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●「アベ様のNHK」では、永六輔さんは「戦争が嫌だ…。戦争はしちゃいけない」ということを伝えれない

2016年09月02日 00時00分26秒 | Weblog


LITERA 本と雑誌の知を再発見』(http://lite-ra.com/)の水井多賀子氏による記事【ピーコがNHKに戦争批判コメントをカットされたと告白!「放送を見て力が抜けた」…永六輔追悼番組で】(http://lite-ra.com/2016/08/post-2512.html)。

   『●アベノサギで違法な壊憲: 
      永六輔さん曰く「「9条を守る」ことは「99条を守ることだ」」
   『●大橋巨泉さんの「最後の遺言」…
      日本を『戦争ができる国』に変えてはいけない…は届かず

 《永さんは戦争が嫌だって思っている戦争はしちゃいけないと。世の中がそっちのほうに向かっているので、それを言いたいんでしょうね」と言ったら、そこがばっさり抜かれていた。放送を見て力が抜けちゃって……。永さんが言いたいことを伝えられないふがいなさがありますね》。

 「アベ様のNHK」では、永六輔さんは「戦争が嫌だ…。戦争はしちゃいけない」、そういったことを伝えてはいけないらしい。
 さて、朝ドラの視聴率は好調のようだ。《「戦後、雑誌「暮しの手帖」を創刊した大橋鎭子氏。「暮しの手帖」といえば伝説の編集長・花森安治氏…この雑誌の誕生には、花森氏と大橋氏の確固たる思いがあった。それは、「戦争に反対しなくてはいけない」というものだ」》、《「暮しの手帖」の花森安治さん…「武器を捨てよう」は憲法押し付け論を批判し、9条の意義を説く一編 ▼「だれが草案を作ったって、よければ、それでいいではないか単なる理想なら全力をあげて、これを現実にしようではないか」とは庶民の戦争体験に根差した率直な訴えだ》…そういったことは「とと姉ちゃん」の中で描くことはできるのだろうか、「アベ様のNHK」に?
 《もうすでに「戦争反対という当たり前の言葉さえ、テレビやラジオでは放送にのせられないNGワードになりつつある。…異常なこと…。──それこそが、まさしく戦前の空気なのだ。…「炭鉱のカナリア」の鳴き声が潰されている。そんな時代にいま、突入している》…恐ろしいことだ。悲惨な時代に逆戻り。

   『●「アベ様のNHK」脱却の一助になる?  
      大橋氏や花森氏が『暮しの手帖』創刊に込めた思いを描けるか?
   『●花森安治さんの「「武器を捨てよう」は
      憲法押し付け論を批判し、9条の意義を説く一編」

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http://lite-ra.com/2016/08/post-2512.html

ピーコNHKに戦争批判コメントをカットされたと告白!「放送を見て力が抜けた」永六輔追悼番組で
NHK マスメディア 水井多賀子 2016.08.21

     (『片目を失って見えてきたもの』文藝春秋)

 放送作家の永六輔、そして大物司会者の大橋巨泉と、今年の夏はラジオ・テレビという放送メディアをつくり上げてきた巨星が立て続けにこの世を去った。そして、このふたりはともに一貫して戦争に反対してきた人物でもあった。──安倍政権という戦後もっとも危険な男が総理の座に就くいま、警鐘を鳴らしてきた著名人がひとり、またひとりと鬼籍に入る現状に不安を覚えている人も少なくないだろう。

 それはこの人も同じだったらしい。双子の弟・おすぎとともにテレビで活躍してきた、ファッション評論家のピーコだ。

 じつは「おすぎとピーコ」の名付け親は永六輔であり、長年にわたってふたりをかわいがってきたという。今月、朝日新聞のインタビューに登場したピーコは、「声高に言わないけど、立場の弱い人たちの側に立ってものをしゃべったり、見たりすることが大事だといつも語っていました」と永について語った。

 だが、このインタビューでピーコは、現在の放送界で進行するもの言えぬ空気をもあきらかにしている。それは、NHKが7月17日に放送した永の追悼番組『永六輔さんが遺したメッセージ』に出演したときのことだった。

