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『鹿児島県の歴史』 (県史) (単行本)  新・旧版を読んだ

2009年09月18日 | 本と雑誌

090918bookkagoshima1鹿児島県の歴史 (県史) (単行本)
原口 泉 (著), 日隈 正守 (著), 皆村 武一 (著), 永山 修一 (著), 松尾 千歳 (著)

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登録情報
単行本: 367ページ
出版社: 山川出版社 (1999/08)

発売日: 1999/08
商品の寸法: 18.6 x 13.8 x 2.8 cm

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新版(写真上)の執筆者は5人で、

四半世紀前に出版された、旧版(写真下)は、執筆者は一人。

1973年の旧版は、鹿児島の歴史研究において、それまでの維新史中心主義から奄美を含む鹿児島県の農村史や、琉球との関係の重視への転換を示した画期的な概説書といえるのだろうが(奄美に関する部分が意外に多かった)何しろ読みにくかったので、

新版も読んで見た。

しかし、素人には、それがさらに読みにくかった。コレハ事件ダ?。新版では、奄美や南島に関する記述は、「日本の南の玄関」の項で1ページ目からはじまるし、隼人やクマソとともに記紀の記述も早くから見られる。奄美を抜きに鹿児島は語れない、これは常識だが。しかし(古代、特に中世)は、年表を読んでいるよりも歴史の流れがイメージしにくい。聞き慣れない遺跡名や地名、人物名が多いので、読んでいてくたびれてしまう。無味乾燥。

関東御家人の西遷・定住● P114
のところにきて、ようやくイメージできるようになった。

内乱終結(源頼朝の平泉藤原氏攻撃による全国的な内乱状態の終焉とともに鎌倉幕府の支配体制が浸透していく過程(建久年間1190~99)と幕府成立に伴い、平氏一門や反幕府勢力から没収した所領は、戦功のあった御家人に付与された。この結果、坂東地方の御家人たちが、陸奥・出羽両国々北陸道諸国に北上したり、西国に移住したりした。
御家人たちの移動は、列島規模の大がかりなもので、鎌倉時代は大規模な人びとの移動の時期であった。
北遷・西遷(ほくせん・せいせん 鎌倉時代、関東武士の中で、守護・地頭として全国各地に赴いたものを北遷・西遷武士などと呼ぶ)する御家人たちは、自分の被官・農民たちを引きつれて、地頭職に補任(wikiより ぶにん とは、官人に官職・位階を与えること。本来は、官に任命することを「任」、職に任命することを「補」、位階や勲等の授与を「叙」と呼んで区別していた。任官補職叙位。そして官職に任命することを総称して補任という)された所領に下向していった。
そのさい坂東地方の武家社会における伝統・慣習を下向地にもちこみ、先住の武士だちと紛争をおこした。
(中略)薩摩・大隅両両にまたがる島津荘大半部分の惣地頭、惟宗忠久(これむね・ただひさ1179生年未詳~1227)がいる。
島津氏は、忠久・忠義(時)ニ代のあいだは下向せず、蒙古襲来時の三代久経(ひさつね)期に下向したと考えられている。

忠久は、島津荘の下司(げし)・惣地頭に補任され、荘園の名称を名字として島津氏を称した。惟宗氏の前身は渡来系の秦(はた)氏とされる。

とりあえず「島津氏の出自」 p.113を押さえておきたかったので

ウィキペディア  "島津氏” で調べた。

このあとの読書と、この記事は、次回以降につづく。

 

090918bookkagoshima2 鹿児島県の歴史 (県史シリーズ (46)) (単行本)
原口 虎雄 (著)

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登録情報
単行本: 365ページ
出版社: 山川出版社; 2版版 (1973/01)

発売日: 1973/01