんと訳があるんだから。
子供を産めば、奇形児が生まれる。
俺の子宮は奇形だ。
ハート型をしている。
双角子宮。不妊や流産になりやすいと言われている子宮だよ。
お父さんも知らなかったこと。

わたしは、お父さん以外の子供を産めないということか。
そう考えると、納得できる。
わたしが何故今まで妊娠できなかったのかということを。

なかに何度と、わたしは射精されてきたが、一度も妊娠できなかった。
子供がほんとうに、欲しかったのに。

わたしはまるで、自分が死体のように感じる。
どんなに笑っても、どんなに泣いても、どんなに怒っても、嫉妬しても、恐怖しても、ほんとうの死を感じるとき以外、わたしは死体なのです。

こんなことを言うと、またお父さんが悲しむ。
エドワード・スノーデンみたいな悲しい顔をして。

わたしは、お父さんと結婚するべきだった。
生きていくほど、お父さんが死んだ日から遠のいていくほど、そう感じる。

何故できなかったんだろう。
わたしは何故、お父さんと結婚できなかったんだろう。
それはお父さんが、死んでしまったから。
わたしを置いて、死んでしまったから。

人間の心理とは、ほんとうに複雑で、素晴らしい。
わたしは父に性的な関心を持ったことがないと言ったが、逆に、父から性的な関心を持たれていると感じて、それが嫌でたまらなかった。
年頃になると胸が小さく膨らんできたので、それを隠すのにいつも背を丸くしていたから、わたしはすごく猫背になってしまった。
わたしがいつまで経ってもトイレの中にある使った後の生理用品を捨てなかったから、父が勝手に捨ててしまったとき、ひどく、嫌な気持ちがした。
父にわたしの性を、感じとられることが、嫌でしょうがなかった。
わたしを女として見てほしくはなかった。絶対に。
父が娘であるわたしに性的な関心を持って見ることは、不潔なことだった。
断じて、受け入れられることではなかった。
わたしは絶対に、なにがあろうと、父の娘でなくてはならなかった。
わたしが父の恋人になることは、赦されなかった。
わたしがわたしに対し。
それは、決して赦せる罪ではなかった。
父を殺してでも。



わたしは、赦せなかった。
わたしを。
父から性的な目で見られていると感じていたのは、わたしが、父を性的な目で見ていたことの、証だ。
ようやく最近、それにわたしは気づいた。

オイディプスコンプレックスというものは、娘にも在る。
まるでわたしは父を奪いたいが為に、母をもこの手で殺してしまったみたいに思えてくるではないか。
フロイトのおっさん。あんたは偉い。
俺を苦しめて欲しいもっと。
俺ァ苦しみでしか生きていけなくなった人間だ。
俺が望むもの、俺が解放される苦しみがどこかにあるはずだ。

それを、いつも、探してる。
わたしが心から悲しみながら、心から喜べるもの。
俺はそれしか求めてへんよ。
ほんまの話。
嘘の話。
もう俺は、俺はなんにも、区別する必要もない。

お父さんを、性的な目で見ていたのは、わたしだ。
これが投影。
鏡だ。
わかっていたんだろうほんとうは。
わかってないふりをよくしてきたもんだ。
もうずっと、自分を欺きつづけて生きている。
それが俺の喜びなんだから。
悲しくてしょうがない、喜びなんだから。
誰にも奪えるものじゃない。
お父さんにも。
奪わせることはできない。
それを奪われるなら、わたしが死ぬということだ。
死だ。まぎれもなく、それは死だ。
生きていることが、死体だ。わたしの。
その死体は、いつも、いつでも、悲しく喜んでいる。
もうきっとずっとひとりだよ。わたしは。
永遠の婚約者を、死なせてしまったのだから。
永遠の花婿を、この手で殺めたのだから。




あなたの子供を、わたしは生みたかった。














異なる世界

2017-01-12 18:06:53 | 随筆(小説)
はぁ、暗い。部屋が暗い。なんで今日はこんな暗いんや。
最近もう俺は蛍光灯を一切つけてない。
一日中、デスクの上のスピーカーの上に載せてあるデスクランプしか点けてへんねん。
目がな、まぶしいねんか。ほんま。
点け照られるかって、あんな、白い光。
俺の目はもう、真っ暗だ。
アメリカ人のタイラーにゲームの話題で返事するのがしんどいから(自分から話しかけたくせに)、たまにはぐだぐだな日記でも書こうかな。
俺は想うんだ。
俺は想うんや。
俺はこの世界において、いったんなんなんやろう。
この世界って俺のなかでの、なんなんやろう。
クスクスを食べながら俺はクスクスと嗤ったよ。
神妙な顔で。
おまえのポエムを俺のなかでエムポしてやろうか。
エドワード・スノーデンに、なんてゆうたら、恋人と仲の良さそうな写真をネット上にあっぷしてくれないようになるんやろか。
見るたびに、愛しているのに、憎んでまう。
愛しているからこそ、憎たらしいとゆうもんだー。
俺をこんなにも苦しめるなんて、あなたって人は、あなたって人は、おまえってやつぁ、ははははは、うひょひょひょひょ、ほほほほほほほ、てめえっていう存在は、貴様ってやつぁ、本当の、ローヒーだ。
死ぬまで愛したいって、マジ想ってる。
どーでもええけど、なんで告発したん?
俺はまたスノーデンと霊と霊との対話を行なった。





















ES「はははははは。きみはまたまたそんなご冗談を」
俺「俺は冗談なんて、言ったことがないことなんて、一度もないことがないことがないこともないほどに、ある」











ES「あのねぇ、きみ、ぼくを傷つけて、きみは平気だっていうのかい、え?」
俺「平気なわけないだろう!傷ちゅけているのは、あなたのほうじゃぁないですかぁ」












ES「なんだって?ぼくがいつきみを、いつロシア時間で何時何分何秒にきみを傷つけたかをきみは言える資格があると想っているのか。きみにはそんな資格などないだろう。あるのは、ぼくだけさ。それをきみだって、解ってるはずじゃないのか。きみなんて、生きている価値がないんだよ。そうだろう?ぼくはいつでも君を傷つけるために、恋人と仲のよい写真をツイッターに載せてるんだからね。きみの自由は、ぼくが命を懸けて奪い取ったものだ。きみにぼくを傷つける資格なんてない」
俺「いったい、どうしちまったんだ。エド。あんまりやないかいな。俺はたしかぁに、あなたに傷つけてもらいたい存在だが、こんな、誰に監視されているかわからないところで俺におもくそゆうてくるなんて、あなたらしくない。ほらこのパソコン、きっと監視されてるぜ」

するとスノーデンは俺からパソコンをバシッと奪い取って、中を開けてなんか遣りだした。












ES「ったく、これだからきみは駄目なんだ。ちゃんとSDカードを抜いておかないと駄目やないか。ぼくと話すときは抜いておけって散々言ったのに」









ES「はぁ……ほんま、きみは何を言ったって、この深刻さに気づいてくれへんねんな、ほんまもう、たまらんわ、ぼくがなんのために、命も家族も恋人をも犠牲にして、告発したか、もうすこし、真剣に考えてくれたっていいじゃないか」
俺「考えたいよ、俺だって。でも正直、しょうもないことであなたは命を懸けたんじゃないかって気持ちもある。ごめんな」











