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<震災4年5カ月>南三陸署と町 海岸捜索

2015-08-12 13:30:17 | 震災
河北新報より転載
<震災4年5カ月>南三陸署と町 海岸捜索


捜索前に黙とうする町職員ら

 東日本大震災から4年5カ月を迎えた11日、南三陸署と南三陸町は同町戸倉の海岸で行方不明者の一斉捜索を実施した。
 署員と町職員計18人が海に向かって黙とうをささげた後、滝浜漁港付近の海岸線を約1キロにわたり捜索。堆積物を掘り起こしたり、消波ブロックの隙間に手を伸ばしてたりして遺留物を探した。
 滝浜漁港での捜索は2年ぶり。南三陸署の五十嵐岳次長は「行方不明者の家族の気持ちをくみ取り、お盆までに何かしらの手掛かりを届けたい」と話した。
 同署によると、町の行方不明者は212人。

いまを生きる 洋野町の手作り土産品を販売する水上浩美さん

2015-08-10 12:16:28 | 震災
岩手日報より転載

洋野町の手作り土産品を販売する水上浩美さん

できることでお役に 2015年8月10日
 
 
 洋野町種市の水上浩美さん(45)は手作り雑貨やバッグなどを町のお土産として販売している。趣味で約20年、手作り品を製作していたが、東日本大震災後に「何か少しでも町の役に立てればいい」と販売にも挑戦。カラフルでかわいらしい小物を売り出している。

 きれいな布やミシンなど仕事道具が並ぶ自宅の一室。時間を見つけては、自作の机の上で作品作りに励む。

 かばんを作るときは型崩れを防ぐために一度洗ってから生地を縫い合わせ、ポケットの位置など使いやすさにもこだわる。一度作り始めると、時間を忘れて熱中する。

 もともと手仕事は得意ではなかったものの、長女の誕生を機に「オリジナルの物を持たせたい」と本を参考に独学で小物や洋服を作り始めた。

 長く趣味として楽しんでいたが、震災を機に考え方が変わった。地元をはじめ、テレビで見た被災地の惨状に大きなショックを受けた。震災前は何もなくても足を運ぶほど海が好きだったが、震災後は行く気になれない時期もあった。

 野田村にボランティアに行った弟から人手が足りない話を聞いたが、当時は1歳の長男の育児で手いっぱい。支援に行きたくても何もできない自分にもどかしさを感じていた。

 しばらくして気持ちが前向きになってくると、「小さなことでも自分にできることをやろう」と考えるようになった。食品中心の町内のお土産に目を付け、「かわいい物があってもいい」とアイデアを練った。

 2014年に思い切って町内2カ所で販売を始めると、新たな出会いもあった。

 販売先のひろの水産会館で作品を見た復興応援隊の宮本慶子さん(36)から声を掛けられ同じような志を持つ洋野町種市のセラピスト堀米裕子さん(32)を紹介された。

 それから14年11月、町内の女性作家ら7人と一緒に「ひろのcolor」の名称でグループを立ち上げ、女性や親子向けのイベントを企画。勇気を出して販売を始めたことをきっかけにたくさんのつながりができた。

 町に貢献しようと善意で活動する仲間と一緒に行動し、「町を思う仲間のおかげで、町でイベントを開催する夢もかなえられた。一人では実現できなかった」と感謝している。

 現在は9月のイベントに向けて準備を進めている。「町に何もないと嘆いてはいけない。小さなことから始めれば、きっと何かにつながるはず」。地元への愛着を力に一歩ずつ前に進む。

 (洋野支局・下屋敷智秀)

【写真=作品作りを楽しむ水上浩美さん。「自分にできることをやろう」と同じ思いを持つ仲間と一緒に町のために活動している】


将来の子どもたちへ

 洋野町を将来、離れることがあったとしても古里を心に留め、いつかは帰ってきてほしい。若い頃は分からないかもしれないが、美しい景色など当たり前にあるものが実はとても大切なもの。大人になったら地元の大切なことにたくさん気付ける人になってほしい。子どもたちが大人になった時も美しく、豊かな町のままであってほしい。


