エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

貧乏な農民と金持ちの鉱山主の間

2014-01-31 08:59:32 | エリクソンの発達臨床心理

 

 ちょっと広めに射程をとって、妥当性を見つけるのが、臨床の中に法則を見つけ出す、ほとんど唯一の方法だというのが、エリクソンの見方です

 

 

 

 

 

 本物の農民達、ドイツ語でrechte Bauernと、ルターは父親や祖父のことを呼びますし、ルターを一人の農民、ないしは、一人の農民の倅と呼ぶのが習わしです。ごく最近の諸研究でも、ルターは生涯にわたって農民の生活に対する郷愁があり、子どものころ、農民生活を楽しんでいたと、述べています。しかし、ルターの父親は、ルターの思い出の中では、農民の生活をしたことが一度もありませんでした。マルティンは、ドイツの農民の生活が当時、均質性があったのかどうか全く知りません。反対に、ルターは、農民出身2世でしたが、私どもはアメリカにおいて、移民2世について少し学んできました。マルティンの父親は、マルティンが20代前半に、チューリンゲンの祖父の農場を離れなければなりませんでした。上の男兄弟は、下の男兄弟に父親の農場を譲らなくてはならないという掟がありました。つまり、上の男兄弟が弟の分益小作人となってから、他の農場に養子に行くか、それとも、農場を離れて、他の仕事を探すかなのです。ハンス・リューダーは、鉱山で働こうと決心して、アイスレーベンに婦人とともに転居しました。その夫人はここでマルティンを身ごもります。マルティンが生まれて半年、ルターの家族は、今度はマンスフェルトに再び転居し、豊かな銅と銀の鉱山主になったのです。

 

 

 

 

 マルティンの父親はもともと貧しい農民でしたが、故郷を離れて転居を繰り返したのち、お金持ちの鉱山主になりました。ルターは、貧しい農民の息子としての背景を持ちながら、金持ちの鉱山主の息子でもある、というに二重性の中に生きることになります。

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イオンとクレウサの対話

2014-01-30 06:44:35 | フーコーのパレーシア

 

 イオンは、アポロ神は願に応えないといいます。なぜなんでしょう?

 

 

 

 

 

     イオン : アポロは、秘密にしておくべきだと考えていることを明かすことができるでしょうか?

     クレウサ : アポロの至聖所は、願掛けするすべてのギリシャ人に開かれているはずよ。

     イオン : そうではありません。アポロの栄誉は関係ありません。あなたはアポロの思いを大事にしなくちゃいけません。

     クレウサ : アポロの思いの何が犠牲になるというのですか? このことと彼女(クレウサの女友達)と何の関係がありますか?

     イオン : この願をあなたに問える人は誰もおりません。アポロが粗相をするのが、まさにアポロ自身の神殿であることがハッキリすれば、あなたの願掛けに応えた人を苦しめることになるでしょう。ご婦人。諦めてください。私どもは、アポロを、アポロの裁判所に訴えてはならないのです。ことを明かしたくない神やら、犠牲の印を与えたくない神やら、驚いている鳥やらに、強要するようなことがあれば、私どもは馬鹿なだけです。神々に逆らって求める目標は、それを手に入れても、いいことはありません。

 

 

 

 

 

 アポロは沈黙するだろうというイオンは、きわめて率直なことがわかります。ものを言う時に、権力や金や色や名誉心をちらつかせて強いるのは、約束違反なのですね。

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“本物”の見つけ方 : 少しくらい過度に調べる拡充法

2014-01-30 02:46:17 | エリクソンの発達臨床心理

 

 データがあいまいなのに、そこに筋が見つかるのは、繰り返されるパターンがあるからなのです。そのパターンは通常、見逃されるか、否定されることが多いのです。代表的なものの一つが、自閉症児達の「常同行動」と呼ばれるものですね。「常道行動」という言葉そのものが、すでに「障害だから、ショウガナイ。」「なくそう」という響きが感じられるでしょう?

