骨髄異形成症候群(MDS)と向き合う

2020年1月末梢血幹細胞移植 
2023年7月再発 
2023年12月臍帯血移植

遥かな人へ(リレハンメル冬季オリンピックテーマ曲)

2018年02月27日 | 日記
「遥かな人へ」高橋真梨子さんの曲。
リレハンメルでの冬季オリンピックの時のNHKのテーマ曲。
もう24年も前になるんだ!?

きのう、通勤中の車で聞いていたCDから流れてきた。
ずっと以前に、数枚のCDの曲を一枚にまとめておいたものが出てきたので
何気なく聞いていたのだった・・・・・。

当時、この曲が好きでシングルのCDを買った。
探せばまだどこかにあるはず!



前奏を聞いただけで元気が出てくる。

歌詞を聞いて優しくなれる。

ここ数日体調も下降気味で落ち込みがちだった気分が

一気に晴れた!



私の好きなフレーズ

「人を愛するため 人は生まれた
 苦しみの数だけ やさしくなれるはず」


「人を愛するため 人は生まれた
 傷つき敗れても やさしくなれるはず」


朝からいい気分転換になったけど、

私は今までに沢山苦しんだり傷ついたりで
もう十分に優しくなれたよね!?
まだ足りない?

ちょっと自問自答している私でした。



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冬季オリンピック閉会式 4年後は?

2018年02月25日 | 日記
オリンピックが終わりましたね。
選手の皆様、関係者の皆様、お疲れ様でした。

閉会式はとても華やかで
プロジェクションマッピングやドローンを駆使して驚きの演出が次々と。

選手たちの気持ちはもう次のオリンピックに向かっているとか。

客席には各国の言葉で「またあいましょう」の文字。


また会いたいけど・・・・・

4年後、私は冬季オリンピックを再び見ることができるだろうか?

これがたぶん最後に見る冬季オリンピック・・・・・
2020年の東京オリンピックは見ることができるかな~。


弔いのセレモニーが演じられていて・・・・・
韓国では亀が亡くなった人を天へ導くのでしょうか。

華やかだけど、ちょっと淋しくなった閉会式でした。
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死を受け入れるということ

2018年02月23日 | 日記
鉄道写真家の中井誠也さんのお母様の訃報がブログで報らされていた。、
21日には俳優の大杉漣さんの訃報。

どちらも急逝とのこと。
身近な人たちは突然の死を受け入れ難いことだろう。

どんなに時間が経っても

故人がいつもの席に座っているとか
いつもの場所で誰かと話しているとか・・・・・

残された人たちの心からは
これまでの日常がいつまでも消えない。

亡くなったことが信じられないまま
長い日々を経て、その人がいない生活に少しずつ慣れてくる。


余命宣告を受けた人は
遠からずやってくる自分の死をどう受け入れるか。

残される家族の家計、
家事に不慣れな亭主の生活、
葬式、法事、etc.

そして自身の終末期のこと。
できるだけ苦しむことなく楽に死にたい。

突然死は
自分の死期や家族の心配をする間もなく逝ってしまう。

けれどその分、家族や周囲の人たちは突然の大きな悲しみと混乱に陥る。

余命を宣告された場合、
残された日々をいかに有効に使うか
自分も周囲の人も考えながらその時を待つことができるが
常に不安に駆られる日々。

できればその時が少しでも遠ざかることを望み、
すんなりと死を受け入れられるものではない。

近づく死におびえながら、鬱になる人もいるとか。

身近な人を亡くしても
自分や家族が死に面しても


あえて死を受け入れようと構える必要はないかも。
自然体でいい!!

散る桜 残る桜も散る桜 我もいつかは散る桜


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前向きは難しい

2018年02月21日 | 日記
定期検査に行ってきた。


今回の採血は小さな注射器に1本だけ。

注射器にじわじわと吸い込まれていく血液。
血液がその注射器を満たすまで目を凝らして見ていた。

血液?
これは血液の色じゃないでしょ!?
「血は赤い」という概念があったけど
これは血の色ではない。

古くなって酸化した赤ワインを暗いグレーの水で薄めたような
言葉では表現しがたい色。

どんなに目を凝らしても「赤い色」を感じない。

悪い予感。

結果、
先月は白血球が3400まで戻り、再び2000代から3000代に帰れたことを喜んだが
今回は2610。
3400→2610 って、こんなに一気に落ちてしまうの?
このペースで減っていくと3か月後には白血球は無くなってしまうよね!?

