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キンちゃんとタロウの海(2)ー4年目の被災地から 油まみれ 生き延びた

2014-08-26 18:07:24 | 震災

中日新聞より転載

キンちゃんとタロウの海(2)ー4年目の被災地から

(2014年8月26日) 【中日新聞】【朝刊】

油まみれ 生き延びた

タロウを抱え、「ここまで津波が来た」と語るキンちゃん=岩手県田野畑村の自宅で

 東日本大震災の津波が、岩手県田野畑村を襲ったのは、地震から39分後。最大遡上高25メートルの水の塊が集落をのみ込み、39人の命を奪った。
 漁師のキンちゃん=佐々木公哉(きんや)さん(58)=の自宅にいたのは、妻貞子さん(59)の老親2人。親類の車で高台に避難した。家は海岸から1.5キロほど離れており「念のためのつもりだった」が、高さ1.5メートルの津波が押し寄せ、一階部分は大破。庭の柱につないであった愛犬、タロウの姿も消えていた。
 金具の変形したリードが柱に残っており、タロウが全力で引きちぎったようだ。
 左足首の骨折で内陸部の病院に入院していたキンちゃんは、5日後に退院して村へ戻り、タロウを探し回った。「白い犬ががれきの上に乗って流されていった、という話を聞いたけど、いくら探しても手掛かりがなくて…。あきらめかけてました」。  

 震災から9日後の3月20日夕。壊れた倉庫を片付けていたキンちゃんは、ふと顔を上げると、50メートルほど先の道路をヨロヨロと歩いてくる小型犬に気づいた。
 重油にまみれ真っ黒になっていたが、まぎれもなくタロウ。キンちゃんは走りだした。タロウも駆け寄ろうとするが、力が出ない。「タロウ、生きてた―」。キンちゃんの声を聞いて、貞子さんも外に出てきた。後は涙…。与えられた牛乳を、タロウは激しい勢いでなめた。それから1週間ほどぐったりと横たわっていたが、次第に元気を取り戻した。
 街も道路も変わり果て、目印もない。氷点下に冷え込むことも多い時期。どこをさまよい、どこで夜を過ごし、どう家路を見つけたのか。   
 タロウは、蝦夷(えぞ)犬の父と豆シバの母の間に生まれた。父親は、リンゴ農園でクマを追い払う番犬。寒さに強く、闘争心旺盛な父の血が、土壇場を生き延びる力になったのかもしれない。 
 キンちゃんは工業高校と大学で電子工学を学び、パソコンが得意。2005年から「山と土と樹を好きな漁師」というブログを運営し、震災後は同村の被災状況や必要な支援などを発信してきた。このブログを通じて「奇跡の犬・タロウ」は広く知られるようになり、やがてキンちゃんの漁師復帰を後押ししていく。(続く)


キンちゃんとタロウの海(1)ー4年目の被災地から

2014-08-26 10:21:32 | 震災

中日新聞より転載

キンちゃんとタロウの海(1)ー4年目の被災地から

(2014年8月24日) 【中日新聞】

相棒 船上でも一緒

漁を終えて、ひとときの休憩。タロウは大切な相棒だ=岩手県田野畑村沖で

 三陸の静かな海に、ロープを巻き取るモーター音が、低く響く。
 朝、岩手県田野畑村の佐々木公哉(きんや)さん(58)は、第18みさご丸(4.99トン)を港の沖合に止め、タコ漁の最中だ。
 愛称・キンちゃん。腕利きのベテラン漁師だが、この5年間は休んでいた期間のほうが長い。

 2009年11月に左足を骨折した。「かご網」を海底に送り込む作業の最中、ロープが長靴にからまった。海に引きずり込まれそうになり、懸命に踏ん張るうちに、左足首の骨が砕けて、長靴がポーンと海に飛んだ。翌年5月まで入院。その間に、大好きな母りよさんが88歳で世を去った。事故の記憶や復帰への焦りから、PTSD(心的外傷後ストレス障害)も患った。
 退院後も、足の状態は一進一退。5回目の手術を受けた翌日、東日本大震災が起きた。家族は高台に逃げて無事だったが、持ち船も漁具も失った。休業中で船舶保険を中断していたため、保険金も出なかった。
 度重なる不運を乗り越え、本格復帰して2年あまり。今度は「不漁続き」の現実がのしかかる。
 海中から引き揚げられるオレンジ色のかご網の多くは空っぽ。茶色の海藻がからみつき、泥地を好むヒトデが入り込む。震災前にはなかった現象だ。燃料も高騰し、漁に出る回数はめっきり減った。かご網に入れていた冷凍サンマの餌もやめた。北海道のサンマ漁が記録的不漁で、餌用の安いものを入手できないからだ。空のかご網にたまたま魚が入るのを待つ。「前は、油代や餌代なんて気にしたこともなかったのにね」
 この日は、70枚のかご網を引き揚げて、タコが2匹、ほかにアイナメ、カレイ、エイなど10匹ほど。油代にも届かなかった。

