愛国者の邪論

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道徳教育教科化に教育勅語復活を企図煽動の産経!侵略戦争正当化・真実隠蔽・教唆煽動罪でレッドカード!

2014-04-12 | 教育勅語

予想したとおりの記事が掲載されてきました。下村文科大臣発言は、確信犯ではないかと思っていましたが、産経が証明してくれました。そもそも、文科省は、この原本の存在を知っていたのです。こんな大事な、歴史的文書については、どちらの立場に立つにせよ、見失うことそのものが処分に値する問題です。

文科省が、この時期に「発見」し「発表」した「意図」、下村大臣の発言の意味、各マスコミの「教育勅語」観、評価は、その書き方に示されています。それにしても産経の記事の対応のすばやさをみると、すべて連携プレーが、「アウン」の呼吸で行われているように思います。それは道徳教育の教科化です。「徳目」の採用を前提にした記事です。ま、そのうち明らかになることでしょう。その時に、また検証してみます。

そこで、産経の犯罪的役割を検証しておきます。生徒に質問するという手口を使ってみました。以下ご覧ください。

1.産経くんは、確かに教育勅語は、「軍国主義教育の象徴」の烙印を押され、内容の吟味もされないまま遠ざけられてきた。と言っていますが、

(1)産経くん、この文章は可笑しくはありませんか!「確かに・・・押されたが、内容の吟味も」というのが正しい言い方ではないですか。

(2)それでは、何故、「軍国主義教育の象徴」として「烙印」を押されたのですか。

(3)産経くん、「内容の吟味」が「なされないまま」とありますが、どんなことを言っているのですか。説明してください。

2.産経くん、君は別のところで、教育勅語は、「戦後は連合国軍総司令部(GHQ)の圧力などで学校現場から排除された」「問答無用で教育勅語が否定される」と言っていますが、

(1)連合国軍総司令部圧力とは何のことですか。圧力をかけたのは何故ですか。

(2)学校現場から排除したのは何故ですか。

(3)問答無用否定したのは何故ですか。

(4)産経くんの指摘している「国会決議によって排除」されているとは、「教育勅語等の失効確認に関する決議のことですが、「失効」「排除」されたのは何故ですか。具体的に説明してください。この「決議」とは、教育勅語等排除に関する決議(1948年6月19日衆議院決議)・教育勅語等の失効確認に関する決議(1948年6月19日参議院決議)です。この内容について、解説してください。

3.産経くんは、昭和23年に国会決議によって排除されて以来、徳育の欠如した戦後教育が、子供たちの心をむしばみ続けてきた。と言っていますが、

(1)産経くん、それでは、この「国会決議」が採択される前の子どもは、この勅語の「徳育」教育で、心は蝕まれていなかったのでしょうか。戦前の学校や子どものなかで、「いじめや校内暴力、不登校」はなかったと言うのでしょうか。産経くんには、子どもの実態は見えていないようですね。よく調べてみてください。

(2)しかし、産経くんの言うことを全面的に認めたとして、では、それでは、この教育を受けた大人が、戦争で何をやったか、或いは、軍隊の内務班というところで何をやっていたか、産経くん、よく調べて、応えなければなりませんね。教育勅語と軍人勅諭の徹底化によって、どんな「徳器成就」がなされたか。それが現在の学校教育やスポーツ界にどのように受け継がれているか。産経くんは、歴史を勉強して検証すべきですよ。説明してください。

4.産経くん、西洋の学問や制度がたくさん入っててきたけれど、明治天皇は日本人が昔から大切にしてきた道徳も、教育には重要だと考えたとありますが、

(1)産経くん、「日本人が昔から大切にしてきた道徳」って何ですか。

(2)産経くん、日本では、儒教や仏教、道教、神道など、様々な思想が、大陸から入ってきましたが、「昔から」というのは、そういうことでしょうか。

(3)明治天皇の名前は睦仁、大正天皇の名前は嘉仁、昭和天皇の名前は裕仁、現在の天皇は明仁、次の天皇を言われている皇太子は徳仁、と皆「」という名前が付けられています。これは学校でならう聖徳太子の冠位十二階にあるように儒教の考えが使われているのではありませんか。説明してください。

(4)江戸時代までの天皇家の菩提寺は京都の泉涌寺だったようです。奈良の大仏をつくった聖武天皇は仏教を鎮護国家のため使ったように、明治天皇は、仏教の「道徳」「徳目」は使わなかったのでしょうか。