   「「永さんは戦争が嫌だって思っている。戦争はしちゃいけないと。
    世の中がそっちのほうに向かっているので、それを言いたいんでしょうね」
    と言ったら、そこがばっさり抜かれていた。放送を見て力が抜けちゃって……。
    永さんが言いたいことを伝えられないふがいなさがありますね」
    (朝日新聞8月20日付)

 「戦争はしちゃいけないという故人のメッセージさえ伝えられない──。これはNHKに限らず、永の訃報に際してこうした永の想いをほとんどのニュース番組は触れようとしなかった。しかも、今回ピーコが告白したように、実際はゆかりのある人が言及していても、それをテレビ局はカットしていたのだ。

 しかし、これは今回に限ったことではない。2014年12月、俳優の菅原文太が亡くなったときには夫人がコメントを発表し、そのなかで菅原の晩年の活動について〈一つは、先進諸国に比べて格段に生産量の少ない無農薬有機農業を広めること。もう一粒の種は、日本が再び戦争をしないという願いが立ち枯れ、荒野に戻ってしまわないよう、共に声を上げることでした〉と触れたが、NHKはこの部分を丸々カットして放送した。

 また、大橋巨泉が亡くなった際も、大橋は亡くなる直前に「週刊現代」(講談社)7月9日号掲載の連載コラム最終回で、〈最後の遺言として一つだけは書いておきたい。安倍晋三の野望は恐ろしいものです。選挙民をナメている安倍晋三に一泡吹かせて下さい。7月の参院選挙、野党に投票して下さい。最後のお願いです〉と書き遺していたにもかかわらず、やはりNHKも民放もことごく無視。『報道ステーション』(テレビ朝日)でさえ最後のコラムの〈今も恐ろしい事や情けない事、恥知らずなことが連日報道されている〉という部分までしか紹介せず、安倍首相について言及した部分まで報じたのは『NEWS23』(TBS)だけだった。

 ピーコは、知識の幅や魅力ある話術をもっていた永や巨泉について、「「戦争はいやだ」っていう話も、永さんや巨泉さんの口から出るとみんな聞いてくれる」と言う。だが、彼らはもういない。そのためピーコは、「そういう人たちがいなくなるのは、大きな財産を失っちゃったんだなと思う。私なんか、その人たちについて行っていればよかったわけですから」と無念さを滲ませるのだ。

 しかし、だからこそいま重要になってくるのは、こうした故人の想いを引き継いでいくことなのだろう。ピーコは以前、永に「ピーコとおすぎは炭鉱のカナリアになりなさい」と言われたというが、実際、そのことを実践してきた人物でもある。

 たとえば、特定秘密保護法が国会で審議されていたときには、「何でこんな拙速に前のめりで、人権を侵害する秘密保護法案を成立させようとしているのかしら。本当に怖い気がするの」特高警察ができて、治安維持法ができていった戦前みたい」(「赤旗」13年11月10日付)と語り、昨年の安保法制議論の際は、こうも話していた。

   「すごく恐ろしい人が総理大臣になっていると思うの。安倍さんはよく
    「総合的に判断する」と答弁するけれど、判断するのはその時の政府で、
    今でいえば安倍さんでしょ。野党に痛いところを突かれれば感情的になり、
    やじまでとばし、国会を無視して自分の思い通りにしたい人が判断する
    ファッショね」

   「安倍さんの言う平和ってなんなんだろうね。「南シナ海で埋め立てしている
    国がある」なんて言って、まるで中国を名指しして、戦争したいと言ってるような
    ものじゃない」(同前15年6月7日付)

 また、ピーコは憲法改正についても、真っ正面からNOと言ってきた

 小泉政権下で憲法改正の動きが活発化していた05年に発売された『憲法を変えて戦争へ行こう という世の中にしないための18人の発言』(岩波書店)のなかでピーコは、「私が生まれたのは昭和二〇年の一月です。ということは我が国の“平和憲法”と一緒に生きて来たといっていいでしょう」と述べ、「私は、誰がなんと言おうと日本にとってこの“平和憲法”はなくてはならないものと思っています」と断言している。

