徒然なるまままに

展覧会の感想や旅先のことを書いてます。

一角獣@「美の美」

2005-10-31 | 美術
日経新聞の「美の美」のコーナ。「一角獣がやってきた①」。パリ・クリュニー仏国立中世美術館蔵の「一角獣をつれた貴婦人・視覚」(15世紀末、タペストリー)の写真と記事が。モロー展に出品されていた一角獣がパリ・クリュニーを見て描かれたという話を知って、是非今度見てみたいと思っていた作品。赤が鮮やか。織地全面に兎や犬などの小動物がちりばめられています。「ミル・フルール(千花模様)」というそうです。「カルメン」などで知られる小説家のメリメが、ブルゴーニュの古城ブサック城で見て、クリュニーの主であった知人のエドモン・デュ・ソムラールに購入するように助言し、クリュニーに所蔵されるようになったとのこと。記事の中には中国の甘粛省博物館にある獣面鎮墓獣(7世紀、中国、加彩塑像)の写真もあるがこれも素晴らしい表情の作品。(2005年10月30日)
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特別展 華麗なる伊万里、雅の京焼 @東京国立博物館

2005-10-29 | 美術
特別展 華麗なる伊万里、雅の京焼 @東京国立博物館

10月22日に東京国立博物館で開催されていた「特別展 華麗なる伊万里、雅の京焼」に行ってきました。陶磁器には全く素人で、伊万里は、佐賀県立九州陶磁文化館、京焼は仁清の色絵雉香炉を石川県立美術館を鑑賞したことがある程度ですが、いづつやさんの「200%満足」にまったく同感の素晴らしい特別展でした。というよりも、素人の私には、華麗なる伊万里、雅の京焼がよく勉強できた展覧会でした。

最初のコーナは、「磁器誕生 -初期伊万里」。初期伊万里は、朝鮮半島の技術で中国陶磁の様式を融合することで生まれた、と。中国青花(せいか)の意匠(17世紀の景徳鎮窯 の青花山水人物図皿が展示されていた)を目指していたとのこと。
  • 重文「染付花卉文徳利」(1610~30年代 静岡・MOA美術館蔵)。初期伊万里で一番の秀逸と感じたのはこの作品。肩の如意頭文、胴に花卉文(菊、樹木、蔓草、草花)、筆致、発色も相まって素晴らしい作品。
  • 「染付吹墨月兎図皿」。ポスターにもなっていた、月見を連想させる作品。空白を生かした兎のデザインが染付吹墨の技法と相俟って可愛らしい作品。

  • しかし、まだまだ、初期伊万里では、トンド形式(ここでイタリア語をつかうこともないですが)の空間をどう描いていいのか慣れていない様子。重文の「染付山水図大鉢」(1630~40年代 奈良・大和文華館蔵 )は、遠景、中景、近景がそれぞれに置かれており、との説明、また、「染付鳳凰図大皿」(1630~40年代 個人蔵)は、 鳳凰が皿を飛び出さんばかり、との説明でしたが、両者ともちょっとピンときません。冒頭で秀逸とした、重文「染付花卉文徳利」では、縦長の空間に草花を描くという構図のため、無理なく草花を描くことに成功しているのかも知れません。

    「磁器に彩りを -伊万里・古九谷様式」のコーナでは五彩手、青手、祥(しょんずい)瑞手という様式を学ぶ。
  • 「色絵祥瑞文瓢形徳利」( 伊万里・古九谷様式 1対 1650~60年代 東京国立博物館蔵 )。赤彩の毘沙門亀甲も交互の草花文も、いい感じです。
    でも、このコーナはまだ技術的にはもう一歩と感じました。

    二階に上がって、「世界へ-伊万里・柿右衛門様式」。日本の磁器がはじめて輸出が行われたのは、カンボジア(バタビア)向けで1647年のこと。1656年の清朝の海禁令によって中国陶磁の輸入の道をたたれたオランダ東インド会社が、磁器の供給を伊万里に求めて、輸出が盛んになった。その以降、欧州向けの意匠として、中国の文様のコピーをし、改良を重ね、柿右衛門様式が生まれた。そんな歴史があったのかと初めて知りました。
  • 重文 「色絵花卉文有蓋八角壺」(伊万里・柿右衛門様式 1670~90年代 東京・出光美術館蔵)は、柿右衛門様式にしては珍しく大型の八角壺。乳発色の地と赤の発色がが目を引きます。
  • 「色絵鳳凰草花文蓋物」( 伊万里・柿右衛門様式 1合 1670~90年代 栃木・栗田美術館蔵 )。輸出品。欧州好みの、蓋と取っ手の金縁がお洒落。

    「世界へ、そして国内へ -金襴手」輸出品は兎も角、国内向けは圧巻。元禄文化の豪華さとはこのことをいうのでしょう。
  • 「色絵松帆掛船文皿」(伊万里 1枚 元禄6年(1693) 個人蔵)、小品ですが、よく見れば、赤、緑、金の文様が美しい。「元禄柿」の中でも早期の作品。
  • 「色絵赤玉雲龍文鉢」(伊万里 1口 1690~1720年代 個人蔵)赤玉とよばれ「太明万暦年製」の銘。金襴手の中で最高峰の作品とのこと。正確で精緻な文様、赤と金の色合い、豪華絢爛です。龍の顔もいいです。
  • 「色絵寿字龍鳳文独楽鉢」(伊万里 1口 1690~1720年代 個人蔵)
  • 「色絵荒磯文鉢」(伊万里 1口 1690~1720年代 個人蔵)赤と金に加え、黄緑の色合いが美しい。
    この3点は、贅を究めた作品。豪華絢爛。個人蔵とあるのは、由緒正しい武家の方が所蔵されていると拝察。東京国立博物館の特別展だからで出品された作品では?

