NHKのETV特集 日本と朝鮮半島2000年(2)「“任那日本府”の謎」(2009年5月31日放映)を見た。
昔の教科書では、「任那日本府」という記述があった。しかし、3世紀から6世紀中頃の朝鮮半島には任那ではなくの伽耶という、鉄器文明をもった国があった。この1月に韓国国立中央博物院を訪問でその史実を知り、なにかいい書籍はないかと探していたところに、この番組を見つけた。
『日本書紀』や、中国東北部の『広開土王碑文』の記述など、伽耶の鉄をめぐる交流や、韓国で発見された日本特有の前方後円墳など、最新の研究成果をもとに、交流の実像に迫るという内容。すごくよくわかった。森公章 東洋大学教授が出演していた。
この先生が第一人者ということで図書館で、森公章先生の著作「東アジアの動乱と倭国」(2006年)という書籍を見つけて読む。すこし難解だったが筋ぐらいは終えた。
目次
倭国の登場 プロローグ
倭国の存立とアジア
東アジアの動乱の時代
本書の構成
百済と対高句麗戦争と倭国
倭・百済関係の形成
倭の五王の外交と内政
百済の滅亡と復興
伽耶諸国をめぐる紛争
任那四県割譲と己汶・帯沙をめぐる問題
南加羅・㖨己呑と近江毛野の出兵
任那復興会議と倭国
白村江への道程
倭国の任那復興策と百済の動向
朝鮮三国の接近と倭国の方策
東アジアの情勢の変動と倭国の選択
白村江の敗戦 エピローグ
(本書の主張ではなく)個人的な感想だが、本書の扱う4-6世紀世紀の倭国は傭兵の供給地域だったようだ。倭国は東西に長く(そのため、ジャレド ダイアモンド (「銃・病原菌・鉄」が喝破したように文明が伝搬しやすく)、さらに瀬戸内海という内海をかかえ、豊かで人口が多い場所だったのだろうか?
「白村江」以後 国家危機と東アジア外交 森公章 講談社も読んでみるつもり。
なお、テレビの放映内容の昨今の学会の説などは、WIKIPEDIAの伽耶の項などにも出ていた。
なお、シリーズ 「日本と朝鮮半島2000年」の第三回は、6月28日放送。再放送の予定は、7月24日 から26日のAM1:10-2:40
「第1回 古代 人々は海峡を越えた」7/24(金)(2009年4月26日放送)
「第2回 “任那日本府”の謎 」7/25(土)(2009年5月31日放送)
「第3回 仏教伝来 」7/26(日)(2009年6月28日放送)
百済伝説といえば、日経ビジネスのサイト(残念ながら読者限定サイト)に
何もない村が成し遂げた国家的プロジェクト
「神社の銅鏡は、どげんかならんもんじゃろか」で始まった「西の正倉院」建造物語
宮嶋 康彦
が掲載されていた。百済の禎嘉王を祀る神社の宮崎県の町の紹介。禎嘉王を祀る神門神社(旧延岡藩(美郷町))、長男の福智王を祀る比木神社(旧高鍋藩(木城町))にまつわる話だ。神門神社には、伝世品の銅鏡33面が伝わるという。銅鏡は一般に、出土品と伝世品(代々受け継がれる鏡)に大別され、伝世の鏡を有する正倉院と八代神社(三重県神島)と神門神社は、三大伝世地といわれているそうだ。この銅鏡を展示するために西の正倉院をつくるというプロジェクトの秘話。すこし感動的だ。南郷区では宮内庁の協力、奈良国立文化財研究所の学術支援、さらに建設大臣の特別許可により、門外不出とされていた正倉院原図を元に樹齢400年から500年の木曾天然檜により忠実に正倉院を再建したという。
ただ、百済の最後の王は、義慈王(599年 - 660年)なので、禎嘉王ではない。南郷村・神門神社の社伝によれば、禎嘉王が宮崎に流れついたのは孝謙天皇の天平勝宝8(756)年ごろのことという。というわけで年代も少し合わない。でも銅鏡は本物なのだから何か由来はあるのだろう。
宮崎は古代ロマンの地です。(宮崎県 南郷町のHP)