ネパール地震:3カ月 被災児連れ去り多発 人身売買目的、困窮家庭狙い

2015-07-25 12:32:31 | 震災
毎日新聞より転載

ネパール地震:3カ月 被災児連れ去り多発 人身売買目的、困窮家庭狙い

毎日新聞 2015年07月25日 東京朝刊


「勉強させてあげる」と言われて西部ポカラまで連れ出されたソモ・タマンさん(13)=中央=と弟のサンチャくん(10)=左、スーザンくん(7)=ネパール中部シンドゥパルチョーク地区メラムチで2015年7月23日、金子淳撮影


 【カトマンズ金子淳】4月に大地震が襲ったネパールで、困窮した被災者家族が「ケア施設で預かる」「働きながら勉強できる」などと言われ、子供が連れ去られる事案が多発している。警察当局などは、工場や売春宿などへの人身売買が目的とみている。25日で発生から3カ月を迎え、都市部は落ち着きを取り戻しているが、山間部では支援頼みの暮らしが続く。政府や支援団体は、子供らが地震をきっかけとした「2次被害」に巻き込まれる可能性が高いとして警戒する。

 「子供たちに勉強をさせてあげたい」−−。中部シンドゥパルチョーク地区メラムチの施設に保護されているソモ・タマンさん(13)によると、地震から約1カ月後のある朝、同地区マハンカル村の自宅を突然、中国人の男女5人とネパール人の男が訪ねてきた。

 タマンさんの自宅は地震で倒壊し、母(45)が死亡。父は既に亡く、自分と祖母(85)、10歳と7歳の弟が残された。がれきから食料を取り出すこともできず、近所の人に食べ物を分けてもらう生活だった。

 中国人らは笑顔で何度も頭をなでてくれ、市場で服やおもちゃを買ってくれた。「学校に行きたい」。祖母に尋ねると「大丈夫だから行ってきなさい」。約2時間後、2人の弟を連れて中国人の車に乗り込んだ。ネパール人の男が「あと5人子供が必要だ」と話しているのが聞こえたが、気にしなかった。

 首都カトマンズに滞在後、自宅から約160キロ離れた西部ポカラの宿へ連れて行かれた。食事は十分与えられたが、学校には通わせてくれない。「書類がそろわず入学できない」と説明され、事実上の軟禁状態に置かれた。祖母との連絡手段はなく、弟は「村に帰る」と泣いた。

 警察が踏み込んだのは、ポカラに着いてから約2週間後の6月11日。「外国人が子供を連れている」との情報を受け、3人を保護した。支援団体に引き渡されたタマンさんは「外国に売られる子もいると後から知った。今思うと怖かった」と振り返る。

 裏付けが取れず、中国人らは事情聴取だけで釈放された。だが、児童福祉の政府関係者は「親以外が子供を連れて移動するための正式な書類を所持しておらず、人身売買が疑われるケースだ。連れ去り役の中国人もだまされていたのかもしれない」と話す。国連児童基金は、寄付金集め目的の施設に子供が送られたケースもあるとして、注意を喚起。主要道に行政と検問所を設置し不審者を通報している。

 地元警察などによると、シンドゥパルチョーク地区では地震後、少なくとも子供51人が人身売買の疑いで保護された。また、首都を含むカトマンズ盆地で救出された子供は2014年8月までの1年間で9人だったが、地震後の3カ月は52人に上った。タマンさんらの救出に関わったNGO「CWIN」のサーガル・バンダリさん(34)は「ブローカーは『子供だけでも安全な場所に行かせたい』という親心につけ込んでいる。被災地での被害はさらに増えるだろう」と危惧する。