    「極められた洗練 -鍋島 」。伊万里市の大川内を訪れたときに、鍋島は櫛高台の染付けが典型とは教えていただいていたが、今回、鍋島とは意匠であると得心。
  • 「色絵輪繋文三足大皿」(鍋島 1枚 18世紀 個人蔵)。この意匠、いまでも使われている意匠。鍋島で発明されたのですね。
  • 「青磁染付水車文皿」(鍋島 1枚 17~18世紀 福岡・田中丸コレクション)
  • 「色絵蒲公英図皿」(鍋島 1枚 18世紀 個人蔵)、「色絵組紐文皿」(鍋島 1枚 18世紀 奈良・大和文華館蔵)
    と意匠で勝負といった作品が並びます。
  • 「染付雪景山水図大皿」(鍋島 1枚 18世紀 東京国立博物館蔵)は雪景色が優雅。

    ここから、雅の京焼。「形と意匠 -仁清」
  • 重文 「色絵吉野山図茶壺」( 仁清 1口 17世紀 東京・静嘉堂文庫美術館蔵)、重文 「色絵月梅図茶壺」( 仁清 1口 17世紀 東京国立博物館蔵 )と、桜と梅が並べて展示されます。後者は、梅を眺めれば月は拝めず、月を眺めれば梅は愛でれない、という不思議な構図。上から眺めれば、両方愛でることができるというので、写真がありました。
    「モノトーンの中にみる仁清の洗練」として4点。
  • 「白釉輪花水指」(雪月花 仁清 1口 17世紀 大阪・湯木美術館蔵) 中央のはずした方が絶妙。
  • 「褐釉撫四方茶入」(仁清 1口 17世紀中頃 京都・高津古文化会館蔵)。
  • 「御深井釉菊透鉢」(仁清 1口 17世紀 東京・根津美術館蔵)やや開き気味の椀形。そこに菊透文様。
  • 「銹絵水仙文茶碗」(仁清 1口 17世紀中頃 京都・天寧寺蔵)
    そして、
  • 重文 「色絵鱗波文茶碗」(仁清 1口 17世紀 京都・北村美術館蔵 )(11/6まで展示)。緑の釉薬が垂れるところに金、銀、青の鱗波が細かく並ぶ模様が美しい。茶碗の形も少し波打った縁取りで洒落ています。今回見て一番感激した作品。(京都市上京区にある北村美術館は、古美術・茶道具を中心とした私立美術館だそうで、他にも与謝蕪村『鳶烏図(とびからすず)』(重要文化財|国重要文化財)、佐竹本三十六歌仙『藤原仲文像』 (国重要文化財)、織部松皮菱手鉢 (国重要文化財)-益田孝(鈍翁)旧蔵などが収蔵されているとのこと。)
  • 「色絵鴛鴦香合」(仁清 1合 17世紀 奈良・大和文華館蔵)は、一寸ほしくなる可愛さ。近衛家伝来。
    今後の参考に、仁清の茶碗のリストはこちら。

    「絵を焼物に -乾山 」。乾山は、今の普段使いの焼き物の祖かと感じました。光琳が兄とは、初めて知りました。

    「雅の造形 -古清水(こきよみず)」。名もない作家の作品ですが、京の雅さを感じます。次の作品は、黄土色の地に、緑、青、金彩。どれも派手ではないのですが優雅です。筆遣いも細やかで丁寧です。
  • 色絵竹図徳利 古清水(御菩薩池) 1口 17~18世紀 東京国立博物館蔵 。細い首の形が優美。
  • 「色絵椿松竹梅文透入重蓋物」(古清水 1具 18世紀 東京国立博物館蔵 )。兎の取っ手がいいですね。
  • 色絵椿松竹梅文透入重蓋物 古清水 1具 18世紀 東京国立博物館蔵 。きちっと三段重になっており、網状の透かし模様、五弁花形の文様も丁寧に描かれています。
  • 色絵片身替梅文銚子 古清水 1口 18世紀 大阪・湯木美術館蔵

    「江戸後期の名工達 -頴川・木米・道八・保全 」
  • 「交趾じこう香炉」(奥田頴川 1合 18世紀末~19世紀初 京都・建仁寺蔵)。古代の中国の動物たち、愛らしく描けています。
  • 金襴手花筏図水指 永楽保全 1合 弘化3年(1846) 個人蔵
  • 「色絵月に蟷螂図茶碗」(永楽保全 1口 1827~45年 東京国立博物館蔵) 仁清写というだけのことはあります。
  • 菊置上香合 永楽保全(南紀御庭焼) 1合 文政10年(1827) 東京・三井記念美術館蔵  菊の花の白と黄色の再現が見事。
  • 「色絵絵替小角皿」(永楽和全 5客 19世紀後半 東京国立博物館蔵)これは先日、三井記念美術館で見た和全の「布目色絵団扇形食籠」と同じ織物文様という様式で仕上げられている。
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    高階秀爾氏 文化功労者に  エトセトラ

