つぶやき、或は三文小説のやうな。

自由律俳句になりそうな、ならなそうな何かを綴ってみる。物置のような実験室。

アメリカ鱒とベーコン

2017-09-20 21:22:57 | 文もどき
朝靄の中に起き出して、川へ向かう。
片手には釣り竿、背負ったリュックにはフライパンとベーコンを詰めて。
獲物は鱒である。河原の石を組み、道すがら拾い集めた焚き木をくべる。フライパンが熱くなる頃には、ベーコンの脂が充分に溶けだしている。泡だち煮えたベーコンの脂に、腑を抜いた鱒を並べる。なんとなく、軽く粉をはたきつけているように思うが、きっと素のままだろう。
じゅう、とか、じゃぁ、とか香ばしい匂いが漂いはじめる頃には日ものぼり、朝の幻想的な風景画はくっきりとフォーカスのあてられた鮮やかな川べりのフォトグラフに変わる。
私はベーコンを好きで、鱒もまた思い出の中にある味わいだ。だから、特に印象深く残ってもいたのだろう。「旅行者の朝食」で読んでかなり経ってから、はたと気がついた。
この川べりを漂う朝飯の匂いは、そのままマーク・トゥエインが、リチャード・ブローティガンが、リチャード・スキャリーが、アメリカのワイルドライフを描いたさまざまな人びとの作品の中に流れる匂いだ。しかし、ベーコンから出る脂で鱒を揚げるには、どれほどの大きな塊が用意されているのだろう。それを岩の上か何かでナイフを器用に使って切り分けたのち、使い込んだフライパンになげ入れる。いちばん大きな鱒は、腹を開くとその身はうっすらと桃色がかっている。
鱒を縁が欠けた琺瑯びきの皿にあけ、すっかり脂を失ってカリカリになったベーコンを脇にすくい上げる。なんなら、リュックの中でちぢこまっていた田舎パンを焚き木の余りに挿して炙ってもいい。
フォーク一本で平らげる朝食は、いかばかりのものか。