ぼちぼちやりま!

悪い時が過ぎれば、よい時は必ず来る。
事を成す人は、必ず時の来るのを待つ。
焦らず慌てず、静かに時の来るのを待つ。

大阪マラソン ちょいボラ記

2013-10-27 19:17:04 | スポーツに思うこと
「あとたった30キロや」 「しんどいやろ あめちゃんあげるわ」 「疲れた? 気のせいや」・・・。
関西弁の応援が飛び交う、第3回大阪マラソンのボランティアに行ってきた。
13km地点、北浜の給水所である。

めっちゃ、忙しかった。
紙コップを並べて、飲料水を半分くらいダボダボと注いで、テーブルに配置する。
走ってくる選手たちは、雲間の太陽が暑いのか、あるいは13km地点の苦しさからか、
テーブルの紙コップめざして、我先にと手を伸ばしてくる。
こっちは必死のパッチでフル回転したけど、
大量に用意されていたクリスタルガイザーが、2時間ぐらいで底をついた。
結局、おもてなしできたお客様はランナー全体の2/3ぐらい。必然、開店休業。

あとは選手応援部隊に変身。
一体何人とハイタッチしたか。そのたびにこっちも元気をもらう。

3.1万人のランナー、1万人のボランティア、そして125万人の観衆による、
浪花の秋の大祭だった。

   ***

遅い昼飯はゴール地点のインデックス大阪で。
各地の名物に目移りしながら、昼間からカンビールをプシュー!プシュー!プシュー!


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忘れること

2013-10-25 16:49:14 | 社会問題
偽装ではなく誤表示だとか、クール宅急便は外気温なみだとか、TVホコタテはやらせだとか・・・ほかにも公務員の公金横領や泥酔運転など呆れた出来事が茶飯事となっている。その程度の国かと問われれば、そうだとしか答えようがない。原発問題しかり1000兆円の借金しかり・・・。けどオラも含めて皆の衆の関心は、大事はいつしか忘却の彼方におき、とりあえずは今日の晩飯が問題だと。

   ***

忘却といえば、年とともに物忘れが多くなった。NHK「がってん!」によれば、<物事を覚える能力>は年齢には左右されない。<思い出す能力>が年とともに低下することが問題だと。どっちにしても一緒ではないかと思うが、どうもそうでもないらしい。インプットされた記憶を正確にアウトプットすることは年齢にかかわらず可能なんだって、ある努力と訓練で。
もっとも<物忘れ>を武器にして漂々と世間を渡ってる年寄りには、いらぬ訓練かもしれないが。

   ***

ダブル台風とかで、気象予報が気になっているが、明日あたりがピークみたい。なにごともなければいいが。

日本の自然は<厳父と慈母>だ、と言ったのは寺田寅彦。台風や地震など、これほど天災が襲う国はない。日本人は災害によって鍛えられてきた。災難を喰って生きてきた。しかし、日本人は世界有数の健忘症の民族。健忘症だからこそ、この国で生きてこられた。厳父のカミナリに畏怖を覚えながらも、慈母の美しさ、優しさに育まれてきたのだ。災難という滋養を、少しづつ、少しづつ明日の糧にしながら。

・・・原子力発電という災厄が登場するまでは。
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昭和の詩人

2013-10-25 11:27:44 | 読書
伊東静雄(1906-1953)を読んでいる。堺の住人で司馬遼より先に菜の花忌として慕われた、昭和初期の詩人である。弊衣破帽の住吉中学校教諭時代は、学生からコジキとあだ名されるくらい蓬髪だった。初期の作品は難解、『わがひとに与ふる哀歌』も背景の時代性や経済性、健康問題も絡んでいて、一読では理解しがたい。少年期の三島由紀夫は彼を絶賛し日参したらしいが、伊東の方は当時の三島のことを「俗物だ」と一蹴していたらしい。

「ああ島が見える/そこからひばりが立ってゐる/雲雀が立つのは畠のある証拠だ/はたけのある所には人が住む /人の住む所には恋があるんだ 」 という詩には「そこには又必ず悲劇がある 」という末詞が必要だと伊東はいう。