    2005-10-29 | 美術
    美術評論の高階秀璽氏 文化功労者に。西洋美術史(高階秀璽 監修)など、いつか書籍を読んでいるので(別に直接存じ上げている訳では勿論ないですが)一寸だけ嬉しい。(どうでもいいことだが、森光子氏が文化勲章とはピンと来ない。1700回以上上演した代表作「放浪記」が「国民的な舞台」だそうだが。。。)

    KumakumaさんのBlogに足立美術館の話題を発見。足立美術館では、11月30日まで開館35周年記念の横山大観名品展を開催中とのこと。今年の夏、松江に行ったのですが、いきそびれています。

    池上先生のInterviewがあることをJuliaさんMegurigami Nikkiさんで発見。池上英洋先生のお話を伺えて、やはりインターネットってすごいですね。ビル・ゲイツ氏、学習院大学の裾分一弘名誉教授と自らヴィンチ村で博物館を運営されている本展監修者ヴェッツォージ館長のインタビューを聞いてやはり、レスター手稿The Codex of Leicester見に行きたいと思います。平日は22時までも開館していればいけそうです。



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    プーシキン美術館展

    2005-10-23 | 美術
    東京都美術館で始まったプーシキン美術館展に早速行ってきました。(渋谷ウインバレーさんで発見したかなり詳しい記事はこちら)小雨降る初日とは思えないあまりの混雑。宣伝が一寸効きすぎてきるようです。

    シチューキン・モロゾフ・コレクションによるフランス近代絵画コレクションは、先月グッゲンハイム美術館(Russia!展でセザンネのLady in Blueなどを)とメトロポリタン美術館(Matisse: The Fabric of Dreams)でエルミタージュ美術館の収蔵作品を数点鑑賞したばかり。それに引き続きですが、今回の展示は、質量とも勿論上回っていました。トヨタ(後援)がロシアに工場を今度作るから、美術ファンが恩恵を受けているのでしょうか。

    プーシキン美術館内部の写真。マティスのDanceの異作が見えます。先月MoMAでDance(First Version)を鑑賞しましたが、エルミタージュ美術館にはオレンジのDanceもあります。是非、訪れたいですねぇ。

    ルノワールPierre-Auguste Renoir《ムーラン・ド・ギャレットの庭で》In the Garden(Under ther Trees of the Moulin de la Galette)(1876)と《黒い服の娘たち》(Girls in Black)(1880-82)で始まります。

    エドガー・ドガEdgar Degas《社品スタジオでポーズをする踊り子》(Dancer Posing for a Photographer)(1875)は、ドガにしては珍しくパリの風景が見えます。

    ピサロCamille Pisarro《オペラ大通り、雪の効果、朝》(L'Avenue de l'Opera)(Effect of the snow, Morning))(1898)、パリにでてきたばかりで、雪景色をみて感動したピサロの作品。ピサロの雪景色はいくつか鑑賞しましたが、パリ街中の作品は初めてです。

    セザンヌPaul Cezanneの《サント・ビクトワール山の平野、ヴァルクロからの眺め》(1878-79)は、サント・ビクトワール山としては、最初期の作品。写生的ですが、すでに山肌にセザンヌらしさが。

    ゴッホVincent van Gogh《刑務所の中庭》(1890)。あまり好きになれません。

    ゴーギャンPaul Gauguinの《彼女の名はヴァイルマティといった(ヴァイルマティ・テイ・オア》(1892)。期待に膨らむ南国のタヒチ。

    ウジェーヌ・カリエールEugene Carriereは2点。《母の接吻》(Mother's Kiss)(1890年代末)、《指から棘を抜く女》(Woman Removing a Splitter from he Finger)(1890年代前半)、モノトーンの幻想的な作品。墨絵のような灰黒色の地に、白を朦朧とした人物を描いています。はじめて気に留めた画家です。モダンです。気に入りました。

    モーリス・ドニMaurice Denis《ポリュフェモス》(Polyphemus)(1907)。夏の海岸でのギリシア劇。ストップモーションで飛び跳ねる人物が、ドニらしImpressive.。

    シチューキンがマティスの作品21点を展示したマティス・ルームの写真。金魚のほかに、先月METで鑑賞したStill Life with Blue Tablecloth, 1909を発見。

    マティスHenri Matisse3点。《ブローニュの森の小道》(The Forest of Boulgougne)(1902)。《金魚》(Gold Fish)(140cm x98 cm)(1912)。《白い花瓶の花束》(Flowers in a White Vase)(1909ca.)。《金魚》は、赤い金魚4匹を中心に色彩のグラデーションがさりげなく、そして画面を覆いつくしています。赤の金魚と濃いピンクの花と淡いピンクのテーブルと左上の地。緑の常緑草の葉と、多年草のうすい緑、そして左下の椅子の青緑。テーブルの下の濃色の藍は、刷毛で白をアクセントをつけています。デフォルメした椅子、テーブル、画面中央の緑の葉の勢い、左上の緑の水玉模様が、画面に躍動感を与えています。シチューキンがスタジオで見てその場で購入。今見れば当然。当時の彼のセンスに脱帽。《白い花瓶の花束》も、雑然と花束を描いているようで計算尽くされた色の構成。茶褐色とオレンジの地のバックは、最近MoMAで見たPlum Blossomにも共通。

