岩手日報より転載
防潮堤が問う減災①
姿現す12.8メートルの壁 高さに戸惑う住民も
2015年12月7日
東日本大震災から4年8カ月余りが経過し、沿岸被災地では津波からまちを守る防潮堤の建設が進んでいる。早期完成が求められる一方、徐々に姿を現す「壁」の高さに戸惑いを隠せない住民もいるのが現実だ。建設をめぐっては住民参画の在り方や将来の維持管理の課題も浮上。ハード整備を過信しないまちを皆でどうつくっていくか。防潮堤を通して「減災」の在り方が問われている。
大船渡市末崎町の門の浜漁港に、高さ12・8メートルの防潮堤が姿を現しつつある。漁師まちで、海と分断するようにそそり立つ壁。真下に立つと圧倒される。
「こんなに大きなものが必要だったのか。海が見えないのが怖い」。目の前に鉄工所を再建した自営業鎌田新治さん(76)が防潮堤を見つめる。
計画延長は約1・5キロで、28億6500万円を投じる大事業。一部は震災前の防潮堤(8・5メートル)にかさ上げして建設するため、巨大さが際立つ。
碁石海岸に向かう観光客が思わず足を止め、写真を撮る姿も見られるほど。1933(昭和8)年の昭和三陸津波(推定で最大11・8メートル)を防ぐ規模で設計されたが、震災の津波推定高は20メートルだったため、これでも万能ではない。
門之浜地域は約100世帯のうち4割が被災。住宅地が広がる隣の大田地区も甚大な被害を受け、犠牲者が出た。防潮堤の後背地は住宅の建築制限をかけ、近くの低地に人が住まないようにする。
鎌田さんは当初から「高い防潮堤で何を守るのか。それより高台に逃げる道路をつくってほしい」と訴えてきた。だが、計画は県が12年7月に開いた2回目の住民説明会で、あまり異論も出ずに承認。「県は最初からこの高さでやるつもりだった。2、3年じっくり考えてもよかった」と振り返る。
被災地では、津波からまちを守る防潮堤が復興まちづくりの「前提」として位置付けられた。「避難時間を稼げるなら、あるにこしたことはない」という被災者も少なくない。
だが、門之浜地域公民館の前館長、小松陽市さん(72)は「当時の議論は住宅再建や代替地など今後の暮らしに関心が向き、防潮堤はあればいいとの空気だった。十何メートルと言われてもピンとこなかった」と率直に語る。
今、防潮堤ができつつある中で懸念されるのは、海が見えないことで避難の初動が遅れること。同地域で被災した村上清一さん(84)は「震災の時、底が見えるくらい湾の水が引っ張られるのを見てさらに上を目指した。まずは高台に逃げることだ」と強調する。
震災では「万里の長城」とも呼ばれたX形の防潮堤を持つ宮古市田老地区で、181人が犠牲者となった。鎌田さんは「『こんな立派なものができたんだから、津波は来ないべ』と冗談を言ったりもするが、田老の教訓を忘れてはいけない」とかみしめる。
防潮堤ができ始めて、その高さに驚きも見せる住民。震災で経験した防潮堤の功罪を踏まえながら、地域の実情に合った津波避難の仕方をあらためて考える時期に入った。
本県の防潮堤建設 復旧・復興工事の総延長は約83.8キロ(市町村所管分含む)、計画高は6.1~15.5メートル。数十年~百数十年に一度の規模の津波を防ぐ想定で、2011年の震災津波より低い設計になっている。9月末現在、134カ所のうち95%に当たる127カ所が着工済み、うち25カ所が工事を終えた。県は18年度内の完成を目指している。
【写真=高さ12.8メートルの門の浜漁港海岸防潮堤。
ハード整備に頼らない避難意識の維持が課題だ=大船渡市末崎町】
防潮堤が問う減災①
姿現す12.8メートルの壁 高さに戸惑う住民も
2015年12月7日
東日本大震災から4年8カ月余りが経過し、沿岸被災地では津波からまちを守る防潮堤の建設が進んでいる。早期完成が求められる一方、徐々に姿を現す「壁」の高さに戸惑いを隠せない住民もいるのが現実だ。建設をめぐっては住民参画の在り方や将来の維持管理の課題も浮上。ハード整備を過信しないまちを皆でどうつくっていくか。防潮堤を通して「減災」の在り方が問われている。
大船渡市末崎町の門の浜漁港に、高さ12・8メートルの防潮堤が姿を現しつつある。漁師まちで、海と分断するようにそそり立つ壁。真下に立つと圧倒される。
「こんなに大きなものが必要だったのか。海が見えないのが怖い」。目の前に鉄工所を再建した自営業鎌田新治さん(76)が防潮堤を見つめる。
計画延長は約1・5キロで、28億6500万円を投じる大事業。一部は震災前の防潮堤(8・5メートル)にかさ上げして建設するため、巨大さが際立つ。
碁石海岸に向かう観光客が思わず足を止め、写真を撮る姿も見られるほど。1933(昭和8)年の昭和三陸津波(推定で最大11・8メートル)を防ぐ規模で設計されたが、震災の津波推定高は20メートルだったため、これでも万能ではない。
門之浜地域は約100世帯のうち4割が被災。住宅地が広がる隣の大田地区も甚大な被害を受け、犠牲者が出た。防潮堤の後背地は住宅の建築制限をかけ、近くの低地に人が住まないようにする。
鎌田さんは当初から「高い防潮堤で何を守るのか。それより高台に逃げる道路をつくってほしい」と訴えてきた。だが、計画は県が12年7月に開いた2回目の住民説明会で、あまり異論も出ずに承認。「県は最初からこの高さでやるつもりだった。2、3年じっくり考えてもよかった」と振り返る。
被災地では、津波からまちを守る防潮堤が復興まちづくりの「前提」として位置付けられた。「避難時間を稼げるなら、あるにこしたことはない」という被災者も少なくない。
だが、門之浜地域公民館の前館長、小松陽市さん(72)は「当時の議論は住宅再建や代替地など今後の暮らしに関心が向き、防潮堤はあればいいとの空気だった。十何メートルと言われてもピンとこなかった」と率直に語る。
今、防潮堤ができつつある中で懸念されるのは、海が見えないことで避難の初動が遅れること。同地域で被災した村上清一さん(84)は「震災の時、底が見えるくらい湾の水が引っ張られるのを見てさらに上を目指した。まずは高台に逃げることだ」と強調する。
震災では「万里の長城」とも呼ばれたX形の防潮堤を持つ宮古市田老地区で、181人が犠牲者となった。鎌田さんは「『こんな立派なものができたんだから、津波は来ないべ』と冗談を言ったりもするが、田老の教訓を忘れてはいけない」とかみしめる。
防潮堤ができ始めて、その高さに驚きも見せる住民。震災で経験した防潮堤の功罪を踏まえながら、地域の実情に合った津波避難の仕方をあらためて考える時期に入った。
本県の防潮堤建設 復旧・復興工事の総延長は約83.8キロ(市町村所管分含む)、計画高は6.1~15.5メートル。数十年~百数十年に一度の規模の津波を防ぐ想定で、2011年の震災津波より低い設計になっている。9月末現在、134カ所のうち95%に当たる127カ所が着工済み、うち25カ所が工事を終えた。県は18年度内の完成を目指している。
【写真=高さ12.8メートルの門の浜漁港海岸防潮堤。
ハード整備に頼らない避難意識の維持が課題だ=大船渡市末崎町】