(5)産経くん、君は別のところで、明治天皇が大切にした「道徳」は「万国共通の普遍的な価値が示されている」教育勅語の「12の徳目」のことでしょうか。

(6)これは、儒教の考えに基づいてつくられたようですが、事実ですか。

(7)そうであるならば、この「道徳」「12の徳目」の大本になっている儒教の発祥地である中国、そしてその影響を強く受けた朝鮮にも、同じ「徳目」があったのではありませんか。

(8)また、この「徳目」を学んだ皇軍兵士が、他国に出て行って戦争をするのは、可笑しくありませんか。他国にも同じ「徳目」があるからです。「普遍的な価値徳目」を持っている者同士で戦争するのは可笑しくありませんか、説明してください。

(9)しかも、その皇軍兵士は、戦争犯罪を犯すような残虐なことをしてきましたが、これは、この「徳目」をきちんと学んでいなかったからでしょうか。

5.産経くん、君は、別のところで、そもそも勅語が生まれた背景には、欧米文化の流入によって引き起こされた、明治時代前期の道徳の混乱があった。と述べていますが、

(1)産経くん、「欧米文化の流入」が「明治時代前期の道徳」を「混乱」させたという事実を指摘してください。。

(2)特に「文明開化」「四民平等」「学問のすゝめ」「啓蒙思想」「お雇い外国人」「クラーク博士」「津田梅子」「官営工場」など、学校で習う言葉を使って説明してください。

(3)産経くん、君の言い方からすると、「文明開化」など、「欧米文化」を学ぶことが日本の「道徳」を「混乱」させたから、正していくために「博愛」「智能啓発」がつくられたということになります。「欧米文化」を学ぶことは「博愛」「智能啓発」ではないでしょうか。説明してください。

(4)産経くん、「12の徳目」の中には、「徳器成就」というものがあります、「人格の向上」とありますが、具体的にはどのようなことですか。

(5)産経くん、この「12の徳目」の中には「命の大切」につながるものがありませんが、それは何故ですか。

6.「学校教育の荒廃につながっているとみる意見もある」とされる理由として、

(1)戦後は教育勅語の内容についてほとんど検証されることはなかった

(2)いわば問答無用で教育勅語が否定されるとともに

(3)道徳教育そのものも敬遠され

とありますが、それらが満たされていれば、「学校教育の荒廃」はなかったということになりますが、具体的に説明してください。

(4)教育勅語の内容の「検証」とは、どのようなことでしょうか。教育勅語の由来・歴史。実際に使われてきた内容、その効果を学ぶということでしょうか。

(5)産経くん、君は、国難に際しては国のために力を尽くすこと、徳目の最後にあげています。この「国難」「」「国のために力を尽くす」とはどういう意味ですか。戦前は何と教えていましたか。

(6)この最後の徳目の解釈は戦前と戦後では違っています。それは何故ですか。

愛国者の邪論 どうだったでしょうか。次号に掲載した産経の記事に即して、一つ一つ質問してみました。質問項目のあまりの多さに辟易します。そのことは、逆に言えば、如何にウソがちりばめられているか、ということです。こうした質問を子どもらに投げかけ討論させる、これが検証になります。

事実に即して学んでいけば、この情報化の時代です。子どもは、産経くんの企みを見破るでしょう。ウソはドロボーの始まりというのは日本の昔からの道徳ではないでしょうか。

戦前は、こうした疑問すら出すことはできませんでした。子どもが率直な疑問を言えば、即、体罰か、叱責が見舞われたのではないでしょうか。12の徳目を普遍的価値とゴマカシ、優越感を植え付け、実際は真逆のことをやったのが、戦前の国家でした。

しかも、「検証」作業として、教育勅語とセットに行われた御真影礼拝、君が代斉唱、修身教育などを通して天皇のために死ぬこと、アジアで大量の民衆を殺すことが教育勅語の根本精神だと教えると、それは「自虐的」「反日」と、レッテルを貼るのです。日の丸礼拝・君が代斉唱を拒めば処分されるのです。内村鑑三が、御真影礼拝を拒否して教壇を追われたのが、1891年、日清戦争3年前です。21世紀の現在も、基本的には同じです。

戦前のスリカエと大ウソ、それを正当化しているのが安倍首相派です。戦前は成功しましたが、戦後はできないことをハッキリ示していきましょう!

つづく


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