八正道

お釈迦様の言葉とのことですが、常に、これら八つの言葉で
示される正しい道を進むように心がけたいと思います。

ブログは中断します

2006-10-13 03:45:50 | Weblog
 理由は「八千頌般若経」で説かれている「知恵の完成」の真髄を成す「空」について深く勉強するためです。
 その教材として西谷啓治著『宗教とはなにか』(創文社)を選びました。
 この書物は私にとりまして、長年探し求めていた「空」の解説書です。理解困難な部分も多くありますが、心底より感銘を受けています。私がどこまで、その内容を咀嚼できるかは心もとないかぎりですが、とにかく、しばらくの間、読書に集中することとします。

 この本はブログ上でもいろいろ教えを受けている岡野守也先生の著書『よくわかる 般若心経』(PHP文庫・p13)で紹介されています。

 なお、皆様のブログ記事は毎日拝見させていただきます。
 今後とも何卒よろしくお願いします。


9 コメント

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Unknown (ユカサナ)
2006-10-13 19:47:47
何事も思い立った日が吉日です。

いっそう知識と思索を深められますよう、僭越ながら応援させて頂きます。

zazen256様の過去記事をまだ読んでいる最中なので、ブログ再開を楽しみにしながら随時覗かせて頂きます。
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ありがとうございます (zazen256)
2006-10-14 04:22:57
 コメント頂きまして感謝します。勇気付けられました。

 私もユカサナさんの考え方・ブログ記事には共鳴しています。一人ひとりの信念を持った考え方が文化を創ってきたのだと思いますし、何時の時代も同様だと思います。これからもユカサナさんのブログを毎日拝見させていただきます。

 私の読書は少し時間がかかる方法をとりますので、ブログ中断も一ヶ月位の予定です。

 今後とも何卒よろしくお願いします。
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Unknown (sai)
2006-10-18 04:03:02
「悟り」

ご訪問感謝します。これから勉強に入られるとのことで、おめでとうございます。すばらしいと思います。
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感謝します (zazen256)
2006-10-18 04:48:16
 コメント有難うございました。

 力付けられました。

 「空」について学んでいますが、この「空の世界」をどのように活用し、また、どのようにイメージすれば良いのか、ワクワクしながら勉強しています。

 合わせて「知恵の完成」についての仏典(「善勇猛般若経」・戸崎宏正訳)を読んでいますが、仏教の素晴らしさを堪能しています。

 今後とも何卒よろしくお願い申し上げます。

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空は勉強するものにあらず (Hbar)
2006-11-20 06:29:09
空は勉強するものではありません。日本語と言うものは便利なもので、読むと解ったような気になります。それは、その気になっただけで本当の悟りからは遠ざかっている事を感じて下さい。それを感じる方が解説書読むよりも遥かに解脱します。
水をかけるようなような事を書いてしまいましたが、私も修行中です。又、お出で下さい。
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「空」の勉強 (zazen256)
2006-11-21 04:07:56
 コメントありがとうございました。

 私は悟りや解脱とは無縁な人間です。
 「空」は生き方を勉強するために絶対に必要な学問の分野であると思います。
 人間は自覚してはいませんが、「空の世界」の中で生活しているように思います。
 私は、今、西田啓治博士の著書を愛読しています。
でもその思想のすべてを理解することは不可能であるとあきらめています。もうしばらく、読み込んでから自分の作業に取り掛かりたいと考えています。
 全ての出発点は28年前に出張の帰り電車の中で読んだ「般若心経」とその後何回か手帖に書き込み、覚えた「般若心経の書き写し」にあります。
 以来「空」についての解釈もいろいろと変化しました。でもその都度、自己満足してきました。今でも何年か経つと私の「空観」が変化しますが、そろそろ確定に近付いてきたように思います。

 こんごともよろしくお願いします。
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悟り (ノロカメ)
2006-11-23 20:20:09
ノロカメ語録へコメント頂いて有り難うございます。
私は仏教には縁がなく、母の信心を受け継いで金光教の教えに共鳴し、創造主としての神様を信じています。図らずも自己確立を果たした私にとって、宗教が何で難しいのか、また何故対立や問題が山積しているのか、甚だ疑問を感じるところです。
金光教の教祖は、信心は見やすく容易いモノであり、日に日に生きるが修行なんだと説かれています。
愛や慈悲、癒し思いやり、救済、奉仕、無に空などの言葉を観るとき、何か人間は難しく考えすぎているのでは無いだろうかと思うわけで、結局私も自己確立したと独善的な発言を繰り返していますが、生き方は何も特別なモノを悟った訳ではなくて、至極当たり前な生き方に心が定ってしまいました。何を求めても何もない、有るのはこの現実なんだと言うことです。
現実こそが、実が現われた世界なんだ。それが分かると余分なモノを求めたりはしなくなりました。今をそのまま生きて、無を悟る。私はどうも読書が苦手なんです。 相手を無視して自由に書かせて頂きました。お許しをm(_ _)m
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なんでもない(自分?)に還ること、 (zenaway)
2006-11-25 11:53:05
  西谷啓治著『宗教とはなにか』は懐かしい本です。随分と昔のことで、相国寺般若林にいた学生のころ親しみましたが、何時の間に本棚から行方不明となってしまいましたが、今でも「鳥飛んで鳥の如し」の記憶が残っています。
  ただ、振り返りますと、身体の緊張と疲労を落とし、心理機構から衝突、矛盾、錯誤、抑圧、分離を落とし、なんでもない(自分?)に還ること、この目いっぱいの関係世界の関係系に還ることと思え、西谷先生は当時はやっぱり哲学やってはったのや、との思いが強いです。
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「空」について (zazen256)
2006-11-26 04:20:15
 コメントありがとうございました。
最近私が購入しました「宗教とは何か」(西谷啓治著作集 第十巻)は2001.3.10第六刷とあります。
 私はこれを「善勇猛般若経」(大乗仏典1・戸崎宏正訳)と並行して読んでいます。これら両者には共通するところがあるような気がしています。併せて「空」には関係ありませんが、臨濟会編の公演録「洗心」も読んでいます。
 私の主目標は「空について勉強すること」です。
 そのためには何よりも西谷博士の論説が役に立ちます。まだ、しばらくこの読書が続きそうです。
 私のブログ投稿文「八千頌般若経を読む」も、暫く、中断せざるを得ません。
 乱文にて失礼しました。お許しください。
 zenaway師のブログも以前から、毎朝拝見させて頂いております。
 今後とも何卒よろしくお願いします。
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