きままな雑記帳

ごく普通のあんちゃんのきままに記す日常日誌

BS歴史館『幕末 日本外交は弱腰にあらず (2011年)』

2017-05-18 15:01:42 | 歴史
現在は放映されていませんが、NHKの衛星放送の番組です。

たまたまyoutubeを観ていて、面白いなと思いましてブログに紹介させていただきましたm(__)m

お話は幕末の外交です。
いわゆる『黒船来航』。


幕末 日本外交は弱腰にあらず (2011年)





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当時の幕府は決して「弱腰」ではなかった、たしかに武力では不利でしたが、限られたなかで必死に情報を収集し研究を重ねて外交をしていたのです。
おそらく、自らが不利だからこそ必死になったのでしょう。
当時のアジアの大国「清」は相手を舐めて痛い目に遭ってますから。
とにかく国を守らなくてはならない・・・と必死だったと思います。



じつは、日米和親条約の段階では日本は開国していなかったというお話。
これ、言われてみるとそうなんだなぁと感心しました。

もっとも、日本の『鎖国』も完全に交流を閉ざしているわけではなく、限定的。キリスト教国でもカトリックはお断りでもプロテスタントなら交易OKなので、何が何でも国交断絶ってわけではなかったのです。

港を限定(長崎のみ)し、貿易相手も限定して幕府がメインで取り扱う。
当時は自治権がかなり強い各大名が存在してましたので、自由な交易など認めたら日本が侵略される恐れもありました。
政権担当者としては、『鎖国』するのはベターな選択だったと思います。

その限定方針を長崎のみから下田と函館までに拡大して交易はしないってだけならば(しかも外国人は日本国内には限定的な立ち寄りのみ認める)、『開国』というわけでもありませんよね。
ちょっと相手にも譲歩しましたけど、基本的には日本の方針は堅持してます。

その後の日米修好通商条約でも、アメリカ側の要求はある程度は認めながらも日本として、限定的な港指定と居留地の指定、関税率なども当初はかなり平等に近いものだったようです(金銀交換などでは日本側の情報ミスなどもあって外国有利になってしまうこともありましたが)。
その後の公使館の焼き討ちなど、日本側の治安悪化、政情不安などがあり条件が徐々に不利になってしまったようです。

そう考えると、幕府はちゃんと仕事をしていたのですね。
それに幕府は武家政権、いわば軍事政権ですから(つい忘れがちですけど)、情報を収集して現実的な対策を立て対応することに長けていたのだと思います。

番組内でもコメントがありましたが、結局歴史を書いたのは薩長が作った明治政府です。
前政権である幕府がしっかりしていたとは書きたくなかったのでしょう。できれば、「幕府がだらしなかったからオレたちが苦労して日本を守った」と言いたかったのでしょうね。
もちろん、明治政府も頑張りましたけど、当時の幕府もしっかりとしていて、官僚などはかなり優秀だったと、現代からみて再評価されてもいいと私は思います。

1時間のこの番組。
視聴しながら、じっくりと考え愉しむことができました。



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