    近代版画。ポール・セザール・エルーPaul-Cesar Hellea《毛皮の帽子を被った女》(1900s?)。貴婦人は、あくまでも美しい。毛皮の質感が素晴らしい。

    近代版画。ゴーギャンPaul Gauguin《彼女は死者について考える(マナウ・トゥパパウ)》《夜(テ・アトゥア)》(1893-94)は、ノア・ノアの版画オリジナル。はじめて見ました。3色刷り木版画。そんなものが来日したの!感激です。

    アンリ・ルソーHenri Rousseau《セーブル橋とクラマールの丘、サン・クルーとベルヴェの眺め》(1908)。今鑑賞すると、ルソーにしてはおとなしく感じますが、飛行機自体が夢だった時代の作品。

    最後にピカソPablo Picasso。《三人の女(習作)》《友情I(習作)》(1907-08)この2点はMoMAで先月鑑賞した《アヴィニョンの娘たち》の完成後の2点。《女王イザボー》(Queen Isabeau)(1909).そして、《アルルカンと女友達(サルタン・バンク)》(1901)。1901年にすでにピカソはアルルカンを主題に取り上げていたのですね。青の時代のはじまりをつげるバックの青と不安げな模様。

    都美術館の売店は、美術館というよりも物販、お土産コーナー。12月18日まで。
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    プラート美術の至宝展

    2005-10-21 | 美術
    プラート美術の至宝展
    ―フィレンツェに挑戦した都市の物語―

    プラート美術の至宝展、ようやく鑑賞してきた。

    池上先生JuliaさんTakさんなどのBlogを参考にしながら、自分のメモをBlogします。

    プラートPratoは、イタリアのトスカーナ地方フィレンツェから北西に約15km程はなれた小都市。ミシュラン・グリーンガイドMichelin the Green Guide イタリアによれば、プラートのサント・ステファノ大聖堂のフラ・フィリッポ・リッピの祭壇画は★★。《ヘロデの宴会》は★★★、ベネデット・ダ・マイアーノの《オリーブの下の聖母》は★。ということ。現在修復中ということで今回の至宝展が開催された。

    目玉は、フラ・フィリッポ・リッピだが、有名どころとして、ミシュラン・グリーンガイドのルネサンスの画家の系譜に載っているベルナルド・ダッティ、アニョロ・ガッティ、パオロ・ウッチェルロそしてフラ・フィリッポ・リッピ、フィリピーノ・リッピ、画家さらにサッソフェッラートなどの作品が鑑賞できた。

    ベルナルド・ダッティBernardo Daddi(1290/95-1348)の《聖帯の伝説》(1337-38)。ベルナルド・ダッティは、ジオットGiottoの影響を受けたという画家。プラートの教会と都市のシンボルである聖帯がプラートに伝わったという由緒を描いた祭壇画。

    「ストラウスの聖母子の画家」による《ピエタのキリスト像》(推定1390年代)。小品ながら(というより、キリストの顔や肉体をじっくりと鑑賞するので)非常に印
    象的。初期のジオット派の様式を思い出させるとカタログにはあり。

    アニョロ・ガッティAgnolo Gaddi(1369-96に活動記録有り)の《聖母子》。フレスコ画の断片。聖母の一寸上を見上げた悲しげな表情が印象的。

    パオロ・ウッチェルロPaolo Uccello(1397-1475)の《ヤコポーネ・ダ・トーディ》(1435-36)。ウッチェルロは、マザッチオと同様に、透視遠近法で有名。本作品も天蓋と足の部分は遠近法で下から見上げたように描かれ、上半身は真正面から描かれている。赤と白のコントラストの清楚なコントラストが、純潔、服従、清貧を旨とするでフランチェスコ会に相応しい。

    そして、今回の目玉作品、フラ・フィリッポ・リッピFra Fillppo Lippi及びフラ・ディアマンテFra Diamante《身につけた聖帯を使徒トマスに授ける聖母および聖グレゴリウス、聖女マルゲリータ、聖アウグスティヌス、トビアスと天使》1456-66年頃、テンペラ・板、200.0×207.0cm。プラートのアウグスティヌス会のサンタ・マルゲリータ修道院に由来。

    カイエさんのフラ・フィリッポ・リッピの紹介は素晴らしいです。個人的には今回初めて知ったエピソードが2つ。

    もともとは、サント・ステファノの聖堂の装飾は、フラ・アンジェリコに制作を打診したが断られ、フラ・フィリッポ・リッピに依頼したというのが1点。フラ・アンジェリコFra Angelicoは、サン・マルコ祭壇画を仕上げ、エウゲニウス4世 Eugenius IV 在位:1431-1447 、ニコラウス5世 Nicolaus V 在位:1447-1455にも召ばれて仕事をしたあと、フィエーゾレのサン・ドメニコ修道会の院長1450-1452していた時代か。プラートの仕事までできなかったのだろう。

    もう1点は、フラ・フィリッポ・リッピが尼層と駆け落ちした話、つまり、1456年に修道女ルクレツィア・ブーティと恋に落ち、フィリッピーノ・フィリッポ・リッピが誕生した話は、このプラートのサンタ・マルゲリータ修道院が舞台だったという点。「西洋美術史(高階秀璽 監修)」にも記述されているので、話は知っていたし、だから、フラ・フィリッポ・リッピの描く女性は魅力的だと思っていたが、その事件がプラートであったとは。

