テアトル十瑠

1920年代のサイレント映画から21世紀の最新映像まで、僕の映画備忘録。そして日々の雑感も。

8 1/2

2009-10-18 | ドラマ
(1963/フェデリコ・フェリーニ 監督・共同脚本/マルチェロ・マストロヤンニ、アヌーク・エーメ、クラウディア・カルディナーレ、サンドラ・ミーロ、バーバラ・スティール/140分)


 『面白い小説を10冊読むよりも、プルーストの「失われた時を求めて」を退屈しながら読む方がましだ』
 モームがそんなことを書いていたのを読んだ記憶があるが、ある種の映画ファンは、フェリーニの「8 1/2」を観ながら同じような事を言うかも知れない。それほど魔力を持った映画だと思う。かくいう私はそれ程のめり込みはしないが、それは内容的に分からない事が多い(主に宗教に関する部分)からで、3回目か4回目になる今回の鑑賞でも理解に苦しむシーンは多々あった。だから、お薦め度はあえて書かないことにする。

*

 スランプに陥った世界的な映画監督グイドが、温泉地に療養に来て次回作の構想を練ろうとするが、愛人やらプロデューサーやらその他の映画関係者がやって来て気の休まる暇もない。しっくりいってない妻は姉を使って電話をしてきて、浮気の確認。シラをきった後で『君も来いよ』と妻を誘うと、予想通り妻は姉や友人を伴ってやって来る。
 若い時にはあんなにひらめいたアイディアが最近はさっぱりだ。
 宗教絡みのエピソードを考えれば、子供の頃の苦い思い出がよみがえり、もっと小さい頃の甘えん坊の想い出もよみがえる。妻と口喧嘩をすれば、ハーレムの主となった自分を空想する・・・。

 映画の半分はグイドの空想や想い出を様式化した映像ばかり。物語ではなく、エッセイのようなつもりで観るべき映画なのかも知れません。同じようなエッセイ映画「フェリーニのローマ (1972)」よりは内省的であり、その点繰り返し観てみたい作品ではありますな。
 次から次と何処から湧き出すのかと思わせる豊富なイメージとその組み合わせのダイナミックさ。ニーノ・ロータの音楽も多彩なり。
 夫婦関係の微妙さ。実生活を映画に反映しながら、その映画を作る過程を映画にする。このシークエンスは前代未聞の人間心理の複雑さを感じますねぇ。



 グイド(マストロヤンニ)はフェリーニ自身、奥さんのルイザ(エーメ)はジュリエッタ・マシーナがモデルでありましょう。グイドが出演を希望する女優クラウディアに扮するのがクラウディア・カルディナーレというのは、ホントに彼女はフェリーニの憧れだったんでしょうかねぇ。
 「魂のジュリエッタ (1964)」にも出ていたサンドラ・ミーロが、グイドの愛人役でした。

 1963年の米国アカデミー賞で、監督賞、脚本賞(トゥリオ・ピネッリ、フェリーニ、エンニオ・フライアーノ、ブルネッロ・ロンディ)などにノミネートされ、外国語映画賞、衣装デザイン賞(白黒)を受賞したそうです。

 尚、タイトルの「8 1/2」は『はっかにぶんのいち』、或いは『はちかにぶんのいち』と読む。フェリーニのそれまでに創った映画の数が9本で、そのうちの1本が共同監督だったからであります。

・お薦め度【保留しますが、一見の価値は当然有り】 テアトル十瑠

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