家族の元へ、一日も早く 石巻で集中捜索

2015-07-12 09:56:01 | 震災
河北新報より転載
家族の元へ、一日も早く 石巻で集中捜索

 
大川小近くの斜面を捜索する河北署員=11日午後2時10分ごろ、石巻市釜谷

 東日本大震災から4年4カ月の11日、最大被災地の一つ、石巻市でも行方不明者の集中捜索が行われた。
 河北署は児童と教職員84人が犠牲となった大川小近くの山林に入った。署員10人が約5時間、高さ約8メートル、幅約10メートルにわたって斜面をスコップなどで掘り、骨3点が見つかった。
 大川小がある旧河北町地区の行方不明者(6月末現在)は42人で、同小では児童4人の行方が分からない。河北署の北浦敏郎次長は「一日も早く発見して家族に帰したい」と話した。
 この日、大川小では当時6年生の次女を亡くした佐藤敏郎さん(51)が首都圏から訪れた約40人に震災当時の状況を説明。「悲しいことがあったが、事実と向き合い、未来を開く場所になってほしい」と語った。
 宮城海上保安部などは旧雄勝町唐桑の海で行方不明者を捜した。捜索を要請した家族らが見守る中、潜水士が海に入りスキー用の靴やマグカップを回収。水中で撮影した皿や船の破片などの画像を家族に見せた。
 旧雄勝町地区は71人が行方不明。巡視船「くりこま」の寺門嘉之潜水班長は「ご家族の期待に沿えるよう、可能なかぎり手掛かりを捜したい」と話した。

免震偽装ゴム出荷なぜ 辰巳議員 東洋ゴムを追及

2015-05-18 07:24:21 | 震災
しんぶん赤旗      2015年5月17日(日)

免震偽装ゴム出荷なぜ

辰巳議員 東洋ゴムを追及


(写真)質問する辰巳孝太郎議員=14日、参院国交委


 東洋ゴム工業が免震ゴムのデータを改ざんして認定(大臣認定)を受けていた問題について、参院国土交通委員会は14日、山本卓司社長らを参考人として呼び審議しました。

 日本共産党の辰巳孝太郎議員は、同社が昨年9月にいったん出荷停止準備を決定し、10月にも一部が基準に適合しないと報告されていたことをあげ、「なぜ不正と認識できなかったのか」と追及しました。

 山本氏は「一部が基準に適合しないと報告があったが、どの一部が適合しないのか曖昧だった」と答弁。辰巳氏は出荷を止めなかったことを批判しました。

 さらに辰巳氏は、山本氏が不正を認識したという今年1月30日以降も出荷を継続していた理由をただしました。伊藤和行常務は「出荷日の確認が怠っていた」と述べました。

 辰巳氏は、同社の安全軽視を批判するとともに、監督権限をもつ国交省の責任を追及。「大臣認定」を受けていた同社製品の耐火偽装が07年に明らかになったにもかかわらず、同様に「大臣認定」を受けていた免震ゴムについて調査を行わなかったのは「怠慢だ」と批判しました。また「企業任せでは(不正を見逃す)穴が残る。抜本的見直しが必要だ」と主張しました。

<大川小>「校舎保存を」地区復興協が市に要望

2015-05-02 09:49:01 | 震災
河北新報より転載
<大川小>「校舎保存を」地区復興協が市に要望


亀山市長(左端)に要望書を手渡す大槻会長(左から2人目)ら

 東日本大震災で児童と教職員計84人が犠牲になった石巻市大川小をめぐり、住民団体「大川地区復興協議会」は1日、被災校舎全体を保存し周辺を「鎮魂の森」として整備するよう市に要望した。市は大川地区の住民や遺族を含む市民の意見を2015年度内にも集約する方針。
 協議会の大槻幹夫会長(72)らが市役所を訪れ、亀山紘市長と境直彦教育長に要望書を提出。その後、非公開で会談した。
 要望書は「生活のよりどころ、地域活動の中心施設として機能してきた被災校舎の取り扱いについては全世界にその惨状が報じられて以来、粘り強く議論を尽くしてきた」と主張。
 「希望を失わない地域再生を図る観点からも、整備事業の早期実現に向け配慮してほしい」と訴えた。
 要望書は(1)現在は二俣小の校舎で授業をする大川小の移転新築(2)郵便局や駐在所の再建-なども求めた。
 会談後、大槻会長は「震災遺構として教訓は残さなければいけない。校舎の保存はデリケートな問題。市から相談があれば、きちんと対応したい」と語った。
 亀山市長は「震災の教訓をどのように伝えていくかは大きな課題。校舎を残すか、残さないか、あるいは残し方については広く市民の意見を聞く必要がある」と強調。保存するかどうかの結論を出す時期に関し「方向性は早めに示すことが必要だ」と述べた。