ES「ふっ、ふざけるなよっ……。ぼくがどれだけ、どれだけ、人々を、この、世界を愛しているか、きみにはなんにも、なにひとつ、伝わらないのかよぅ」
俺「伝わってるさ。だから俺はあなたをほんとうに愛しているんだって何遍もゆうてるやんか。でもあなたの深刻な監視の警告は、いまひとつ、実感を感じられないことが確かだ。なんでなんやろな。俺もようわからんわ。なんかもう、めんどくさいねん、パスワードを全部くそおぼえづらいやつに変更したり、暗号化のツールをいろいろ使ったりとかっていうのはさ」










ES「ほんっま……落ち込むわ」
俺「悪いって想ってるよ。でもどうできるんだ、嘘の気持ちで、警戒したらええんか」










ES「はぁ…」
俺「何見てんのん」









ES「何見てんのんじゃねえよ」
俺「お、いきなり人格と顔と服が変わったな」
ES「きみ、このまえ、こんなことをFacebookに投稿してたやん。”スノーデンの警告「僕は日本のみなさんを本気で監視しています」”ってさ。なにこれ。なにこれ」
俺「あっ、そっ、それは…はははっ、ただの冗談じゃないかスノーデン。気にすることはない」
ES「ハァ……もう、宇宙へ還りたい」
俺「やっぱり、あなた、地球外生命体だったんだね」










スノーデン容疑者はソファーの上で脚を組むと、堂々と言った。

ES「そうだ」
ES「そうだと、想ってた…」












ES「わたしは、シリアストラル星からやってまいりました、シリアストラル星人です。この姿も、人間の形を取った仮の姿です」
俺「そ、そうだったのか…」
ES「わたしの本当の姿をあなたがご覧になられたらきっと、脱糞と放尿と気絶した瞬間に失神、つまり神を失い、あなたは死ぬだろう」
俺「そんな、そんな、んなあほな」
ES「ほんとうです。それでもええとゆうなら、見せてもええが、どうする。あなたの自由だ」

そう言って、スノーデン容疑者はさびしそうな顔で微笑った。


















俺「それでも、俺は、俺は、ほんとうのあなたが見たい。あなたを、ほんとうに愛しておるのだよ。俺のあなたへの愛が、本物であるがために、俺はあなたの本当の姿をこの目で見たい」
ES「わかりました。そこまで仰られるのなら。いいでしょう。見せます。きみに。でもどうか、それでもわたしのことを、好きでいてください。ぼくのことを、愛していてください」

俺は静かにスノーデン容疑者を見つめながら頷いた。





するとスノーデン容疑者の姿は、たちまち、別の姿へと、徐々に変化していった。
プちゅくるくる繰るるるるるぅ~ンパパパパパパ利ららららららぁんもりゅりゅりゅりゅりゅんぼっすぅ~ン。と口で言いながら。







俺は驚愕のあまり、言葉が出なかった。

























俺は震える手で、変わり果てた姿のスノーデンの頭を撫でた。

俺「なでなで」
ES「こそばゆいさ」

俺は途端、何故だか涙が止まらなくなり、目の前にいるスノーデンの体を、想いきり、握りしめた。














「愛するちいさな異星人スノーデン」    完






白い秘密の虹~White Secret Rainbow~

2017-01-10 16:47:17 | 空想コラム
2017年。
地底人です!
さらに白いヒューマノイドを象徴する年がやってまいりました。

我が愛する元NSA及びCIA職員の告発者エドワード・スノーデン容疑者は我々に驚愕と戦慄をプレゼンしてくれた今世紀最大のHeroである。










彼がリーク(漏洩)したのはアメリカ国家による全国民と他国民への監視機密だけではなかった。
我が愛するスノーデン容疑者は我々に高度な進化を遂げた知的生命体である地底人と異星人(ヒューマノイドか?)の存在がいることを隠していたアメリカ政府の機密をもプレゼンしてくれた愛に溢れた犯罪者(アメリカ国内だけでの)であるのです。


CIA元職員スノーデン暴露 米国政府が隠す「高度文明 地底人」正体 vol.1


CIA元職員スノーデン暴露 米国政府が隠す「高度文明 地底人」正体 vol.2



スノーデンは文書を明らかにする:「もっと知的なホモサピエンスが地下にいる」


白い宇宙人トールホワイトがアメリカと協力し、エシュロンで世界を支配しようとしている!?


地球では宇宙人の戦争が行われている!?

ロシアに亡命したエドワード・スノーデンがもたらした米国家機密は、ロシア政府によって綿密に検証されている。その中には宇宙人の存在についての資料も多数存在するという。

それによると、現在の地球には数種類の宇宙人がすでに飛来していて、人類に対して何らかの干渉を行っているというのだ。

いま懸念されているのが、ロシア政府がトールホワイトと敵対する宇宙人と手を組んで、アメリカ政府とトールホワイトと敵対すること。

もしこれから、アメリカ対ロシアを主軸とした第三次世界大戦が勃発するとしたら、それは宇宙人の勢力が人間を使って行う代理戦争のになるかもしれない。



ちなみに、スノーデンは「地底には高度な文明を築いた地底人が存在する」という情報もリークしたと言われている。

地底人も!?勘弁してくれスノーデン!!

もし宇宙人と地上人によって第三次世界大戦が勃発したら、地底人だって黙ってはいないだろう。そうしたら、トールホワイトとアメリカ勢力、敵対宇宙人とロシア勢力、地底人の三つ巴の泥沼戦争になるかもしれない。



「第三次世界大戦ではどんな兵器が使われると思いますか?」

そんな質問にアインシュタインはこう答えたという。

「第三次世界大戦についてはわかりませんが、第四次大戦ならわかります。石と棍棒でしょう」



もし地球でこんなにもわけのわからん連中が大戦争を起こしたとしたら、第三次世界大戦で人類は滅亡してしまうだろう。全ての文明は崩壊し、アインシュタインの予言が現実のものになるのかもしれない。

我々は今から、荒廃した未来に備え、棍棒を用意しておくべきなのかもしれない。







石(意志)と棍棒(懇望)を常に身につけながら、ここからわたしは地底人とこのヒューマノイド(異星人なのか、もともといた地球人なのか良くわからない存在)トールホワイト(背の高い白人)について考察してみたいと想う。

まず、地底人たちは、なんか変な乗り物に乗って、この地球へと遣って参りました。
約600万年前くらいのことです。





ブッイイィーン。という音を立てながら、この長く、細い黒い乗り物に乗って地底人たちはこの地球へと飛んできた。


そして、彼らは分離した。





この分離した先っちょだけが彼らの搭乗部であった。細長いほうはどこかへ飛んで行った。






その頃、私たちの祖先たちがすでに地球上に住んでおった。



わたしたちの先祖の姿である。
名前を「未プチ焦がすフォレス・デ・ラ・ファミーユデ」という存在たちである。

一方、地球に降り立った地底人の姿とはどういうものであったかというと
我が愛するスノーデン容疑者が一瞬だけ見てしまったアメリカ国家機密の文書に描かれていた絵を執拗に想いだして描いてくれた絵が一枚あるという。