   「何故かというと憲法9条の反戦、非戦という考え方が大好きだから
    なのです。私はどんな種類の戦争も嫌いです。どんな大義名分を揃えても
    戦争はあってはならないのです。正義の戦いなんてないのです
    大きな顔をして“正義”“正義”と言う人ほど信用できないものはありません」

   「今一度日本人全員が第9条の素晴らしさを認識すべきです
    人の命よりも大事な国家などないのですから。
    守らなくてはならないのは“命”なのです

 永から「炭鉱のカナリアになりなさい」と言われ、同じように抱えもってきた反戦の気持ちを言葉にして訴えてきたピーコ。ピーコにとってテレビやラジオに出演することは、重要なことだった。なぜなら〈何かあった時に“戦争はしてはいけない!”と大きな声で全国に向かって言うことが可能なのです。それ は、人間としてとても価値のあるお仕事〉(自著『片目を失って見えてきたもの』文藝春秋)だからだ。

 ただ、一方でピーコは、こうも語っている。

   「私は「戦争反対」ときちんと言おうと思ってテレビやラジオの仕事を
    してきたし、今もそう思っています。ただ、政治について話せる番組は、
    どんどん少なくなっています」(前掲「赤旗」15年6月7日付)

 このピーコの危機感は、“世の中が戦争に向かいつつある”と感じていた永の気持ちを代弁したメッセージさえNHKがカットした一件とも重なる。もうすでに「戦争反対という当たり前の言葉さえ、テレビやラジオでは放送にのせられないNGワードになりつつある。そして同時に、社会のなかでも「戦争反対」と言うことが「政治的発言だ」などと受け取られつつある。これがいかに異常なことなのか、その流れのなかに身を置いていると見えづらくなっていき、それを「ふつうのこと」と受け止めはじめる。──それこそが、まさしく“戦前”の空気なのだ。

 「炭鉱のカナリア」の鳴き声が潰されている。そんな時代にいま、突入しているということを、わたしたちはもっと強く意識しなくてはいけないだろう。

水井多賀子
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●花森安治さんの「「武器を捨てよう」は憲法押し付け論を批判し、9条の意義を説く一編」

2016年08月17日 00時00分42秒 | Weblog


琉球新報のコラム【<金口木舌>庶民の旗】(http://ryukyushimpo.jp/column/entry-332930.html)。

 《「暮しの手帖」の花森安治さん…「武器を捨てよう」は憲法押し付け論を批判し、9条の意義を説く一編 ▼「だれが草案を作ったって、よければ、それでいいではないか単なる理想なら全力をあげて、これを現実にしようではないか」とは庶民の戦争体験に根差した率直な訴えだ》。

   『●「アベ様のNHK」脱却の一助になる?  
      大橋氏や花森氏が『暮しの手帖』創刊に込めた思いを描けるか?

 「アベ様のNHK」は花森安治さんや大橋鎭子さんの思いを描けるか?
 花森安治さんは、押し付け憲法論を批判し、《だれが草案を作ったって、よければ、それでいいではないか単なる理想なら全力をあげて、これを現実にしようではないか》と仰っています。全く同感。

   『●「憲法九条…戦争放棄はGHQの指示ではなく、
       当時の幣原喜重郎首相の発意だったとの説が有力」

 そして、今や、壊憲派・押し付け憲法論者は沈黙する…「憲法九条…戦争放棄はGHQの指示ではなく、当時の幣原喜重郎首相の発意だったとの説が有力」であり、東京新聞がその証拠を発見したためだ。東京新聞の記事【「9条は幣原首相が提案」マッカーサー、書簡に明記 「押しつけ憲法否定の新史料】(http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/list/201608/CK2016081202000116.html)によると、《日本国憲法の成立過程で、戦争の放棄をうたった九条は、幣原喜重郎首相…が連合国軍総司令部(GHQ)側に提案したという学説を補強する新たな史料を堀尾輝久・東大名誉教授が見つけた》…そうだ。