関連ページ:宮城社会
2015年05月02日土曜日

サケふ化復活に意欲 木戸川漁協7年ぶり新人

2015-04-13 10:23:34 | 震災
河北新報より転載
サケふ化復活に意欲 木戸川漁協7年ぶり新人


木戸川の復旧工事を見守る青木さん(右)と鈴木さん
拡大写真
 東日本大震災の津波でサケのふ化場や簗場などが大きな被害を受けた福島県楢葉町の木戸川漁協に、7年ぶりの新人職員が誕生した。地元の青木健太朗さん(25)。「魚のことは全くの素人」と言うが、ふ化場長の鈴木謙太郎さん(33)とともに、本州有数のサケの遡上(そじょう)を誇る木戸川でふ化事業の復活を目指す。
 青木さんは東京電力福島第1原発の元作業員で、震災時は4号機の建屋内にいた。知人の紹介で漁協に就職したのはことし2月。「木戸川に興味がなく、サケが4年で帰ってくることも知らなかった」
 鈴木さんからサケの生態を学び、猪苗代町の県内水面水産試験場に足を運ぶなど勉強の日々を送る。いわき市の夏井川鮭増殖漁業組合で稚魚を見て「意外とかわいいと思った」という。
 楢葉町は原発事故で全町避難し、6日に帰町に向けた準備宿泊が始まった。町はことし1月、ふ化場や加工施設などの復旧工事に着手。今秋の捕獲・採卵、来春の放流を目指している。
 漁協は17日、昨年に続き、夏井川の組合から譲り受けた1万匹の稚魚を放流する。震災前は1200万~1500万匹を放していた。
 「最近、興味だけでなく、やりがいや使命感が出てきた」と青木さん。「木戸川のサケの遡上を途切れさせてはいけない。育てた稚魚が帰ってきて、この仕事に就いて良かったと思えるようになりたい」と意気込みを語る。
 漁協の職員は青木さんを入れて3人。鈴木さんは「意欲的に取り組んでいる。一人前になるには4、5年かかるだろうが、一緒に経験を積み、楢葉の復興に貢献してほしい」と期待する。


2015年04月13日月曜日

<津波被害>宮城・大川小に3人の新入生「姉も空から」

2015-04-09 22:16:13 | 震災
毎日新聞より転載
<津波被害>宮城・大川小に3人の新入生「姉も空から」
毎日新聞 4月9日(木)21時15分配信

<津波被害>宮城・大川小に3人の新入生「姉も空から」
2009年の夏休みに小瑛ちゃんを抱く平塚小晴さん=2009年8月撮影、家族提供
 東日本大震災の津波で74人の児童が犠牲になった宮城県石巻市立大川小の仮設校舎で9日、新入生3人を迎える入学式があった。その1人、平塚小瑛(さえ)ちゃん(6)は6年生だった姉の小晴(こはる)さん(当時12歳)を亡くした。小晴さんは10歳離れた妹のために絵本を描き「元気な子に育ってね。ずうっと空から見てるよ」とメッセージを残していた。家族みんなに見守られ、小瑛ちゃんは元気よく式に臨んだ。

【写真】平塚小晴さんが妹の小瑛ちゃんのために描いた絵本

 新入生代表で校長から教科書を受け取った小瑛ちゃんは「緊張した」。式を終え、父真一郎さん(48)、母なおみさん(41)、同小5年の兄冬真(とうま)君(10)に囲まれ、「お兄ちゃんたちとドッジボールして、友達をたくさん作りたい」とうれしそうに話した。

 小晴さんは2009年の夏休み、生後約11カ月だった小瑛ちゃんのために絵本を作った。赤ちゃんだけに見える妖精が友達になり、小瑛ちゃんを笑わせ、つかまり立ちや歩こうとする姿を近くで見守るストーリー。真一郎さんは「幼かった小瑛のために残してくれた。いつも家族全員を見守ってくれていると感じる」。