 「タロウ、朝飯にすっか」
 船首の白い犬が、尻尾を振って応えた。妻貞子さん(59)が作ってくれたおにぎり3個を、分け合う。
 相棒タロウは、オス12歳。人間の年齢に換算すると60歳を超える。一緒に船に乗るのが大好きだ。以前は、餌のサンマを狙うカモメを追い払うのが仕事だったが、今は働くキンちゃんを眺めながら、おとなしく座っている。このタロウ、大津波から生還した奇跡の犬なのだ。(つづく)      

 東日本大震災で、深手を負った三陸の漁師たち。回復への道はまだ遠く、必要な支えも個々に異なる。1人の漁師と愛犬の3年半をつづる。(この連載は、安藤明夫が担当します)


<石巻>次女を津波で失った夫妻 3歳になる妹とともに生き

2014-08-25 07:07:56 | 震災

毎日新聞より転載

<石巻>次女を津波で失った夫妻 3歳になる妹とともに生き

毎日新聞 8月24日(日)23時4分配信

 「この子がいたから頑張れた」。宮城県石巻市の水産会社社員、布施秀弥(ひでひこ)さん(32)は三女の華暖(かのん)ちゃん(3)を抱き寄せた。東日本大震災の津波で次女の莉桜(りお)ちゃん(当時6歳)を失った。その5カ月後に生まれた華暖ちゃんは24日、3歳の誕生日を迎えた。今春、自宅を再建した布施さんは、石巻で生きていく決意を新たにした。

【新人警官が模索】「住民も自らの命も守れ」

 「莉桜ちゃん、また食べたいんだって」。この日、華暖ちゃんは買ってもらった誕生日プレゼントを広げ、綿あめを作った。隣には、写真の中でほほえむ莉桜ちゃんがいた。莉桜ちゃんも綿あめが大好きだった。

 布施さんは、華暖ちゃんに写真を見せて「もう1人お姉ちゃんがいたんだよ」と語りかけてきた。華暖ちゃんはいつも莉桜ちゃんの写真を持って出かけ、お菓子を買う時も、もう1人分を手にした。

 渡波(わたのは)小学校に入学間近だった莉桜ちゃんは、自宅から祖母らと同校に避難する際、津波にのまれた。10日後、同校付近で布施さんが莉桜ちゃんを見つけた。「苦しみながら死んでいった。つらい思いをさせてしまった。申し訳ない。悲しいより、悔しい気持ちでいっぱいだった」。大人になって初めて声を出して泣いた。

 妻貴子さん、長女こころさん(11)とともに石巻市内の仮設住宅に避難した。悲しみにくれる毎日だったが、5カ月後の夏、華暖ちゃんの誕生で希望が芽生えた。その成長は夫妻の新たな生きがいとなった。こころちゃんも空手を習い始め、前向きに頑張った。

 苦しい記憶の残る石巻から離れることも考えた布施さんの気持ちも徐々に変わった。今年3月、震災前の自宅から1キロほど離れた場所に新居を構えた。「布施莉桜という人間が、石巻で6年10カ月間生きていたことを一人でも多くの人に知ってもらいたかった」と話す。

 新居の2階に莉桜ちゃんのために6畳の部屋を作った。最期に着ていた洋服もクローゼットにしまってある。「華暖が莉桜の年を超えるときが来ても、莉桜はお姉ちゃん。理解できる年になったら、莉桜の6年10カ月間を伝えたい」【山内真弓】