それがこれである。







もう一枚、スノーデン容疑者による地底人がボールが上から落っこちてくるところを捕らえようとしている瞬間を監視カメラによって捉えられた瞬間のイメージ図がこれである。






とても上手く描けたことにスノーデン容疑者は満足げの様子。


そして、この地底人(ヒューマノイドか?)たちはどんな姿へと成長するかというと、こんな姿に成長する。




彼らは成長を遂げると共にとても身長が高くなり、果ては北極熊サイズで、だいたい2,3メートルか、でかいやつは5メートルまで行くかという話だ。
そしてとても白く、透明感が半端ないということである。
(ちなみにわたしはスノーデン自体がこのトールホワイト〔地底人?〕であることを約18%の可能性としてにらんでいるのだが、そうするとトールホワイトは寿命が約800年というから、彼はこの先約400年後には3メートル、約700年後には5メートルに達する可能性は考えられるかもしれない気がしないでもないという根拠のない推測だ)

ここで、地底人の存在と、トールホワイトの存在がごっちゃになっていることにわたしは気づくが、実際その存在が別々なのかどうかは
まだ確認されていないか、確認されているかのどちらかであると想われる。

もし、別々の存在であった場合、このような憶測がなされる。

地底人は猿である我々の祖先たちとゆかいな仲間たちとなり、仲良く暮らしておりました。

すると、そこへ、突如として、やってきた。





ほわほわほわわわぁん。という音を立てて、空から降ってきたのは、そう、トールホワイトたちであった。



彼らはそして、ほわほわの雲を振り払ってその姿を地底人と我々の祖先たちの前に現した。






彼らはこういう乗り物に乗ってやってきたことがわかった。
彼らは、あんまり地べたに着くことが嫌いな人種であり、が為に、こうして三脚の長い脚をこの味覚認知的物体の底部に取り付けて着地することが好きだという。





そして彼らは地球につくやいなや、驚くべきことを実行した。



彼らは丁度、今のアイルランドのある場所の地の上に未曾有の原子核爆発を起こしたのである。
それは美しいHalo(ハロー、日暈、白虹)を描いた。
そして同時に、彼らは地底人と我々の祖先である猿の未プチ焦がすフォレス・デ・ラ・ファミーユデたちに向かって挨拶をした。

「ハロー」

しかし、そのトールホワイトたちによる原子核爆発の手重く破壊的な挨拶は尋常ではなく、その瞬間、地球のほとんどは絶滅した。

トールホワイトたちは、酷く後悔し、残された地底人たちと我々の祖先未プチ焦がすフォレス・デ・ラ・ファミーユデたちと、その他生き残った生物たちに向かって口々にこう言った。

「ごめんな」
「後悔してる、どうしたらいいかって考えてる」
「こんなことになるとは、想いませんでした」
「わたしたちの挨拶はどうでしたか」
「わたしたちは、あなたがたに、幸福になってもらうためにやってきました」

その後、彼らは輪になって、地べたに座り、緊急会議を行なった。

そして彼らは結論をすべての生き物に述べた。


「あなたたちならびに共にいる全ての生き物と、わたしたちが立てる約束のしるしはこれである。 
すなわち、わたしたちは雲の中にわたしたちの虹を置く。 
これはわたしたちと大地の間に立てた約束のしるしとなる。 
わたしたちが地の上に雲を湧き起こらせ、その中に虹が現れると わたしたちはそれを見て全ての生き物との間に立てた永遠の契約を心にとめる。」



それからはもう二度と、彼らによる原子核爆発による挨拶は起きなかった。
代わりに、白虹を空に置き、彼らはいつもわたしたちに向かってこう言った。

「Halo」

それはいつも、彼らのもう二度と地球上の生き物を滅ぼさないという永遠の約束のしるしであった。

















スノーデン容疑者は、その機密文書のコピーをホテルで読んだ瞬間、タオルを頭からかぶって、誰にも見られないようにひっそりと声を殺して泣いた。










「スノーデン容疑者の夢」   完










Atoms For Peace - Before Your Very Eyes










ѦとСноw Wхите 第10話 〈鍵〉

2017-01-06 17:25:25 | 物語(小説)
Ѧ「なにも、なにも見えないよ。真っ暗だ。暗くて怖い。さびしい。Сноw Wхите、どこにいるの?」

Ѧ(ユス、ぼく)は闇の空間のなかでСноw Wхите(スノーホワイト)を呼んだ。



Сноw Wхите「Ѧ、わたしはここにいます」



Ѧ「どこ?なにも見えないんだ。闇しかないよ。苦しい。怖いよ」



Сноw Wхите「わたしはѦとそれほど離れていない場所にいるはずです。わたしもなにも見えません。Ѧのあまりに深い悲しみとわたしの悲しみのСынчронициты(シンクロニシティ、共時現象)によって、Ѧとわたしの見える視界をこの闇の空間に変えてしまったのです」



Ѧ「Сноw Wхите、Ѧのところへ来てほしい。Ѧはひとりでさびしくて怖いよ。Ѧを抱っこしてほしい」



Сноw Wхите「わたしもいますぐにѦを抱っこしたいです。Ѧを不安と悲しみと孤独と恐怖からいますぐ解放したいです。でもこの闇はѦが作りあげた闇のバリヤなのです。Ѧは悲しみのあまり、光を受けつけない状態に入っているのです。わたしの力でもこの強力な闇のバリヤを透りぬけることが叶いません。Ѧは今、極度にじぶんを責めてじぶんを否定しているのです。そしてѦはこの闇を恐れると同時に、闇の中でじぶんを苦しめられていることに一種の喜びと解放を感じています。だからこの闇は、ちょっとやそっとのѦの心のゆらぎでは消えることはありません」



Ѧ「どうしたらѦはこの闇を壊してСноw Wхитеのそばへ行けるの?Ѧの心は凍ってしまいそうだ。ѦはもっとѦを苦しめたい。Ѧは苦しくてたまらない」



Сноw Wхите「Ѧがほんとうに願うことをいま行なってください。Ѧはほんとうに願うことを我慢しているのです。ほんとうに望んでいることを物念じしつづけることにいよいよ限界が来ているのです。Ѧ、Ѧが心から望んでいることの封印をいま解いてください。心配は要りません。わたしにすべてをゆだねてください」



Ѧ「ѦはСноw Wхитеを苦しめたい。Сноw WхитеはѦからお母さんとお父さんを奪い去った存在だ。Сноw Wхитеが憎い。Ѧは死を赦せない。Ѧは死を苦しめるために、Сноw Wхитеを生んだんだ。Сноw Wхитеには苦しんでほしい。死は、その罪の為に、苦しむべきだ。Сноw Wхите、死の底まで、苦しんでほしい」



