毎日新聞より転載
<東京五輪>祭典の陰、転居迫られる「霞ケ丘アパート」住人
毎日新聞 11月5日(火)8時30分配信
<東京五輪>祭典の陰、転居迫られる「霞ケ丘アパート」住人
国立競技場(上)の建て替えで立ち退きを迫られている霞ケ丘アパート(下の低層建物群)=東京都新宿区で、本社ヘリから宮本明登撮影
2020年東京五輪への期待が高まる中、東京都新宿区の都営団地「霞ケ丘アパート」に暮らす約230世帯の住民たちの思いは複雑だ。アパートは五輪のメイン会場となる国立競技場の建て替えに伴い、遅くても18年までに取り壊されるからだ。住民約370人の6割が65歳以上のお年寄りで、1964年東京五輪に続いて2度目の転居を迫られている老夫婦もいる。【竹内良和】
【国立競技場はこう変わる?】新国立競技場のCG想像図
霞ケ丘アパートは、戦後間もない47年ごろ整備された。板ぶき屋根のバラック建て長屋に約100世帯。柴崎俊子さん(86)は51年、結婚をきっかけに入居した。約30年前に死別した夫は当時、団地の管理人を務めていた。
アジア初の五輪開催を控えた60年、都は「国立競技場周辺の古い町並みを一掃する」と建て替えを始め、アパートは鉄筋コンクリートの団地に生まれ変わった。5階建ての建物にエレベーターはなく、約50年がたった今は至る所にひびが入るが、柴崎さんは緑豊かな環境が気に入っている。「ここは涼しく、空気も違うね」。遊びに来た友人に言われるとうれしい。
アパート取り壊しが表面化したのは昨夏。8月の住民説明会では反対が相次いだが、次第にあきらめムードが広がった。「抵抗しても仕方がないし……」と柴崎さん。都から渋谷、新宿区の都営住宅を中心に入居をあっせんすると言われているが、希望はまだ出していない。
心臓にペースメーカーが入り、脚が悪くて歩くのもおっくうになった。でも顔見知りの住人は余ったおかずを届けてくれるし、病院に付き添ってもくれる。買い物の御用聞きもある。「引っ越しはつらい。一日でも長く、ここで暮らしたい」
団地内の小さな商店街「外苑マーケット」でたばこ店を営む甚野公平さん(80)は、64年五輪の時も、住む土地を手放した。国立競技場に隣接する、今の都立明治公園がある場所だった。妻保子さん(79)は長男を背負い、長女の手を引き、数十人の近隣住民と徒歩で当時丸の内にあった都庁へ計画撤回を求める陳情に行った。
立ち退きから2年後に霞ケ丘アパートへ移るまで、一家4人は兄の自宅の3畳間で身を寄せ合って暮らした。今度で2度目の立ち退き。五輪自体に反対ではない。でも、今ある施設をうまく活用できないものか。「五輪で泣く人がいることも考えてほしい」と唇をかむ。
地元町会長の井上準一さん(68)は住民の胸の内を代弁する。「腹の中では動きたくないんだよ。でも反対したって『国の政策だ』と言われるし、最後は追い出されるだけだから」
現在、高齢者らの転居条件について都側と協議を続けている。自身は渋谷区の都営住宅に引っ越す予定だが、マーケット内で営む青果店はぎりぎりまで続けたい。夕刻、たくさんのレジ袋を提げて高齢者の世帯に総菜を届けに行く妻の後ろ姿を見ながらつぶやいた。「ここは、どこにも負けない絆があるんだ」
<東京五輪>祭典の陰、転居迫られる「霞ケ丘アパート」住人
毎日新聞 11月5日(火)8時30分配信
<東京五輪>祭典の陰、転居迫られる「霞ケ丘アパート」住人
国立競技場(上)の建て替えで立ち退きを迫られている霞ケ丘アパート(下の低層建物群)=東京都新宿区で、本社ヘリから宮本明登撮影
2020年東京五輪への期待が高まる中、東京都新宿区の都営団地「霞ケ丘アパート」に暮らす約230世帯の住民たちの思いは複雑だ。アパートは五輪のメイン会場となる国立競技場の建て替えに伴い、遅くても18年までに取り壊されるからだ。住民約370人の6割が65歳以上のお年寄りで、1964年東京五輪に続いて2度目の転居を迫られている老夫婦もいる。【竹内良和】
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霞ケ丘アパートは、戦後間もない47年ごろ整備された。板ぶき屋根のバラック建て長屋に約100世帯。柴崎俊子さん(86)は51年、結婚をきっかけに入居した。約30年前に死別した夫は当時、団地の管理人を務めていた。
アジア初の五輪開催を控えた60年、都は「国立競技場周辺の古い町並みを一掃する」と建て替えを始め、アパートは鉄筋コンクリートの団地に生まれ変わった。5階建ての建物にエレベーターはなく、約50年がたった今は至る所にひびが入るが、柴崎さんは緑豊かな環境が気に入っている。「ここは涼しく、空気も違うね」。遊びに来た友人に言われるとうれしい。
アパート取り壊しが表面化したのは昨夏。8月の住民説明会では反対が相次いだが、次第にあきらめムードが広がった。「抵抗しても仕方がないし……」と柴崎さん。都から渋谷、新宿区の都営住宅を中心に入居をあっせんすると言われているが、希望はまだ出していない。
心臓にペースメーカーが入り、脚が悪くて歩くのもおっくうになった。でも顔見知りの住人は余ったおかずを届けてくれるし、病院に付き添ってもくれる。買い物の御用聞きもある。「引っ越しはつらい。一日でも長く、ここで暮らしたい」
団地内の小さな商店街「外苑マーケット」でたばこ店を営む甚野公平さん(80)は、64年五輪の時も、住む土地を手放した。国立競技場に隣接する、今の都立明治公園がある場所だった。妻保子さん(79)は長男を背負い、長女の手を引き、数十人の近隣住民と徒歩で当時丸の内にあった都庁へ計画撤回を求める陳情に行った。
立ち退きから2年後に霞ケ丘アパートへ移るまで、一家4人は兄の自宅の3畳間で身を寄せ合って暮らした。今度で2度目の立ち退き。五輪自体に反対ではない。でも、今ある施設をうまく活用できないものか。「五輪で泣く人がいることも考えてほしい」と唇をかむ。
地元町会長の井上準一さん(68)は住民の胸の内を代弁する。「腹の中では動きたくないんだよ。でも反対したって『国の政策だ』と言われるし、最後は追い出されるだけだから」
現在、高齢者らの転居条件について都側と協議を続けている。自身は渋谷区の都営住宅に引っ越す予定だが、マーケット内で営む青果店はぎりぎりまで続けたい。夕刻、たくさんのレジ袋を提げて高齢者の世帯に総菜を届けに行く妻の後ろ姿を見ながらつぶやいた。「ここは、どこにも負けない絆があるんだ」