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http://ryukyushimpo.jp/column/entry-332930.html

<金口木舌>庶民の旗
2016年8月10日 06:00

 NHKの連続ドラマ「とと姉ちゃん」で唐沢寿明さん演じる雑誌編集者のモデルは「暮しの手帖」の花森安治さんである。実際は美男子というよりも、一度見たら忘れられぬ独特な風貌と言った方がよい

▼服装や行動も個性的であった。先日亡くなった永六輔さんはその一面を書き残している。自宅を訪ねてきた花森さんはいきなり書棚の前に座り、黙って本の背表紙とにらめっこを始めたそうだ

▼恥ずかしさのあまり「尊敬する編集者の背中を蹴飛ばしてやろうかと思った」という永さんの気持ちも分からなくはない。好奇心の塊だった雑誌編集者の横顔が浮かぶ

▼戦時中、大政翼賛会宣伝部で働き、戦争遂行に加担した。悔恨をばねに雑誌を編み、随筆を残した。1968年10月の「武器を捨てよう」は憲法押し付け論を批判し、9条の意義を説く一編

▼「だれが草案を作ったって、よければ、それでいいではないか単なる理想なら全力をあげて、これを現実にしようではないか」とは庶民の戦争体験に根差した率直な訴えだ。国を守る気概を吹聴する政府への反論でもあった

▼戦場に追いやられた庶民の目線で、その罪を忘れようとする政府へ抵抗の意思を示すため、ぼろ布で作った「庶民の旗」を提唱した。71回目の8・15が巡ってくる。この国の先行きは危うい。今こそ庶民の旗を掲げる時ではないか
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●「アベ様のNHK」脱却の一助になる? 大橋氏や花森氏が『暮しの手帖』創刊に込めた思いを描けるか?

2016年05月08日 00時00分02秒 | Weblog


LITERA 本と雑誌の知を再発見』(http://lite-ra.com/)の記事【NHKは『とと姉ちゃん』のモデル・大橋鎭子の戦争反対の思いを描くことができるのか?】(http://lite-ra.com/2016/05/post-2222.html)。

 《「戦後、雑誌「暮しの手帖」を創刊した大橋鎭子氏。「暮しの手帖」といえば伝説の編集長・花森安治氏…この雑誌の誕生には、花森氏と大橋氏の確固たる思いがあった。それは、「戦争に反対しなくてはいけない」というものだ」》。

 「国営放送局」「国営宣伝局」として、ひたすらアベ様に従順なNHK。脱皮完全変態

   『●カラスはやっぱり「黒い」: 「アベ様のNHK」的
      「政府が白というものを黒とは言えない」で良いのか?

   『●トップからして腐敗したメディア:
       「きょうの安倍将軍」「安倍様のNHK」

   『●(非)特定秘密「隠蔽」法を大歓迎:  
     「たかり記者」だった?読売新聞ナベツネ氏は正気なのでしょうか?
   『●アベ様の政権の「暴走」許す、批判精神無き、「牙」無きメディア
   『●「戦没 新聞人の碑」と「対馬丸犠牲者の慰霊碑 小桜の塔」
   『●失われる「メディアの作法、矜持」…
     「権力を監視する機能が失われ」、しかも、アベ様の「思う壺」

    「本記事中に溢れる「アベ様のNHK」「アベ様の犬HK」に対する形容句の
     数々……「NHKの露骨な安倍政権へのすり寄り」「無批判なヨイショ」
     「政権の広報」「アベチャンネル」「安倍さんに、ただただ奉仕する」
     「NHKの“安倍サマ奉仕放送局化”」
      いまや、明確に、「カラスはやっぱり「黒い」」と言えなくなった
     「アベ様の犬HK」」

