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震災で離れ離れ…内陸で再会、笑顔の花咲く 調理した料理を一緒に味わった食事会

2015-10-27 07:31:19 | 震災
河北新報より転載

震災で離れ離れ…内陸で再会、笑顔の花咲く

調理した料理を一緒に味わった食事会

      
      ◎料理通じ住民と出会い/滝沢

 東日本大震災で被災し、滝沢市に避難して定住を決めた人たちと地域住民が一緒に料理を楽しむ交流会が23日、市老人福祉センターであった。参加者は持ち寄った野菜を全員で手分けして調理し、食事と会話を楽しんだ。
 精神障害者の見守り支援に取り組む同市のボランティア団体「あんずの会」の会員ら10人と、市内の避難者グループ「若潮会」の8人が参加した。
 あんずの会が育てたキャベツやニンジン、キノコといった野菜を芋の子汁や炊き込みご飯、酢の物、あえ物に仕上げた。試食会ではレシピのポイントやお互いの身の上話に花が咲いた。
 釜石市出身の無職富司幸雄さん(79)は昨年、胃がんを患い医療面を考慮して滝沢市への定住を決めた。「外から来た分、日常的に会う人は限られる。交流会を通して出会いがあるのがうれしい」と笑顔で話した。

◎古里への思いを癒やす/紫波

 岩手沿岸で東日本大震災に遭い、内陸に避難した被災者のグループ同士が親交を深める交流会「サロンにお邪魔in紫波」が26日、岩手県紫波町の古舘公民館であった。滝沢市で暮らす被災者たちが紫波町の被災者サロンを訪れ、それぞれの暮らしぶりや古里の思い出を語り合った。
 釜石、大船渡、宮古3市と大槌、山田両町出身の計24人が参加した。内陸定住と望郷のはざまで葛藤する気持ちを話したり、津波で家族を亡くした喪失感を拭えない心境を打ち明けたりした。被災者グループの活動の在り方についての意見交換もあった。
 大槌町出身で、岩手県矢巾町のみなし仮設アパートで1人暮らしの越田孝子さん(80)は帰郷を迷っているという。「被災者同士なら悩みを話しやすい。家にこもらず外に出ていろんな人と関わり、古里に戻る決心がつくまで明るく元気でいたい」と前を見据えた。
 主催した避難者支援に取り組むNPO法人いなほ(盛岡市)の佐藤昌幸代表(37)は「被災者のコミュニティーは自治体ごとに分断されており、他の自治体の被災者の生活ぶりを知らないことが多い。定期的にこうした交流会を続けていきたい」と話した。


関連ページ:岩手文化・暮らし
2015年10月27日火曜日

とどろく迫力の鼓動 陸前高田で太鼓フェス

2015-10-19 08:47:45 | 震災
岩手日報より転載

とどろく迫力の鼓動 陸前高田で太鼓フェス

 全国太鼓フェスティバル(実行委主催)は18日、陸前高田市高田町の一中体育館で開かれ、全国9団体の迫力ある演奏、掛け声が約500人を魅了した。

 地元の気仙町けんか七夕太鼓や大船渡東高太鼓部のほか、東京・八丈島の八丈太鼓六人会などが出演。ジュニアチームが今年3月の日本太鼓ジュニアコンクールで最優秀賞を受賞した宮崎市の橘太鼓「響座」は息の合った演奏を見せ、終盤には会場内を回って盛り上げた。

 名古屋市の楠(くすのき)中和楽器部は自作の大漁旗を振って被災地へエールを送り、気仙町けんか七夕太鼓や大船渡市の長安寺太鼓は感謝の思いを込めて熱演した。

  
【写真=息の合った演奏を披露する楠中の和楽器部】

(2015/10/19)

仮設のアイドルが町議に 女川移住の伊藤さん

2015-10-18 08:04:18 | 震災
河北新報より転載

仮設のアイドルが町議に 女川移住の伊藤さん


第一声を終え、顔見知りの女性らから激励される伊藤さん=16日午前、女川町

 東日本大震災の被災者らに「仮設住宅のアイドル」と慕われる男性が政治の世界に入った。16日告示の宮城県女川町議選で、無投票当選した無所属新人伊藤恵悟さん(42)。縁もゆかりもない町に震災を機にボランティアで入り、お年寄りらをサポートしてきた。「民間活動の延長線上が町政。町民一人一人が生きがいを感じ、支え合う環境をつくりたい」と誓う。

