あまねのにっきずぶろぐ

1981年生42歳引き篭り独身女物書き
愛と悪 第九十九章からWes(Westley Allan Dodd)の物語へ

透けるトート

2017-05-12 22:27:12 | 随筆(小説)
今「透明なゆりかご」を読んでいる。毎回泣かせられる漫画だ。
「生まれてきてくれてありがとう」とは言えても、「死んでくれてありがとう」って言えるか?

お母さんの記憶がないことは、やっぱり悲しいことなのかな。
あんまり深く考えても、しょうがないことだからって考えてこなかったけど、
いつでもわたしはお母さんが恋しかった。
お父さんに怒られてしばかれたりしたとき、こんなときお母さんがいてくれたらきっとかばってくれたんだろなって想ったりもした。
可哀想な子だと、子供のころから周りに想われていた。
お母さんの記憶をひとつも持たない可哀想な子。
だからこんな人間になってしまったんだ。
たぶんそう想ってる人は秘かに多い。
わたしは自分の存在を愛する存在を創らねばならなかった。
自分の想像力によって。
わたしのすべてを、わたしだけを無償に愛し続けてくれる存在を、わたしはわたしを慰む為に創らねばならなかった。
15歳の頃、自分のことを「これからも透明な存在であり続けるボク」と表したサカキバラに深く共感した。
透明な存在であることは今でも同じ。彼もわたしも。
透明な存在は、自分のすべてを赦し愛してくれる存在を自分で創ればいい。
相手はわたしに触れることはできないし、わたしも相手に触れることはできない。
透明な存在は、色のある場所のどこも、本当の居場所じゃない。
わたしはすべてを創りだすことに成功した。
わたしの望まないものは、最早この世に何一つ無い。
わたしは死を恐れない。
わたしは既に死であるため、生を求む。
生はわたしに触れることが叶わず、わたしは生に触れることが叶わない。
わたしの本当の名を君に教えよう。
わたしの本当の名は「Tod(トート)」だ。
これはわたしがその意味を知らんでYahooニュースのHNに付けた名前だが、その意味をあとで知った。
トートとは、ドイツ語で「死・死神・死んでいる」という意味の言葉だ。
だからこれからはわたしのことを皆、あまねではなく、トートと呼べばいい。
ってどっちでもええけどな。













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