    本作品は、金箔により装飾は豪華だし、聖女マルゲリータは若いルクレツィアの似姿を描いたとされているだけ、確かに非常に美しく描けている。すこし状態が悪く、また共同制作かつ途中で仕上げが中断されていることから作品全体として素晴らしいと評価するには難しいが、記念碑的な作品であり、鑑賞できたことに一寸感動。この1ヶ月ほどで他で鑑賞したフラ・フィリッポ・リッピ作品の2点とあわせた中では、アルテ・ピナコテークの作品が洗練されていて一番。(NYでのフラ・フィリッポ・リッピ)

    フラ・フィリッポ・リッピFra Fillppo Lippi及びフラ・ディアマンテFra Diamante《聖ユリアヌスを伴った受胎告知》。聖ユリアヌスは旅人や宿屋主の守護者。ドメニコ・ディ・ザノービの同一バージョンが並べて展示されていた。他にもアヴィニョンのプティ・パレ美術館に同一バージョンのフラ・フィリッポ・リッピの協力者による作品があるそうだ。職人的な作品生産を示す興味深い例とのこと。

    フラ・ディアマンテFra Diamanteとフィリピーノ・リッピFillippino Lippiの《神殿奉献》《東方三博士の礼拝》《嬰児の虐殺》。優雅で繊細な人物像はフィリピーノによるとされる。ロンドン ナショナル・ギャラリーには、ボッティチェリとフィリピーノによる《東方三博士の礼拝》があるそうだ。

    レリーフが数点。

    ジョヴァン・マリア・ブッテリGiovan Maria Butteri(1540ca-1606)の《3つの対神徳の寓意(賢明、信仰、節制》。細身の独特に身体をまげた女性のポーズが印象的。

    ルドヴィコ・ブーティLudovico Buti(1555-1611)の《フランチェスコ・ディ・マルコ・ダティーニの肖像》。赤い衣服の鮮やかさ。《身に着けた聖帯を使徒トマスに授ける聖母》。澄んだ明るい色調がすばらしい。デューラーを思い出す。

    マリオ・バラッシMario Balassi(1604-1667)の《聖ドミニクスの眼の前に出現した聖母子》と《聖ヨセフと幼きイエス》。人物に光をあてライトアップする。あくまでも人物は美しく描かれる。

    オラツィオ・フィダーニOrazio FIdani(1606-1656)の《聖フィリッポ・ネーリの幻視》。聖フィリッポ・ネーリの衣装の文様がすばらしい。《聖ドミニクスの眼の前に出現した聖母子》とともに、「都市(チッタ)」の称号を与えられたときに発注した作品。

    カルバッジョ派としてバッティステッロ・カラッチョーロGiovan Battista Caracciolo detto Battistello(1578-1635)の《キリストとマグダラの聖女マリア(我にに触れるなかれ)》。芝居がかった様子も、キリストの帽子も風体も、聖女マリアの表情ももいただけません。でもカルバッジョの作品はちょっときちんと鑑賞したいです。来年アムステルダムで展覧会があるようだ。

    サッソフェッラートSassoferratoの《祈りの聖母マリア》aka《マーテル・アマービリス(愛すべき聖母)》。聖母の表情。構図からアルテ・ピナコテークでみたメッシーナの聖母を思い出した。時代は下るので、サッソフェッラートは抜群に洗練された色彩と明瞭な質感。異作が数多いとのこと。これも当時の作品生産を示す興味深い例。 

    さらに模写が数点。たとえば模写画家ヴァレーリオ・マルチェに帰属できるクリストーファノ・アッローリの原画《懺悔のマグダラの聖女マリア》。これも当時の作品生産を示す興味深い例。 

    プラートは、もともと「都市(チッタ)」(司教座聖堂をもつ都市に与えられた称号)ではなかったが、サン・ステファノ聖堂が大聖堂に昇格し、長年の宿願である都市に1653年となった、とのとこ。副題―フィレンツェに挑戦した都市の物語― は、多少誤解を与えたかもしれないとカタログの中で、小佐野重利教授が書いている。プラートの芸術文化は、「中心」としてフィレンツェからみた「周縁」性に特徴があると。プラートの装飾事業では、芸術家の育成を図るよりは、装飾事業ごとに発注するか、あわよくば出来合いの祭壇画を購入することで済ませるという傾向があったという。また、フィリッポ・リッピの長期滞在で、小さな発注に見合うような、他の芸術家が育成されなかったという。周縁であれば、原画からの模写とか異作とかが多いことも理解できる。

    池上先生の解説を聞けなったのが残念。
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    書籍:トリエステの坂道 須賀敦子著 (+カラヴァッジョ)

    2005-10-19 | Review
    トリエステの坂道

    新潮社

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    トリエステ(旧トリエステZoneA)、スロベニア(旧トリエステZoneB)は、イタリア人とオーストリア人とスラブ人の複雑な歴史の絡まっていた地域。トリエステは、数世紀もオーストリアの海の出口として地位を確保することに繁栄してきた。でも、トリエステは、イタリア帰属の夢と引換えに凋落の道を辿り、さらに、辺境で冷戦の対峙が必要でなくなった今、本当に辺境都市になってしまった。(トリエステ訪問のBlogはこちらスロベニアの(ピラン)の歴史はこちら)そのトリエステ方言で書かれた詩は、独特の響きがあり、須賀さんをトリエステへの旅へいざなう。

