Ruby の会

シニアライフ~能楽・ボランティア・旅行・食べ歩き・演劇などを綴っています

能「定家」~六之佐能の会

2015-10-26 | 能楽

 藤原定家と言えば、まず「新古今和歌集」や「小倉百人一首」の編者として覚えている方が多いことだろう。俊成の子で、鎌倉初期の歌人である。(トップ写真は百人一首の絵より)

 10/12(祝)、大皷の飯島六の佐の会で能「定家」が上演された。お父上の佐之六師の追善能で、他に舞囃子や小鼓一調、太鼓一調、大皷一調もあり、それは素晴らしい舞台で、高価なチケットを思い切って買った甲斐があった。なはさんと早目に金沢駅へ行き、「ぶどうの木」でランチ、シャトルバスで能楽堂へ。帰りはSIさん、MAさんの車を乗り継いで戻って来た。 ↓は、定家葛(テイカカズラ)の花と葉。この「テイカカズラ」という名は、謡曲の「定家」に由来するそうだ。

            

 平安時代の終わり頃、後白河法皇の第三皇女式子(しょくし)内親王は、幼くして賀茂斎院(賀茂神社に奉仕する未婚の皇女)となり、十年にわたって神社に奉仕していたが、病のために退いた。この頃、歌人として有名な藤原定家が皇女を慕っていたが、皇女は独身を守って49歳で病気のため亡くなった。それでもなお、皇女を慕った定家は蔦葛(つたかずら)となって、皇女の墓石にまつわりついた。
 皇女の霊が、自分の墓に蔦葛がまつわりつく苦しみを、旅の僧に訴えるというのが、物語のあらすじです。

 ↓は、式子内親王と「新古今和歌集」の中の和歌。(中学国語ではこの歌を教えるそうだ)     
 ’山ふかみ 春ともしらぬ 松の戸に たえだえかかる 雪の玉水’       

 私には、同じ「新古今和歌集」の歌でも、「百人一首」に選ばれている↓の歌の方がなじみやすい。 

 ’玉の緒よ絶えなば絶えねながらへば 忍ぶることの弱りもぞする’…(私の命よ、絶えるなら絶えてしまってくれ。このまま長く生きていれば、心に秘めた恋がばれてしまいそうだから。)
 
 この句は、「忍ぶる恋」というテーマで詠まれたものだと言われているそうだ。「人には知られていない秘密の恋」と言った意味らしい。定家の方がずっと年下で、身分も大きく違い、式子内親王の忍ぶる恋の相手は、定家ではなく別の人(法然)ではないか、と言う説もあるようだが、能では定家との恋として描かれている。
 ↓の写真はすべてネットから。観世流、喜多流の舞台の写真です。

 北国から上って来た旅の僧が、都千本辺りでにわか雨にあいます。雨宿りをしているところへ一人の若い女が現れ、ここは藤原定家が建てた時雨の亭(ちん)だと教えます。女は昔を懐かしむかに見え、定家の歌を詠み、僧を式子内親王の墓に案内します。
 もと賀茂の斎院だった内親王は、定家と人目を忍ぶ深い契りを結ばれましたが、世間に漏れたため、逢うことが出来ないまま亡くなりました。それ以来定家の執心が、葛となって内親王の墓にまといつき、内親王の魂もまた安まることがなかったと女は物語り、自分こそが式子内親王である、どうかこの苦から救いたまえと言って失せます。
 その夜、僧が読経して弔うと、内親王の霊が墓の中から現れ、法の力によって成仏したことを喜び、舞を舞います。やがてもとの墓の中に帰り、再び定家葛にまといつかれて姿を消します。 

 左…前シテ(女)    右…後シテ(式子内親王の霊) 

                 

 ↓ 後場。葛のまといついた墓から出て来たところ。

  ↓ も後場での、式子内親王。この舞台では、面が「痩せ女」(たぶん)で、やつれた様子がよくわかる。

               

 金沢の舞台でも、面は痩せ女で痛々しく見えた。装束も白っぽい色ではなく、くすんだ深緑色。葛の色とよくマッチして憔悴した中にも厳かな風情が感じられた。舞いを舞った後、再び蔦葛の這いまとう墓に入って行きます。写真を載せられないのが残念です。

 シテ:大坪喜美雄  ワキ:殿田謙吉  ワキヅレ:平木豊男、北島公之
 間狂言:能村祐丞
 大皷:飯島六之佐  小鼓:曽和正博  笛:杉市和
 地謡:渡邊荀之助 他

 さて、このお能の話を川越のTOさんにしたら、「いいわね~」と言いながら、「式子内親王伝~面影びとは法然」(石丸晶子著)と言う本を紹介してくださった。図書館で借りたがなかなか読み切れず、ずいぶん長く借りてしまった。法然上人との出会いや和歌の話が多かったが、私には時代背景や式子内親王の斎院としての生き方が興味深かった。彼女の兄が以仁王、頼政と共に平家討伐を企てたが発覚し、のがれる途中で戦死している。読んでもすぐに忘れるのだが、読んでる間は時代を超えて平安人の世界に浸れて面白い。


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4 コメント

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Unknown (なは)
2015-10-27 17:35:19
清姫様
貴女のあっちこっちから出してくださった写真と丁寧な解説を読ませて頂いて,能「定家」を思い出しています。
舞台中央に置かれた作り物も立派でした。
綺麗な式子内親王が後場で式子内親王の霊で出られましたから、面も衣装も違って、やはりお能は素晴らしいと思いました。あの狭い飾り物の中で着替えになられるのも大変なことでしょう。
「法然上人とのお話」も興味があります。
しっとりと心に染み入るお能でした。
有難う!
「テイカカズラ」も物語と一緒に覚えたらいいでしょうね。
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Unknown (清姫)
2015-10-27 19:18:23
なはさん
あの後、式子内親王の本を読んだりしてアップするのが遅れました。「野宮」にも出て来ましたが、斎院の生活について詳しく書かれています。
今日、退公連の研修で滑川、上市へ行きました。参加者の中に一緒に「定家」を見たSIさん、法然上人に詳しい方もおられ、話が弾みましたよ。来年(鬼が笑うけど)の県民カレッジ「木曽義仲講座」が面白そうです。粟津原へも行くそうです。
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Unknown ()
2015-10-29 02:02:22
定家というのは、謡ではあまり聞かない題名じゃないでしょうか。
しっかりと深く見ていますね。
周りの事の資料もついて、分かり易いです。
テイカカズラ、も用意してあったのですか
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Unknown (清姫)
2015-10-29 20:47:55
姫ちゃん
「定家」は金沢での公演は初めてだそうです。謡でも○○伝物では?上の写真の最初の3枚は観世流の家元だったと思います。実は解説つきのyoutubeもありましたよ。
大皷の一調で六之佐さんの家元が打たれましたが、立て膝の姿勢でしたよ。
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