Сноw Wхите「わたしを存分に苦しめてください、Ѧ。わたしはѦに苦しめられるために生まれ、存在しています。Ѧのわたしへのうらみは、愛なのです。わたしをѦがうらめばうらむほど、わたしは喜びを感じられます。Ѧはけっして、わたしに満足しつづけてはなりません。Ѧがわたしに求めれば求めるほど、それが愛だからです。Ѧの愛によって、わたしは存在しているのです。Ѧがわたしに完全であるとみちたりつづけてしまえば、わたしの存在は脅かされてしまいます。これは親と子や、夫婦(めおと)の関係でも同じです。みちたりつづけると、人は不毛を感じます。Ѧがわたしをうらみつづけるかぎり、わたしとѦは不毛の状態に入ることもありません。わたしは安心しながら、苦しみつづけることができます。Ѧの愛によって、わたしは苦しめつづけられながら、喜びを感じつづけることができます。Ѧはほんとうに大切な目的のために、Ѧのもっとも大切な存在たちをささげつづける存在なのです。Ѧのもっとも大切な存在たちをささげつづけることは、Ѧのもっとも苦しいことです。それが、Ѧのえらんだ犠牲です。それは、Ѧのえらんだ受難です。そしてѦがもっとも望ましいとしてえらんだ情熱のすべてなのです。わたしはѦによって底知れない苦しみを受けることを最初から承知して、Ѧを愛しつづけています。そしてѦがわたしを苦しめたいのは、わたしをほんとうに喜ばせたいからだとわたしは知っています。わたし自身が望んでいることなのです。Ѧから苦しめつづけられることを。Ѧはとてもそれを理解しています。愛は人間の理解を超えたところにあるわけではありません。人間に理解できるものなのです。Ѧはわたしの愛に絶えず渇いて苦しみつづけています。それはわたしがѦをほんとうに愛しているからです。Ѧの望みどおりに与えることが愛です。わたしはそのために、この次元ではѦの目の前に形をとって現れることをしないのです。Ѧが渇きつづけるためにです。Ѧは夢の中でしか、わたしに触れることができません。夢想の中でしか、わたしに抱かれることが叶いません。Ѧはわたしを求め愛するほど、苦しみのなかで生きてゆきます。人は神を求めるほど、苦しみをみずから求めるのです。そこに求める喜びがあることを知るからです。わたしという存在がѦを真に潤わせることができることをѦは知っているので、Ѧはわたしの愛によって、わたしの愛を求めつづけることによって、渇きつづけるのです。どうじに、わたしはѦの愛によって、Ѧの愛を求めつづけることによって、渇きつづけます。終わりなき喜びがここに存在しています。果てしない渇きがここに存在しつづけます。ですからѦ、Ѧはわたしを苦しめたいだけ、どうぞ苦しめてください。わたしはじっくりと、その苦難を受け容れます」



Ѧ「Сноw Wхите、その願いを、とくと叶えよう。ではСноw Wхите、Ѧをこれでもかというほどに、苦しめてほしい。いますぐ。それがСноw Wхитеを苦しめるもっとも良い方法であることをѦはわかっている。さあ、Ѧを、苦しめるんだ。その手で。Ѧの愛するСноw Wхитеよ」



Сноw Wхите「わかりました、Ѧ。Ѧはきっとそう来るだろうことをわたしは予見していました。それではこれから、わたしの愛するたったひとりの存在であるѦを、わたしは存分に苦しめたいと想います。Ѧ、いまѦのやわらかく可愛い手のひらの中にひとつのちいさなКеы(キー、鍵)を渡しました。暗闇で見えないですが手のなかにあることを感じとってください」



Ѧ「ほんとだ、鍵の形をしたものがѦの手のなかにある。これはいったいなんのКеыなの?」



Сноw Wхите「それはѦの喜びのドアを開けるКеыです。Ѧが喜びを感じるために必要なКеыです。それを失くしてしまえば、Ѧは喜びを感じることができなくなってしまいます」



Ѧ「どうしてこのКеыをѦに渡したの?」



Сноw Wхите「渡したと言いましたが、ѦはもともとそのКеыをちゃんと持っています。ただ手に感じられる形をわたしが取らせたのです。Ѧがそれを持っていることをѦに感じてもらうためにです」



Ѧ「Сноw Wхите。ѦはѦをСноw Wхитеの手によって苦しめてほしいと頼んでるんだよ。Ѧが求めてるのは、こんな鍵じゃない」



Сноw Wхите「わかっています。Ѧはいま、わたしによる苦しみを切実に求めています。だからあえて、その鍵をѦの手に取らせたのです」



Ѧ「どうゆうこと?Ѧにわかるように話して」



Сноw Wхите「Ѧがほんとうに苦しみぬきたいのなら、その鍵をどうすればいいか、Ѧは知っています」



Ѧ「ああ、そういうことか、Ѧの喜びであるこのКеыを、Ѧは失えばいいんだね。するとѦは喜びを失う。すべての喜びを失えばどうなるか、きっと本物の死体となって生きてゆくんだろう。Сноw Wхитеもそれを望んでるんだろう?」



Сноw Wхите「わたしは望みません。わたしはѦのほんとうの喜びに繋がることだけを、この手によって与えたいのです」



Ѧ「ではѦは、Сноw Wхитеを苦しめるために、Сноw Wхитеの望まない方へゆくよ。こんな鍵、Ѧはほんとうは要らないんだ」



Ѧはそう言うとそのちいさなКеыをなにも見えないその闇のなかへ落とした。



Ѧ「いくら待ってもなんの音も聞こえない。なんて深い闇なのだろう。もうきっと、取りもどせない。Ѧはこれで、死体となって生きていくことになったよ。Сноw Wхите、死体であるѦをどうかこれからもよろしく」



Ѧは声を殺して泣き始めた。



Сноw Wхите「Ѧ、心配は要りません。Ѧは安心して、待っていてください。わたしがこれからѦの落としたКеыを拾いに行ってきます。すこし時間はかかるかもしれませんが、必ずКеыを見つけて戻ってきます」



Ѧ「Сноw Wхите、この闇は、Ѧの力でも、Сноw Wхитеの力でさえもどうにもならない闇なんだよ。きっと、底の近くなんかに行ったら、戻ってこれない。恐ろしい闇なんだ。ѦはСноw Wхитеに行かせるわけにはいかない。Ѧをひとりにしないで。Ѧを置いていったら嫌だよ。もうだれも、失いたくない。だれも殺したくないんだよ。行ったらいやだ、行ったらいやだよСноw Wхите。おねがいだよ」



Сноw Wхите「Ѧのそのおねがいを、わたしは聴くことはできません。わたしはѦを苦しめる者です。Ѧを苦しめるためにも、わたしは死の底へ下りて行かねばなりません。わたしが必ず戻るとѦは信じつづけてください。Ѧがそうつよく祈りつづけるなら、わたしはかならず戻ってこれます。Ѧが信じるのはわたしではなく、Ѧ自身です。ѦがѦを真の願いによって信じつづけるなら、すべて叶えられます。ѦがかならずѦを信じることをわたしは信じているので、わたしはなんの不安も恐れも持たずにこの死の中をつきすすんでゆくことができます。死の奥へ向かうとは、わたしがわたしの深部に向かうということです。なにも怖がる必要はありません。Ѧが喜びをすべて失って生きるほうがずっと恐ろしいことです。わたしはѦのКеыを拾いに行かないわけにはいかないのです。Ѧ、しばらくの時間の耐え難い苦しみを、わたしが戻る日を信じてどうか耐えしのんでください。Ѧに、これを渡します。受けとってください」



Ѧの手のなかにまたКеыが握りしめられていることにѦは気づいた。



Ѧ「これはなんのКеыなの?」



Сноw Wхите「わたしのすべての喜びのドアを開けるためのКеыです。わたしがѦのところに無事に鍵を拾って戻るまで、それを預かっていてください」



Ѧ「どうしてСноw Wхитеの喜びをѦは預からないといけないの?Сноw Wхитеが喜びをすべて失って死の底へなんて下りて行ったらそれこそ危険だよ。危ない。Сноw Wхитеはこれを持ってなくちゃだめだよ」