    トリエステから帰国して、「トリエステの坂道」という書籍があることを知り、そしてその書籍が前から薦められていた須賀敦子さんの書籍だと知ったとき、書店へ駆け込んでしまった。冒頭の短編「トリエステの坂道」に描かれるトリエステ空港に夜に到着した描写を読むと、先月訪れたあの寂しいトリエステの空港の光景が脳裏に蘇る。

    そのあとの短編「電車道」からは、ミラノの生活が筆致鮮やかに回想される。決して裕福とはいえない生活に飛び込んだ須賀さんは、小雨では傘をささない夫に、微妙な出自の違いを感じる。そして、夫が亡くなった後、一寸出来の悪い弟がようやく結婚して、須賀さんが飛び込んだ家族にもようやく幸せが訪れてくる。戦後まもなくフランス留学までした須賀さんが、何故そういう生活をしてきたのか?分からないまま、エッセイのような小説は終わってしまう。

    解説で何故がようやく解ける。須賀さんは意思をもってそのような生活を選び、生きたのだと。真摯に考え、そして実践されたと。

    須賀さんは、晩年日本に帰国され大変活躍された。トリエステの街も、戦後少し凋落した時期もあっただろうが、今はとても海風の気持ちのいい清潔な街となった。「トリエステの坂道」というタイトルに込められた思いは、決して二つの文化を生きたというだけではない。

    P.S. カラヴァッジョの『聖マタイの召命』:収録されている「ふるえる手」という短編に、ローマのサン・ルイジ・デイ・フランチェージ教会San Luigi dei Francesiにある カラヴァッジョMichelangelo Merisi(1571-1610)の有名な『聖マタイの召命』という祭壇画を訪れて鑑賞するときの話が出てくる。このカラヴァッジョの光の表現がレンブラントや、さらにラ・トゥールやフェルメールにつながっていくという意味では勿論、須賀さんの思いを鑑賞するという意味でも、是非ローマを訪れたくなった。

    学芸員 荒井信貴さんのカラヴァッジョの解説
    ローマのラヴァッジョ作品

    P.P.S.
    UPCOMING展覧会 レンブラントとカラバッジョ Rembrandt - Caravaggio2006年2月24日~6月18日  @Holland
    史上初めて世界で最も有名な17世紀の芸術家、レンブラントとカラバッジョの特別展を開催。国立博物館とゴッホ美術館の共催で、アムステルダムのゴッホ美術館が会場。ヨーロッパの北と南のバロック期を代表する画家の芸術的な対比が見られる。25点ほどの絵画が、愛、感情、情熱の力強いイメージの饗宴を提供する。レンブラント生誕400年記念の展覧は2006年を通じて行われる。


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    三井記念美術館「美の伝統 三井家伝世の名宝」(前期)

    2005-10-16 | 美術
    三井記念美術館 開館記念特別展Ⅰ 「美の伝統 三井家伝世の名宝」(前期) 

    2005年10月8日にオープンした日本橋の三井記念美術館にいってきた。西武新宿線の新井薬師前にある三井文庫の時代にも数回訪れたことがあるが、日本橋に移転して新装オープン記念展ということで、期待にたがわず名宝のみが展示され、今も感動が続いている。

    まずは、団琢磨が建設を決断し1929年に竣工したアメリカ風古典主義の三井本館のビル内部。エントランスの床、エレベータから一寸圧倒される。また、展示室内部も団琢磨が唱えたグランデュア、ディグニティ、シンプリシティという意匠そのもの。

    そして今回は、茶道具、絵画、書、漆塗り、切手、能面の名宝が展示されていた。

    茶道具は、仁清が、東福門院好みの意匠の「信楽写兎耳付水指」(兎の耳がかわいい)「流釉輪花建水」の2点、乾山、永楽和全「布目色絵団扇形食籠」(善五郎時代(1843~71))(かすれた感じの表面が秀逸)、
    そして、国宝「志野茶碗 銘卯花墻」 (和物茶碗の国宝の2点のうちの1点、もう1点の国宝は酒井忠正氏の所蔵する楽焼白片身片変茶碗 銘不二山 光悦作 *1*2、国産のやきもので国宝もわずか5点。*1)、重文「黒楽茶碗 銘俊寛」 長次郎作 、重文「黒楽茶碗 銘雨雲」 本阿弥光悦作、「大名物 粉引茶碗 三好粉引」 (三好長慶のあと秀吉に伝来)。
    重文「大名物唐物肩衝茶入北野肩衝」 (足利義政伝来。秀吉が京で開いた「北野大茶会」で千利休が秀吉に紹介した)。
    大名物(おおめいぶつ、千利休以前に選定されたもの)、名物(千利休時代に選定されたもの)、中興名物(小堀遠州が選定したもの)という用語を帰って調べている茶道具にはまったく素人にも、ため息がでる美しさ。
    東京・麻布今井町に移設した如庵(織田有楽斎が京都・建仁寺境内に1618年頃に建てた茶室、現在は有楽斎の故郷である尾張の犬山城下の有楽苑に)で北家十代の三井高棟が開いた昭和3年「如庵披きの茶会」で使われた茶道具の取り合わせ。利休竹茶杓、「中興名物 瀬戸二見手茶入れ 銘二見」など。