感性が鈍ってきたおじさんは、若いなあ、いいなあと思う。後期はセガンティーニの風景画のような作品も残している。非常にわかりやすいものもある。戦前戦中戦後の日記も興味深い。病に倒れてからも家族を思い、当時の日々の暮らしぶりが巧まずに伝わってくる。
堺東駅の東側、反正陵の近くに住んでいたらしい。今度散歩してみようと思う。
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永遠の0

2013-10-22 20:46:57 | 読書
昨年春に図書館予約していた『永遠の0』が、漸く手元に届いた。
《僕は号泣するのを懸命に歯を食いしばってこらえた。が、ダメだった。(児玉清)》。というコピーで映画化されるベストセラー。周りのウケがあまりにいいので、逆にオチを期待しすぎてしまった。それでも読後感は、緩んだ涙腺とともに清涼感に包まれて、「なるほど!」。
【特攻】という重いテーマを扱っているのに、どこかに軽さを感じさせる印象は残ったけど、綾なす糸をうまく織り上げたと思う。ラノベだとかパクリだとか戦争賛美だとか言った批評もあるようだが、少なくとも海軍の転戦経緯はよくわかった。

   ***

昭和39年、東京オリンピックの年のことである。中一の僕の担任Aは、小柄だが良く締まった筋肉体質で、色の浅黒い男だった。担当は数学だったが、朴訥な彼の教え方がうまいとはだれも思わなかった。40年輩の彼は、普段は寡黙でしゃべり方も上目使い、堅物な存在だった。唯一のジョークが、「オレは西田佐知子に歌を教えたってん、アカシアの雨に打たれながらな。」というセリフだった。特別腕っぷしが強いというわけではなかったが、荒れまくっていた中学校では不良相手の先頭に立っていた。校内での刃傷事件が稀ではない頃だったが、どうしようもないワル達も、彼には一目も二目も置いていた。身体を張る姿が、修羅場を威圧する雰囲気を持っていたのだ。

その年の暮れの駅前商店街、当時ボーイスカウトの班長だった僕は、仲間10数人と募金活動で声を嗄らしていた。「赤い羽根募金に御協力おねがいしまーす!」。日も暮れそろそろ引き揚げようかと召集の合図があった時、僕は一人のやくざな酔っ払いに絡まれていた。「・・・こんなとこで何してんねん。だれの許可得てんねん。金なんぼ集まってん。お前らそれ自分のもんにするんやろ。その箱ちょっと貸せ!」
首にかけていた募金箱に手がかかり、僕は怖くて逃げだそうとした。酔っ払いはそんな僕のネッカチーフをつかんで、思い切り箱を引きちぎろうとした。その時だった。「やめんかい!」 一喝する声が商店街に響いた。担任Aだった・・・。

『永遠の0』を読みながら、僕は、久しぶりにその担任Aのことを思い出していた。真偽のほどは定かではないが、【特攻帰り】と噂されていた担任Aのことを。

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中宮寺半跏思惟像に逢いに行く

2013-10-17 20:33:44 | 寺社巡り
昨日今日、どうもやる気がしない日が続く。たとえば畠では例年以上の虫害にうんざりし、ままよと放っておいたら悪循環の無残な山。さらに小さな世界での人間関係にうんざりの二乗。医者にはコレストロールが高すぎる、脂質異常症の薬を飲めとうるさく言われ、加えて腰痛、膝痛、背筋痛・・・自らの怠惰にうんざりの3乗なり。

憂さが重なって目覚めが最悪になった夜明け前、唐突にも、中宮寺半跏思惟像(弥勒菩薩)に逢いたくなった。高速を飛ばして1時間半、昼前に斑鳩の里につく。はやる心を抑えて、まずは法隆寺に参詣。流石に国宝級の建造物や仏像は美しい。前回は阪神大震災の頃だから、もう15年以上来ていないことになる。

