やきものに親しむV
青磁の美
―秘色の探求―
出光美術館
2006年7月22日~9月3日
出展されていない写真がありますがご容赦を。(すべてSRCリンクです)
冒頭から、「青磁と玉」の関係についての展示。青磁が「秘色」と表現される深みのある釉色を理想とし、最も中国の人の琴線にふれるやきものであった。独特の釉色の原点は、玉にあり、その色沢の再現こそが青磁焼造のエネルギーであった。なるほどと納得します。
まず、灰釉陶が。
灰釉印文双耳壺 西周から春秋時代
そして
西晋時代の古越磁
3 青磁貼花獅子鳳凰文円筒壷
4 青磁神亭壷
壷の上に動物や植物、人物などいろいろな文様が貼り付けてあります。東博にもいま展示されていますが、そちらの解説によれば墳墓に副葬するための明器。被葬者の死後の生活に備えるための穀倉庫あるいは死者の魂の住処と考えられる。浙江省、江蘇省の3から4世紀の墓葬において見られる。とのこと。
青磁天鶏壷
こちも墳墓、副葬用の明器。3点ほど展示されていた。
北方青磁
北宋時代の耀州窯が見事だった。
23 青磁刻花牡丹文碗
24 青磁刻花牡丹文壷
25 青磁刻花牡丹文壷
27 青磁印花牡丹唐草文碗
南宋官窯
30 重文 青磁下蕪花生(瓶)
同型の国宝 青磁下蕪瓶(アルカンシェール財団)は、龍泉窯とされている。
龍泉窯 南宋(いわゆる砧青磁)
32 重文 青磁袴腰香炉
33 青磁鳥紐蓋長頸瓶
38 青磁浮牡丹不遊環耳瓶
39 青磁浮牡丹香炉
青磁鳳凰耳花生が4点並ぶ。大き目のタイプで有名なのが国宝「萬聲」(和泉市久保惣記念美術館蔵、徳川家光、東福門院と伝わり、江戸時代以降、毘沙門堂(京都)に伝来した。)。細口のタイプで有名なのは「千聲」(陽明文庫蔵、徳川家から東福門院の入内にともない、天皇家へ、そして近衛家へと伝わる。)。「万声」という銘は、「擣月千声又万声」という詩句から、「千声」(重要文化財)とともに江戸時代に後西天皇によって名付けられたことが『槐記』(18世紀の随筆)の記事により知ることができる。
「萬聲」の写真(和泉市久保惣記念美術館へのSRCリンク)
「千聲」の写真(表千家のHPへのSRCリンク)
重文 青磁鳳凰耳花生 南宋 龍泉窯(五島美術館蔵)益田鈍翁旧蔵品。 「萬聲」タイプ
重文 青磁鳳凰耳花生 南宋 龍泉窯(大阪市立東洋陶磁美術館)丹波青山家伝来。「萬聲」タイプ
重文 青磁鳳凰耳花生 南宋 龍泉窯(白鶴美術館)「千聲」タイプ
青磁鳳凰耳花生 南宋 龍泉窯 「千聲」タイプ
龍泉窯 元
41 青磁浮牡丹瓶
42 青磁縞文壷
52 青磁刻花牡丹唐草文瓶
飛青磁
国宝 青磁鉄班文瓶 元 龍泉窯(大阪市立東洋陶磁美術館);写真ではわからなかったが、ガラスのような透明感のある釉薬。出色のでき。このために1000円を払いましたが満足。鴻池家伝来。
(大阪市立東洋陶磁美術館へのSRCリンク)
珠光青磁茶碗
珠光青磁茶碗 南宋 同安窯系 同安窯は、黄味ががった青磁釉が底辺部を除いて施され、箆(へら)描きの劃花文の間に櫛描き文がはいるのが普通。
青磁三閑人壷 龍泉窯 明;壷の中にも動物が。。。
本来の「秘色」は晩唐期(9世紀)の上質の越州窯青磁をさした呼び名。「秘色」の呉が最初に見られるのは晩唐の陸亀蒙(~881)の詩の題名「秘色越器」であり、同詩に「九秋風露越窯開、奪得千峰翠色来」とあり、「秋の日に越州窯の窯が開かれるとその色は峰々の翠色を奪ってきたようだ」と形容して、越州窯の青磁の釉色を山の緑に喩えている。以来「秘色」は越州窯の精品の持つ釉色をさす言葉として用いられるようになった。
陜西省の法門寺の唐代仏塔の地宮で端正な器形で美しい艾(よもぎ)色の青磁釉のかかった上質な越州窯青磁とともに咸通十年(874)銘の奉納物を記した石碑「監送真身使随真身供養道具及金銀宝器衣物帳」が出土し、「瓷(し)秘色」と明記されたいたことから、晩唐の秘色青磁の実態が明らかになった。
中国語の「秘」の音は「碧」=青緑色と同じBIであり、「秘色」は青緑色の美名である。
こちらは、出展されていませんが、法門寺出土の秘色瓷盤と秘色瓷碗(琴詩書画巣さんのHPへのSRCリンク)
