会津の旅人宿 地域との交流・旅人との交流が盛んな【会津野】宿主ブログ

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【会津野】石まくらのお話

2017年03月05日 | 宿主からのブログ

おはようございます。旅人宿 会津野 宿主の長谷川洋一です。

今日は、宿屋として「えっ?そんな!」という恐ろしい昔話をひとつ。

「会津ふるさと夜話(1)」(小島一男著)より、「姥屋敷」というお話です。

昔、上荒井(現在、会津若松市北会津町)の中ほどにお宮さんがありました。そのお宮さんの前には年をとった二人の姥が住んでおりました。

この姥屋敷の前は、ちょうど街道になっていて、ときおり旅人が通りました。そして夜になって通る旅人は、近くに宿屋のないところから、この姥屋敷を訪ねてよく泊めてもらっておりました。

ところが不思議なことに、この姥屋敷には旅人が泊まるのに、この家から出て行く旅人の姿は、誰れも見かけたものはおりませんでした。

このことが噂にならない筈はありません。

「あの姥屋敷、変だと思わねが?」

「うん、そう言えば変だなァ。泊る旅人があっても、次の朝出て行く旅人は一人も居ねえ」

「きっと旅人を殺してしまうでねえのか?」

「そうかも知れねえナ」

「おゝ恐ろしい。恐ろしい」

しかしはっきりと旅人を殺しているところを見た者は、一人もおりません。

村人たちのこうした噂を聞いた一人の子供が、もしそれが本当かどうかひとつ見てやろうと思いました。

ある夜のこと、この姥屋敷に一人の旅人がやってきました。これを見てた子供は、こっそりと屋敷の裏に廻り、姥たちには見つからないように家の中の様子を覗きこんでおりました。

あたりはすっかり暗くなって、どこかで梟はホー、ホーと淋しく啼いております。

二人の姥はご馳走をつくって旅人をもてなしておりました。旅人はそれをおいしそうに食べておりましたが、やがて食事も完えて旅人は休むことになりました。

寝間は隣の部屋でした。一人の姥が布団を敷いて枕を置きました。見るとそれは石の枕なのです。子供はびっくりしましたが、それでも旅人は気にかけない風でその石枕をすると、旅の疲れが出たのか、すぐにグーッ、グーッと高いびきをかいております。

旅人がすっかり寝てしまうと、二人の姥は何事か小さな声で相談をはじめました。すつと一人の姥が奥に入って大きな石の槌を持って来ました。そして旅人にソーッと近づくと、旅人の顔めがけて石の槌を振りおろしました。瞬間旅人の頭はグシャッ・・・・・・。

子供はあまりの恐ろしさにその場から逃げ出してしまいました。

そんなことがあってから、子供は旅人の通るたびに小さな声で歌を歌いかけるようになりました。

   荒井小松に宿とるな

     石の枕に槌ひとつ

それはそれはなんとも言えない美しい声でした。そして旅人もこの歌を聞くと、姥屋敷には泊らなくなりました。

これをみた村人たちは、

「あの子供はきっとお宮さんのお使いにちがいねえ」

と言って噂するようになりました。

今でもこの村には長さ50センチばかりの細長い石があり、村人たちはこれを枕石と呼んで姥たちが旅人を殺すときに使った石枕だと言い伝えられています。石鎚の方は下小松にあったそうですが、現在では残っておりません。また先の歌のほかにこんな歌も残っています。

   ゆき暮れて野にはふすとも宿かるな

      荒井の里の一つ家のうち

なんと恐ろしい話なのでしょう。これとは別に、会津三十三観音の第21番札所「左下り観音」にある秘仏「頸無観音(くびなしかんのん)」にまつわる話があります。そこでは、切り落とされた首からしたたり落ちる血を洗った場所である「上洗」「中洗」「下洗」という地名が出て来ます。後に変化して「上荒井」「中荒井」「下荒井」となりました。姥屋敷のあった上荒井はまさにその場所です。ちなみに小松(下小松)というところは、上荒井から北に2Kmほどのところです。

左下り観音の話は、また別の機会に詳しく記しましょう。

私の宿から旅立たなかった旅人さんはおりません。枕も石ではありません。子供は「泊りにおいで」と言います。

みなさん、安心してくださいね。

今日も素敵な一日を過ごしましょう。

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