エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

現世考: 人と自然

2017-01-31 08:05:16 | 間奏曲

 

 

 

 
人生の危機をどのように生きてますか?
   豊穣なる土壌  感じることがあらゆる叡智の源です。カーソンさんとエリクソンは、この点で完全に一致しています。 p56の2行目途中から。  .........
 

 人と自然。

 私は、早稲田の頃はワンダーフォーゲル部だったので、日本各地、韓国まで足を伸ばして、山登り、ロフティング、里歩きをしてきました。7~10人くらいのグルーブで行動することがほとんどですが、時に1人で山に行くこともありました。本当の闇夜を知ったのも、そんな単独行の時だったと思います。明かりが全くない状況に、言うに言えない恐怖感を覚えました。他方、新緑の山、奥只見で見た、上は真っ白、下は錦に錦、の風景に、自然の限りなさを感じたものです。

 他方、サイコセラピストになって20年近く、人の自然にも触れる毎日。人の中にもネイチャー、ヒューマン・ネイチャーがちゃんとあることを実感します。しかし、公害や放射能で自然が破壊されているように、人間の中にある自然も、破壊されていることを日々感じています。

 それを知ってか知らずか、人は山や川や海やせせらぎにいざなわれるのかもしれませんね。

 サイコセラピーで出会う子ども等は、例外なく、自分の中にある自然を生きたい、と叫んでいます。ただ、その叫び声が、声になっていないんです。ですから、こちらが代わりに、ハッキリと言葉にすることが、時々ありますね。

 自分の中にある自然を、自然体で生きられるようになりたいものですね。

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トラウマの仕業、トラウマの悪さ

2017-01-31 07:22:29 | ヴァン・デ・コーク教授の「トラウマからの

 

 

 

 
霊的な教育者 : 見えないからこそ、見えてくるものがある
 最近の「追いかけっこ・鬼ごっこ」から見えたこと。  私は小学校のカウンセラー。子どもには「遊びのオジサン」と呼ばれています。子どもたちが好きな遊びといえは、氷鬼や......
 

   発達トラウマ障害(DTD)=愛着障害の子ども。ヴァン・デ・コーク教授の  The body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 虐待されたら、意識できなくても、身体は覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』p.159の、7行目途中から。

 

 

 

 

 

この説明は、ハッキリした筋道を示しています。人は、ヒドイ出来事にぶち当たって、不意に思いがけず、途方に暮れると、二度と同じ目に合わない。そのトラウマは事なきを得たのかもしれませんが、そのトラウマは、繰り返し思い出されるは、繰り返し緊張するは、ということになります

 

 

 

 

 

 トラウマは、なぜこんな悪さをするのでしょう?

 

 

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インターメッツォ: エリクソンの叡智 : 子どもと大人の良い関係

2017-01-31 06:42:30 | エリクソンの発達臨床心理

 

 

 

 
霊的な教育は、独立だぁ! 改訂版
   脆さが強さになる時  キリスト教の英雄時代は、パウロの時代らしい。 p178の第3パラグラフ。      初期キリス...>続きを読む......
 

 今朝のエリクソンも、Insight and responsibility p.152。タイトルは、『心の中の子どもを内省すると,眼の前の子どもに応答し続けることができますよ』という程の意味で、『…と責任』という感じじゃない。昨日のところの少し前。

 

 

 

 

 

 子どもと大人が噛みあっている舞台とは、…、困難があっても、子どもを育むこと」と「お互いを価値あるものと認めあうこと」を組合わせて1つの筋道にしたものです。

 

 

 

 

 

 子どもとても単純です。子どもはとても素直です。ですから、こちら側に宝探しのように相手に宝物を探す心の働きさえあれば、子どもひとりびとりは、その見えない動きをすぐに(まもなく)見抜いて、認め合う関係がすぐに(まもなく)できますよ。

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聖書の言葉: 素晴らしさは「超越」入り

2017-01-31 00:03:00 | 聖書の言葉から

 

 

 

 
ホットヨガはいかが?
   豊穣なる土壌  感じることがあらゆる叡智の源です。カーソンさんとエリクソンは、この点で完全に一致しています。 p56の2行目途中から。  .........
 

  素晴らしさ。『新約聖書』では、パウロの手紙の中にあります。「フィリピ人への手紙」第3章8節です。前田護郎先生の翻訳で見てみましょうか。

8そして今も、わが主キリスト・イエスを知ることのすばらしさのゆえに、すべてを損と思っています。

 素晴らしいことはいろいろあるのかもしれませんが、パウロはここで、イエスを知ることこそが素晴らしいので、その他のことは「損」、見劣りするものとなったと言います。ただし、この「知る」と言うのは、科学的知識を「知る」と言うような意味での「知る」ではありません。この「知る」はいわば、体験知、人格的真理でして、私が良く例示するのは、自転車に乗ることを「知る」のに似ています。教科書で自電車に乗ることを勉強しても、あまり役に立ちませんでしょ。

 「知る」の話ではなかったですね。素晴らしさは「超越」入り。素晴らしさ ὑπερέχω ヒュベルコーは、「超えて」を意味する接頭辞 ὑπέρ ヒュペルと、「ある状態のある」ことを示す ἔχω エコーの組み合わせ。横並び、タコツボ社会の中には、素晴らしいものなどないです。「超越」のない素晴らしさはないからです。「超越」こそが素晴らしい

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現世考: ルンド大学の女子大生の朗らかさ 関口知宏さんのヨーロッパ鉄道の旅から

2017-01-30 09:48:21 | 間奏曲

 

 

 

 

 

 

関口知宏さんの「ヨーロッパ鉄道の旅」スウェーデン篇、日めくり版,が今朝から放送されました。11月の放送分の再編集なのかもしれません。

 今日、第一回目は、南部の、と言っても、北海道よりも北ですが、マルメからルンドへ。マルメ、といっても、私の体形ではありません。ルンドは、大学町で、四万人の学生がいると言いますから、早稲田大学とのだいたい同じ規模でしょう。大きな大学です。

 関口知宏さんは、遅いランチを取った時に、ルンド大学で経済学を学ぶ女子大生3人とおしゃべりして、自宅に招いてもらいます。

 3人は、立派なアパートの一室に関口さんを案内します。そこは中庭があって、日当たりが良さそうなところです。早稲田界隈の日当たりが悪い安下宿とは、比べ物になりません。アパート代は、月12万円。でも、親から仕送りをして貰っている人は、1人もいませんでした毎月1人12万円の奨学金がもらえるからです。彼女らは、仕送りもなければ、ブラックバイトもしていません。実に朗らかで、明るく、「この生活は手放せません」といいます。当然ですね。

 日本に比べて、はるかに税金が高くても、お役人や政治家がチョロマカシて、自分の懐に入れることができないように、徹底的に情報公開しているから、「重たい税金を取られている」という感じは、そんなにない。小学生から大学までの学費がタダで、大学生は誰でも、生活と勉強に十分な奨学金を税金からもらえる、病院も老人ホームもタダ…

 話し合いと、個人の自由と価値をとても大事にするスウェーデン。私どもの目指す、1つのひな形が、ここにありますね。

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