毎日新聞大阪本社で高校野球取材班キャップを務める滝口隆司氏が次のように述べています。
スポーツアドバンテージ>アマチュアリズム再考
(vol.351-2 2007年5月11日発行)
高校野球は日本に残るアマチュアリズムの最後の砦といえるかも知れない。甲子園大会ではフェンスの広告を消し、テレビ放映権料もとっていない。特待制度を選手が得る金銭的利益とみなすのも、その思想に基づいている。一方で日本の大半の競技は「エリート養成」や「商業的マネジメント」にまっしぐらだ。「するスポーツ」と「見るスポーツ」、アマとプロ。今回の問題を機に大いに議論したいテーマだ。
「最後の砦」の部分では私と共通認識があるようです。まあ、私はこの「最後の砦」を粉砕してしまおうとして、このブログを立ち上げました。滝口氏は「最後の砦」を守りたいのでしょう。いや、「議論したい」とおっしゃるぐらいですから、「最後の砦」からの逆襲を試みておられるのかもしれません。
しかしまあ、1986年に出版された本に掲載されている1964年の“ミスター・アマチュア(リズム)”の発言を引っ張り出したあげく、「議論したい」と言われても、誰も乗れない話でしょう。20世紀末に死滅したはずの亡霊を蘇らせたいのでしょうか。
今さら終わった話を蒸し返しても、無駄だということにお気づきでないようです。このまま「アマチュアリズム」に逃げ込むなら、高野連様と滝口氏は返り討ちにあいます。滝口氏はアマチュアリズムという“宗教”の「最後の論客」と言っていいかもしれません。
興味のある方は、次に掲げる国会図書館のWebページで「アマチュアリズム」を検索してみてください。1988年の国会論戦です。質問した高木健太郎参議院議員も、答弁した中島源太郎文部大臣も、90年代初頭に鬼籍に入りました。
20年前の議論を再現したいと思うほど、現代人は暇ではありません。滝口氏は高野連様の意向に沿った記事を連ねてきました。私の知る限りでは昨夏あたりからです。むしろ、積極的にリードしているようなフシさえあります。
さて、先に紹介したコラムのバックナンバーを読んでみました。元特待生である滝口氏は野球留学を否定していません。当時の中山文科相が開会式で野球留学批判を展開したときのコラムです。
スポーツアドバンテージ>高野連は寮生活の実態にメスを
(vol.264-1 2005年8月17日発行)
だからといって野球留学を規制せよ、という話にはしてはならないと私は思う。15歳にして親元を離れるのは、青年が自立していく成長過程において決して悪いことではない。集団生活で貴重な体験も多く積める。問題とするのなら、それは野球留学ではなく、寮生活のあり方だろう。
ごもっともです。この人が今になって、死滅した「アマチュアリズムを議論したい」と言い出すとは思えません。こんなコラムもあるのです。
スポーツアドバンテージ>欽ちゃん球団の公式戦デビュー
(vol.246-2 2005年4月15日発行)
試合前の関係者入口では、萩本欽一監督の即席インタビューが開かれていた。「きょうはグラウンドでマイクを持たせてもらえないので残念だなあ」。オープン戦では、試合中もワイヤレスマイクを片手にファンサービスをしていた。しかし、この日は公式戦。当然そんなパフォーマンスが認められないと思っていたら、試合直前に許可が出た。
県野球連盟の役員が「あまり時間はないですが、試合前だけですよ」とマイクを欽ちゃんに手渡した。ノック中からマイクパフォーマンスが始まり、その一言一言に観客からは大きな笑いが沸き起こる。お年寄りや子どもたちも「欽ちゃーん」と声を掛け、球場は微笑ましいムードに包まれた。
「公式戦なのに、なんと不謹慎な」と目くじらを立ててはいけない。このパフォーマンスにこそ、今のスポーツ界へのヒントが隠されているように思える。
名門と呼ばれる高校で野球をやっていた滝口氏が野球のルールに詳しくないとしても、滝口氏が落ち込む必要はありません。ルールなど知らなくても、野球はできます。萩本監督のマイクパフォーマンスは厳密にはルール違反です。
連盟役員は精一杯の配慮をしているのです。まあ、ノック中なら、私とて「目くじらを立てる」つもりなどありませんが、さすがに試合中はまずいはずです。しかし、このマイクパフォーマンスを、滝口氏は「今のスポーツ界へのヒントが隠されている」と評しています。
同
欽ちゃんが唯一不満だったのは、ゲームセット直後、スタンドの声援に応えて愛嬌を振りまいていたら、審判に「早く整列して」と注意されたことだ。「まずはお客さんを大事にしなきゃあ。舞台人はお客さんに作られる。野球の選手も観客に育てられるんだよ<略>」
えっ! まあ、ルールを知らなくても野球記者は務まります。(日本における)アマチュアの試合で球審が「ゲーム」を宣告するのは、たしか整列のときだったと私は記憶しているのですが…。審判が整列を促すのはむしろ当然のことです。
相手チームは整列して待っているのでしょうから、萩本氏がチンタラしているのは逆に失礼な話です。ファンサービスは結構ですが、だからと言って相手チームや審判を待たせていいということにはなりません。
選手へのスポンサーを募り、有料の練習試合で全国を転戦する欽ちゃん球団は、限りなくプロに近いアマです。もちろん、私はそれが悪いとは思いません。むしろ滝口氏と同じ意見です。ほら。
同
アマチュアスポーツに「お客さん」という意識は低かったに違いない。スポーツはすることも見ることも面白い。欽ちゃんはその一体感を強調したかったのだろう。企業スポーツが低迷し、クラブスポーツに活路が求められている。今年は野球の四国独立リーグや、男子バスケットのプロ「bjリーグ」も始まる。その成功のカギは、人を引き付ける「創意工夫」以外にない。地方球場を満席にする欽ちゃん球団を見ていると、そんな気がしてくる。
あれ? 四国独立リーグもbjリーグも「プロ」です。「プロ」と欽ちゃん球団を同列視しておられます。いや、私もそう思っていますから、別にいいんですが…。ただ、滝口氏は次のようにも語っているのです。
スポーツアドバンテージ>なぜ野球はだめなのか
(vol.348-2 2007年4月20日発行)
10代の若者にスポンサーをつけ、テレビCMに使い、競技会を転戦させる。それが日本のスポーツ界がひた走る時代の最先端なのか。日本のスポーツが目指すべき方向なのか。
あれ? 「テレビCM」云々はたぶん浅田真央のことでしょうが、茨城ゴールデンゴールズの女子選手も化粧品メーカーのCMに出ているはずです。私には滝口氏の最近の発言と2年前の発言に一貫性がないように思えてなりません。
ところで、私は「アマ」です。滝口氏は「プロ」です。私は、自分がやりたくないことはやらなくても済むのが「アマ」だと考えています。意に反することでもやらなければならないのが「プロ」だと思っています。そういう意味で滝口氏は「プロ」なのかもしれません。
別に毎日新聞社の社内事情に詳しいわけではありませんが、大阪本社でキャップなら、いずれ運動部長(兼高野連理事)というコースが見えているのかもしれません。もし、これが「変節」であり、その原因が私の邪推どおりなら、単に滝口氏が「プロ」であることの証左にすぎません。そして、それは否定されることではありません。
私は「アマ」です。このブログで、高野連様をけなそうが持ち上げようが、何の得にもならず何の損にもなりません。金銭的対価を求めない(得られないだけ?)「アマ」です。まあ、「最後の論客」たる滝口氏には再度の登場をお願いするつもりです。