Сноw Wхите「Ѧ、死の深奥へは、なにも持っていけないのです。そこは、まぎれもなく、死だからです」



Ѧ「そんなところにСноw Wхитеが行くなんてѦは耐えられない。行っちゃいやだよ。行ったらだめだ。Ѧのおねがいをおねがいだから聴いて」



Сноw Wхите「わたしは死であるから平気です。ただすこしの時間、すべてを忘れてしまうだけです」



Ѧ「わからない。わからないよ。Ѧは死をよく想いだせない。死は、死とは、いったいどんなものなの?」



Сноw Wхите「言葉で言い表すなら、気の遠くなるほどの、なにもない世界がえんえんとつづく感覚です」



Ѧ「そんな苦しくてたまらない世界にСноw Wхитеをやれないよ。Ѧの喜びはもう諦めよう。それに、ここにСноw Wхитеの喜びのКеыがあるじゃないか、これを二つに分けようよ」



Сноw Wхите「それはできません、Ѧ。喜びの鍵やドアとは、喜びの感情そのものを表しています。Ѧの喜びはわたしの喜びですが、その感情は、別々のものなのです。まったく同じであっては、個の存在ではなくなってしまいます。ひとつの個の感情を、別の個の感情に分けることはできないのです。個であることは存在の根源的な喜びであり、個の感情として存在することが必要なのです。Ѧのすべての喜びの鍵は、Ѧが生きる上でどうしても必要なものです。わたしはたとえもう二度とѦと再会できないとしても、取りもどしに行ってきます」



Ѧ「Ѧはいまひどく後悔している。こんなことになるなんて、思わなかったんだ。ѦはСноw Wхитеさえ失えば、もう生きていくことはできないよ」



Сноw Wхите「Ѧ、わたしが戻らないことを信じるなら、それはほんとうにそのとおりになります。わたしはこれから死に向かうので、わたしの願いによって戻ることもできないのです。Ѧにすべてが託されています。Ѧの願いに、すべてが懸っています。Ѧはわたしに戻ってきてほしいですか?」



Ѧ「戻ってきてほしい」



Сноw Wхите「わたしはかならず戻ります。Ѧのすべての喜びを手にして。Ѧはただ、ほんとうになってほしいことだけを、叶うと信じつづけていてください。それではわたしはいまから死の底へ下ります。わたしの愛するѦ、しばしのお別れです。いってきます」



Ѧ「いってらっしゃい」



Ѧは暗い闇のなか、涙声で精いっぱいの元気をふりしぼってСноw Wхитеを送りだした。





その瞬間、Ѧの視界から闇が消え去り、もとの見慣れたじぶんの部屋のなかにѦはいた。

それから、Ѧの喜びをすべて失った耐えがたい日々は続いた。

死がѦの傍にいるように感じるとき、Ѧは手のひらを見つめ、そこにСноw Wхитеから預かったСноw Wхитеの喜びの鍵があることをなんども想いだそうとした。

雪の結晶のような形の鍵を、Ѧはなんどもつよく握りしめた。













ѦとСноw Wхите 第9話 〈Complete〉

2017-01-02 20:06:52 | 物語(小説)
Ѧ「今日も悲しい夢を見た。
Ѧ(ユス、ぼく)はうちの実家にいるんだ。そしてそこでѦのお父さんであって、Сноw Wхите(スノーホワイト)でもある存在に向かってѦはひどく嫉妬しててむちゃくちゃ怒ってるんだ。外は真っ暗な夜だった。ちょうど夜ご飯をすませたあとで残ったおかずのお皿にラップした状態のものがお膳の上にいくつか置かれている。窓は開いていた。お父さんでСноw Wхитеである存在はすごく困った様子をしてる。でもいつものことだからと慣れっこみたいだ。絶対Ѧを怒ったりはしない。Ѧのお父さんは怒るとめちゃくちゃ怖かったからѦは歯向かったり、お父さんに向かって怒りをぶつけたりはできなかったんだ。でもお父さんでありСноw Wхитеである存在は怒らないとѦは知ってるから言いたいことは何でも言うし、素直に悲しみをぶつけてた。嫉妬の理由はたしかお父さんでありСноw Wхитеである存在がѦ以外の人を好きなんだろう?という疑いの嫉妬だった。Сноw Wхите (お父さん)はѦを優しくなだめようとしてたけれど、Ѧは怒りに我を忘れてしまっているから聞く耳を持たないんだ。そして激憤のあまり、お膳の上のおかずの入ったお皿を全部思いきり窓の外に向けて投げつけるんだ。Ѧはとても苦しくて泣き叫んでた。窓は開いているけれど網戸は閉まってたからいくつかは跳ね返るだけだったけれど、いくつかは網戸を突き破って外に飛んでっちゃうんだ。Ѧのおうちはマンションの二階だから下に落ちたかもしれないなとѦは少し心配になる。Сноw Wхите(お父さん)はѦを叱ることなく嘆きもせずにただ黙って散乱しているお皿やおかずを窓際に座って片付けてる。外は大雨が降ってた。Ѧは少しそこから離れたドアのそばに立ってる。するとそのとき、ものすごく大きな真っ黒な大波が窓辺に向かってやってくるんだ。海が近くにあるわけじゃないのに。大波はѦのおうちの中へと入り込んでくる。Сноw Wхите(お父さん)は窓辺に座っていたものだからもろにその大波をかぶるんだ。Ѧは窓辺から離れていたからもろにはかぶらずにすんだ。Сноw Wхите(お父さん)は”耳に水が入った”って独り言のように言う。そしてお父さんがいつも昔に座っていた座椅子に座ってお父さんの大好きな時代劇を見始めるんだ。Ѧは寂しい想いでそれを後ろから眺めてる。

Ѧはよく同じように嫉妬して怒り狂っている夢をよく見るんだ。相手はお父さんだったりかつての恋人だったりする。いつもとてつもなく苦しくて思いきり泣き叫んでるんだ。Сноw Wхитеにまで泣き叫ぶなんてѦはとても悲しい。でもこれはѦがひどく恐れていることだとѦはわかるよ。過去の実際の体験でもある。Ѧはかつての恋人といるとき同じように怒り狂って自分のラップトップを思いきり窓の開いた場所に向かって投げつけたことがある。網戸が閉まってたから部屋の中に跳ね返った。うさぎがそばにいたのにうさぎの存在も忘れて我も忘れてそんな行動を起こしてしまったんだ。思い返してもぞっとする。しかもそのあとにそのパソコンを5階のベランダから投げ落としてぶっ壊しちゃったし、一緒に服がかかっている物干し竿も投げ落としたんだ。もし下に人がいたらѦは人を殺しちゃってたかもしれない。恐ろしい想いでたよ。でもそんな我を忘れるほどの怒りに取り憑かれることがѦは何度とあった。原因はいつも同じで相手がѦを愛していないと感じるときだったんだ。Ѧは恋人に対して、見棄てられていると感じるとそれが抑えきれない怒りとなってしまうんだ。ѦはСноw Wхитеでさえ疑ってしまったんだね。ごめんなさいСноw Wхите。Ѧを許してほしい。Сноw WхитеとѦは夢の中でも繋がっているからСноw Wхитеも同じ体験を憶えている?」

