私は昔からPTSDだったと感じる。
いつからだろうか。
中学生時に校内暴力の餌食になってた。
それも関係あるのか。
そのせいか、高校生の時も怖そうな先生の前では何も言えないくらい震えてた。
しかし、元々自分自身も意味のないオカシな行動をとっていたと思う。
切羽詰まった時には焦ってしまい恥も外聞もない動きをすることが多かったと今更ながら思う。
ただ、じっとして本を読むとかはその頃からできない。
いまだに数分で飽きてしまい、勉強は一切しない、できない症候群。
だから宿題は一切しなかった。
しないくせにできたふうな顔をして平気で遊んでいたのか高校生の時。
先生に宿題の回答に自分を刺されて、生徒の前で、誰か教えてくれ、と教室を右往左往するようなそんな学生だった記憶がある。
クラスメイト全員に見られてる前でである。
進学校なので同級生全員にはおかしな奴だと写ったに違いない。
テレビの物語でもそんなふうなアホな恥ずかしいことを言う物語は無い。
多分、行動様式がズレてて誰も想像すらしない行動の仕方なのではないだろうか。
異質な動き方。
おそらく不思議な行動の仕方だったろう。
自分が普通と呼べる人間とはちょびっと違うなぁ、と感じる事。
他人のバイクを借りて、いつ返してもイイと言われたら、ずっと借りっぱなし。
おそらく返すことを忘れるくらいまで借りてて、催促されたら返そう、くらいの感覚だったことも記憶にある。
結局、返すこともなく廃車にした。
一つのことに拘るのは多くの人が経験すること。
小さなことだが、その何かに引っかかって気になりだすと、のめり込みすぎて、そして、思い通りになっていないと逆上して、全てを壊す。
まぁ、ヒステリーの人、特に女性にあるそうに聞いた行動の仕方だが、そんな事が多かった気がする。
そう考えると精神疾患がありそうな気もする。
心に壁がある、おそらく。
何かに抵抗があると心に壁を作る。
遮断する。
見えない、聞こえない、知らない、思わない、感じない。
無い物にする。
でも、なかったことにできない。
だから、破壊する。
どうしようもないな。
精神疾患としか言いようがない気もするが、それでも生きてこれたのは運が良かったんだろう。
車で反対車線を猛スピードで、夜、ヘッドライトを消して走る。
そんな事をして、死亡遊戯と言いながら、鬱憤バラシをしないと気が済まない。
気が狂ってる。
そう感じた二十歳の頃。
死なないで生きてたから、今でも、そういう狂気が巣食ったまま生きている。
いつ、そういう奴がひっくりがえって出てくるか、心配でもある。
心の中から表側を覗き込み、虎視眈々と狙ってる気がする。
もう一人の狂気。
消せない自己本能。
人の内部にはそういう奴がみんなに巣食ってるのだろうか。
だとしたら、人は獰猛な哺乳類でしかない。
そして、自分自身はその事実を知っている。
神も仏も、みんな人が人を欺くために作り出した偶像でしかないのだ、という事を。
偽善ではない。
ただの事実でしかない。
偽りは、言葉にある。
言葉を使って言い換えると、悪魔が神になる。
人の世の中を表や裏から見直してよ~く分析すると、言葉が正疑をひっくり返して見せてる事が解る。
そこには性善説も性悪説も無い。
生きることは、死との戦いである、くらいか。
だからPTSDになる。
恐怖と狂気とが同居する。
他人と自己は全く別の生き物でしかなから。
同じ人間という生き物、という言い方の過ち。
同じではない。
別の生き物。
だから、行動も違い、正義も違う。
生きるための戦いでしかない、とも言える。
プーチンも習近平も金正恩も正しい。
間違ってるのは、正しいことが一つだと考えること。
現実は全てが正しく過ぎている。
未来は過去の全てを受け入れないと成り立たない。