昨日の産経の「主張」に、教育勅語礼賛の思想が改めて浮き彫りになりました。この思想は偽装・偽造の粉飾思想です。大ウソ・デタラメ・スリカエ・トリック手法です。以下検証してみます。
入学式不参加問題を教育勅語思想礼賛にスリカエる!
1.「おかしいと思うのは古いのだろうか」「家族は大切だ。どうしてもという事情があったのかもしれない。」「大学の入学式も保護者で埋まる時代」などと殊勝なことを言っています。しかし、これらの言葉の次には、悉く否定する言葉が連なっています。言いたいことは、そのことです。
2.教職者だからこそ優先すべきことはあるはずだ」と曖昧な「はずだ」を使って、「優先すべ」論のホンネをゴマカスのです。しかし、その後には、「多くの教員に、改めて重い職責を認識してもらいたい」とホンネを打ち出すのです。
3.そのホンネとは、「入学式は先生と生徒の出会いの場である。担任教師にとって特別な日ではないのか」と「入学式」の「特別」性を強調するのです。産経に言わせれば、「日の丸」=「国旗」を礼拝し、「君が代」=「国歌」を斉唱させる「特別の日」であることは、以下の[産経抄](4月17日)を読めば明らかです。子どもの尊厳など二の次です。子どもを出汁に使って国家統制=命令組織としての、教師を服従させる装置としての学校における入学式という位置づけで、戦前の亡霊そのものです。
4.「教え子のため、寝食を忘れる多くの教師がいたからこそ、『仰げば尊し』と尊敬の念が生まれ」たと、この女性教師の日頃の教育活動が寝食を忘れている教師であるかのような印象操作でスリカエルのです。今回の入学式に、この女性教師が欠席したことと「尊敬の念」は何も関係していません。
5.しかも、産経の「教え子のため、寝食を忘れる多くの教師」論と『仰げば尊し』と「尊敬の念」を結びつけるなど手の込んだ、というか、あまりの「井戸端会議」論で、ゴマカスのです。大ウソで糊塗するのです。以下ご覧ください。
明治から大正、昭和にかけて、学校の卒業式でしばしば歌われる定番の曲となり、現在でも中年以上の世代を中心に、日本の多くの人の記憶に残る歌である。しかし、歌詞が文語であるため、児童・生徒には分かりにくいという理由から、卒業式で歌われることは減った。大都市の公立学校(特に小学校)では、卒業式合唱曲を『旅立ちの日に』、『贈る言葉』、『さくら (森山直太朗の曲)』等、よりその時代のヒット曲を中心にする学校が多い。さらに、『仰げば尊し』を歌っている学校においても、2番の歌詞では「身を立て名をあげ」と立身出世を呼びかけていることが「民主主義」的でなく[9]、また「いと」「やよ」のような文語が「難解である」という理由で敬遠され、本来の2番を省略し3番を2番として歌うこともある。戦後、児童文学者の藤田圭雄は、この歌詞を現代風にアレンジしたが普及しなかった。(引用ここまで)
…明治14年7月9日、宮中ご陪食に際して宮内省の伶人が演奏。「蘇格蘭土(スコツトランド)ノ古伝ニ出デ其作者ヲ詳ニセズ。然レドモ、其意ハ告別ノ際、自他ノ健康ヲ祝スルニアリトス。(中略)学生等ガ数年間勤学シ、蛍雪ノ功ヲ積ミ、業成リ事遂ゲテ学校ヲ去ルニ当リ、別ヲ同窓ノ友ニツゲ、将来国家ノ為ニ協心戮力(りくりよく)セン事ヲ誓フ有様ヲ述タルモノニテ、卒業ノ時ニ歌フベキ歌ナリ」(明治14年7月15日付『東京日日新聞』)。スコットランド民謡「久しい昔(Auld Lang Syne)」が原曲(『東京芸術大学百年史 東京音楽学校篇』)。
文部省の徳育主義の忠実な実践者であった音楽取調掛首脳部は、前記『小学唱歌集』印刷の直前、「仁義礼智は人の性(さが)。信義別序は人の倫(みち)……」という「五常五倫の歌」を同唱歌集に追加することを提言し、それが認められて、若干の詞句修正のうえ、『小学唱歌集』第一巻の巻末に追加された。また、「螢(ほたる)の光」も徳性教育の目的のために、数次にわたる論戦が展開されて改訂ののち、ようやく今日うたわれている歌詞が決定したような経緯がある。(引用ここまで)
