(1984/ジム・ジャームッシュ監督・脚本/ジョン・ルーリー(音楽も担当)、エスター・バリント、リチャード・エドソン、セシリア・スターク/90分)
アメリカ、NY。
ウィリーは本名をベラ・モルナーというハンガリー人だが、それは友達のエディにも教えていないし、アメリカに来て十年、故郷の親戚とも連絡は取っていない。クリーブランドに居るおばさんから従妹のエヴァがブダベストから来るので一日だけ預かってくれと頼まれていたが、その日になっておばさんが急病で十日間入院することになったので、エヴァをその間も預かってくれと電話が入る。
一人やって来たエヴァは16歳。どうやらアメリカで生活を始めるらしい。
定職もなく、ギャンブルに生活の糧を求めているウィリーには、彼女はお荷物でしかなかったのだが・・・というようなお話。
8年前に観た「ブロークン・フラワーズ」が初体験だったジム・ジャームッシュの長編映画第1作であります。
序盤でウィリーとエディが購入馬券の相談をしている場面で、馬の名前に「晩春」、「出来ごころ」、「東京物語」というのが出てくる。勿論日本語の名前ではなく、例えば「東京物語」なら「トウキョー・ストーリー」という具合。古い映画ファンならご存知でしょうが、「晩春」も「出来ごころ」も「東京物語」も小津安二郎の監督作品。ジャームッシュが小津のファンだったとは知りませなんだなぁ。
小津は、シーンの転換時に人物の写らない風景や物だけを映した空ショットを挿入する手法を使うが、ジャームッシュはフェイド無しの暗転=いわゆるブラックアウトを使っておりました。小津を好みながらも手法は独自のスタイルを貫くという、この辺の自己の感性を信じる作家性は評価したいですね。
「ブロークン・フラワーズ」にも見られたこの手法は、登場人物を覗き穴から眺めているような気分にさせる感覚があり、対象となる人物の内面を深く覗き込みはしないけれど、他人には見せないだろう無意識の感情や行動を見る事ができて、どこか人間のオカシサを感じさせます。ストーリーで見せる映画ではなく、人間観察を楽しむ作品のような気がしますね。ジャームッシュの作品は概ねそんな感じなんだろうと思います。
だから、ストーリーはあって無いようなものなんですが、備忘録としてザッと書いておきましょう。
▼(ネタバレ注意)
さて、最初はエヴァをウザく感じていたウィリーも、次第に親近感を覚えるようになるが、さりとてラブストーリーが始まるわけではない。そして最初からエヴァと仲良くなろうとしていた節のあるエディにもそのような進展はない。
喧嘩や騒動があるわけでもなく十日間は過ぎ、ウィリーは何を思ったかエヴァにドレスをプレゼントするが、エヴァはクリーブランド行のバスに乗る前に、街角のゴミ箱に捨ててしまう。お気に召さなかったらしい。
それを見ていたエディはその後ウィリーのアパートに行くが、観ている方はエヴァがドレスをどうしたか言うのかなぁと気になるが結局エディは言わない。この辺の呼吸も独特なものを感じますな。
一年後。馬とカード賭博で大金を手にした二人は、エディの兄の車を借りてクリーブランドのエヴァに逢いに行く。
エリー湖の傍にあるクリーブランドは雪に包まれた町だった。
エヴァはおばさんと暮らしていて、ダイナーで働いていた。恋人らしき男性もいたが、ウィリーとエディは二人のデート(カンフー映画の鑑賞)にくっついて行ったりする。
暫くして二人は再びエヴァにサヨナラしてNYに向かうが、ウィリーがエヴァを誘ってフロリダに行くことを思い付く。
おばさんに毒づかれながら三人は再出発、フロリダではモーテルに泊り、ウィリーとエディは翌日ドッグレースで持ち金をすってしまう。
ウィリーは、競馬で取り返そうとするが、その間ほおっておかれたエヴァは一人海岸通りを散歩中に、薬の売人に間違われ、大金を手にする。
エヴァは帰ってこない二人に(幾ばくかのお金と)書置きを残して空港に向かい、フロリダからはブダペスト行の直行便があることを知る。
競馬で儲けを取り戻した二人は、エヴァの書置きを見て空港に向かい、ウィリーは引き留めるために航空券を買い飛行機に向かう。
ラストシーンは、件のモーテルにエヴァが戻ってきたところで終わる。
その前には、ブダペスト行の飛行機が飛び立ち、エディはウィリーがそれに乗っていると思われる台詞を発する。
なんでエヴァは戻って来たんだろう?