昔の教科書では、「任那日本府」という記述があった。しかし、3世紀から6世紀中頃の朝鮮半島には任那ではなくの伽耶という、鉄器文明をもった国があった。この1月に韓国国立中央博物院を訪問でその史実を知り、なにかいい書籍はないかと探していたところに、この番組を見つけた。
『日本書紀』や、中国東北部の『広開土王碑文』の記述など、伽耶の鉄をめぐる交流や、韓国で発見された日本特有の前方後円墳など、最新の研究成果をもとに、交流の実像に迫るという内容。すごくよくわかった。森公章 東洋大学教授が出演していた。
この先生が第一人者ということで図書館で、森公章先生の著作「東アジアの動乱と倭国」(2006年)という書籍を見つけて読む。すこし難解だったが筋ぐらいは終えた。
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目次
倭国の登場 プロローグ
倭国の存立とアジア
東アジアの動乱の時代
本書の構成
百済と対高句麗戦争と倭国
倭・百済関係の形成
倭の五王の外交と内政
百済の滅亡と復興
伽耶諸国をめぐる紛争
任那四県割譲と己汶・帯沙をめぐる問題
南加羅・㖨己呑と近江毛野の出兵
任那復興会議と倭国
白村江への道程
倭国の任那復興策と百済の動向
朝鮮三国の接近と倭国の方策
東アジアの情勢の変動と倭国の選択
白村江の敗戦 エピローグ
(本書の主張ではなく)個人的な感想だが、本書の扱う4-6世紀世紀の倭国は傭兵の供給地域だったようだ。倭国は東西に長く(そのため、ジャレド ダイアモンド (「銃・病原菌・鉄」が喝破したように文明が伝搬しやすく)、さらに瀬戸内海という内海をかかえ、豊かで人口が多い場所だったのだろうか?
「白村江」以後 国家危機と東アジア外交 森公章 講談社も読んでみるつもり。
![]() | 「白村江」以後―国家危機と東アジア外交 (講談社選書メチエ)森 公章講談社このアイテムの詳細を見る |
なお、テレビの放映内容の昨今の学会の説などは、WIKIPEDIAの伽耶の項などにも出ていた。
なお、シリーズ 「日本と朝鮮半島2000年」の第三回は、6月28日放送。再放送の予定は、7月24日 から26日のAM1:10-2:40
「第1回 古代 人々は海峡を越えた」7/24(金)(2009年4月26日放送)
「第2回 “任那日本府”の謎 」7/25(土)(2009年5月31日放送)
「第3回 仏教伝来 」7/26(日)(2009年6月28日放送)
百済伝説といえば、日経ビジネスのサイト(残念ながら読者限定サイト)に
何もない村が成し遂げた国家的プロジェクト
「神社の銅鏡は、どげんかならんもんじゃろか」で始まった「西の正倉院」建造物語
宮嶋 康彦
が掲載されていた。百済の禎嘉王を祀る神社の宮崎県の町の紹介。禎嘉王を祀る神門神社(旧延岡藩(美郷町))、長男の福智王を祀る比木神社(旧高鍋藩(木城町))にまつわる話だ。神門神社には、伝世品の銅鏡33面が伝わるという。銅鏡は一般に、出土品と伝世品(代々受け継がれる鏡)に大別され、伝世の鏡を有する正倉院と八代神社(三重県神島)と神門神社は、三大伝世地といわれているそうだ。この銅鏡を展示するために西の正倉院をつくるというプロジェクトの秘話。すこし感動的だ。南郷区では宮内庁の協力、奈良国立文化財研究所の学術支援、さらに建設大臣の特別許可により、門外不出とされていた正倉院原図を元に樹齢400年から500年の木曾天然檜により忠実に正倉院を再建したという。
ただ、百済の最後の王は、義慈王(599年 - 660年)なので、禎嘉王ではない。南郷村・神門神社の社伝によれば、禎嘉王が宮崎に流れついたのは孝謙天皇の天平勝宝8(756)年ごろのことという。というわけで年代も少し合わない。でも銅鏡は本物なのだから何か由来はあるのだろう。
宮崎は古代ロマンの地です。(宮崎県 南郷町のHP)












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