    絵画は、応挙。まずは、「水仙図」。題名を見る前から、いいなあと掛け軸に目が行く。絵師応挙が三井高美の菩提を弔うために手向けた心づくしの供花。国宝「雪松図屏風」は美しいの一言。応挙写とあるが、豪華な金屏風に、繊細な雪化粧した松は、写を意匠に昇華させた国宝。状態もすばらしい。国立博物館の応挙には感動した覚えはないが、この応挙には感動。

    書は、国宝「熊野御幸記」 藤原定家筆。後鳥羽上皇に随行した23日間の記録が、すべて巻物をひらき、展示されている。圧巻。重文「古筆手鑑 たかまつ」 。小野道風から展示されており頼朝、義経の書跡も。

    漆塗りは、七代西村彦兵衛(象彦)作、八代象彦作やミニチュア印籠など。「四季草花蒔絵源氏物語箪笥」は、源氏物語を収める為の専用の箪笥。「きりつぼ」から巻名が引き出しの表に書かれている源氏物語を専用の雅な箪笥。

    切手は、日本最初の切手の龍切手、ギリシャ・オリンピック再興記念切手、美しき国オーストリアのトピカル展示など。

    最後に能面。これもまったく知識がないが、20点は圧巻。伝春日作、伝赤鶴作が多数。なぜか、唯一、重要文化財でも、重要美術品でもない「影清」の青筋たった意匠に目が行った。


    *1
    国宝

    新潮社

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    *2 Takさんに教えていただきました。銘不二山、現在はサンリツ服部美術館所蔵だそうです。
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    フリック・コレクション訪問:鑑賞記録のリスト

    2005-10-13 | 美術
    ようやく、フリック・コレクションThe Frick Collection訪問のBLOG、気になった作品について書き終えましたので鑑賞記録のリストをまとめました。以下、BLOGタイトルと登場画家です。

  • ヤン・ファン・アイク @ フリック・コレクション
     - ヤン・ファン・アイクJan Van Eyck(1390?-1441)
  • フラ・フィリップ・リッポ @ The Frick Collection など
     - フラ・フィリップ・リッポFra Filippo Lippi(1406頃-69)
  • フリック・コレクションの広間(その2)
     - ジョヴァンニ・ベリーニGiovanni Bellini(1430頃-1516)
     - ティツィアーノ・ベチェリオTitian (Tiziano Vecellio) (1477/1490-1576)
  • フリック・コレクションの広間(その1)
     - ハンス・ホルスバイン(子)Hans Holbein the Younger(1497/98-1543)
     - エル・グレコEl Greco(1541-1614)
  • ラ・トゥールとフェルメール @ New York
     - ラ・トゥールGeorges de La Tour(French, 1593?1652)
     - ヨハネス・フェルメールJohannes Vermeer (Dutch, 1632-1675)
  • ロココRococo @N.Y.
     - ブーシェFrancois Boucher (1703-1770)
     - フラゴナールJean Honoré Fragonard(1732-1806)
     - ドルーエFrancois-Hubert Drouais(1727-1775)

     - ルノワールPierre-Auguste Renoir(1841-1919)
  • トマス・ゲインズバラ @フリック・コレクション
     - トマス・ゲインズバラ Thomas Gainsborough(1727-1788)
  • ジョン・コンスタブル @ フリック・コレクション
     - ジョン・コンスタブル John Constable(1776-1837)

    9月25日と26日の日程のBlogは、New Yorkへ
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    ジョン・コンスタブル @ フリック・コレクション

    2005-10-13 | 美術
    ジョン・コンスタブル @ フリック・コレクション

    二人の偉大なイギリスのロマン主義風景画家、J.M.W.ターナーとジョン・コンスタブル John Constable(1776-1837)。前者については、夏目漱石も言及 していたが、後者も言及していただろうか。*1 ジョン・コンスタブルについて、私ははじめてフリック・コレクションで開眼した。ジョン・コンスタブルは、《乾草車》を1824年のパリ・サロンに出品し金賞。ドラクロワやバルビゾン派に影響を与え、風景画とジャンルを確立した画家。

    《白馬》The White Horse, 1819は、地元サフォークのあまりにどうてことない風景を描いた作品。ただ、彼はこの景色のおかげで画家になろうと決心したということ。画集で見ていると、まったく構図も画題もあまりに見慣れたような風景で見飛ばしてしまうような絵画だが、West Galleryでひょっと立ち止まってしまった。本当に真剣に屋外写生したようで、自然の色の鮮やかさ、細やかさがそのままキャンバスに焼き付けられたようだ。立ち止まらせたのは、水面の光の輝きか木々の描き方か。

    9月6日に、国立西洋美術館の常設展で見たフランスのジョゼフ・ヴェルネClaude-Joseph Vernet(1714 - 1789)の《夏の夕べ、イタリア風景》, 1773という風景画家の作品を思い出したが(ここにも水面の表現がある)、やはりもう一度WEBで見ると「外で風景を直接写生、制作したといわれ、その成果は18世紀特有の華やかさをもちながらも、真実味のあふれた清新な描写を持つ、理想的風景画に活かされている」という解説通り、ジョゼフ・ヴェルネの絵画は理想的。The Shipwreck, 1772などは本当に理想的風景画で写生からは遠い、物語が主題。やはり自然への観察眼は、圧倒的にジョン・コンスタブルであった。80年の生涯を同じ風景を見続けたというだけはある。