 

 

 

 

 

 しかし、私どもが理解しなくてはならないのは、このような仕事においては、ケチの掟が役に立つのは、歴史的な資料にぴったりフィットするときだけ、ということです。この歴史資料にぴったり合うことは、フロイトが「重複決定」という概念でくくっています。いかなる歴史的・人格形成の用語でも、ずっと多くの側面や傾向によって決まってくるのが常で、そのいずれもがお互いに響きあうものですから、控えめな説明では遠く及ばないものなのです。あらゆる妥当性を、少々過度なくらいに探っていくのが、いろんな事実がお互いに影響しあったり、排除しあったりする法則に、なんとなく気付く唯一の道であることが多いのです。

 

 

 

 

 

 ここも、本当に臨床的な場所ですね。さすがエリクソンです。射程を広めにとって、繰り返されるパターンを見つけるのです。そのパターンは「常道行動」につきものの否定形の見方とは真逆でして、肯定的な視点で見ると、“本物” に近づけますね。

 あなたも実際におやりになることです。そうすると「あっ、これだ」と解りますよ。

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願に答えるのは、恥?

2014-01-29 08:25:59 | フーコーのパレーシア

 

 真実は必ず明らかにされるのですね。「隠れているもので、表にならないものはない」ということでしょう。

 

 

 

 

 

 神の沈黙というテーマが、『イオン』の初めから終わりまであります。神の沈黙は、クレウサがイオンに出会う、悲劇の始まりから現れます。クレウサは自分の身に起こったことを恥じていますから、まるで友達を求めて至聖所に相談に来たかのように、イオンに話します。それで、クレウサはイオンに自分の物語を語ります。しかも、噂の女友達になぞらえて語り、アポロが友達の願に答えてくれるかどうか尋ねます。神の良き僕として、イオンはクレウサに答えます。「アポロはお答えになりません。」と。「なぜならば、もしアポロがクレウサの「友達」の求めに答えるようであれば、アポロは恥ずかしすぎるから」と。

 

 

 

 

 クレウサは、自分の友達にかこつけて、自分の悩みについてイオンに尋ねます。しかし、イオンはアポロはそれに答えないのは、答えると恥だから、というのはなぜなんでしょう。何故、恥なんでしょうか?

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繰り返しと勝ち負けに、重要な意味があるとき

2014-01-29 04:13:00 | エリクソンの発達臨床心理

 

 あいまいなデータや本当か怪しいデータであっても、その中で筋を見通す力が、臨床心理士の基本的な資質なのですね。誤解を恐れず申し上げれば、この見通す力は、預言者の見通す力と相通ずるものがありますよね。

 

 

 

 

 

伝記の中では、関連するテーマに妥当性があるかどうかは、一人の人の発達の中で、そのテーマが大きな意味をもって繰り返されることに現れることもあれば、その人が何度か勝ちを収めてきたことと負けを味わってきたこととの貸借対照表に、そのテーマが妥当していることに現れることもあります。ルターの、あまりよくまとまってない前半生について議論する際は、最初の素材を与えられた、セミナー参加者か聴講生と自分を見なす読者と何ら変わりはありません。自分の経験に基づいて、この資料が、さらなる資料を求める際に待ち構えるべきものは何なのかを示していることを定式化してみることにしましょう。拙著の中で、ルターの後半生を取り扱うのは、結論においてだけですが、脂の乗り切っているルターは、多くの人にとってあまりに著名なので、わたくしのテーマの再調査は、私の貢献によるものではありません。

 

 

 

 

 

 筋を追うテーマの妥当性は、繰り返しに重要な意味が感じられることにあるのです。エリクソンが言う「勝ち」と「負け」の貸借対照表は少しわかりにくいですね。しかし、テーマが繰り返される中で、おそらく、「勝ち」と「負け」のバランスが取れるのだろうと思います。そのバランスが取れてくる際の判断基準に相当することに、重要な意味が隠されていることがあるからですし、その物差しが、その人とのその人の家族にとって、極めて重要な意味を帯びることがあるからでしょう。

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