世の中の環境の悪化についていろいろと注文をつけるが
それは贅沢だと言うものだろう
昔はそんなものはほとんどなかった
それは自分の努力で何とかやりくり突破してきた生活を知ってるから
だから今現在がある
なのに、あれをやって欲しいとか、これをやって欲しいとか、色々と要求ばかりする
それが現代社会だ
人々は世の中に要求ばかりをしているように感じる
生きる目的は社会貢献もある
その上で自分自身も生きる
自分が生きるため、あるいは自分が贅沢をするために身の回りの世の中があると思っているのではないか
そう感じる情報がいっぱい流れている
社会的なことで言うと、例えば、アメリカの関税政策に対して、『関税をかけないでくれよ』と頼む
よその国が関税をかけようがどうしようが知ったこっちゃない
自分の国は自分の国で成り立たなければならない
人間投資もそうだ
自分は自分の力で立ち上がるのが本意だろろ
何かあるとすぐ誰かに頼る
立ち上がれない時
自分が立ち上がることができないのは、周りの人が助けないからだだと他人のせいにする
どうしても必要な場合は頼むのは構わない
それより先に、自分自身でやるべきことがあるだろう
街中の公衆トイレにトイレットペーパーがないのであれば自分で持っていけよと思うがな
それを街の環境政策が悪いと市役所に詰め寄る
そういう考え方に現代社会のおかしな部分を感じる
自分を生きていない
自分を生きようとしない
だから、おかしくなる
そこからして現代の精神疾患が始まっているような気がする
人に依存するから自分の未来が見えない
世の中に依存するから自分の生活が見えない
だからおかしいんじゃないか
他人は他人だ
世間は世間だ
接触する部分も自分の力で進むしかないのではないか
身の回りの自分は自分、そのままで生きろ、と
そう思うがな
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