   『●青木理さん: ジャーナリストの矜持
      「権力や権威の監視」「強者にこそ徹底した監視の目を」
   『●国営化され、「アベ様の国営放送・犬HK」に脱皮:  
                 受信契約もヘッタクレも無し??
   『●「メディア側の“自発的隷属化”」のトップランナーNHKが、
                「アベ様の国営放送・犬HK」へと完全変態
   『●「NHKの看板番組「クローズアップ現代」の
             国谷裕子キャスターもとうとう降板」
   『●スガ殿が「粛々」とジャーナリズムを破壊していく
             ~「安倍政権の圧力、狡猾なやり口」~
   『●何度目かの「今日、死んだに等しいと思います」…
        《安倍政権の顔色ばかりうかがっている》テレ朝
   『●「川内原発を地図からトリミング」というのは穿ち過ぎか
              と思ってたら、「アベ様の犬HK」ときたら…

 「アベ様のNHK」と揶揄したくなる大惨状…そこからの脱却のための一助になり得るか? 大橋鎭子氏や花森安治氏が『暮しの手帖』創刊に込めた思いを描けるだろうか? 戦争中毒患者・アベ様のオトモダチ・籾井勝人会長の下、《戦争の体験から生まれた「暮しの手帖」という雑誌と、“しずこさん”の思いをどこまで描くことができるのか》《二度と戦争をしない世の中にしたい》…製作スタッフは「戦う」・「闘う」ことはできるだろうか?

   『●子供にもSLAPPする国: 三上智恵監督
     ・映画『標的の村 ~国に訴えられた沖縄・高江の住民たち~』

   『●「敗戦特集」『週刊金曜日』
       (2013年8月9日、955号)についてのつぶやき

    ■『週刊金曜日』(2013年8月9日、955号) / 
     【『金曜日』で逢いましょう三上智恵さん】、
     「無断で入ることをためらう若いスタッフには、映画
     『ニッポンの嘘 報道写真家 福島菊次郎90歳』…を見せ、
     「問題自体が法を犯したものであれば、報道カメラマンは法を
     犯しても構わない
」」という福島さんの言葉で撮影を説得した」

   『●「戦没 新聞人の碑」と「対馬丸犠牲者の慰霊碑 小桜の塔」
   『●福島菊次郎91歳の写真集『証言と遺言』、届く
   『●反骨の報道写真家・福島菊次郎さん亡くなる:
      『証言と遺言』の最後に赤々と押印、「闘え」「菊」と

   『●「電波」な「凶器」高市総務相の暴走と「報道現場の声」:
                   「自粛」「忖度」「委縮」…が「内部から」

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http://lite-ra.com/2016/05/post-2222.html

NHKは『とと姉ちゃん』のモデル・大橋鎭子の戦争反対の思いを描くことができるのか?
【この記事のキーワード】NHK, 朝ドラ,  水井多賀子 2016.05.07

 4月からスタートしたNHK連続ドラマ小説『とと姉ちゃん』が絶好調だ。視聴率はスタートから20%台をキープし、最高24.6%をマーク(ビデオリサーチ調べ、関東地区)。平均視聴率23.5%を記録した前作『あさが来た』超えも期待されている。

 このドラマの主人公・小橋常子のモデルとなっているのは、戦後、雑誌「暮しの手帖」を創刊した大橋鎭子氏。「暮しの手帖」といえば伝説の編集長・花森安治氏(ドラマでは唐沢寿明が演じる)が有名だが、女性に向けた生活雑誌をつくろうと最初に提案したのは、この大橋氏だった。

 『とと姉ちゃん』でも描かれているように、大橋氏は早くに父を亡くし、それからは母と2人の妹との生活を守るために奮闘。親交のあった作家・柴田錬三郎はそんな大橋氏のことを〈仕事はもちろん、日常茶飯事にこれほど重宝な人間は、またとあるまいと、おもわれるオール・マイテイの女だつた〉と評している。

 ファッションページでは自らモデルをつとめ、着物から直線裁ちでつくることができる普段着を提案。「誰にでも必ず出来る」料理記事や、「暮しの手帖」の代名詞ともいえる消費者目線の「商品テスト」企画、そして戦後、市井の人びとの生活に寄り添う雑誌をつくってきた大橋氏。じつは、この雑誌の誕生には、花森氏と大橋氏の確固たる思いがあった。