他の結果は

赤血球 298→278
ヘモグロビン 9.3→9.1(再び8代になる日が近いのか?)
血小板 23.7→25.0
好中球 31.4→25.7

希望は持てない。

「前向きに生きる」って
今の私には 無理! 無理!

帰りのJRの電車の中、
連れ合いと話をする元気も無く、

高齢の義母の介護の今後と自分の終活に思いを巡らせ、
数えきれない程のため息と脱力で
座っているのがやっとだった。



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前向きな人たち

2018年02月20日 | 日記
ブログランキングではがん・腫瘍のジャンルに登録させて頂いたが、
当然のことながら
そこには種々のがん・腫瘍にかかわる人たちのブログが列記されている。


自身であったり、家族だったり、かかわる形は様々。

病気も様々、
ステージも治療も様々だけど、

どんなに重くても

前向きに生きる人たちのいかに多いことか!

改めて驚かされた。

私も回復が望めない病気ではあるけれど
あとどれくらいの時間が残されているのか明確ではないけれど

暗く生きても 明るく生きても 同じ時間を過ごすなら
前向きに明るく生きた方が 周囲の人たちも笑顔が増えるよね。

治療の副作用で苦しみながらでも前向きな人たちのことを思えば


私は 経過観察で普通の生活ができる今、

死と向き合い、死に方を選択することに時間を費やすのはもったいない!
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これからもよろしくです。

2018年02月16日 | 日記
沢山のご訪問を頂き、ありがとうございます。

白血病だけが血液のガンではない (と、身を以て教えられた)。

この病気(骨髄異型性症候群)は遺伝でもなく、感染する病気でもなく、原因不明で
ある日突然に誰かのもとへやって来る。

健康診断などで貧血を指摘されたら、決して軽く見ないこと!!!。
(私の場合は、私も、そして医師も鉄欠乏性の貧血だと思い込み、健康診断で指摘されてから病気発覚までに1年かかってしまった)

骨髄異型性症候群や白血病など、
血液疾患に於いては骨髄移植に完治の望みを託す人が沢山いるにもかかわらず、
白血球の型が一致するドナーを見つけるのは困難。
一人でも多くの人が骨髄バンクに興味を持ち、ドナー登録して頂けますように。
(私の年齢では残念ながらリスクが大きく、骨髄移植による長期生存の確率は低いらしいが)

貧血がひどくなると輸血が必要になる。
献血して頂いた血液でしばらくは元気を取り戻す。

私も以前はずっと献血していた。30回は下らないと思う。
でも一昨年辺りから血液の製造工場(骨髄)が故障してしまってからは
逆に血液を頂く立場になってしまった。


これからも血液疾患に関する事項も少しずつUPしながら、
先が見えない血液疾患の患者のために
骨髄のドナー登録や献血へのご協力をお願いできるブログに発展出来ればと思います。
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ランキングバナー設置