 16日朝、JR女川駅前での第一声で決意を訴えた。「政治については素人。住民目線で頑張り、年齢を問わず元気な人を増やしたい」。顔見知りの女性ら約20人から拍手が送られた。
 東京都出身。都内の病院で看護師をしていた2011年3月、震災が発生した。津波で壊滅的な被害を受けた町の様子をテレビで見た。
 「力になりたい」。パートタイマーの看護師として1カ月のうち1週間は都内で働き、残りは町内で在宅被災者の体調確認やがれきの片付けに奔走した。
 同年9月、町社会福祉協議会の職員となった。仮設住宅や災害公営住宅で被災者の悩み事を聞き、必要な物があれば買い物を代行した。80代女性は「いつも親身に相談に乗ってくれた。仮設住宅に伊藤さんのファンは多い」と感謝する。
 伊藤さんが「住民の意識が変わった」と手応えを感じた出来事がある。
 仮設住宅の自治会に、町の音楽イベントで屋台を出すことを打診すると、当初は「料理が余ったらどうする」と反発された。それでも「手軽に作れる玉こんにゃくはどうですか」などと説得。賛同した住民たちが屋台を出すと、用意した品は完売し、充実感を共有したという。
 自治会はその後、七夕やクリスマスの行事を主体的に楽しむようになった。
 「ある程度やるべきことはやった」。町を離れることも考えていたことし夏ごろ、町内の知人らに町議選への立候補を勧められた。
 町議選の定数は12。現職12人のうち2人が引退を決め、なり手不足から「定員割れ」も取り沙汰されていた。「若い人の中には仕事や家族の都合があり、町議をできない人がいる」。9月末で町社協を辞め、町議選に挑んだ。
 町議の任期は11月13日から4年間。視線の先には4年後がある。「多くの町民が居場所を見つけ、自分の意思で行動できていたらうれしい。『伊藤はよそ者だから立候補しなくていい』と言われる状況になっていたら、最高です」


関連ページ: 宮城 政治・行政.

2015年10月18日日曜日

「会いたいよ」今も届く手紙 陸前高田・漂流ポスト

2015-10-12 09:13:49 | 震災
岩手日報より転載

「会いたいよ」今も届く手紙 陸前高田・漂流ポスト

 もっと話したかった。伝えたかったことが、まだまだある―。東日本大震災の犠牲者らへの思いを預かる、陸前高田市広田町の「漂流ポスト3・11」に届けられた手紙の供養が8日、同市広田町の慈恩寺(古山敬光住職)で行われた。カフェを経営する赤川勇治さん(66)=横浜市港北区出身=がポストを設けて1年半余り。届いた手紙は約120通に上る。赤川さんは送り主と故人の平穏を祈り、ポストが宛先を失った思いを抱える被災者らのよりどころとなることを願う。

 同日は全ての手紙を持参。古山住職が読経し、赤川さんが焼香した。手を合わせ、犠牲者と手紙を送った人々がともに心安らかであるよう祈った。供養は昨年10月に続き2度目で、この1年で新たに約40通が届いた。

 「会いたいよ 声ききたいよ」「早く帰って来て安心させてくれ。母さんが、母さんが……」。手紙は次々届き、言葉が胸に刺さった。震える手を抑えながら書いたであろう手紙もあった。一方で、赤川さんの励みになる手紙も届いた。「後を追おうと思っていたが、(手紙を書いて)生きよう、と(いう)気持ちになった」。温かな言葉に触れるたび「役に立てた」と、感慨深いものがこみ上げる。

 今では全国から鎮魂と復興を願う手紙が届く。赤川さんは「書くこと、読むことで少しでも心がほぐれるのなら。届いた手紙は全て大事に、大事にお預かりします」と話す。

 匿名や被災者以外の手紙も受ける。宛先は郵便番号029―2208、陸前高田市広田町赤坂角地159の2、森の小舎内「漂流ポスト3・11」まで。


【写真=供養を終えた手紙の束とノートを受け取り、古山敬光住職と語らう赤川勇治さん(右)=陸前高田市広田町・慈恩寺】

(2015/10/09)