6.いよいよ、ホンネが具体化されます。それは、以下の言葉です。
「私」を抑え「公」を優先すべきときがあることを身をもって教えることも教師の仕事であるはずだ。
「家庭」=「父」「母」も、「私」、「朋友」も大事だ。しかし、それ以上に「公」の方がもっと大事だという産経の思想が浮き彫りになります。この「公」こそ、「一旦緩急あれば、義勇公に奉じ持って皇運を扶翼すべし」の「公」です。殺人装置教育勅語の「公」=「皇運を扶翼すべし」なのです。「天皇のために死ね」「天皇のために敵国人を殺せ」です。
7.ところで、「仰げば尊し」「蛍の光」は、産経の言葉を借りれば「西洋文化」でした。これを「日本の伝統文化」と言っても中国・朝鮮から輸入された「儒教」の「徳目」でした。こうした基本的な歴史の知識を抹殺して、大ウソをつくのが産経など、安倍首相派です。大東亜戦争正当化派です。
特に、「蛍の光」が国土「防衛」の歌であることは、その歌詞を見れば明瞭です。現代版「防人」歌です。万葉時代の「防人」と同じ、人頭税と同じ徴兵制度によって集められた皇軍兵士がどのような過酷な兵役を課せられたか、「軍人訓戒」によって国際法違反の「玉砕」を命令されたか、産経は覆い隠しているのです。全くデタラメは新聞と言わなければなりません。この新聞に「愛国心」を語る資格なし!です。
道徳教育教科化に教育勅語復活を企図煽動の産経!侵略戦争正当化・真実隠蔽・教唆煽動罪でレッドカード! 2014-04-12 10:09:36
7.最後に、産経は、ここでもスリカエるのです。それは、「時代は変われど変わってほしくないものもある。教師は生徒を優先する存在であってほしい」と、今度は「べき」論ではなく「ほしい」という「期待」論、「感情」論を持ち込むのです。これは「生徒を優先する教師」「生徒より家族や自分を優先する教師」と、機械的に対立させることで、国民に二者択一を迫り、思考停止に持ち込むのです。これが産経の手口、思想です。
侵略戦争正当化・憲法平和主義否定の産経のスリカエを徹底して暴き
憲法を活かして子どもの未来の保障を!
8.愛国者の結論は何か。産経が意図的にスルーする、スリカエる視点はこれだ!
(1)家族を大切にしない、できない教師が、子どもとその家族の問題や課題を理解できるか!
(2)個人の尊厳を理解できない、しない教師が子どもを優先する教育に携わることができるか!
(3)寝食を忘れるほど生徒優先生活で、教師の人間力は成長発展できるか!
(4)人間力の発展成長できない教師が、生徒の人間力を成長発展させることができるか!
(5)「私」を尊重する「公」のあり方を問えない、教えることのできない教師が、国家社会のことを論ずることはできるか!
(6)教師を含めて自らの人権の大切さを理解できない人間が他人の人権を尊重できるか!
(7)他人の人権を尊重しないできない教師が自分の人権否定を抗議できるか!
(8)教師を人間として尊重しない政府が、子どもの教育に責任を持てるか!
(9)子どもを「公」優先教育に持ち込む産経・政府に任せて子どもの未来はあるか!
(10)憲法の人権尊重主義を否定する産経に、ジャーナリズムの良心を期待できるか!
どうでしょうか。教師の多忙化を放置し、更に「生徒優先」論を口実に「公」を強制する産経こそ、子どもの命と未来を奪うトンデモナイマスコミであることが浮き彫りになったのではないでしょうか!
以下の教師の勤務実態をご覧ください。こうした状況を見て視ぬ振りをして、教師の「不祥事」を口実に、更に教師と学校を縛る産経と日本国政府は、犯罪的と言わなければなりません。それは、教師と子どもの様々な「不祥事」が起こるたびに、その背後に文教政策の貧困が放置されていることが浮き彫りになるからです。しかも、その「不祥事」を口実に憲法の形骸化から否定の地ならしに利用しているからです。今回の入学式不参加問題は、その良い教材です。
産経が徹底して無視する教師の人権無視の労働実態
その被害者は子どもだ!
