南国の遊び部屋

鹿児島の祭りや観光地についてゆるーく報告してますが、最近オタッキーな記事が大半だったりします。
遊び部屋ですから(笑)

戦国無双3・竹中半兵衛(中国攻め )

2010-04-05 | 歴史(戦国・維新・島津など)
戦国無双3・竹中半兵衛の章の最終話は中国攻め。


秀吉が織田家の中国遠征総司令官に任じられると、重治は秀吉に従って中国遠征に参加しました。

1582年の備中高松城の戦いで、清水宗治が籠る備中高松城が包囲され、隆景は輝元・元春と共に救援に向かいますが、隆景は、毛利氏が織田氏に勝つ見込みが薄いと判断し、安国寺恵瓊を通じて秀吉と和睦交渉を秘密裏に行っていたそうです。


立花宗茂は毛利秀包(ひでかね)(毛利元就の9男)と肥後国人一揆討伐にて共に戦功を挙げ、また義兄弟の契りを結んだそうです。

1581年に千代(12歳)、宗茂(14歳)が結婚し、同年に立花宗茂が初陣(対秋月氏戦の嘉麻、穂波の戦い)。
竹中半兵衛は1579年4月、播磨三木城の包囲中に病(肺炎か肺結核)に倒れていますから、本当は面識ないようです。
(それを言ったら、1571年に75歳で死去した元就はどうなるの?になりますが(笑))


長宗我部信親(のぶちか)は、長宗我部元親の嫡男。
1575年に織田信長を烏帽子親として信長の「信」を与えられ、「信親」を名乗っています。
1586年の九州の役で、父元親や宿敵であった十河存保らとともに、豊臣氏の軍監仙石秀久のもと出陣しましたが、戸次川の戦いにおいて、宿敵の十河存保も討死に、信親も島津勢の新納忠元隊に討ち取られてしまいました。


竹中半兵衛は三木城兵糧攻めを秀吉に授け、別所長治を降伏させました。
この無血開城戦法は、後の備中高松城の水攻めにも通じています。


ゲーム上、島津四兄弟が友情出演します(笑)
島津軍は1578年に耳川の戦い(高城川の戦い)で大友宗麟を、1584年には沖田畷の戦いで龍造寺隆信を撃破し、九州制覇もう少しでした!

半兵衛と秀吉で無双奥義!

半兵衛の無双奥義・皆伝は羅針盤を火花が散るほど激しく回転させながら、頭上で勢いよく振り回し、周囲広範囲を攻撃するもの。

けっこう威力があります!

半兵衛が義弘公に「実は心優しき鬼だね?」
義弘公は戦いの後、敵・味方の供養等を立てる名君でした


半兵衛エンディング

黒田官兵衛「元就の首は獲ったか」
半兵衛「まさか」
官兵衛「ならば終われぬ。火種は完全に潰す」
半兵衛「だーかーらー」
「もっと賢いやり方があるって言ってんじゃん」

半兵衛「教えてあげるよ 俺の最強の軍略」

半兵衛「まーだ納得してくれませんか?」

元就「このまま和議を受け入れても信長公はいずれ毛利を討とうとするだろう」
「結局、永遠にうなされ続けそうな気がしていてね」

半兵衛「ええ、それはそうでしょうね」
「誰かが戦を望む限り、乱世は絶対に終わらない」
「だから、一人一人が信じて誓えばいい」
「もう戦はしない・・・させないって」
元就「なるほど 信じるしかないってことか」
半兵衛「だね」

半兵衛「ハイ!じゃあ誓いましょう!」

半兵衛「俺と官兵衛殿と元就公が」

「皆で笑って寝て暮らせる世を築いていくことを」

官兵衛「何だそれは」・・・ごもっとも(笑)

半兵衛が官兵衛と元就の手をひっぱり
半兵衛「これで天才が三人、仲良くなった」
「絶対誰も俺たちには勝てない」

半兵衛「ね、最強でしょ?」



さすが知らぬ顔の半兵衛・・・
つかみどころのないキャラでした。



毛利元就・関連記事
戦国無双3・毛利元就  (木津川口の戦い)
戦国無双3・毛利元就  (上月城の戦い )



歴史(戦国・維新・島津など) 目次 はこちら


コメントを投稿