益田宗児 (著)南島文化研究所出版 2001年7月17日発行
徳之島説の存在は、はやくから知っていたが、その前に九州説、畿内説の理解を、と読まずにいた。
米軍普天間基地の移設問題から、いくつかの関連本を読んでいるうち本書にたどりついた。
読んでみて、面白すぎる。はまりそうだ。九州説、畿内説の両説に長い間決着が見られないこと事態に徳之島説のヒントがあるのではないか。ほか諸説あるようですが、琉球説も読みたくなった。
あまりに、興味ある論点がもりだくさんなので、このページは、少しずつ書き足していきたい。
とりあえず、
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■ 時節柄読んでいる本 3/3 『邪馬台国は徳之島』益田宗児 (著)南島文化研究所出版 古代中世の海人(アマ)王国の謎 魏志倭人伝「都ソール市より東南の大海の中、山の多い島」「ソール市より1万2千余里の島」グーグル→http://bit.ly/a9Gr8n
↑ 本の表紙2枚目の写真の拡大写真です。(くわしくは検索してください)
邪馬台国の前に徐福と徳之島とこの線(船)刻画の謎、興味はつきない。
つぶやきながら勉強します。ひとりでも多くのひとにこのことに興味をもってもらえるように。
wiki 徐福より
徐福(じょふく)は、中国の秦の時代(紀元前3世紀頃)の方士(方術仙術に秀でた者・学者)斉国の琅邪(ろうや)の出身。
司馬遷の『史記』によると、秦の始皇帝に、「東方の三神山に長生不老(不老不死)の霊薬がある」と具申し、3,000人の童男童女と百工(多くの技術者)を従え、五穀の種を持って、東方に船出し、平原広沢(広い平野と湿地)を得て王となり戻らなかったとの記述がある。