<大川小訴訟>市側、生存教諭尋問に反対

2015-09-30 09:04:04 | 震災
河北新報より転載
<大川小訴訟>市側、生存教諭尋問に反対

 東日本大震災の津波で死亡・行方不明となった石巻市大川小の児童23人の19遺族が、市と宮城県に23億円の損害賠償を求めた訴訟の進行協議が29日、仙台地裁であった。市側は当時、在校していた教職員11人のうち、唯一の生存者となった男性教諭の尋問に反対する書面を提出した。
 教諭の尋問は児童が津波にのまれた状況や被災後に取った行動などを立証するため、遺族側が求めていた。
 書面によると、教諭は震災後、心的外傷後ストレス障害(PTSD)を発症。主治医は6月9日付で作成した意見書で「尋問はトラウマ(心的外傷)体験を強引に聞き出すもので、二次被害を生む。医療的、人道的に許されない」と指摘した。
 市側は、遺族側が同様に求めた当時の校長の尋問については容認した。地裁は12月までに尋問をするかどうか決める。
 訴えによると、教職員は2011年3月11日の地震発生後の約45分間、児童に校庭で待機するよう指示。その後、津波が押し寄せ、訴訟対象の23人を含む児童74人と教職員10人の計84人が死亡・行方不明になった。

大川小遺族ら「子どもの命教訓に」

2015-09-26 10:01:52 | 震災
転載
大川小遺族ら「子どもの命教訓に」

  
「遺族が声を上げなければ何事もなかったように進んでいたかもしれない」と話す大川小遺族の佐藤さん(左)と鈴木さん
 東日本大震災の津波で児童と教職員計84人が犠牲になった石巻市大川小の児童遺族と、園児5人が亡くなった同市の私立日和幼稚園(休園中)の遺族が25日、文部科学省の学校事故対応に関する有識者会議のヒアリングに臨んだ。遺族ら約10人が委員10人を前に、震災当時の状況や学校側と幼稚園側の対応、課題などを説明した。
 大川小6年生だった次女みずほさん=当時(12)=を亡くした佐藤敏郎さん(52)は「学校や市教委は遺族に寄り添わず、できるだけ事実を解明しないようにしている」と強調。「原因を明らかにしてこそ教訓となる。あいまいなまま幕を引く構図を繰り返してはいけない」と訴えた。
 6年生だった次女真衣さん=当時(12)=を失った鈴木典行さん(50)は第三者の事故検証委員会について「調査を尽くせないのにあたかもできているかのように報告書をまとめたのが悔しい」と指摘。「会議は何回でも話を聞き、防災に役立ててほしい」とヒアリングの続行を強く求めた。
 日和幼稚園の遺族は問題点として、園側の危機管理意識の欠如や情報収集の怠り、行政の支援が得られなかった点などを列挙した。
 次女明日香ちゃん=当時(6)=を亡くした佐々木純さん(36)は「災害は待ってくれない。子どもたちの命を無駄にしないため、防災のマニュアルや手引きを作ったら早く対処してほしい」と語った。
 長女愛梨ちゃん=当時(6)=が犠牲になった佐藤美香さん(40)は実態をより正確に把握してもらうため、現地視察を求める要望書を文科省側に手渡した。
 会議はヒアリング結果などを踏まえ、本年度内にも事故対応の指針をまとめる見通し。座長の東京学芸大の渡辺正樹教授は「遺族に共通するのは事実が知りたいという思い。きちんとした指針を作り周知徹底することが大事」と指摘。追加ヒアリングの開催については明言を避けた。

2千世帯、入居資格なし 仮設から災害公営住宅へ

2015-09-12 08:37:15 | 震災
東京新聞より転載

2千世帯、入居資格なし 仮設から災害公営住宅へ

2015年9月11日 11時32分

 東日本大震災で被災した岩手、宮城、福島3県の仮設住宅入居者のうち、災害公営住宅への入居資格がなく、希望しても移れない世帯が少なくとも約2千世帯あることが分かった。税金滞納が理由になっているケースが一定数あり、貧困で住宅再建のめどが立たない住民ほど仮設に取り残される可能性がある。震災は11日で発生から4年半となるが、深刻化する生活困窮の実態把握が自治体の急務になっている。

 仮設住宅がある3県の48市町村に7月末時点で入居資格がない世帯の数を尋ねたところ、少なくとも11市町村の1926世帯が該当することが判明した。
(共同)


宮城県石巻市内の仮設住宅=8日

いのちの電話SOS なり手不足深刻化

2015-08-23 07:55:19 | 震災
河北新報より転載
いのちの電話SOS なり手不足深刻化

 
電話応対する相談員。相手に寄り添い、立ち直りのきっかけをともに模索するが、なり手不足が深刻になっている

 自殺の抑止活動に取り組む社会福祉法人「仙台いのちの電話」(仙台市)が、相談員のなり手不足に頭を痛めている。本年度の養成講座は定員30人に対して応募は2人のみ。今月7日の応募締め切りを9月11日まで延長している。法人は「専門知識がなくても話を聞くだけで救える命がある」と参加を呼び掛けている。