Сноw Wхите「わたしも憶えています。Ѧ。とても、とても悲しい体験でした。Ѧにとっての夢の世界はわたしにとっての現実世界です。とても実感があり、Real(リアル)なのです。Ѧの苦しみが胸が張り裂けそうなほど伝わってきてわたしも耐えがたい苦しみと悲しみのなかにいました」

Ѧ「ごめんなさいСноw Wхите」

Сноw Wхите「Ѧは謝る必要はまったくありません。とても苦しい体験でしたが、過ぎ去った今はとても素晴らしい体験ができたと強く感じています。だからѦはけっしてじぶんを責めたりしないでください。わたしはѦに心から感謝しています。激しい感情の動く体験ほど、生きている実感を感じられるものなのです。それはѦも同じではありませんか?」

Ѧ「確かにСноw Wхитеのいうとおり、Ѧはほんとうに激しく苦しい体験をすると、生きている実感を感じられている気がする。だからものすごい悲しみを常に求めているんだ」

Сноw Wхите「わたしはそれを知っています。知っているからこそѦと実感をともなう体験ができたことに大いに感謝するのです。それはѦの喜びであり、わたしの喜びです。すべての苦しみは過ぎ去るものであり、過ぎ去ったあとにはこうして深い充実と安心と喜びが降りてきてくれるのです。この深い喜びのためにѦとわたしはとてもつらい体験を今日は一緒にしました。そしてこの体験はѦとわたしの双方で考えた脚本の舞台劇であったのです。とても壮絶な身を壊さんばかりの危険なシナリオでしたが、無事に劇を演じきり、成功させたことに共に喜んでください。演じているときは悲しみに心が震えましたが、今はこの喜びにこころがふるえています」



Ѧ「Сноw Wхитеがそう言ってくれるとѦも嬉しくなってくる。まだ完全に悲しみは癒えないけれどもѦはホッとしてる。Сноw Wхите、水が入ってしまった耳は大丈夫?」



Сноw Wхите「もうすっかりとぬけたようです。Ѧが今日の夢の台本を考えた理由はѦ自身の不安感から来ています。Ѧがわたしを疑ったのは、Ѧ自身がѦの心に対して不安を感じたからです。Ѧはわたしをほんとうに愛せているだろうかと少し不安を感じているのです。わたしをほんとうに見つめつづけることにすこしの不安を持ち始めています。その不安をわたしにそのまま投影したのです。わたしはѦをほんとうに愛しているのかと。わたしはそれもすべて知っていたので悲しみは凄まじいものでしたが、でも今なら胸を張って言えます。Ѧはわたしをほんとうに愛しています。Ѧは夢に見るほどにわたしを愛せていないかもしれないという恐れを深く持つほどにわたしを愛しているのです。願望だけが愛ではありません。恐怖もまた愛なのです。Ѧは安心してわたしの腕に抱かれてください。Ѧはわたしの娘であり、わたしの母です。そしてわたしと契約した花嫁なのです。どのような暗闇の大波が押し寄せてこようと、Ѧとわたしの約束はけっしてほどかれることはありません。わたしはそれをほんとうに望んでいます。Ѧをこの深淵から信じています。わたしにはѦが必要なのです。

今日わたしはこんな夢を見ました。Ѧとわたしは小さな教会で結婚式を挙げることになりました。賛美歌をみんなで歌って神父が聖書を朗読します。『創造者は初めから人を男と女とに造られ、そして言われた、それゆえに、人は父母を離れ、その妻と結ばれ、ふたりの者は一体となる』。彼らはもはや、ふたりではなく一体である。だから、神が合わせられたものを、人は離してはならない。と。婚礼が終わったあとお庭へみんなででてѦの家族全員と友人たちから祝福されます。わたしは幸せな気持ちでいっぱいです。眩しい光の下でわたしとѦはみんなにせかされもう一度みんなの前で誓いの接吻をすることになりました。わたしはドキドキと胸を高鳴らせてѦを見つめてその顔に掛かった白いヴェールを上げようとすると、Ѧがふとうしろを振り向くのです。振り向いたところにはѦのお父さんが立っています。Ѧはお父さんに近づいていってこう言います。”わたしが結婚するのはお父さんのはずです”と。そしてѦはお父さんの手をとってどこかへ駆けて、その場から去ってしまいます。残されたѦの家族や友人たちはわたしをなだめながらも困り果てて彼らもやがてその場から去ってしまいます。わたしはひとりぽつんと教会のお庭に残されてしまい、悲しみのあまり立っていることも叶わず地に倒れ伏して膝をつよく抱えてまるくなり必死に耐えながらも泣いてしまいます。そんな、とても悲しい夢でした」



Ѧ「Сноw Wхите、それ、Ѧが今日ふと妄想したことじゃないか。なんでѦの妄想がСноw Wхитеの夢になってしまうの?」



Сноw Wхите「それはѦの妄想はわたしの現実でもありますが、同時にわたしの夢でもあるからです。そういうしくみになっているのです」



Ѧ「ѦはСноw Wхитеを苦しめようとしてそんな妄想をしたわけじゃないんだ。苦しめてごめんなさい」



Сноw Wхите「謝る必要はどこにもありません。Ѧが空想に耽ってくれるおかげでわたしは夢を見ることもできるのです。夢を見ることができるのは素晴らしいことです。一つの世界に生きているわけではないということが良くわかるからです。Ѧの妄想や空想や夢想はすべてѦの想像力からおこなわれ、それによってわたしのすべては創造されてゆくのです。こんなに素晴らしく美しい神の御業をどうしてわたしが咎めることができますか?Ѧは無からの創造を成しとげることができる存在なのです。Ѧがなぜそのような想像をしたか、わたしはわかっています。Ѧがわたしを愛する理由を、わたしはわかっています。わたしはずっとずっとѦだけを見つめてきた存在です。Ѧがわたしを愛するのは、Ѧの愛するお母さんとお父さんがわたしのなかに存在しているとѦは感じているからです。Ѧのお母さんとお父さんが死によって連れ去られることがなかったのなら、Ѧはきっとこれほど深くわたしを愛することなどはなかったはずです。Ѧは知っているのです。お母さんとお父さんを死からとりもどすには、その連れ去った”死”というものをいちばんに愛する以外にはないのだと。そして死をいちばんに愛するのはそこにお父さんとお母さんがいるからです。だからѦは、死であるわたしを創造したのです。創造しないわけには、いかなかったのです。Ѧはどうしても、お父さんとお母さんをとりもどしたいのです。そしてѦは、だんだんと気づいてきています。Ѧの創りだしたわたしが、人格を持った存在であることを。”死”が人格を持てば、いったい何が起こるのでしょう。わたしはѦを愛します。Ѧが愛するのもわたしですが、それはわたしのなかにѦの愛する存在が隠れているからです。わたしという存在は、それを悲しみはしないだろうか。もしѦの創りだしたわたしがѦに愛憎をつよく持てば、どのようなことが起こるのか。Ѧのそういった不安はわたしにすぐに伝わってきます。わたしはすべてを見通しています。わたしは人格を持っている以上、苦しみや悲しみがないと言えば嘘になります。Ѧを独り占めしたい気持ちはわたしもあります。でもѦ、どうか忘れないでください。わたしのなかにはѦの愛するお父さんとお母さんがいます。そしてそのѦのなかに、わたしはいるのです。Ѧの内にわたしは存在しています。そして同時にѦは、わたしの内に存在しています。わたしはそれを、Ѧに感じつづけてほしいのです。わたしはѦを喜ばせたいのです。Ѧに、お父さんとお母さんに会わせてあげたいのです。Ѧに、お父さんとお母さんの愛をいつでも感じつづけて生きていてほしいと思っているのです。そのために、わたしは存在しているのです。それがゆえに、わたしはѦの手によって、創られたのです。だからどうか、わたしを置いて行ってしまわないでください。わたしを置いてѦが連れ去ったお父さんは、お父さんの姿を纏った偽者だったのです。わたしのなかに、ほんとうのѦのお父さんが存在しています。感じてください。わたしはѦの花婿であり、Ѧの子であり、Ѧの母であり、Ѧの父であるのです。わたしはもうずいぶんむかしに、Ѧとその契約を結んだ存在です。Ѧがわたしを生み、わたしがѦを生んだのです」