音・歓声 石巻の夏彩る「トリコローレ音楽祭」

2014-08-25 06:40:16 | 震災

河北新報より転載

音・歓声 石巻の夏彩る「トリコローレ音楽祭」

 駐車場などを会場に、熱い演奏で盛り上がった音楽祭

 県内外から集まったアマチュアバンドなどが路上ライブを披露する「トリコローレ音楽祭」(実行委員会主催)が24日、石巻市中心部であった。多彩な音色が街中で奏でられ、多くの見物客でにぎわった。
 ロックバンドやアコースティックギターの弾き語り、ジャズのビッグバンドなど、過去最高の127組計約700人が出演。JR石巻駅前広場をメーン会場に、仮設商店街や駐車場など計12カ所でパフォーマンスを繰り広げた。
 仙台市から訪れた団体職員飯島由佳子さん(23)は「トリコローレ音楽祭に来るのは初めて。さまざまなジャンルのグループがいて、見て回るのが楽しかった。屋台も出ていたので夏祭りの雰囲気が味わえた」と話した。
 音楽祭はことしで11回目。トリコローレはイタリア語で三色旗を意味し、「海」に象徴される石巻に「人」が集まり、「音楽」で地域を盛り上げるという願いが込められている。

 

2014年08月25日月曜日


大船渡で不明者集中捜索 1年5カ月ぶり

2014-08-22 09:34:12 | 震災

GOOニュースより転載

大船渡で不明者集中捜索 1年5カ月ぶり

岩手日報2014年8月20日(水)19:27

大船渡で不明者集中捜索 1年5カ月ぶり
(岩手日報)

 大船渡署(内藤光樹署長)は20日、大船渡市三陸町の綾里海水浴場で東日本大震災による行方不明者の集中捜索を行った。同市で集中捜索が行われるのは1年5カ月ぶりで、署員は小さな物も見逃すまいと、懸命に浜辺を探した。 
 署員13人が浜辺などで熊手を使い、砂や草場をかき分けて捜索。ゴムボートで海上にも繰り出し、箱眼鏡で水中をのぞき込んで手掛かりを求めた。 
 同署の菊池英樹地域課長は「どんな場所でも手掛かりが見つかる可能性がある。これまで行っていない所の捜索を進め、何か一つでもいいから見つけたい」と力を込めた。 
 同日、宮古署(伊藤徳博署長)も山田町の関口川沿いで集中捜索を行った。 
 集中捜索は毎月11日に行われているが、今月は台風11号の影響で両署は延期していた。 
 大船渡署によると、東日本大震災による県内の行方不明者は19日時点で1132人に上る。 【写真=砂や草をかき分けて手掛かりを探す大船渡署員】

希望の松、会津で芽吹く 津波で犠牲の陸前高田の夫婦 孫の幼稚園に贈る

2014-08-18 13:44:03 | 震災

福島民報より転載

希望の松、会津で芽吹く 津波で犠牲の陸前高田の夫婦 孫の幼稚園に贈る

 

 東日本大震災の津波で流失した岩手県陸前高田市の「高田松原」の松が県内で芽を出し、会津若松市の幼稚園で苗2本が成長している。津波で亡くなった陸前高田市の夫婦が生前、孫の通った会津若松市の幼稚園に贈った松ぼっくりの種を、会津坂下町の会津農林高の講師らが育てた。関係者は近く、苗1本を松原の復活を進める陸前高田市に贈り、もう1本を幼稚園内に植える。孫を思う愛情のこもった松は、復興のシンボルとなる。
 陸前高田市の斎藤良一さん=享年(78)=、江千子(えちこ)さん=同=夫婦は震災前まで、会津若松市に嫁いだ長女星直子さん(48)に、高田松原で採った松ぼっくりを段ボールに入れて贈っていた。孫娘2人に、飾り付けを楽しんでほしいとの思いが込められていた。松ぼっくりは、斎藤さん夫婦から孫2人が通った会津若松市のみなみ若葉幼稚園にもプレゼントされ、園児がクリスマス飾りなどに使った。
 幼稚園理事長の中沢剛さん(80)と保育士の星久美子さん(46)は震災後、斎藤さん夫婦が津波で亡くなったことを知り、「2人のため、何かできないか」と考えた。園内に残っていた松ぼっくりの段ボール箱を開けると、底に小さな種が落ちていた。松を立派に育て、天国の2人に見てもらいたい。種を芽吹かせるプロジェクトが始まった。
 中沢さんと星久美子さんは震災から約1カ月後、会津農林高講師の星誠一さん(65)=南会津町=に約200粒の種を託した。関係者の思いに心を打たれた星誠一さんは、同校の温室で栽培を始める。保水性に優れた鹿沼土と山砂を混ぜ合わせた土に種を植え、気温が低い日にはストーブをたき発芽を根気よく待った。
 2つの種から小さな芽が出たのは、平成23年の秋ごろだった。その後、星誠一さんは講師を辞めたが、同校の教諭らは苗が30センチほどになるまで大切に育て、今年7月中旬に幼稚園側に鉢植えを渡した。
 海岸線2キロにわたってアカマツやクロマツ約7万本が並んでいた高田松原は津波で流され、「奇跡の一本松」だけが残った。市や地元の市民団体が松原の跡地に松を植える活動を進めており、星直子さんらは会津で芽を出した苗1本を陸前高田市に贈る考えだ。
 もう1本は、幼稚園内の自然観察園に植えるという。中沢さんは「園内に松を植えることで、子どもたちに震災の記憶を伝えたい。大きく育てば復興のシンボルになる」と期待している。