▲(解除)
1984年のカンヌ国際映画祭でカメラ・ドールを、全米批評家協会賞で作品賞を受賞したそうです。
人間観察としては「ブロークン・・・」の方が登場人物が大人だし色々と考えさせるものが多いよね。
そんな意味でお勧め度は★一つ少なくなっちゃうかな。
アメリカ、NY。
ウィリーは本名をベラ・モルナーというハンガリー人だが、それは友達のエディにも教えていないし、アメリカに来て十年、故郷の親戚とも連絡は取っていない。クリーブランドに居るおばさんから従妹のエヴァがブダベストから来るので一日だけ預かってくれと頼まれていたが、その日になっておばさんが急病で十日間入院することになったので、エヴァをその間も預かってくれと電話が入る。
一人やって来たエヴァは16歳。どうやらアメリカで生活を始めるらしい。
定職もなく、ギャンブルに生活の糧を求めているウィリーには、彼女はお荷物でしかなかったのだが・・・というようなお話。
8年前に観た「ブロークン・フラワーズ」が初体験だったジム・ジャームッシュの長編映画第1作であります。
序盤でウィリーとエディが購入馬券の相談をしている場面で、馬の名前に「晩春」、「出来ごころ」、「東京物語」というのが出てくる。勿論日本語の名前ではなく、例えば「東京物語」なら「トウキョー・ストーリー」という具合。古い映画ファンならご存知でしょうが、「晩春」も「出来ごころ」も「東京物語」も小津安二郎の監督作品。ジャームッシュが小津のファンだったとは知りませなんだなぁ。
小津は、シーンの転換時に人物の写らない風景や物だけを映した空ショットを挿入する手法を使うが、ジャームッシュはフェイド無しの暗転=いわゆるブラックアウトを使っておりました。小津を好みながらも手法は独自のスタイルを貫くという、この辺の自己の感性を信じる作家性は評価したいですね。
「ブロークン・フラワーズ」にも見られたこの手法は、登場人物を覗き穴から眺めているような気分にさせる感覚があり、対象となる人物の内面を深く覗き込みはしないけれど、他人には見せないだろう無意識の感情や行動を見る事ができて、どこか人間のオカシサを感じさせます。ストーリーで見せる映画ではなく、人間観察を楽しむ作品のような気がしますね。ジャームッシュの作品は概ねそんな感じなんだろうと思います。
だから、ストーリーはあって無いようなものなんですが、備忘録としてザッと書いておきましょう。
▼(ネタバレ注意)
さて、最初はエヴァをウザく感じていたウィリーも、次第に親近感を覚えるようになるが、さりとてラブストーリーが始まるわけではない。そして最初からエヴァと仲良くなろうとしていた節のあるエディにもそのような進展はない。
喧嘩や騒動があるわけでもなく十日間は過ぎ、ウィリーは何を思ったかエヴァにドレスをプレゼントするが、エヴァはクリーブランド行のバスに乗る前に、街角のゴミ箱に捨ててしまう。お気に召さなかったらしい。
それを見ていたエディはその後ウィリーのアパートに行くが、観ている方はエヴァがドレスをどうしたか言うのかなぁと気になるが結局エディは言わない。この辺の呼吸も独特なものを感じますな。
一年後。馬とカード賭博で大金を手にした二人は、エディの兄の車を借りてクリーブランドのエヴァに逢いに行く。
エリー湖の傍にあるクリーブランドは雪に包まれた町だった。
エヴァはおばさんと暮らしていて、ダイナーで働いていた。恋人らしき男性もいたが、ウィリーとエディは二人のデート(カンフー映画の鑑賞)にくっついて行ったりする。
暫くして二人は再びエヴァにサヨナラしてNYに向かうが、ウィリーがエヴァを誘ってフロリダに行くことを思い付く。
おばさんに毒づかれながら三人は再出発、フロリダではモーテルに泊り、ウィリーとエディは翌日ドッグレースで持ち金をすってしまう。
ウィリーは、競馬で取り返そうとするが、その間ほおっておかれたエヴァは一人海岸通りを散歩中に、薬の売人に間違われ、大金を手にする。
エヴァは帰ってこない二人に(幾ばくかのお金と)書置きを残して空港に向かい、フロリダからはブダペスト行の直行便があることを知る。
競馬で儲けを取り戻した二人は、エヴァの書置きを見て空港に向かい、ウィリーは引き留めるために航空券を買い飛行機に向かう。
ラストシーンは、件のモーテルにエヴァが戻ってきたところで終わる。
その前には、ブダペスト行の飛行機が飛び立ち、エディはウィリーがそれに乗っていると思われる台詞を発する。
なんでエヴァは戻って来たんだろう?
▲(解除)
1984年のカンヌ国際映画祭でカメラ・ドールを、全米批評家協会賞で作品賞を受賞したそうです。
人間観察としては「ブロークン・・・」の方が登場人物が大人だし色々と考えさせるものが多いよね。
そんな意味でお勧め度は★一つ少なくなっちゃうかな。
・お薦め度【★★★=一見の価値あり】
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