ぼちぼちやりま!

悪い時が過ぎれば、よい時は必ず来る。
事を成す人は、必ず時の来るのを待つ。
焦らず慌てず、静かに時の来るのを待つ。

おつかれさま

2020-03-11 09:48:57 | 生き方
介護施設でコロナとコレラとコロリの違いはと聞かれ、
兄弟みたいなもんや、とええ加減に答えてる昨今、
諸兄に置かれましては如何お過ごしでしょうか。

マスクしなけりゃ人、うつしてやろか我がコロナ。
町全体がすさまじく、凍てつくような気配、
けれど大空見上げりゃ春の精が舞っていますよ、あちこちに。

こんな様子を何度も経てきた古希年代、
各々がすべきことをすれば、それでいいのだ。

家電

2020-01-30 21:01:10 | 生き方
今日、46年間使ってきた岡山の実家の固定電話を、解約した。
まったく使われてなかった電話とはいえ、とてつもないさみしさがおそった。
自分史が塗り替えられたような、さみしさだった。

そらんじて言える電話番号が、3つから2つになった。

幸福と正義

2020-01-09 16:04:07 | 生き方

人が生きる目標が個人の「幸福」の追求でありその大義を「正義」と呼ぶならば、世の中には個人の「正義」が人の数だけ存在することになる。環境保護を叫ぶ欧州少女にも、涙しながら投石するマスク姿の香港青年にも、ついでに言えば自己的な米暴走老人にも、楽器箱に入って出国するオッサンにも、個人的な「正義」は存在するのだ。

一方、ボク達人類・ホモサピエンスは、集団生活を営むことで、十万年にわたり種の存続を可能にしてきた。集団生活を維持するには時々に即応した社会規範が必須になり、「正義」にも個人的なものと社会的なものの2種類がでてきた。相反するものであっても、個人的正義と社会的正義の複眼を働かせて生きることが、「真の幸福」への道だと悟ってきた、ハズであったのだけど。

5つの専門

2019-01-28 20:38:43 | 生き方
「定年になったら5つの専門を持て」という格言(?)があるらしい。本職の技能に加え、ゴルフでも英会話でも料理でもなんでもいい、例えていえば<クイズ99人の壁>の出場者が掲げるチャレンジジャンルを5つ持て、ということなのだろう。

自分ならばなにをあげるだろう? 将棋、菜園、推理小説、酒・・・さてどれもイマイチ。なるほどクイズ番組に出ようとするほどの卓越した専門知識はない。好奇心程度のものを私の専門分野です、といえるほどに昇華できれば、日々の景色も変わって見えるのだろうか。平成の終わりになってようやく、その5つの分野を作ってみようか、という気になってきた。

2者択一

2018-05-15 20:01:11 | 生き方

自然科学と異なり、社会科学では対照実験を行うことができない。「Aを行った場合」と「Aを行わなかった場合」との結果の違いは推測に頼るしかない。あくまでもこの推測は不確実であるため、論争の火種となる。原爆が落とされなかったらもっと多くの人が死んだはずだ、の例のごとく。

人生においても同時に2つの行動はとれない。モーニングトーストか鮭茶漬けか、3三角成か2五桂か、手術を受けるべきか否か、そう、いつだって人生は2者択一の連続なのだ。

テレビ人間が悪いか

2018-02-15 19:00:07 | 生き方

はやりの定年本を立ち読みしてると、「そば打ち・陶芸・各種教室にも行かず、家でボーとしてるとテレビ人間になりますよ」なんて警句にお目にかかる。そんなに定年男のテレビ人間が悪いのか。

7年も前に定年男になったボクは、朝ドラから大河、右京さんやマリコは常連で、最近ではキムタク・マツジュン・イシハラサトミも毎週の楽しみ。BSの洋画なんかはその都度録画して見てるほどで、TV評論家生活に勤しんでいる。さらに五輪のライブでは歓声・奇声で突っ込みを入れつつ、今を楽しんでいる。

   ***

定年本でさげすまされている「定年男のTV人間」、本人がそれでいいなら、第3者がどうのこうのと言う必要は全くないのです。

ところで多くの定年本が声をそろえて言うほどに【各種教室・町内活動・ボランティア】がそんなに定年男の人生をよくするものだとは思えないのですが・・・さてこの項はまた別の機会に。

「数独」に嵌りだす

2017-12-12 21:06:31 | 生き方

最近、記憶力の衰えが深刻になってきた。人とのちょっとした会話でも、一度頭の中で単語を繰って文章にしてからでないと、まともな名詞が出てくるかどうか覚束ない。今や認知症まっしぐら、高齢者免許更新テストが不安になるほど。溺れる者の藁にでもなるかと、先日の日曜版から「数独」に嵌りだした。初級クラスは何とか歯が立つが、それでも30分は優にかかっている。世間の連中はこれを平均5~10分でやるとか。中級クラスになると、悔しいけど、今はまったくお手上げ。今年末までは認知症向上を目指して、「数独」に嵌り、鼠色の脳細胞の活性化に努めてみようと思っている。

2017年4月に触れた言葉

2017-05-04 20:50:18 | 生き方

ホラは他人を喜ばすために吹くもの。ウソは自分のために吹くもの。
   ――― 富安陽子の父 ―――

歴史書を埋めたのはごくわずかな人たちの営みであり、残りの人々はすべて畑を耕し、水桶を運んで生きてきたのである。
   ――― ユバル・ノア・ハラリ ―――

いちばん手ごわいのは、「漠然とした不安」だ。恐怖の対象が明確なら、それについて研究したり考えたりすればいいか、漠然としていると、どうすればいいのか分からない。
   ――― 羽生善治 ―――

「いる」と「いく」

2017-03-18 22:39:11 | 生き方
【生きているということは、誰かに借りをつくること。生きていくということは、その借りを返していくということ】(永六輔)
「いる」ことと「いく」ことの違い。永さんの言葉は、丸山真男の「である」ことと「する」ことを強調したかんじです。小生はここしばらく、「生きている」ばかりで「生きていく」ことの意味を忘れていました。一日に一時間でも十分でもいいから、できるところから生きていかねば、と思っています。

ヤバイヤバイ

2017-03-01 21:57:00 | 生き方

確定申告の季節。去年のコピーを見ても、内容を思い出すのにかなりの時間を費やす。あるいは著名人の名前が一日たっても思い出せず、確実に認知機能が衰え、また記憶障害が起こっている。

咳をすると尻あたりの神経がビリビリ痛む。左足は親指骨折がまだ痛く、足底筋膜症も腱炎症も一向に良くならない。つまりは歩けない。

さらに血圧も血糖も、心肺機能も体力も、年相応にあるいはそれ以上にヤバイ。

   ***

不平をこぼし愚痴るばかりでは軽蔑しか得られないとしたら、斜め下を見る人生から1ミリでも角度を上げて、前をむくしか道はない。