 それは、「戦争に反対しなくてはいけない」というものだ。

 まず、大橋氏が女性のための出版物を、というアイデアをもったのは、終戦直前のことだった。

 大橋氏は真珠湾攻撃が起こった1941年に日本読書新聞社に入社。そのときの編集長・田所太郎氏に、終戦後、女性のための出版がしたいと相談したところ、花森氏を紹介された。大橋氏の話を聞き、出版を手伝うとその場で決めた花森氏は、数日後、「君がどんな本を作りたいか、まだ、ぼくは知らないが、ひとつ約束してほしいことがある」と大橋氏に話したという。

   「それは、もう二度とこんな恐ろしい戦争をしない世の中に
    していくためのものを作るということだ。戦争は恐ろしい。
    何でもない人を巻き込んで、末は死にまで追い込んでしまう。
    戦争に反対しなくてはいけない。君はそのことがわかるか」

 またあらためて詳しく触れたいが、花森氏は戦中、大政翼賛会の宣伝部に属し、かの有名なぜいたくは敵だ!というスローガンも花森氏の作だったといわれる。花森氏は、自分には戦争への責任がある、と感じていたのだ。

   「君も知っての通り、国は軍国主義一色になり、誰もかれもが、
    なだれをうって戦争に突っ込んでいったのは、ひとりひとりが、
    自分の暮らしを大切にしなかったからだと思う。もしみんなに、
    あったかい家庭、守るに足る幸せな暮らしがあったなら、
    戦争にならなかったと思う」

 この花森氏の言葉に、大橋氏も頷いた。〈女の人のための雑誌を作って、温かな暮らしを大切にすることを提案し、二度と戦争をしない世の中にしたい〉という思いから、「暮しの手帖」は生まれたのだった。

 こうした思いは、当然、誌面にも反映された。暮らしの提案だけではなく、1968年8月1日に発行された号では、読者から手記を募って「戦争中の暮しの記録」を特集。それは、〈特別な人や大きな事件ではなく名もない市井の人々が、戦争の間、どんなふうに生きていたのか、どんな苦労をしてきたのかその小さな事実をひとつひとつ残しておかなければならないという思い〉から生まれた企画だ。一号まるまる使った大特集にしよう、と言ったのは、大橋氏だったという。

 「戦争は悲しい」。これは84年に発行された「暮しの手帖」2世紀91号(「暮しの手帖」は100号ごとに1世紀とカウントする)の記事タイトルだ。戦地に送られて命を落とした人、空襲によって被害を受けた人、そして他国で人びとを傷つけ、同じ思いをさせてしまったこと──何を切り取っても戦争は悲しい、その一言に尽きる。

 だが、そんな当たり前のことが、いまのこの国では当たり前ではなくなってきている「有事に備えて戦力を強化しよう」という声は大きくなり、自衛隊員は遺書を強要され、総理大臣はじめ時の政権は先の戦争を美化しようとさえしている

 そんな時代にあって、大橋氏や花森氏が「暮しの手帖」創刊に込めた思いを、いま一度振り返ることは重要だ。ひとりひとりの暮らしを大切にしたい。でも、武器を手にして威嚇したり攻撃することでは決してわたしたちの暮らしは守られない。だから戦争はいやだと反対しつづけるのだ。

 前述した特集「戦争中の暮しの記録」は、1969年の終戦の日に単行本化されたが、そのあとがきに、こんなメッセージが綴られている。

   〈たとえぼろぼろになっても、この一冊だけは、
    これからあとに生まれてくる人のために残しておきたい

 大橋さんは83歳まで社長を、92歳まで社主を務め、2013年に93歳でこの世を去った。前掲書『暮しの手帖別冊 しずこさん』では、〈わたしたち社員は、誰も彼女を「社長」や「大橋さん」とは呼ばず、「しずこさん」と呼びました〉と書いてある。──『とと姉ちゃん』は、戦争の体験から生まれた「暮しの手帖」という雑誌と、“しずこさん”の思いをどこまで描くことができるのか。期待して見守りたい。

( 水井多賀子
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