 最後に妖精は、1歳になった小瑛ちゃんに「空から見てるよ」と言い残して飛び立つ。そして小晴さんは自らの言葉で「大好きな妹へ みんなは大切にあなたのことを思っているよ」「妹にいつかこの本を読んでもらって自分のそんざいについて考えてもらいたいです」とつづっている。

 小瑛ちゃんは「お姉ちゃんは抱っこしてくれて優しかった。写真もかわいくて好き」。なおみさんに「お姉ちゃんみたいになりたい?」と聞かれると、「うん」とはにかんだ。なおみさんは「お姉ちゃんの分まで、なんて思わなくていい。ただ6年間、元気に学校に通ってほしい。お姉ちゃんが着られなかったはかまを卒業式で着てもらえたら」と話した。【百武信幸】

最終更新:4月9日(木)22時5分毎日新聞

大川小「保存」で意見集約 地区復興協

2015-03-21 07:25:35 | 震災
河北新報より転載

大川小「保存」で意見集約 地区復興協


地元の住民団体が保存の要望を決めた大川小の被災校舎

 東日本大震災で児童と教職員計84人が犠牲になった石巻市大川小の被災校舎について、住民団体「大川地区復興協議会」は20日、住民対象のアンケートを踏まえ、校舎全体を保存し周辺を「鎮魂の森」として整備するよう市に求める方針を決めた。4月中旬までに亀山紘市長と境直彦教育長に要望書を提出する。
 協議会は8日の全体説明会で(1)校舎を全部解体し跡地に原寸大平面図を復元(2)低学年棟など一部を保存(3)全て保存-の3案を示し126人にアンケートを実施、回答が120件あった。内訳は解体37件、一部保存3件、全て保存57件で、その他として「全施設解体・更地」という回答が11件。
 20日の会合には役員ら30人が出席。「学校があった釜谷地区では解体を望む住民が多い。住民の思いは反映されないのか」「要望しても市から回答がなければ意味がない」といった意見が出された。
 最終的にアンケート結果に従い、校舎全体を保存する方向で市に要望することを決定。現在は二俣小の校舎で授業をしている大川小についても、アンケートで最も多かった移転新築を要望することも確認した。
 大槻幹夫会長(72)は「意見にはそれぞれ意味があり、要望書とは別に市に伝える。市がどう判断するかは分からないが、予算も絡むことから早く回答してほしい。それを踏まえて再び話し合い、意見を集約したい」と述べた。


2015年03月21日土曜日
関連ページ:宮城社会

“すべての被災者の生活と生業の再建”に国が全力をあげることを求めます

2015-03-12 10:27:45 | 震災
しんぶん赤旗 

“すべての被災者の生活と生業の再建”に国が全力をあげることを求めます

東日本大震災と福島原発事故から4年を迎えるにあたって

2015年3月11日 日本共産党幹部会委員長 志位 和夫

 東日本大震災と福島原発事故から4年が経過しました。あらためて犠牲となられた方々に哀悼の意を表するとともに、被災者のみなさんにお見舞いを申し上げます。復興に向けてねばり強い努力を続けている被災地のみなさん、自治体のみなさん、そして被災地への支援を続けておられる全国のみなさんに心からの敬意を表します。

震災後に被災者が直面している困難への緊急対策を行うとともに、
被災者の生活と生業の再建への支援の抜本的強化を求める

 被災地では、4年が経過した今でも、23万人もの被災者が応急仮設住宅や借り上げ住宅などで不自由な避難生活を強いられ、震災関連死が3194人にのぼっています。震災から時が経過するほど、被災者の生活にさまざまな困難がのしかかり、被災者から希望を奪っていく事態が続いていることは重大です。

 資材など建設費高騰が被災者の住宅再建の大きな障害となっています。被災地では、土地のかさ上げや移転先の高台の整備事業が続いており、やっと住宅建設を始められるという段階になりつつありますが、「この数年で建設費の坪単価が50万円から70万円になった」「資金が足りない」という切実な声が上がっています。円安と物価値上げ、公共事業のバラマキ、消費税増税――これら被災地での建設費高騰の原因をつくったのは、「アベノミクス」という安倍政権の経済政策にあることは明らかです。住宅再建への障害は、政府の責任で解決しなければなりません。