 いのちの電話は年中無休の24時間体制。仙台市内の電話センターに加え、東日本大震災後は石巻市に分室を開設し、ボランティアの相談員約200人が電話やメールで悩み相談に応じている。
 2014年の電話相談は2万1737件で、内容は人生に関わることや家族、対人関係、自身の精神状態など幅広い。1割以上の相談に自殺への志向があるという。
 相談員は月2回、1回当たり3時間担当。日中は2人体制、深夜は3人が交代で電話応対するものの、回線が全てふさがってしまい、「つながらない」という苦情も少なくない。本田登代子事務局長は「相談員を増やしてつながりやすくしたい」と話すが、ここ数年は養成講座への応募数が伸びず定員割れが続いている。
 相談員の多くは仕事をしながら活動しており、キャリア20~30年以上のベテランもいる。本田事務局長は「じっくり話を聞きながら感情を整理し、生きる方向性を見つけてもらうことを目指している。相談員も自身を見詰める機会になっている」とやりがいを語る。
 応募資格は22~65歳で、仙台市か石巻市で月1~4回の養成講座を1年半受ける。受講費用は計4万5000円。認定後も年10回の研修がある。希望者は申込用紙に参加動機、自分史を添えて提出する。連絡先は仙台いのちの電話事務局022(718)4401。


関連ページ: 宮城 文化・暮らし.

2015年08月23日日曜日

被災地弁当店に小さな応援団「復興の励み」

2015-08-18 08:06:39 | 震災
河北新報より転載
被災地弁当店に小さな応援団「復興の励み」

 
菊地さん(右)からオムカレーを受け取る(左から)湖乃美さん、龍馬君、美乃里さん

 東日本大震災の津波で被災した宮城県山元町花釜地区の弁当店店主が、東京都東久留米市の4きょうだいと交流を続けている。毎年夏休みに訪れ、4人が「大好き」という弁当を買って帰る。ことしは8日に再会。店主は遠方の「常連さん」を復興への励みにしている。

 弁当店は県道相馬亘理線沿いの「きく邑(むら)」。震災1年後の2012年3月に開業した。栄養士の資格を持つ店主の菊地博子さん(59)が、主に復興事業の作業員やボランティア向けに販売している。
 4人は開業から2日後、両親と一緒に来店した。橋本繭菜さん(14)、湖乃美さん(12)、美乃里さん(9)、龍馬君(8)。車で被災地を見て回った際、通り掛かったのが縁だった。母あき子さん(44)は「その時に食べたサケのおにぎりがおいしく、子どもたちも『また食べたい』とせがんだ」と振り返る。
 その後、夏休みのたびに訪れ、菊地さんの弁当を味わう。ことしの弁当はオムライスにカレーをかけたオリジナルのオムカレー。美乃里さんと龍馬君は「おいしい」と大喜びで食べ、受験勉強で来られなかった繭菜さんの分も持ち帰った。
 4人と菊地さんは手紙のやりとりも続ける。湖乃美さんは「被災しても頑張る菊地さんはすごい。田舎のお母さんのような存在」と話し、あき子さんも「長く交流を続けたい」と願う。
 菊地さんは「毎年会うのが楽しみ。子どもたちから私も力をもらっている」と感謝している。


関連ページ: 宮城 社会 3.11大震災.

2015年08月16日日曜日

流灯に鎮魂の祈り 松川浦漁港で慰霊行事

2015-08-13 12:21:12 | 震災
福島民報

流灯に鎮魂の祈り 松川浦漁港で慰霊行事


港湾内で幻想的な明かりを放つ灯籠

 海で命を失った人たちを供養する相馬双葉漁協の流灯会は12日、相馬市の松川浦漁港で開かれ、関係者が鎮魂の祈りをささげた。
 海上遭難者らの供養のため毎年夏に実施している。東日本大震災後は津波犠牲者も慰霊している。
 法要が営まれ、佐藤弘行組合長、立谷秀清市長らが焼香した。
 灯籠約300基が漁船3隻に積まれ、組合員らの手で港湾内の海面に流された。幻想的な明かりが波に揺られ沖に向かうと、参列者は静かに手を合わせた。
 佐藤組合長は「孫子の代まで豊かな海を残していくことが使命。一日も早い漁の本格再開に向け取り組んでいきたい」と話した。

(2015/08/13 11:15カテゴリー:福島第一原発事故

あきらめず声をあげよう

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