特待生と野球留学

「特待生」、「野球留学」、「アマチュアリズム」に焦点を絞って展開します。

コメントをくださる方へ

2007年05月26日 | コメント・トラバ指針

「最後の論客」?のページに対して、次のようなコメントを頂戴しました。

特待の程度問題について (元球児) 2007-05-26 14:03:36
高野連の失政をクローズアップするがあまり、問題の本質があまり論じられていないような気がします。たしかに高野連の運用は叩かれて叱るべきですが、「行き過ぎた野球特待生の実態を正そう」としていることにも興味があります。「毎月お小遣いが支給」されたり「寮の食費は無償」という特待生について、管理人様はどうお考えでしょうか。この問題の最終着地点になる案件でしょうから、今後の展開に加えていただきたいと思います。よろしくお願いします。

コメントをいただけるのは、ありがたいことだと思っていますが、適切なページにお願いします。

このブログは4月24日に始めています。当日か翌日付で、たしか「コメント・トラバ指針」というページを掲げました。5月4日付の「コメント・トラバ・リンク」は、これを焼き直したものです。

最初は「コメントもトラバも、もっとも適切なページにお願いします」と書いていたのですが、ページが増えてきましたので、“もっとも適切なページ”を探せと要求するのも無理があるだろうと思って、「そのページに関係がないと私が判断したコメントは公開せずに削除しています」だけを残しました。

gooのブログには、(使い心地はよくありませんが)ブログ内検索がついています。今回のご質問でしたら、「小遣い」で検索すれば「次年度の基準」のページが、「寮費」で検索すれば、「落としどころ?」などのページがヒットします。

ご質問の内容からすれば、「最後の論客?」のページとは論点がまったく噛み合いません。“もっとも適切”でなくても構いませんが、“適切な”ページへのコメントを希望していることを再度申し上げておきます。

このブログは、「特待生」「野球留学」「アマチュアリズム」に特化したものです。一般的にブログは日記の代用になっていることが多いのでしょうが、私はブログを日記として運用していません。

「んだ」は、「セットポジション」で新しいページを作成したときや一定規模以上の加筆をお知らせしていますが、同時に「セットポジション」における掲示板のような役割も果たしています。Wikipediaで言うなら、「セットポジション」が本文であり、「んだ」がノートや履歴になります。

「書庫・東雲」は、「ライブラリー」のページを「セットポジション」から独立させる目的で開設しました。今後は少し毛色の変わったページも加えていく予定ですが、あくまでもブックレビューの枠にとどめるつもりです。

なお、「セットポジション」では「不良精神」を掲げています。「批判の自由をいかなるときにも許容する自由な寛容」というフレーズを含む藤田省三氏(近鉄パールスや法大の監督を務めた同姓同名の藤田省三氏とは別人)の論文の一節は、(今でも)私のお気に入りです。

私は、このブログを始める直前に、特待生批判を展開されていたあるお方のブログに2度ほど投稿してみました。毎日更新されているブログでしたが、どちらも数日間放置され、いつの間にか削除されました。

このブログでは、たとえ批判的・否定的なコメントであっても、このような対応はとりません。本当は「そのページに関係のないコメント」として削除したいのですが、批判的な内容を含むから削除したのだと思われたくありませんので、このページをつくりました。

さて、ここでは「小遣い」についてだけ触れて、「寮の食費」は別の機会に譲ります。「寮の食費」も来週の前半には扱えると思います。私の中では常に数回分の予定を立てていますが、新しいニュースが入るたびに後回しになって、草稿中のまま眠っているページも多いのです。

「小遣い」の問題は、すくなくとも報道されている限り、今回は表面化していません。1985年に国士舘大が憲章違反で1年間の出場停止になりましたが、それ以来、公にはなっていないはずです。

あると言うなら、その存在を証明しなければなりませんが、「噂」の域を超えるものではありません。まあ、制度上の名目としての「小遣い」はあり得ないことです。

それに、純粋な「小遣い」までダメなのかという問題はありそうです。監督なり部長なり後援会またはOB会の誰かが、「ご苦労さん。今日はこれで何か食べて帰れや」と相応の額を渡すことも一律に不可としなければならないのでしょうか?

これがダメなら、近所のおじさんが畑でとれたスイカを差し入れるのもダメということになりそうです。結局、「小遣い」の定義から始めなければなりませんから、結構やっかいなのです。

ご質問の「お小遣い」とは、「名目の如何を問わず、定期的に定額支給され、受け取った側が使途を問わず自由に使えるもの」を想定されているのでしょう(この定義なら簡単に抜け道を見つけられますが…)。

すでに「次年度の基準」のページで述べているように、こうした「小遣い」はNGとするのが世間相場というものです。たとえ小関氏でも「1校10人までなら小遣いもOK」とは言わないでしょう。

以上、コメントはこちらに振り替えて掲載しましたので、いったん公開した「最後の論客?」のページからは削除します。



1 コメント

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Unknown (ni-to)
2007-05-28 12:50:29
こんにちは。いつも楽しみにしています。

「落としどころ?」を読んでなかったのでしょうね。
脇が甘いと、それこそ自爆しちゃいますね。
まだ残りが3/4ですか。第三者的には楽しみです・・・
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