エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

私どもに必要な、新たなヴィジョン

2015-09-19 08:31:23 | アイデンティティの根源

 

 

 

 話し合いの習慣がまだまだ脆い私たちですね。

 Young Man Luther 『青年ルター』p.227の、下から6行目途中から。

 

 

 

 

 

  論争の相手を招きたいと願うときに、これはよくあることでした。論争は、通常民衆にも、支配層の人たちとは、関係ないのが普通でした。しかし、このとき、ルターは大司教に配られていたラテン語版聖書を手に入れましたし、ルターはその聖書から、論争以上の答えを得ようとしました。ところが、その答えは別のところからやってきたんですね。このラテン語版聖書をドイツ語に翻訳したことによって、すぐに、幅広い、際立った反響が生じました。まずは民衆からの反響で、彼らは反イタリアでしたし、愛国主義でした。つぎに、土地を持たない人たちからの反響で、彼らは反資本主義で平等主義でした。それから、ほどほどの金持ちからでして、彼らは独占している金持ちに反対でした。王子らからの反響もありました。彼らは、排他主義者で、国境を守れと言うような人でした。教育の高い人たちからの反響もありました。彼らは、聖職者に反対でしたし、世俗主義的でした。

 

 

 

 

 

 ルターが聖書を正しく翻訳することが、思いがけないところに、反響をもたらしました。不思議ですね。正しい翻訳によって、新しいヴィジョンが生まれたからです。みんなが腑に落ちないと感じていたことに、まとまりをもたらし、それがヴィジョンによって、新しい社会の在り方を描くに至ったんですね。

 新しいヴィジョンが必要なのは、中世ヨーロッパの人たちばかりではありませんよね。

 新しいヴィジョンが必要なのは、まさに私どもです。

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大人の責任

2015-09-19 04:05:15 | エリクソンの発達臨床心理

 

 やり取り上手で、物事に対処する力もあることが大事ですね。

 The life cycle completed 『人生の巡り合わせ、完成版』、p76のブランクから。

 

 

 

 

 

 さて、私どもは、この後も続く本能的な人間力と人間の感覚器官を指摘しようとしてきました。しかも、一連の心理社会的な舞台と世代の繋がりとの中での話です。私どもが一番強調してきたのは、発達のいくつかの法則ですし、その法則が出来る際に不可欠だと思われることを学際的に気付いていくことです。もっとも、私どもは、リストに載せた、たくさんの舞台のここだとか、使ってきたいろんな言葉をすべて使えだとか、言い張るつもりなどありません。というのも、私どものライフサイクルの発達図式を、端から端まで価値あるものと認めるためには、私どもは、これまでのページでは見過ごしてきたたくさんの指針にも頼っているのは明らかだからです。

 

 

 

 

 

 エリクソンの物言いは、あくまで謙遜ですね。エリクソンの見事なまでの発達図式についても、いろんな発達や心理などに関する指針の力も借りていることもハッキリと認めます。よくできた人こそ、自分のできることとできないこととをハッキリと見定めていますよね。それが「大人の責任」というものですね。

 無責任な人ほど、声高にできもしないことを言い張るものですよね。

 

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暴力を振るう小学生、10,000人以上 救いのない現実

2015-09-19 03:42:46 | エリクソンの発達臨床心理

 

 
≪約束≫ :日常生活が、信頼と希望の源になるとき
アメリカ人の夢 光と影2013-09-18 03:37:13 | エリクソンの発達臨床心理アメリカ人の生き方は、特に、ヨーロッパ...
 

 

 先日(2015,9,17)「朝日新聞」13版▲第2社会面p.33に、「小学生の暴力最多1.1万件」のリードで、「昨年度調査 感情抑制できず」のサブリードで記事がでましたね(上掲の写真の記事)。この数字を聴いても、あんまり実感は湧きません。実際はもっと多いんじゃないかしらと言うのが、正直なところです。不登校が12万人強でしょ。その1/10以下という感じはいませんね。不登校と同じ数とは言いませんが、この数字自体は「非常に抑制し過ぎ」という感じ。

 この記事では、「文科省は、繰り返し暴力をふるう子や感情をコントロールができない子が増えていると分析。貧困などの課題を抱える家庭が増え、小学校入学前に言葉で意思を伝えるなどの家庭教育が十分ではないケースが目立つという」とあります。子どもの暴力は、貧困、すなわち、貧困対策と労働政策が貧困だという社会構造の暴力が背景になっていることが分かります。

 これについて、「識者」と思しき大学教員がコメントを求められて、コメントを載せています。関西大で「生徒指導」を教えているという中村豊さんは、「保護者が体罰的な指導に敏感になっていることもあり、厳しい指導をためらっているのではないか。生徒指導担当教員の追加など指導体制を整えるとともに、子どもの人間関係を育む指導方法にも気を配るべきだ」と言います。厳しい指導が必要だと言わんばかりですね。

 もう一人大東文化大で「教育学」を教えていた村上士郎さんは「小学校低学年でも、携帯やスマホ、テレビゲームに夢中になり、真の感動体験が減っている。その結果、自分を見つめたり、他者と共感しあう言葉や言葉や表現力が乏しくなったりして、ちょっとしたことでキレやすくなっているのではないか。」と言いますね。なんかスマホやテレビゲームがいけないみたいでしょ。親が貧困な労働政策のために、長時間労働をせざるをえなくて、その分子どもの前に親が不在だから、スマホやテレビゲームが子育てマシーンになっているのが分かんないんですかね。原因と結果がゴッチャですよ。子どもは、親が眼の前にいないから、スマホやテレビゲームをしている、親と情緒的なやり取りがないから、自分が理解された経験がないので、人を理解することができないでいる訳ですね。

 これらの暴力や感情が抑制できない子どもの多くは「愛着障害」ですね。全国津々浦々、愛着障害だらけなんですからね。日本の労働政策、子育て政策があまりにも貧困で、社会構造的暴力が厳しいことの犠牲者の一人が、これらの子どもたちですね。

 でもね、それに対して、「厳しい指導」が良いと言ったり、原因と結果をゴッチャにするような議論を、その筋の「専門家」と称する人たちが、堂々と、上記のような「高邁な主張」をされている訳ですね。

 でもね、私は今回の心理臨床学会の口頭発表で、

アメリカ精神医学界(2002)の「反応性愛着障害の関する態度表明 Position Statement on Reactive Attachment Disorder」、および、アメリカ児童虐待専門家協会(2006)の「愛着セラピー、反応性愛着障害、および、愛着の諸課題の関する、アメリカ児童虐待専門家協会特別委員会報告 Report of the APSAC Task Force on Attachment Therapy, Reactive Attachment Disorder, and Attachment Problemsでは、coercive therapies コーシヴ・セラピーズ 強制を伴うセラピー(アメリカでは、元来、身体拘束などを伴うセラピーですが、正しいこと[規則や日課等]を押し付ける治療・関わりと言い直すことが可能です)は、逆効果であるばかりではなくて、禁忌である(contraindicated コントラインディケイテッド)、とされます。」

と申し上げました。愛着障害に「やってはならないこと」=禁忌だということを、家庭でも学校でも病院でも児童施設でも、日本では正々堂々、税金を使ってやっているのが、「あぁ、悲しいかなぁ」では済まされない、ヒドイ現実ですね。しかも、そういうヒドイ現実があるのも知らないで、その道の「専門家」や「児童精神科医」がアメリカでは「やってはならない」ということを推奨、擁護してんです。

 このままだと、日本にいる、愛着障害の子どもたち、大人たちも救いがないのが現実です。

 

 

 

 

 

神戸国際展示場は、晴れ

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