 被災者生活再建支援金を300万円から500万円に引き上げ、対象を広げることをはじめ、国が住宅再建への支援を緊急に拡充することを強く求めます。災害公営住宅の遅れも深刻であり、建設促進が求められています。また、応急仮設住宅はカビの発生による健康被害、床板のゆがみなど、最低限の健康的な暮らしが脅かされており、改善・修繕が急務となっています。

 震災関連の自殺や孤独死も増えています。医療、介護などを被災者の実情に見合って充実させなければなりません。被災者の医療費・介護保険利用料等の免除措置を国の制度として復活させるべきです。仮設住宅団地、復興公営住宅などでのコミュニティーの形成に取り組むことが重要なのに、サポート体制や支援員の縮小や廃止などの逆行する動きが出ています。阪神・淡路大震災で1000人を超えた孤独死の教訓も踏まえて、被災者に寄り添った支援の拡充が必要です。

 事業の再建も正念場を迎えています。商店・商店街の再建に向けて、仮設店舗から本設への本格的な支援が求められています。グループ補助の充実・拡大、小規模事業者の支援、二重ローンの解決、販路の回復と人材確保など、事業者への直接支援を強化し、早期の事業再開と雇用確保を応援すべきです。

 JR東日本は、被災した気仙沼線、大船渡線の復旧計画をいまだにつくっていません。市街地の中心部をとおるJR線の復旧計画がないことが、復興計画全体を遅らせる要因にもなっており、すみやかに復旧計画をたてるべきです。災害に乗じて地方路線を切り捨てたいというJR東日本の思惑を国は容認するのか、きびしく問われています。

復興の妨げになる政治の転換を――
国の復興予算を縮小・削減し、被災地に負担増を求めることは許されない

 消費税増税やTPP(環太平洋連携協定)など、安倍政権の暴走政治が、復興の大きな妨げになり、懸命にがんばっている被災者から希望を奪っていることは看過できません。

 再建をめざす事業者に、仮設店舗から本設にしても、消費税増税や不況で商売が成り立つのかという不安がひろがっています。安倍政権が、米価大暴落を放置し、まともな対策をとっていないことは、震災からの農業復興にも大きな妨げとなり、「がんばって農業を再開してもやっていけるのか」という声があがっています。その上、TPP参加を強行すれば、被災地の基幹産業である農林漁業と食品加工や輸送をはじめ地域経済に大打撃となるのは明らかです。復興の妨げになる政治を抜本的に転換することを求めます。

 さらに重大なことは、復興事業への国庫負担を減らし、被災地の負担を増やす動きを安倍内閣が強めていることです。国が決めた「集中復興期間」が終わる2016年度以降は「(現在の仕組みが)全部続くのは難しい」(竹下亘復興相)などと言い出しています。しかし、未曽有の大災害の復興が5年で終わるはずがありません。国が復興事業の負担を減らし、その分を被災地に付け回すなどということをやれば、被災地の復興がさらに遅れるだけでなく、各自治体が独自に行っている住宅再建や医療・介護の負担軽減などの住民のための支援策を圧迫することになります。まさに、安倍政権による復興妨害と被災者いじめの暴挙としか言いようがありません。2016年度以降も、被災者の生活と生業(なりわい)が再建され、被災地の復興が成し遂げられるまで、国が責任を果たすことを強く求めます。

原発事故の賠償打ち切りなど“福島切り捨て”政策を転換し、
すべての原発被害者に、国と東電の責任で必要な支援を

 安倍政権は、原発再稼働と一体で、賠償をはじめ被害者支援策を打ち切り、縮小させる動きを強めています。原発事故の被害という、とりわけ深刻な困難をかかえている福島にとって、加害者である国と東電が、賠償と除染に対する責任を果たしきることは、復興の大前提です。福島原発事故を「終わったもの」とするための“福島切り捨て”政策は、「オール福島」の願いを踏みにじるものであり、絶対に許すことはできません。

