第二十二章 「善友」・六種の完成
世尊はスブーティ長老に次のように説かれた。
「・・・・・・(省略) けれども、スブーティよ、これら六種の完成を学ぼうとする菩薩大士は、
とくにこの知恵の完成を聞き、習い、覚え、唱え、理解し、宣布し、説き、述べ、教示し、 読誦し、意味に従い、教えに従い、道理に従って考察し、反省し、問い、ただすべきである。
それはなぜか。というのは、実に、この知恵の完成は六種の完成のなかの先導者であり、案内者、指導者、教示者、顕示者であり、生母であり、乳母なのである。
それはなぜか。というのは、知恵の完成を欠いた他の五種の完成であると知られないし、完成という名を得ないからである。
以下、・・・・・・(省略)」
(「八千頌般若経Ⅱ」 丹治昭義訳 中公文庫・大乗仏典 3 p207)
私の解釈
知恵の完成とは「空」のことですから、私たちの身近な教材としては「般若心経」があります。
「般若心経」の内容は菩薩大士の知恵波羅蜜の要素の一つであると考えられます。
ですから、私たちが少しでも知恵の完成に近づくためには、「般若心経」を繰り返し、唱え、習い、覚え、考察することによって、「空」を理解する必要があります。「空」が理解できれば、私たちは一切の苦しみから解放されるのです。
苦しみから解放されるということは、心の平安が得られ、知恵の完成へ近づくということでもあります。
「般若心経」の教えによりますと、一切の物事は因縁によって生じたものである。真実は一切の物事が空であり、無相であり、清浄である、と説かれています。また、偏見をなくすれば、私たちは物事に対する間違った見方や考え方をしなくなる、というのです。
しかし、私たち凡人がこの教えを自由自在に活用できるように成るためには相当の長い年数が必要であると思います。
そこで私は、本文の言葉を引用して次のように主張したいと思います。
私たち凡人が少しでも知恵の完成(知恵波羅蜜)に近づくためには、「般若心経」を聞き、習い、覚え、唱え、理解し、宣布し、説き、述べ、教示し、読誦し、意味に従い、教えに従い、道理に従って考察し、反省し、問い、ただすべきなのです。
それはなぜかといいますと、
「般若心経」は私たち凡人のための先導者であり、案内者、指導者、教示者、顕示者であり、生母であり、乳母であると考えられるからです。
余談ですが、次のような考え方もできると思います。
例えば、私たちは「体力」をつけるために、毎日、食事に気をつけ、正しい呼吸法や運動を心がけます。
強い体力があれば、病気に対する免疫力も強くなります。
一方「気力」についても、これと同じことが言えると思うのです。
つまり、私たちは苦難に耐える強い「気力」を養うために、日頃から努力を重ねる必要があります。
その努力とは仏典や有名人の人生論などを読み、理解し、受け入れながら精神力を鍛えることです。
このような努力を毎日続けることによって、私たちは「気力」を強くしてゆくことができるのです。勿論、苦難を体験することが必要であることは言うまでもありません。
私たちは強い「気力」があれば、苦難に耐える力も、また苦難を排除する免疫力も強くなると思います。