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『西郷隆盛』 第八巻 単行本  海音寺 潮五郎 (著)

2015年09月17日 | 本と雑誌

西郷隆盛 第八巻 単行本  ? 2008/2/7
 
海音寺 潮五郎   (著)  

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amazon 内容(「MARC」データベースより)

第2次長州征伐は幕府側の惨敗。そして将軍家茂の死と孝明天皇の死。政局は大きく転換、王政復古の大号令が発せられた…。幕末・維新史を見事に描破した大長編史伝、第8巻。

集団的自衛権の行使容認を含む安全保障関連法案を審議する参院平和安全法制特別委員会は16日夜から17日未明にかけて、質疑の終結を巡り与野党が激しく対立した。

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それには現在、「安保法案 参院特別委で可決」の見出し。

徳川慶喜の大政奉還 慶応3年10月14日(1867年11月9日)
をうけ12月9日、最初の国政会議が京都の小御所↑で行われた。
王政復古の大号令が発せられる、あれである。お御所会議

大政奉還 王政復古の大号令(クーデター) お御所会議 戊辰戦争とつづく
明治維新の重要な場面。

お御所会議のその日、容堂は朝から酒気を帯びていた(らしい)。
声が大きい。

p419「先ず徳川内府をお召しになって朝議に参与せしめらるべきでありましょう。」p419

「この会議に、今までの功績がある徳川慶喜を出席させず、意見を述べる機会を与えないのは陰険である。数人の公家が幼い天皇を擁して権力を盗もうとしているだけだ」と。


wikipedia 『徳川慶喜公伝』第二十九章大坂城移徙「松平容堂声を励まして曰く「今日の挙、頗る陰険の所為多きのみならず、王政復古の初に当りて凶器を弄すること甚だ不詳にして、乱階を開くに似たり。抑元和偃武以来二百余年、海内をして太平の隆治を仰がしめしは徳川家にあらずや、然るを一朝故なく覇業を抛ち、政権を奉還したるは、政令一途に出でて、金甌無欠の国体を維持せんことを謀るものにして、其忠誠感ずるに堪へたり。且内府(慶喜)英明の名は既に天下に聞ゆ、宜しく之をして朝議に参預し意見を開陳せしむべし。畢竟此の如き暴挙を企てられし三四卿は幼主を擁し奉りて権柄を窃まんとするにあらざるか」と一座を睥睨して意気軒昂たり。」

議場紛糾して、いったん休憩。

このとき、小説などで有名な西郷の「短刀一本あれば」のエピソードがおこる。

西郷は、御所内のことは大久保らにまかせ、衛軍の警備、指揮等にあたっていた。

そこへ会議に出席していた岩下 方平(いわした みちひら薩摩藩家老)から呼ばれた。
岩下は、強硬な容堂の意見に岩倉もてこずっていることを語り西郷の意見を求めた。

P414西郷は微笑して「岩倉さんに言うて下され。オマンサーの短刀はよう研(と)いでごわすかと」とだけ言って、行ってしまった。


岩下方平は、薩英戦争の和平交渉の正使として交渉を担当している。
このあとイギリス公使パークスの鹿児島訪問に先立ち、パークスを江戸・芝の藩邸に招いて歓待したりしている。鹿児島の情報は南日本新聞 - さつま人国誌 -

余談だが、岩下方平らとともに薩英戦争の戦後処理に辣腕を発揮した重野 安繹(しげの やすつぐ)は
西郷と同じ時期に奄美大島に遠島処分にされ、その先で西郷隆盛と出会っている。1863年(文久3年)に赦免され、西郷はそれよりはやく文久2年(1862年)に召還されている。


岩倉は休憩室で酒を飲んでいた。P415

『岩倉公実記』 「具視退キ休憩室ニ入リ独リ心語ス。豊信(容堂)猶ホ固ク前議ヲ執リ動カザレバ吾レ霹靂ノ手ヲ以テ事ヲ一呼吸ノ間ニ決センノミ。

結局、春嶽・容堂ともに決議に従うこととなった。こうして夜半まで続いた小御所会議は決着し、松平春嶽・徳川慶勝が慶喜へ辞官納地の決定を伝え、慶喜が自発的にこれを申し入れるという形式をとることが決定された

そのくらいの覚悟を持てという意味の西郷の言葉を、岩下が岩倉に伝えということで、
しかも、岩下でも岩倉でもない会議の出席者である浅野長勲の記憶の口述筆記が典拠らしいという
ことで、小説にしてもかなり想像をひろげられる話である。

しかしこの話は、西郷は戦好き、激情家など後の史家や小説家などの西郷理解(誤解)に
少なからず(おおいに)影響をあたえている。

「短刀一本」の話のwikipedia出典は会議の出席者である浅野長勲が半世紀後に口述した『浅野長勲自叙伝』(昭和12年(1937年))などに見られるのみで『徳川慶喜公伝』『丁卯日記』『岩倉公実記』『明治天皇紀』などの他の史料には見えない。井上清なども著書『明治維新』(新政の演出 岩倉具視)の中で触れているが特に出典は記されていない。wikipedia

 本書では、西郷にまつわるエピソードで、誤解にもとづくものについては、ていねいな反論がなされているが、この「短刀」の部分は

意外にあっさりとかたづけられている。

歴史と真実についていろいろ考えさせられることがある。

関連このブログ 

『西郷隆盛』 第七巻 単行本 – 2008/2/7  海音寺 潮五郎 (著) 五代友厚 寺島宗則 新納 中三 ほか

2015年09月10日 | 本と雑誌

勝海舟『氷川清話』言うところの西郷の「豚姫」については本巻p208で1ページほど述べられているが、省略しよう。西郷は余計なことはしゃべらないのだ。西郷は特にこの女を手活けの花とはしなかったようである。


 

まあ、余談だが、昨夜の

【緊迫・安保法案】
国会前デモ 枝野氏「集まっていただきありがとうございます」に参加者「お前のためじゃない」
産経ニュース-2015/09/16

このニュースは現在のネットニュースでしかも写真入で直接接したので
150年前の伝聞より正確だろうと思われるが、
どっこい、参加者「お前のためじゃない」だって、現場の雰囲気などからさまざまな想像ができる。

今回の国会前デモは、中東のあのアルジャジーラが戦後最大規模だと
報じたそうだから、歴史的なできごとになるのかもしれないが、後世では
どう理解、評価されるのだろうか。

まあ、よけいなことを考えてしまった。

今読んでいる第9巻で『西郷隆盛』は終わる。

 


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