エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

圧倒的な悦びの ヒ・ミ・ツ

2015-09-08 07:47:46 | アイデンティティの根源

 

 

 暗黒時代と言われている中世ヨーロッパと、日本は、どうしてここまで似ているんでしょうか?

 Young Man Luther 『青年ルター』p.224の、下から5行目途中から。

 

 

 

 

 

ジョン・ウィクリフは、ルターが生まれる100年も前に、聖書を、ジョン・ウィクリフ当時の話し言葉である、英語に翻訳しましたから、イギリス人たちは、もともとの聖書の言葉を、ローマカトリックの独占支配の呪縛から、解放して、耳にすることができました。ジャン・フスは、同様に、いろんな像を崇めることや行いを強調することに反対しましたし、さらに民族主義的な炎を燃やして、ジャン・フスも聖書を、話し言葉のチェコ語に翻訳しましたから、ルターみたいに、聖書に鑑みて自分は的外れと「教えられる」はずだ、と言ったものです。

 

 

 

 

 日常の言葉と言うのは、気持ちを表現しやすいでしょ。それだけ体感的、腑に落ちやすいものですね。言葉と言ったら、下手をすると、頭だけ、知的操作に終わってしまいます。それだと、日常生活とは関係ない、書斎だけの、あるいは、時々教会に行ったときだけのものになりやすいです。しかし、それは偽物の始まりにしかすぎません。大事なのは、日々を、時々を、御言葉を実感しながら生かさせていることだからですね。

 御言葉の力は、ダイナマイトのような圧倒的な実現力、現実になる力があることを、日々の生活で実験したいものですね。そのときはじめて、圧倒的な悦びを実感できますからね(でもね、それは「クリスチャン」に限られたことではないことを、申し添えます。意外に公的に認められてるクリスチャンは、これをやってない?)。

 

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負の傾向が早まっている日本

2015-09-08 07:09:20 | エリクソンの発達臨床心理

 

 

 

 私どもは、どういう価値にfidelity フィデリティ 「損得を超えて、忠実であること」になっているか? いつも問い続ける存在でありたいものです。

 The life cycle completed 『人生の巡り合わせ、完成版』、p73の第2パラグラフの6行目途中から。

 

 

 

 

 

fidelity フィデリティ 「損得を超えて、忠実であること」の真逆の対になるものは、しかし、role repudiation ロール・レピュディエーション 「役目を果たさないこと」ですね。すなわち、いろんな役割やいろんな価値で、自分を確かにさせるのに役立つものを、「本当の自分」とは異質なものとして、抵抗し戦わなくてはならないものから、能動的に、区別したいという心の底から突き上げてくる思いです。role repudiation ロール・レピュディエーション 「役目を果たさないこと」は、手の届きそうな自分を確かにさせられそうなことに関して、臆病だったり、弱弱しかったりする見た目になる、自信のなさという形になる人もあれば、一貫して反抗するという形になる人もあります。

 

 

 

 

 

 これは、思春期の話ですから、小学校高学年から高校生くらいの年齢のことですが、今の日本のことを考えても、ここのところは、ぐっと若年化していることが分かります。つまり、ここの書かれていることが、少なくとも、小学生まで低年齢化している、ということです。自信のなさという形になる場合は、抑制性愛着障害、一貫して反抗する形は、脱抑制性愛着障害です。

 最初の根源的信頼感が非常に弱くなっているからでしょう、自分を確かにさせる道を示したエリクソンのライフサイクル論が示す負の傾向が、少なくても日本で早まっていることが分かります。

 

 

 

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