志村けんでさえ死後は一般のコロナ患者と同じ道を歩むしかなかった
いくら歴史的な喜劇王と言ってみてもコロナ感染者と言う洗礼を受けてしまった以上はこの世から抹消され葬られる
特別扱いは無い
それを看取った医療関係者たちの気持ちはどんなものだっただろうと想像してみた
志村けんだから他の人よりも世の中に開放してあげようと言うことはできない
志村けんだからいきなりコロナのための即時火葬するようなことははやめてあげようと言うことができないのです
特別な人だから特別な対応してあげようと言う気持ちがあればあるほどそういう悩みが出てくると思うのです
そしてそれは自分たちにも言えることなのです
自分だけは違う自分だけは特別な存在だと思っている人は生きているのではないでしょうか
例えば自分の親だから特別にコロナウイルスは避けて通るだろう、と
ところがそんなことはない
他国で感染者が道端に倒れていると言うニュースを見ました
そうやって道端に倒れている死者と自分たちは同じたった独りの人間なのであります
明日は我が身と言うのは皮肉ではなく現実なのであります
志村けんの死後を功績といった東京都知事の言葉1つに右往左往してるような次元では無いのです
もっと本当のこと目の前で起こっている事実をしっかりと見つめて物事を考えたいと感じます