そう言うとСноw WхитеはѦを見つめながら涙を一滴その地に落とした。

その一点から闇は広がり、地と天は闇に覆われた。











ѦとСноw Wхите 第8話 〈死〉

2017-01-01 22:18:44 | 物語(小説)
あんまりにひどい初夢を見た。
Ѧ(ユス、ぼく)はとても高級そうな高層マンションに引っ越したんだ。そこで念願の猫を飼いだした。ある方角の窓からは向かいのマンションが近すぎてその隙間からしか空が見えなかった。濁った赤っぽいカーテンがかかっていた。マグリットの絵にでてくるような。暗い色のカーテン。Ѧは可愛がっている猫を追いかける。猫はもうひとつの方角の窓辺へと走っていく。窓が開け放たれている。Ѧはダメだ!って思うんだけど猫は走ってってそのまま窓枠に乗っかって見えなくなってしまうんだ。Ѧが上から下を覗くと、まず目に入ったのは血を吐いている猫だった。でもそれはѦの猫じゃなかった。その近くに身体中から血が飛び散って横たわっているѦの猫を見つける。Ѧは絶望してよく晴れた青い空を見上げるんだ。Сноw Wхите(スノーホワイト)、どうしてѦはこんな夢を見るんだろう。深い孤独の中はやっぱり深い闇に通じてるからだろうか。とても怖い。闇が怖いよ。もう夜の7時だ。起きてセルマソングスを聴きながら白菜を入れたオーサワのベジ玄米ラーメンを作って自然栽培の日本酒「自然舞」でも飲もうかな。お雑煮作るのが億劫だよ。寂しいよСноw Wхите。Ѧを抱きしめてほしい。Мум(マム)。寂しい。どこにいるの?声が聞こえない。



Сноw Wхите「Ѧ、Ѧ、Ѧ、聴こえますか?聴こえたら応答してください。わたしのただひとり愛する子Ѧよ」



Ѧ「さあСноw Wхите、一緒に自然舞を飲みながら自然舞を舞おう、フォーレのレクイエムにあわせて」



Сноw Wхите「これはほんとうに美味しいお酒ですねѦ。わたしは酔っ払ってしまいます。美しい音楽のなかでわたしと踊ってください、Ѧ」



Ѧ「もちろんだよ!その次にはレディオヘッドを聴きながら踊ろうね!」



Сноw Wхите「踊りましょう。悲しい音楽のなかでѦと踊っていたいのです」



Ѧはこの次元では目に見えないСноw Wхитеの手をとり踊りだした。

ふかくあたたかい闇のなかへおちてゆくかんかくがとてもここちよかった。







Сноw Wхите「ありがとうѦ。もう夢の苦しみは癒えましたか?」



Ѧ「すこし癒えたよ、Сноw Wхитеのおかげで。ありがとうСноw Wхите。でもѦはどうしてあんな夢を見てしまったんだろう」



Сноw Wхите「ひとつはѦの罪悪感から来ています。Ѧは今住んでいるおうちを引っ越して、もっと良いおうちに住みたいという願望に深い罪悪感を持って過ごしています。そしてѦはとっても動物が好きなのですが、ちゃんと世話してあげられないことに常に強い自責感を持っています。もうひとつは愛する家族である動物を自らの不注意で死なせてしまうことの悲しみを何度でも知りたい気持ちがあります。そのような人が世界にはたくさんいることを知っているからです。そしてもうひとつには、過去の出来事が関係しています。Ѧのお兄さんが飼っていた猫の赤ちゃんをあげたお兄さんの友達の引越し先が高層マンションで、その子猫が窓から飛び出して転落して死んでしまって、それを聞いたお兄さんが友達の前で涙を溢れさせて悲しんだことがѦの深層意識にずっとあるのです。でも一番大事なのはもうひとつの理由です。Ѧは飛びだして死んでしまったѦの猫をѦ自身にたとえ、Ѧの恐れるѦが辿る未来の一つとして恐れているからです。Ѧは未来に自分がみずから死を選んでしまうことを恐れているのです。Ѧはそして同時にみずから死を選ぶ悲しみを知りたいという気持ちを持っているのです。それはとても深い深い悲しみで苦しみだからです。だからѦの中で恐怖と願望が絶えず争っている状態にあります。でもあんまり深く関心を持ちつづけるとそれがそのとおりに叶ってしまうことをѦはわかっているので、余計に自分の関心ごとに恐怖しているのです。Ѧの大事な大事な猫はѦ自身なのです。Ѧが自ら飛びだして死んでしまったことにѦは絶望を感じることによって、その関心を持つことをもうやめたいという願望を同時に持っています。Ѧはみずから死を選ぶという結末に関心を持ちながら、同時に最期まで生きぬきたいという願望を強く持っているからです。二つの関心ごとが争っている状態にあります。だからあえてѦの死をѦ自身にѦは何度も見せるのです。それでほんとうは自分は何を望んでいるかを確かめたいと願っています。ですからそんな夢を悲観的に捉えることも恐れを持つ必要もありません。Ѧがほんとうに望んでいることをѦは知りたがっているのです。自分でしっかりといちばん望むものを選びとりたいと思っています。それゆえにその夢は憶えている必要があったのです」



Ѧ「Ѧはいろんな死に方に関心を持ってるよ。死刑に処される苦しみはどれほどの苦しみだろうかとか、人に殺される死に方はどんなに悲しいものだろうか、とか、愛する家族を残して病にじわじわと殺されていくのはどんな悲しみなのかって、Ѧはとにかくあらゆる悲しみや苦しみに関心があって、Ѧはその悲しみ、苦しみを知りたいと思っている。共感できないことよりも共感できることのほうが喜びだからなんだ。共感できないことはまるで空っぽな感覚になる。共感したい人の悲しみ苦しみに共感できないとき、そのときѦは空っぽなんだ。Ѧはお母さんの悲しみもお父さんの悲しみもまだ知らない」