■孫思いの優しい祖父母

 陸前高田市の走ろう会に所属していた斎藤良一さんは、高田松原をランニングしながら、松ぼっくりをこつこつ集め、孫たちの喜ぶ顔を思い浮かべていたという。
 震災のあった年、下の孫の卒園式に合わせて会津に遊びに来る予定だったが、願いはかなわなかった。自宅近くで発見された江千子さんのリュックサックには、孫に届けるはずだった入学祝いののし袋が入っていた。
 2人の仏壇の遺影には、背景に高田松原の風景を写した合成写真が使われている。星直子さんは「孫思いの優しい両親だった。海を見るのがつらい時期もありましたが、両親の分まで元気に笑顔でいたい」と誓っている。

( 2014/08/18 09:25カテゴリー:主要

松の苗を手入れする(左から)星久美子さん、星直子さん、中沢さん

 


千葉の子ども記者、被災地を駆ける

2014-08-02 12:03:13 | 震災

河北新報より転載

千葉の子ども記者、被災地を駆ける

阿部市長(手前右)にインタビューする子ども記者たち

 千葉県四街道市の「四街道こども記者クラブ」の小中学生8人が7月24、25の両日、東松島市を訪れた。東日本大震災の被災地の現状を伝える狙いで、阿部秀保市長にインタビューするなどした。
 初日は仮設住宅の女性らが作るキャラクター人形「おのくん」や、野蒜地区の集団移転団地造成現場で稼働する巨大なベルトコンベヤーなどを取材した。
 2日目は市役所で被災・復興状況を聞いた後、阿部市長に直撃取材。「これからの復興に必要なことは」と質問をぶつけ、阿部市長は「震災を風化させず、子どもが笑顔で暮らせるまちにすること」と答えた。
 こども記者クラブは小中学生約20人が市広報誌に記事を掲載するなどしている。出張取材は、震災で四街道市が東松島市にバスを貸し出したことが縁で実現した。
 今回の記事は市広報誌のほか、こども記者クラブのホームページで紹介する。大日小6年の中川怜美さん(12)は「仮設住宅は予想していたよりも狭かった。避難所の話を聞くこともできてよかった」と話した。

 

2014年08月02日土曜日

 


復興事業 DIO社の未払い賃金 立て替え払い申請の受理を 厚労省が労基署に通知

2014-07-30 18:17:34 | 震災

しんぶん赤旗     2014年7月30日(水)

復興事業 DIO社の未払い賃金

立て替え払い申請の受理を

厚労省が労基署に通知

 企業などの電話応対業務を請け負うコールセンターで従業員への雇い止め、賃金未払いなどが相次いでいる問題で、厚生労働省が関係県の労働基準監督署に対し、従業員らからの立て替え払い認定申請を「適切に受理するよう」に通知していたことが29日、関係者への取材で分かりました。 (山本眞直)


写真

(写真)6月末に突然閉鎖したDIOジャパン子会社のいわきコールセンター=福島県いわき市

共産党が改善要求

 未払い問題がおきているのは、東日本大震災の復興をかかげて国の補助金で東北中心にコールセンターを相次いで設立した株式会社DIOジャパン(本門のり子代表取締役、本社・東京都)の各地の子会社。

 福島県のいわきコールセンターは給与の未払いが続き、4、5月分の未払い賃金を6月30日までに支払うと約束。しかしそれは守られず、6月末に全従業員44人を解雇、センターを事実上、閉鎖しました。

 こうした未払いは各地のコールセンターで続出、従業員らは「生活ができない」などと訴え、地元の労働基準監督署に立て替え払いを申し立ててきました。しかし監督署は「親会社のDIO社が倒産しなければ認定できない」などとして認定申請を受け付けませんでした。