砧青磁という名称については、(1)「千聲」「万聲」など、鳳凰耳花生という瓶があるが、その形が衣をうつ砧に似ていることからついたというものと、(2)静嘉堂文庫美術館にある青磁鯱耳花生(千利休…伊達家…岩崎家伝来)の「ひびわれ(鎹で補修してある)」を砧を打つときの「ひびき」にかけたものともいわれている。いずれにしてもある特定の青磁から、その種類の青磁を包括する用語として広く応用されるようになったのである。(土橋尚起(専修大学大学院修士課程) )http://www.d1.dion.ne.jp/~n_d/come@/report1.html
(7月22日、8月31日)
青磁の美
―秘色の探求―
出光美術館
2006年7月22日~9月3日
出展されていない写真がありますがご容赦を。(すべてSRCリンクです)
冒頭から、「青磁と玉」の関係についての展示。青磁が「秘色」と表現される深みのある釉色を理想とし、最も中国の人の琴線にふれるやきものであった。独特の釉色の原点は、玉にあり、その色沢の再現こそが青磁焼造のエネルギーであった。なるほどと納得します。
まず、灰釉陶が。
そして
西晋時代の古越磁
壷の上に動物や植物、人物などいろいろな文様が貼り付けてあります。東博にもいま展示されていますが、そちらの解説によれば墳墓に副葬するための明器。被葬者の死後の生活に備えるための穀倉庫あるいは死者の魂の住処と考えられる。浙江省、江蘇省の3から4世紀の墓葬において見られる。とのこと。
こちも墳墓、副葬用の明器。3点ほど展示されていた。
北方青磁
北宋時代の耀州窯が見事だった。
南宋官窯
同型の国宝 青磁下蕪瓶(アルカンシェール財団)は、龍泉窯とされている。
龍泉窯 南宋(いわゆる砧青磁)
青磁鳳凰耳花生が4点並ぶ。大き目のタイプで有名なのが国宝「萬聲」(和泉市久保惣記念美術館蔵、徳川家光、東福門院と伝わり、江戸時代以降、毘沙門堂(京都)に伝来した。)。細口のタイプで有名なのは「千聲」(陽明文庫蔵、徳川家から東福門院の入内にともない、天皇家へ、そして近衛家へと伝わる。)。「万声」という銘は、「擣月千声又万声」という詩句から、「千声」(重要文化財)とともに江戸時代に後西天皇によって名付けられたことが『槐記』(18世紀の随筆)の記事により知ることができる。
「萬聲」の写真(和泉市久保惣記念美術館へのSRCリンク)
「千聲」の写真(表千家のHPへのSRCリンク)
龍泉窯 元
飛青磁
(大阪市立東洋陶磁美術館へのSRCリンク)
珠光青磁茶碗
本来の「秘色」は晩唐期(9世紀)の上質の越州窯青磁をさした呼び名。「秘色」の呉が最初に見られるのは晩唐の陸亀蒙(~881)の詩の題名「秘色越器」であり、同詩に「九秋風露越窯開、奪得千峰翠色来」とあり、「秋の日に越州窯の窯が開かれるとその色は峰々の翠色を奪ってきたようだ」と形容して、越州窯の青磁の釉色を山の緑に喩えている。以来「秘色」は越州窯の精品の持つ釉色をさす言葉として用いられるようになった。
陜西省の法門寺の唐代仏塔の地宮で端正な器形で美しい艾(よもぎ)色の青磁釉のかかった上質な越州窯青磁とともに咸通十年(874)銘の奉納物を記した石碑「監送真身使随真身供養道具及金銀宝器衣物帳」が出土し、「瓷(し)秘色」と明記されたいたことから、晩唐の秘色青磁の実態が明らかになった。
中国語の「秘」の音は「碧」=青緑色と同じBIであり、「秘色」は青緑色の美名である。
こちらは、出展されていませんが、法門寺出土の秘色瓷盤と秘色瓷碗(琴詩書画巣さんのHPへのSRCリンク)
砧青磁という名称については、(1)「千聲」「万聲」など、鳳凰耳花生という瓶があるが、その形が衣をうつ砧に似ていることからついたというものと、(2)静嘉堂文庫美術館にある青磁鯱耳花生(千利休…伊達家…岩崎家伝来)の「ひびわれ(鎹で補修してある)」を砧を打つときの「ひびき」にかけたものともいわれている。いずれにしてもある特定の青磁から、その種類の青磁を包括する用語として広く応用されるようになったのである。(土橋尚起(専修大学大学院修士課程) )http://www.d1.dion.ne.jp/~n_d/come@/report1.html
(7月22日、8月31日)