宮城県大崎市田尻の土地改良事業地(北小松)から出現した2500年前の縄文人の遺骨。今月半ばに現地で慰霊祭が開催されたと職場の同僚から聞いた。
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つい、うれしくなってしまった。
遥か昔にこの地で暮らしていた人々へ思いを馳せ、今ここに生きる人々が礼を尽くす。それは、けっして“たたり”を恐れてのことではないはず。累々と積み重ねられてきた歴史に対する畏敬と感謝の心であったと思いたい。
「ところで、仏式、神式? それとも別の何か?」
極めて興味本位の質問をしてしまった。
「亡くなってから50年以上も経つと、神様になるというので、神主さんが来て執り行った。」
「そっか。三十三回忌や五十回忌をもって「弔い上げ」となり、死者は完全に成仏し、祖先(祖霊)になるというからな~。」
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こんな話をしながら宮澤賢治の作品『狼森と笊森、盗森』を思い出した。この話の冒頭には、森に囲まれた野原に来た4人の男たちと森とのやり取りがある。
(以下は、引用)
そこで四人(よったり)の男たちは、てんでにすきな方へ向いて、声を揃(そろ)えて叫びました。
「ここへ畑起してもいいかあ。」
「いいぞお。」森が一斉(いっせい)にこたえました。
みんなは又(また)叫びました。
「ここに家建ててもいいかあ。」
「ようし。」森は一ぺんにこたえました。
みんなはまた声をそろえてたずねました。
「ここで火たいてもいいかあ。」
「いいぞお。」森は一ぺんにこたえました。
みんなはまた叫びました。
「すこし木(き)貰(もら)ってもいいかあ。」
「ようし。」森は一斉にこたえました。
・・・・・
この話と慰霊祭が、妙に重なって思えてきた・・・。
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