2018年02月14日 | 日記
ランキングバナーを貼ってみました。

暗い話ばかりのブログなので高ランクは期待できないけど
ランキングのページにブログ名(病名)が表示されることで

この病気を少しでも多くの人に知って欲しい。

MDSに限らず 全ての血液疾患の人のために
献血や骨髄バンクドナー登録への理解、協力のお願い。

患者数が少ないこの病気の情報の取得や提供。

いろいろ広がることを期待して。



”ブログランキング” には残念ながら「骨髄異型性症候群」のジャンルは無く、

”ブログ村” には「骨髄異型性症候群」のジャンルがあるものの
現在登録されているブログは1件だけ。私が2件目であれば、ランキングの高低は論外。

それほどに世間には無縁の病気なんですねえ。
10万人に2人か3人の割合で発症と、どなたかのブログに在ったけど・・・・・。

難病なのに、高額の医療費がかかるのに、明るい将来が見えないのに、
特定疾患の指定ではない。


この病気は進行の個人差が大きいので自分の経過と似た患者を見つけることが困難であり、
また60歳以上の患者が自ら綴ったブログが少ないので

私自信のブログは他の患者の方の役に立つ記事ではないけれど

抗がん剤や骨髄移植のリスクが大きく、将来に期待が持てない患者の一人として
経過を残せればと思っている。

いつまで続けられるか・・・・・。
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長生きと短命の基準は

2018年02月11日 | 日記
親せきの葬儀に参列した。
故人は74歳。

早すぎる死 だとか もっと長生きしてほしかった とか、 多くの人が口にする。
以前の私なら躊躇なく そうですねえ と同意出来たはず。

でも 骨髄異型性症候群の病名を与えられ、
65歳まで生きることは望めないであろうと宣告された今の私にとって
74歳は大した長寿なのである。

今この世を去れば 幼い孫たちの記憶の中に私の思い出は残らないであろう。

もし74歳まで生を頂けるなら、
孫の成長を見ることができて孫たちの記憶の中に私との思い出も残る。

でもでも、
もっと若くして、20代、30代で発病し、
抗がん剤や骨髄移植に生を託している人たちから見れば、
60歳という今の私の年齢は十分に長生きだと思うかもしれない。



人は何歳になっても将来を考える。
大人になったら就きたい職業を想像し、
職や会社を得ればそれを拡張する手段を考え、
定年が近くなれば、その後の生活や趣味を楽しむことに思いを馳せる。


苦しみながらの延命はいやだ。
増してや子どもたちに長い介護をさせたくはない。

でも
頑張って少しでも寿命を延ばすうちに新薬や治療法方が確立され 完治の可能性も!! 

・・・・・なんてね。(^_^;)

欲を出せばきりがない。
あと5年生きても10年生きても そこでまたもっと生きたいと思うだろうか。
何年生きれば、人生を全うした と思えるのか・・・・・。
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有賀さつきさんを思う

2018年02月09日 | 日記
有賀さつきさんが亡くなったという報道を見て考えた。

病名を誰にも告げずに逝ってしまった。
病気であることを隠し、ぎりぎりまで働き、ひっそりと亡くなった。

私もまだ親には告げていない。
親よりも先に逝く可能性が大だと面と向かっては言えない。
弟妹とも相談して、病状が悪化するまでは知らせないでおこうということになった。

近いうちに仕事を辞めるかもしれないと言ってはあるが、
それは義母の介護を理由にしている。

しかしいつかは告げる。
命を繋ぐための最後の療法が始まったら?
それとも命の灯が尽きてから?

有賀さんには彼女なりの考えがあって
誰にも病名を告げないことを選んだことだろう。

でも親の立場で考えると
最期を看取ることも出来ず、なぜ亡くなったのかわからないままでは
いつまでも娘の死を受け入れがたいのではないだろうか。

治らないであろう病気であることを宣告され、
身近な人、職場の人、同級生、親友 といった人たちに
自分の病状や死期をどのように知らせるか・・・・・

悩む人は数えきれないほど存在するであろう。

有賀さんの選択は私の迷いに一石を投じた。
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散る桜 残る桜も散る桜

2018年02月05日 | 日記
20年くらい前に放送された二時間ドラマ「信濃のコロンボ」(堺正章さん版)の
再放送を見ていたら、ドラマの中で紹介されていた良寛さんの俳句。
良寛さんの 辞世の句 と言われているらしい。

散る桜 残る桜も散る桜

人はいつか死ぬ。
早いか遅いかの差はあれど
全ての人がいつかはその命の終わりを迎える。

自分の死が近いと悟ったとき
清々しい気持ちで詠んだのか、

まだ死にたくはないけれど、いづれみんな死ぬのだからもうあきらめなさい!
と自分を慰め、悲しみをこらえているのか。

今の私はどちらだろう。
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皆既月食

2018年02月01日 | 日記
最近、平常心が戻ってきて抗がん剤や骨髄移植のことを考える時間は少なってきた。
ただただ今を生きる。

そんな中で 皆既月食の夜。
もしかしたら、私が見ることができる皆既月食はこれが最後かも。

しっかり見ておこうと度々外に出ては天空に目を凝らす。
夕方には大きく見えていた月はいつの間にか通常の大きさになり
うす雲がかかり、笠を被ったお月様。

どんどん雲が増えてきて見え隠れしながらも
半分以上の月食を見ることはできた。

が、その後雲は厚くなり、
あと少しで皆既! と言っている間に雲に隠れてしまった。

その後も数分おきに空を見上げたけど月の姿は無く・・・・・
0時過ぎに寝た。

私の人生こんなもの。
あと少しだったのに。

あと少し、もう少し病気の発症が遅ければ
仕事も定年を迎えることができる。
高齢の義母を介護し、看取ることもできたであろう。

もう少し発症が遅ければ
幼い孫たちも私のことを記憶の中に留めてくれたであろう。

あと少しだったのに、もう少しなのに・・・・・。
私の人生こんなもの。
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