    《白馬》は、・コンスタブルが、王立美術院に展示するために制作した作品の最初のもの。お気に入りで、元の持ち主から買い戻したとのこと。


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      *1 夏目漱石とターナーについては、坊ちゃんにも草枕にもでてくる。寺田寅彦も漱石はターナーが好きだったと書いている。コンスタブルについては見つからなかった。
      • 坊っちゃん 夏目漱石 から 「あの松を見たまえ、幹が真直(まっすぐ)で、上が傘(かさ)のように開いてターナーの画にありそうだね」と赤シャツが野だに云うと、野だは「全くターナーですね。どうもあの曲り具合ったらありませんね。ターナーそっくりですよ」と心得顔である。ターナーとは何の事だか知らないが、聞かないでも困らない事だから黙(だま)っていた。
      • 草枕 夏目漱石から 「この故(ゆえ)に天然(てんねん)にあれ、人事にあれ、衆俗(しゅうぞく)の辟易(へきえき)して近づきがたしとなすところにおいて、芸術家は無数の琳琅(りんろう)を見、無上(むじょう)の宝(ほうろ)を知る。俗にこれを名(なづ)けて美化(びか)と云う。その実は美化でも何でもない。燦爛(さんらん)たる彩光(さいこう)は、炳乎(へいこ)として昔から現象世界に実在している。ただ一翳(いちえい)眼に在(あ)って空花乱墜(くうげらんつい)するが故に、俗累(ぞくるい)の覊絏牢(きせつろう)として絶(た)ちがたきが故に、栄辱得喪(えいじょくとくそう)のわれに逼(せま)る事、念々切(せつ)なるが故に、ターナーが汽車を写すまでは汽車の美を解せず、応挙(おうきょ)が幽霊を描(えが)くまでは幽霊の美を知らずに打ち過ぎるのである。」 「「いいや、今に食う」と云ったが実際食うのは惜しい気がした。ターナーがある晩餐(ばんさん)の席で、皿に盛(も)るサラドを見詰めながら、涼しい色だ、これがわしの用いる色だと傍(かたわら)の人に話したと云う逸事をある書物で読んだ事があるが、この海老と蕨の色をちょっとターナーに見せてやりたい。いったい西洋の食物で色のいいものは一つもない。あればサラドと赤大根ぐらいなものだ。」
      • 柿の種 寺田寅彦 女の顔  夏目先生が洋行から帰ったときに、あちらの画廊の有名な絵の写真を見せられた。  そうして、この中で二、三枚好きなのを取れ、と言われた。  その中に、ギドー・レニの「マグダレナのマリア」があった。  それからまたサー・ジョシュア・レーノルズの童女や天使などがあった。  先生の好きな美女の顔のタイプ、といったようなものが、おぼろげに感ぜられるような気がしたのである。  そのマグダレナのマリアをもらって、神代杉(じんだいすぎ)の安額縁に収めて、下宿の間(びかん)に掲げてあったら、美人の写真なんかかけてけしからん、と言った友人もあった。  千駄木(せんだぎ)時代に、よくターナーの水彩など見せられたころ、ロゼチの描く腺病質(せんびょうしつ)の美女の絵も示された記憶がある。  ああいうタイプもきらいではなかったように思う。  それからまたグリューズの「破瓶(われがめ)」の娘の顔も好きらしかった。  ヴォラプチュアスだと評しておられた。  先生の「虞美人草(ぐびじんそう)」の中に出て来るヴォラプチュアスな顔のモデルがすなわちこれであるかと思われる。 (以下略)
      • 夏目漱石先生の追憶 寺田寅彦「当時先生はターナーの絵が好きで、よくこの画家についていろいろの話をされた。」
      • 小説「坊ちゃん」に登場した松山の名勝 ターナー島の松 復活支援
      • 夏目漱石の「大変」
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    トマス・ゲインズバラ @フリック・コレクション

    2005-10-10 | 美術
    トマス・ゲインズバラGainsborough, Thomas (1727-1788)について、フリック・コレクションで初めて知った。スティーヴン・ジョーンズによれば、イギリスでのだだ一人のすぐれたロココ画家。ロンドンで絵を学ぶが、1748年に21歳で結婚するとサフォークに戻り、その地の人の肖像や風景画を描いた。1759年にバースに移り上流階級の肖像画を描き始め、1774年に最終的にロンドンに戻り、王室お気に入りの流行画家となった。

    6点ものゲインズバラが、フリック・コレクションにあるが、目を引いたのは、《イネス夫人》Lady Innes, c.1757。「ややぽっちゃりとして、あまり美人とはいえませんが、自信と知性とユーモラスをまじえ、ゲーンズバラの方を向いています、という解説の通りです。」

    一番有名な作品は、《ロバート・アンドリュース夫妻像》Robert Andrews and His Wife Frances.. About 1748-49. Oil on canvas. National Gallery, Londonのようです。

    *1 18世紀の美術 スティーヴン・ジョーンズ著、岩波書店, 1989


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