日本の公的ブラック企業『教職』の情けない実態 - NAVER まとめ
小学校の教員です。休憩時間も取らず、出勤と同時に働き続け、勤務時間後も残業し
教員の激務·サービス残業@労働基準法違反(1/4) | 教育問題のQ&A 教員の6割…月51時間以上残業 教員の9割以上「給与削減は不当」 2013年12月28日
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朝日新聞教員の「残業」月95時間超 10年で14時間増える 2013年10月17日
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日本の先生の長すぎる労働時間(8時間×5日=40時間) (出所)国民教育文化総合研究所調べ
|
週間勤務時間 |
夏季休暇 |
日 本 |
61時間33分 |
5.7日 |
イングランド |
51時間20分 |
29.7日 |
スコットランド |
45時間08分 |
36.2日 |
フィンランド |
37時間36分 |
63.2日 |
教員一人あたり児童数(国際比較) (藤森毅『いじめ解決の政治学』(新日本出版社13年8月刊より)
初等教育 日本 18.8人
OECD平均 16.4人
EU加盟19カ国平均OECD中 14.6人
前期中等教育 日本 14.7人
OECD平均 13.7人
EU加盟19カ国平均OECD中 11.5人
【主張】担任の入学式欠席 教師が優先すべきは何か 2014.4.16 03:33 (1/2ページ)[主張] http://sankei.jp.msn.com/life/news/140416/edc14041603330001-n1.htm
これをおかしいと思うのは古いのだろうか。埼玉県の県立高校で、新入生のクラスを受け持つ担任教諭が入学式を欠席し、息子の入学式に出ていた。同様の理由で担任不在だった入学式がほかの県立高校でもあり、県教育長は校長会で新入生や保護者に不安を与えないよう指示した。家族は大切だ。どうしてもという事情があったのかもしれない。しかし、教職者だからこそ優先すべきことはあるはずだ。多くの教員に、改めて重い職責を認識してもらいたい。
50代の女性教諭は、息子が入学する高校の式と重なったことから入学式を欠席した。校長らに相談のうえ事前に休暇願を出して認められていた。校長は入学式の担任紹介で「子供の入学式のために欠席」と説明した。教諭は「大切な日に担任として皆さんに会うことができないことをおわびする」などとした文書をつくり、副担任らが生徒や保護者に配ったという。
埼玉県教委が調べたところ、県立の別の高校で同様の例が3件あった。教育長は定例記者会見で「新入生や保護者に心配や不安を抱かせ申し訳ない」とし、校長会では高校生活を安心してスタートできるよう配慮を求めた。わが子の入学式を優先するかどうか。この問題はネット上でも多く取り上げられ、賛否は拮抗(きっこう)している。埼玉県教委には電話やメールで意見が寄せられた。欠席を認めた校長らへの批判がある一方、欠席に理解を示す声が半数以上あったという。
かつて桜の中、親に手を引かれた子供たちが入学式に向かうのは、小学校の光景だった。いまは、大学の入学式も保護者で埋まる時代だ。職場では家族を大切にし、家庭の事情に配慮する意識が進んでいる。欠席を認めた校長も、理解は得られると思ったのかもしれない。だが、入学式は先生と生徒の出会いの場である。担任教師にとって特別な日ではないのか。教え子のため、寝食を忘れる多くの教師がいたからこそ、「仰げば尊し」と尊敬の念が生まれた。「私」を抑え「公」を優先すべきときがあることを身をもって教えることも教師の仕事であるはずだ。時代は変われど変わってほしくないものもある。教師は生徒を優先する存在であってほしい。(引用ここまで)
国民をウソとデマとスリカエで分断するイデオロギーはこれだ!
教師の多忙化に対する典型的な意見
仕事が増えているのですから、ワークシェアをすればよいのです。そのかわり予算を増やすのではなく、今の経費のまま、人手を増やす。つまり、正規教員の給料を減らして、人手を増やしたら良いと思います。残業手当についてどうこうおっしゃるのはやめてほしいです。その分の調整費は給料に入っています。そのような職種なのです。(引用ここまで)
それから質問者さんは民間企業の大変さを知っていますか?残業手当がつかない会社も多いし、休みも取れないこともある。育休切りも多いですし、リストラされることもある。教員は出産や育児、病気などの時もきちんと休暇が取れて、職場復帰もできる。法に触れるくらいのことをしない限りは、どんなにダメな教師でも働く場所があって給料がもらえる。恵まれていると思いますよ。民間の企業で働いたことがないならご存知ないかも知れませんね。井の中の蛙、の先生が多いと思います。知恵袋で質問や回答をしている時間があるのですから、そんなに時間がないことはないでしょう。(引用ここまで)
産経が依拠する国民の反応の最大の特徴は、以下のとおりです。
1.憲法の人権思想が定着していないこと。労働法の知識皆無!
2.足の引っ張り合いをしていること。自分こそが、一番不幸なんだという被害者意識。
3.抑圧されている者同士で、団結・連帯して、抑圧者に立ち向かっていく思想の欠如。
4.自分の知識を絶対視していること。情報操作と隠蔽に気づいていないこと。
5.機械的三段論法思考回路に陥っていること。