 東京電力が示した、商工業者等への営業損害の賠償打ち切りの「素案」は、商工業者をはじめ県民の怒りに直面し、「見直し」を表明せざるを得なくなりましたが、賠償打ち切りの方針が撤回されたわけではありません。商工業の次は農業、漁業などが狙われます。営業損害の賠償打ち切りは、かろうじて維持している事業や雇用を損ない、福島復興の基盤を掘り崩してしまいます。賠償打ち切りの方針を撤回し、被害の実態に見合った賠償を継続することを強く求めます。

 上からの一方的な「線引き」が被害者を分断し、新たな困難をもたらしています。いまだ12万人が県内外に避難しています。国による指定区域が解除されても、多くの被害者は、すぐに帰ることができません。それにもかかわらず賠償の縮小・打ち切りや、復興公営住宅の入居対象を指定区域によって条件から外すなどの切り捨て策がすすんでいます。安全な住宅の確保をはじめ、すべての原発被害者の希望にそって、必要な支援を行うことが、加害者である国と東電の責任です。

福島第1原発の事故収束と汚染水対策――
「国が前面にでる」という約束を安倍首相は実行し、万全の対策をとることを求める

 福島第1原発の事故は、収束するどころか、汚染水の漏出事故や労働者の死傷事故が相次ぐなど危機的な状況が続いています。最近でも、高濃度の放射性物質を含む雨水が、排水路を通じて港湾外に流出していることが明らかになりました。とりわけ重大なことは、この事実を知りながら、東電が1年近くにわたって情報を隠し続け、原子力規制委員会が何の対策もとってこなかったことです。この姿勢は県民の大きな怒りをかい、2月26日には福島県議会が全会一致で「断固抗議する」決議を採択しています。

 安倍首相は、一昨年9月に、汚染水対策は「国が前面に立って責任を果たす」と述べましたが、「東電まかせ」が続き、相次ぐ汚染水漏れと情報隠ぺいという、最悪の事態が継続しています。国は、事故原因の究明と事故収束、汚染水対策を最優先の課題として全力をあげるべきです。国内外の英知を結集する体制を確立することが必要です。

 安倍政権が、こうした福島原発事故の危機的な実態と痛苦の教訓をいっさいかえりみず、「オール福島」の切実な願いとなっている「福島の全10基廃炉」にも背を向けて、原発再稼働へと暴走していることは断じて許されません。

 日本共産党は、原発再稼働に反対するという一点での国民的共同をよびかけ、その先頭にたつとともに、「原発ゼロの日本」をめざして奮闘するものです。

国民の命と財産を守るという政治の使命が問われている

 東日本大震災からの復興は、国政上の最優先課題であるとともに、災害列島である日本で、国民の命と財産を守るために力を尽くすという政治の使命を果たすことができるかどうかの試金石となっています。

 被災者の切実な要求と運動、自治体関係者の努力で、住宅や事業の再建、被災者の生活への公的な支援が拡充してきました。もちろん、それらはまだまだ不十分なものです。被災地からは、「自分たちが困っていることは、いまの制度のままでは、これからの災害でも繰り返されてしまう」という声もあがっています。被災者の生活と生業の再建のための支援策の抜本的な拡充をはかることは、東日本大震災からの復興を力強くすすめるうえでも、今後発生が予測される災害から国民の命と財産を守るうえでも、きわめて重要な政治的課題となっています。

 日本共産党は、幾多の困難の中でも、一歩一歩前進してきた被災者のみなさんの歩みに心からの敬意を表するとともに、復興への力強い歩みを被災者のみなさんとともにすすめていきます。党としての支援活動もさらに継続していきます。

 4回目の3月11日を迎え、東日本大震災からの復興のために、国民のみなさんとともに力を尽くす決意をあらためて表明するものです。

あきらめず声をあげよう

老いも若きも安心して暮らせる世の中を 最低年金月七万円 戦争する国つくりダメダメ 投票に行かなければ何も変わらない