困ったことになった。
コロナウイルスはいずれ収まると思うが世の中がかなり翻弄されて失業者が増えそうな気がする。
そうなると世の中はやや物騒になるだろう。
物騒な人たちは天敵だ。
コミュ障の気のある自分には暮らしにくい環境になる。
そうでなくても心はず~~っと疲弊しながら生きているのに。
憖か政府が休業保証するとか言うと、それは全面的に都合良く解釈するのが世間だ。
何だかんだ言ってお金を無心する。
その傾向は一般人たちが暮らす世間にも伝播する。
世の中みんながなんだかんだ言ってお金を奪い取ろうとするようになる。
私は少々のサービス残業はありだと思って生きてきた世代だ。
今まで世の中は持ちつ持たれつだから少しのお手伝いは世の中のため、或いはボランティアのようなものだと思って仕事をしてきたのである。
会社や周囲の人たちに快く受け入れられることが自分の存在を快くさせるから、それが良いことだと思っている。
自分の周囲にも、自分自身にも、である。
それが近年の西洋化された社会では自己と他者をはっきり区別して置かないと問題が起きる世の中になった。
「残業はするな、残業代がかかるから」と言う。
残業を無償ですることはサービス残業と言って違法になると言う。
現在は経済的な関係上に於いては持ちつ持たれつの関係は有ってはならないことになった。
昔の日本社会はもっとナァナァが通っていたのではないのだろうか。
その証拠に「玉虫色」と言う色まである。
「たまむしいろ」はとても淡~い色で綺麗だと思う。
微妙な色である上に非常に絶妙な色彩を描くために高度な色彩感覚を必要とされる。
その高度な関係色を捨てて割り切った関係をアメリカから学んだ。
良い加減は悪いことである。と。
コロナウイルスの対応で、敢えて感染者かどうかの白黒を着けず、ただ慌てずに重傷者のみを対応し、日頃からの清潔な生活をしましょう、と言っていたのが最初である。
ところが、みんなそういう目標を見失って、見た目、聞いた耳、だけで動くから危険な海外旅行や集会の実施を放置したままになったのではないのだろうか。
もし、それをするならするで自己責任として、しっかりとどうしたら良いかを分かったうえでやって欲しい。
でも、自己責任で実施したとしても、結局は感染して世間に迷惑をかけるのである。
責任はとれやしない。
だから、政府もやむなく緊急事態宣言とやらを高らかに宣言して仕事を制限しなければならなくなる。
そうなったら仕事を休んである程度は保証をしてもらえるのかもしれないが、生活の仕方もしっかり工夫しないと、そういう浅はかな人たちは変化した生活の対応すら考えが浅はかになる。
つまりは目的は感染拡大を防ぐための対応なのに、逆にさらなる拡大すらしかねないのだ。
言い切ってしまえば、誰が保菌者かわからないのであれば結局はみんな通常生活はできませんよ、感染は防げませんよ、ということだろう。
ならば、感染したものとしての対応を先んじて考えておくべきだろう。
でも、そうなると、厄介な世の中になることは避けられない。
だから困ったことになる。
物騒な人たちだらけは嫌だ。
今こそ山の中に篭りたいと強く感じる。
まぁ、今更 どうでも良いけれど。。。