空腹感を覚えつつも昼飯をさしおいて、漸く中宮寺へ。吉田五十八の設計は素晴らしいが、悲しいかなRCは神社仏閣には合わない。時を経るにつけ、木造は風格となって味わいを増すが、亀裂を帯びたRCは老朽化という惨めさだけが目立つ。

弥勒菩薩像は相変わらず黒光りを放ちながら、かすかなそして最高の微笑みを浮かべ、凛として安らかな半跏思惟のポーズをとっておられた。1300年の悠久の時間がそこにあった。身震いとともにストーンと何かが落ちてくれた。
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筋肉痛

2013-10-14 21:39:29 | スポーツに思うこと
障害物競走か綱引きか、それともパン食い競争の所為か。
二日酔いかと思ったけど、どうも運動会の残り火みたい。
肩や腕や背中や足が、重だるく痛む。
翌日に痛むなんて、まだまだ若いか。
それとも明日はもっと痛むのか。
散歩道のコスモスは笑っている。
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町内運動会

2013-10-13 15:52:34 | スポーツに思うこと
今年、初の地域組長当番が回ってきて、運動会の世話役になった。
この地に越してきて、18年目で初めての運動会参加。
担当は出発進行係だが、荷物運び、兼雑用、兼人集め、兼エキストラ。

聞けば、参加人数はずいぶん減ってきているとか。
市長さんはじめ市会、府会、国会議員は集まれど、肝心の町内参加者が少なすぎ。
一人平均5種目に出場して、漸くスケジュールをこなしてる感じ。

抽選会も含めて、お菓子や日用品など両手で抱えきれないほどの賞品なれど、
会長さん以下御歴々は、日中のビールで口角泡をとばしつつご機嫌だけど、
・・・これでええんやろか、なんかおかしい。

それでも青空は心地よい。
寝不足だったが、腰痛も何とか大人しくしてくれて、一応役目を果たす。
今晩のビールが待ち遠しい。
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眼医者に行く

2013-10-10 21:57:38 | 健康・医療
運転中にしばしば目が霞むようになったので、
白内障の宣告覚悟で眼医者に行った。
いくつかの検査で出された診断は、単なる疲れ目。

拍子抜けのあまり、よせばいいのに老眼鏡について問う、
百均のものでよいかと。

老眼鏡用の度数検査を追加されるかと思いきや、
その医者、机の上の眼鏡を取り上げ、
「これも百均です。老眼鏡なんて、見えればいいんです。」
としゃあしゃあと言ってのける。
思わず、彼のファンになった。
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レースの白菜

2013-10-10 13:44:14 | 農業・菜園
5日ほど大阪を留守にしていたら、畠はレースの白菜がわんさか。
これまで、いい加減ながらも割箸で虫を捕り、水やりを続けていたのに・・・
殆ど食えるところがなくなってしまった。

「自分で作る分くらいは無農薬でいきたいもんね」と、偉そうなことを言いつつも、
無残な結果に、情けないやら悔しいやら呆れるやら。
周りの畠がたっぷり農薬を散布するせいで、
虫たちはみんなこっちに避難してきたのではないか、
と恨み節をつぶやいても仕方がない。

レースの白菜は、この季節の恒例行事になってしまった。
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うどん県にて

2013-10-09 23:36:19 | グルメ
10月とはいえ、連日真夏日の記録を続けている日に、うどん県高松に行く。
勿論、うどんを食いに、である。

とりあえず食前の運動に栗林公園に寄る。20年ぶりぐらいか。
人影も少なく、隅々までほどよく整備され、散策にはまことに気分がよろしい。
足立美術館や桂離宮と較べられるのもわかる気がする。

  【さくら松 楓もみじは目にすれど 池に映るは栗なき林 】

   ***

単身赴任の友人を昼休みに呼び出して、
お勧めの「上原屋本店」で、てんぷらうどんをまず一杯。
その後、県庁や駅前通りをうろついた後、セルフの店で釜揚げうどん。
もちもちとした讃岐うどんを満喫す。
ごちそうさまでした。


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