新章 その10

2021-06-30 22:53:29 | 日記

もう死に体の私。7月から食道の通り道を調える手術をしまして成功すると腹水(羊水)を抜く工事の公示をする予定です。希望的な意味合いもあります。さてそろそろ五輪ですね。九州竜の妊婦の卵が東京府。北海道龍(娘っ子)の経済の心臓が東京都。どちらも強烈な金縛りがかけらています。

北海道の顔頭にはもちろん口がついてます。歯舞諸島あたりから日高山脈。そこから首ながの東北(きもん)の気門を通り新潟県15が胃袋の「米所」。そこまでの食の蝕(むしばみ)を調えるのよ。

九州竜は福岡県40が口腔。山口県35は先走り汁。耳鼻咽喉の淫行の印行を刻印。瀬戸内海が背戸。背中の戸(声)が往き来。岡山県33は48-33=陰の胃袋15なのよ。体の根幹が九州竜。すなわち胃中の意中。

7月からの食道の調えは東北や瀬戸内海のちょうせい。調性の長い声。長青は長い青春時代。青春時代や花の命が短いのは作られた非常識の常識です。宇宙王さまは長逝を結び治すのよ。


新章 その9

2021-06-29 07:30:03 | 日記

掛け合わせの獣(赤ちゃん)を産むので人間像はとある支配者層から玩ばれています。弄(もてあそぶ)。王+廾(きょう)は足切りの意味。日本円に対して中国元は今の中華思想の金縛り。そして元はモンゴル。大陸印のトルコは胃袋。中国は大腸。日本列島が胎児の退治。モンゴルは肝臓の汗(チンギス・ハン)。

翫ぶ(もてあそぶ)=習+元。韻は「しゅうげん」の祝言。結婚式の血痕の混ぜ合わせ。今の結婚のあり方も獣を産む性交のあり方も作られた非常識の常識です。肝・汗・根幹の干(かん)。産めや増やせやの家畜肉。獣の刻印は人間像にも掛かっていまして丸々返されています。循環紙幣社会で結び治せる物なのよ。知らず知らず棄ててきた命の掛け捨てと掛け合わせ。全てを救えるから救うのです。

誕生日は6月28日。この先は出産の因果。その際、空気(循環紙幣)が無ければ赤ちゃんは死んでしまいます。空気はね、血反吐を吐いてもがき苦しみながら得たエネルギーではありません。そこに普通にあると自覚しているから呼吸ができるのよ。


新章 その8

2021-06-28 17:17:20 | 日記

夏至「げし」「かし」の下賜・下肢・可視から私の誕生日まで宇宙王さまはほとんどボロボロにやられっ放しでした。河岸は舟つき場。あちら側とこちら側。仮死は死に反り。

一週間眠れず。横になったら腹水(羊水)の溜まったお腹を掻き混ぜられ。支配者層は外側も内側も虚ろも支配しているので支配者なのよ。聖人君子ではない私はただのおっさん。ありったけの罵詈雑言をまき散らして半泣きではなく慟哭や号泣の涙を流しても「何か」の赦しは得られなかったのね。それは時の流れ、重力や水子の総体かもしれません。

腹水(羊水)の掻き混ぜも終わり支配者層は宇宙王さまの産みの儀式をしたいみたいです。対してさっさと循環紙幣社会を宣言しなさいと伝えているのです。宇宙王さまはどのような支配者層にも負けないから宇宙王さまなのよ。

 

 


新章 その7

2021-06-26 16:04:33 | 日記

ゴミのようにお金も溜まればよいのにと言います。循環紙幣社会になるとゴミのように見捨てられてきた者が新しい金を作り出すお役目が開きます。乞食や浮浪者や障害者。食い扶持を減らすために高齢者を山に捨てた姨捨山(おばすて)。姨=姥(うば)。夷(えびす)=老いる。一文字えびすは野蛮。道理が通じない。二文字えびすで親子。夷子、胡子、蛭子。親子になって初めて知る愛も大いなる愛です。三文字えびすで大漁神。恵比寿、ヱビス、えびす。

夷=老いる。大漁は大猟。大量は大きな量(ばかり)。循環紙幣は必ず政府に戻ってくる紙幣です。百を貸して百が戻ります。俺が貸した金が戻ってくるとパニックになる人はいませんね。衣(医)食住が満たされた人間像は世界中の者(物)が満ち足りてなおかつ余り有るを実感できるのよ。

ブログの開設から1700日。それ以前も名無しだょんは変わらず名無しだょんなのよ。一年で割ると4年と5年の間。思念は常に思う事。御念は心づかい。思御の私語。死語、死期、死後。三つの死(歹)。歹は「かばね偏」。残骨。悪い。人間像の死体肉で最後まで残るは骨。過去歴史の骨の思いも通じる物です。17は東上線の鶴瀬駅。足うら印は膵臓。お隣の三芳町は脾臓の秘蔵っ子。膵は卒の突然倒れる。水子の思いが溜まる場所が膵臓。

水は体の表面にも内側にも骨の中にも通っています。本来の00は麗々しい。年齢は増えていきますが老化はしません。本来のうるわしいが戻ってきます。


新章 その6

2021-06-25 14:42:34 | 日記

赤ちゃんは始めの吸血鬼印。母ちゃんの血肉をいただいてます。トマトジュースの蕃茄・珊瑚樹茄子。番(つがい)は夫婦。加えたクサリが鬼の赤ちゃんです。

産まれました。子どもは無邪気。邪鬼しか産まないので無邪気。鬼の吸血(給血)のオリも循環紙幣社会で解けます。無邪=無牙。無我が我(われ)がない。朕・予・余。吾「われ」「かたる」。まだ父親の思いを知らない状態。

物心=仏心。金縛りの解けた佛の弗(ドル)。残るのは人偏+漢字のム。ムは「~でござる」。言葉が形になっていく世界観が開きます。仏教は良い教えを載せています。法律や条例でがんじがらめしなくても人間像は「良い」「悪い」を自覚します。大いなる父の思いを思い出すようにしてその子は成長していきます。