 同省(労働基準局監督課)は本紙の取材に「(子会社の倒産の)認定申請があれば受理が大原則だ」と説明しました。

 この問題をめぐって日本共産党の渡辺博之いわき市議や小池晃参院議員が「立て替え払いは従業員や倒産したコールセンターの元従業員にとって死活問題だ」と厚労省に改善を求めてきました。

 渡辺市議は「厚生労働省の申請受理は当然であまりに対応が遅すぎるが、早急に各労働基準監督署はコールセンターの従業員や元従業員に対し認定申請を促す対応をするべきだ」としています。


 未払賃金立替払制度 企業倒産により賃金が支払われないまま退職した労働者に対して、未払い賃金の一部を立て替え払いする制度。企業倒産には事業所閉鎖など事実上の倒産も含まれ、この場合には労基署長に認定の申請が必要になります。


大槌・蓬莱島の弁財天像、修復ほぼ終了 8月末に地元へ

2014-07-24 06:53:48 | 震災

河北新報より転載

大槌・蓬莱島の弁財天像、修復ほぼ終了 8月末に地元へ

京都の平野神社から届いた支援金を受け取る(右から)岡本さん、黒沢さん

 東日本大震災の津波で被災した岩手県大槌町の蓬莱島に祭られ、流失を免れた弁財天像の修復がほぼ終了し、8月末に地元に戻ることになった。住民有志が昨年、全国に資金協力を呼び掛けて被災した鳥居や社殿の再建も計画するが、資金確保は難航。人形劇「ひょっこりひょうたん島」のモデルとされる島を「町の復興の象徴に」と関係者は再度、協力を呼び掛けている。
 島の再建を計画するのは、弁財天を管理する住民でつくる「ひょうたん島復興プロジェクト」。昨年5月の発足以来、全国から支援金が寄せられている。
 京都市の平野神社は毎月境内で支援コンサートを開催。集めた寄付金約24万円が23日、関係者に届き、2年間で計48万円を超えた。ほかにも毎月、寄付金を振り込んでくれる人もおり、総額で約300万円が集まった。
 弁財天像の修復は横須賀市の専門家に依頼し、費用は約200万円。弁財天像を安置していた社殿や鳥居は壊れたままの状態で撤去も進んでいない。島は周囲約200メートルと小さく、岩場のため、撤去や修復は台船を使った大掛かりな作業となり、総額3000万円近くになる見込みという。
 町は昨年8月、島を文化財に指定した上で購入。プロジェクトと連携して島を再建する方針だが、鳥居や社殿修復への公金支出には制約があり、民間資金の確保が課題になっている。
 プロジェクト代表の造船業岡本大作さん(65)は「本来は地元で資金調達すべきだが、被災し住宅再建も進まない中、積極的にお願いできない事情がある」と説明する。
 管理する地元の八幡神社総代会役員の黒沢豊勝さん(73)は「島は町民の心のよりどころ。再建に協力してほしい」と話す。
 支援金の振込先は岩手銀行大槌支店普通口座2048547。連絡先は岡本造船0193(42)3311。

 

2014年07月24日木曜日

 


「希望も育って」 石巻・大川中跡地に野菜工場完成

2014-07-23 07:01:46 | 震災

河北新報より転載

「希望も育って」 石巻・大川中跡地に野菜工場完成

葉物野菜がみずみずしく育つ工場を見学する関係者

 東日本大震災の影響で昨年春に閉校した宮城県石巻市大川中跡地で、宮城県東松島市の廃棄物処理会社「東部環境」が整備した野菜工場の落成式が22日、現地であった。
 学校跡地2.3ヘクタールを市から借り受け、1800平方メートルの大型ビニールハウスを建設した。6月下旬に操業を開始。水を張った栽培ベッドでルッコラ、レッドマスタードなど十数種類を育て、2~3週間で摘んでベビーリーフとして出荷する。
 水温を一定に保つことで通年栽培でき、農薬は使わずに済む。宮沢賢治の作品に登場する理想郷と社名を組み合わせ、商品は「良葉東部(イーハトーブ)」と名付けた。
 工藤豊和社長(47)は「雇用の確保につながる野菜工場をこの地に建てることを決めた。生産から販売まで手掛け、健康にいい野菜を栽培したい」と述べた。
 太陽光パネル5000枚を設置し、出力1200キロワットの大規模太陽光発電所(メガソーラー)も整備。来年5月の完成を目指す。

 

2014年07月23日水曜日


あきらめず声をあげよう

老いも若きも安心して暮らせる世の中を 最低年金月七万円 戦争する国つくりダメダメ 投票に行かなければ何も変わらない