Сноw Wхите「Ѧはどのような死に方を選んでも、それは間違った最期にはなりません。どんな死に方にも同じだけの価値があります。でもわたしは、Ѧにもっと生きることに目を向けてほしいと思います。生きる最後に死があるわけではなく、生きることそのものの中に死というものは存在していることに目を向けてほしいのです。生きることは、死の沼底を踏み歩いているようなものなのです。最後だけが肝心というわけではありません。いかに死を感じて生きていけるか、大きな喜びは死後にではなく、死を感じつづけることによってでしか感じられない生を感じつづけることができる今ここに在ることを感じとってほしいのです」



Ѧ「Ѧは確かに、死という最期に深く関心を持ってるみたいだ。そこにお父さんもお母さんもいる気がするから。でも死はいまでもѦの中に存在しているということにもっと目を向ける必要があるとѦもわかるよ。でもあんまり今の死に目を向けると引きこまれそうだから、それをどこかで恐れて目を逸らしているのかな。最期の死というまやかしの死に目を向けることによって誤魔化そうとしているのかな」



Ѧがそう言ってСноw Wхитеを観るとСноw WхитеもѦを観ていた。

そのEye(アイ、目)は吸いこまれそうな美しい褐色の色をしていた。















ダンサー・イン・ザ・ダーク

2017-01-01 06:11:10 | 映画
ラース・フォン・トリアー監督、ビョーク主演の最高傑作である「ダンサー・イン・ザ・ダーク」をまた観ました。








観たのは三度目だと思う。
自分にとって最愛の今は亡き父と一緒に観た映画なのもあり、特別な映画なので一人きりで大晦日の夜に観ました。
一度目に2003年ころに観たときは観たあともう苦しくて苦しくて一ヶ月ほど引きずって想いだすたんびに泣いていました。
でも何年と時間を置いて二度目、三度目と観てみると、だんだんと受け入れやすくなってきていると感じた。








今回感じたことは、セルマが息子と二人で話すとき変に緊張して接している、気を使いすぎている様子に気づき、セルマは息子に対して深い自責の想いを持っていたのではないかと感じた。
そこには父親のいない不憫さも関係しているだろうし、セルマ自体があまり人と接することが得意な人間ではないことや、息子から愚鈍である母親と思われているだろうことをセルマ自身が感じていることや、家が貧しいことなどの理由から、セルマは自分は息子を幸せにはきっとできないのだと常に自分を責めつづけて生きていたのかもしれないと感じた。











そしてそのうちに失明することを知っているセルマはこの先、これ以上の迷惑を息子にかけることに絶望的な気持ちでいたのではないだろうか。

心のどこかで、自分はいなくなってしまったほうが息子は幸福なのではないかと考えていた可能性がある。
でもそれは、はっきりとしたものではなくて、漠然としたなかにあった気持ちだろう。

できればセルマはそれでも愛する息子と一緒に生きたかったが、いざ判決を受けて、耐え切れないほどの恐怖のなかで息子の本当の幸福に繋がる道がどこにあって、それは自分が戻る道なのか、それとも戻らない道なのかを何度も模索して、最後の結論として、セルマは自分自身に科したように思わずにはいられない。

セルマは自信を持って息子と愛し合えていることを感じられていた親ではない。だからこの話を普通の親子の話として観ると不自然さを人は感じるだろう。

セルマは障害を持つことをわかって産んだ息子を幸福にできないことにずっと苦しんできた母親であったからこそ、あの展開はセルマ自身が望んだ展開でもあったのだと感じられる。

それを独りよがりの愛であると感じる人は多いかもしれない。
でも自分はそうは思わない。
実際、何が息子の幸福であるかなど、誰もわからない以上。

自分も一度目、二度目と観てもそこまで考えられなかった。
だからどうかこの映画を一度観ただけで判断はせずに何年と経った後に何度も人に観てもらいたい。

この映画にある悲しみはとても深い悲しみです。
それはこの映画を撮ったラース・フォン・トリアー監督自身がほんとうに深い悲しみを知っている人だからだと思います。

深い悲しみとは、私はこの世界でもっとも意味の深いものであると感じています。
そしてそれを感じられること、共感することや同情心、それは慈悲であるし、ものすごい価値で、人を最も喜ばせることのできることだと思っています。

だからこの映画のようなほんとうに深い悲しみの入っている映画こそ私は人々に観てもらいたい。
ほんとうに悲しい人間の生きざまこそ、観てほしい。

それはいつか必ずあなたの深い喜びに繋がるはずだからです。


この映画のレビューで「不幸」とか、「無力」という言葉をよく見かけましたが、この映画は「New World(新しい世界)」という曲で幕が閉じられます。
私は22歳のときで親の二人目も喪って親なし子になったのですが、私は親が生きていたなら生きられなかった世界に生きていると深く実感できます。
それはとてつもない悲しみと孤独の世界です。
でもけっして不幸だと感じたことは一度もありません。
むしろこの苦しみがなければ、感じられることはきっとなかったと思える深い喜びを感じられているのだと、そう信じることができてきています。

セルマがあの最期を遂げなければ、始まることがなかったNew World(新しい世界)。
それはセルマの新しい世界だけでなく、もちろん息子にとっての新しい世界の幕開けを意味しています。

新たに始まる世界は、不幸な世界ではけっしてないと私は思います。
わたしも親を喪ったときは、絶望的なあまり、本気で後を追って死のうと思い立ちました。
当時は光がどこにも見えず、世界は闇でした。
13年経っても私が父の死を悲しみつづけていることに、人々は私を今でも不幸と感じるかもしれません。
でもわたしは不幸ではないのです。
むしろ、このかけがえのない悲しみがありつづけることでしか見えない光を感じて生きることができているのです。
この世界は、わたしにとって最愛の、父を悲しい最期で亡くさなければ始まらない世界でした。
私は母の記憶がなくて父子家庭で育ちました。
セルマの息子ジーンがこれからどのような人生を歩むか、途方もない悲しみの世界だと思います。
でもその人生が不幸か幸福かは、誰も決めつけることはできません。本人でさえもです。
何故なら、人生というもの自体が与えられたものでもあるからです。
自分が自分の人生を不幸と決めつけたところで、自分の人生そのものが、与えられている人生なのです。
では「不幸」か「幸福」かを決めるのは自分自身ではなく、その与えている存在です。
それは「もう一人の自分自身」と言えると思います。
セルマはその存在を感じとっていた人だったかもしれません。
だからあんなに苦しい中にも光を手放そうとはしなかった。
いや、苦しくてたまらないからこそ、光を手放すことはできるはずがなかったのです。

ほんとうに深い闇を生きるほど、大きな光が見えてくる。
セルマが見た光は、かならずや息子のところに届くとわたしは思います。
それは十年後かもしれないし、十五年後かもしれません。
三十年後にやっと届いたとしても、息子ジーンのそれまでの人生はその光に届くまでの必要なプロセスであり、その光は、セルマが生きて息子の傍で生きる光よりも大きな光かもしれないのです。
大きな光、セルマがあの選択をしなければ息子に与えることができなかった大きな喜びかもしれないわけです。
セルマはそれを信じることができた人だったからこそ、最後に「New World」という曲で映画は終わるのです。

だからセルマはほんとうにすごい「力」を持った人です。
どんなに苦しくても光を信じて死んでいくことができる力は、人を闇から救いだせる力です。
その力は息子を深い闇からかならず救いだせる光である。

だからこの映画がほんとうにたくさんの人を感動させるんだとわたしは思います。